丘から見下ろす一面に、黄金色の豊かな穂波が広がっていた。足元から伸びている人一人がやっと通れる程の獣道を辿れば、茅葺き屋根の古めかしい家々が建ち並ぶ村に辿り着く。
見慣れぬ服を纏う人々が行き交う。すれ違う度に向けられる畏怖の眼は怯えを含み、遠巻きに、足早に去っていく。
そんな中でたった二人、駆け寄ってくる人影があった。
『 』
違う、俺の、名前は。
◆
「……ヶ、サスケ!!」
強く揺さぶられハッと瞼を上げた。一瞬だけ自分が誰か、ここがどこか分からなくなるが、心配そうに覗き込むナルトの姿にああ、と昨日のことを思い出す。
(そういや……熱出したんだったか)
ここ数日の無理が祟ったようで体調を崩したが、この六年で鍛えあげた身体は一晩眠ることですっかり回復したらしい。
だがそれとは別に何だか落ち着かない。
酷く懐かしい夢を見ていたように思うが、それにしては胸が苦しい。過去を思い出してこんな風になるなんて、もうずっとなかったのに。
「大丈夫か……?魘されてたってばよ」
「……いや、何でもない」
手をゆっくり握り、解いて、詰めていた息をそっと吐き出す。医療忍術で多少は塞がったとはいえ、未だジクジク痛む掌の傷に安堵した。
そうしてぼんやりとした頭で何気なく窓の外を見て───我に返った。
「ナルト、今何時だ!!?」
「へ?んーと、八時半?」
「それを早く言えウスラトンカチィ!弁当作る時間がねぇだろうが!」
「お前が起きなかったんだってぇの、理不尽だってばよ!?」
今日は下忍として初めての出勤日。説明会及び班分けの行われる日である。
集合時間は、九時。
◆
ソワソワと落ち着きのないアカデミー生……いや、今日から下忍となる彼らは、思い思いに忍への憧れやら緊張やらを友人と語っている。
そんな教室に、ドタバタと誰かが駆け込んできた。
「ふぅ……間に合ったな」
「………ハ、早えって、ばよ……」
清々しくほんのりかいた汗を拭くサスケと、そんなサスケに首根っこを掴まれ走って(引きずられて)きたナルト。
そんな二人に目を丸くする……なんて事はなく、至って極々普通におはよう、と返すこのクラスも慣れたものである。
「そういやナルト、お前何でここにいんだよ?試験落ちたんじゃねぇの?」
「へ、へへへ………。お前さ……この、額当て、目に入んねーの、かよ……」
「色々あってな。再試に受かったんだ」
シカマルの問いにゼエハアと息を切らすナルトに代わり、サスケがその後を引き継ぐ。
以前は少々距離のあった奴ではあるが、ナルトとつるんでいたからか、今ではそれなりに言葉を交わす仲だった。
「へぇ、お前がなぁ。つうか、再試験なんてあったか?」
「それは………」
元々再試験というのは無い。数日前の変化の術の抜き打ちテストも駄目駄目だったのを思い出してか、不審そうなシカマルに内心サスケは舌打ちした。
終戦の時にはサスケの助命やら無罪放免やらで奮闘してくれたいいやつなのだが、頭が回る分こういう時厄介だ。
馬鹿正直に話せる内容でもなくどう答えようかと頭を悩ませていると、ふいにバン!と教室の扉が思い切り開いた。
「「ゴール!!」」
「また私の勝ちね、サクラ……!」
「何言ってんの、私の足の先があんたより1センチ早く中に入ったでしょ!」
「ちょっと!アンタ何か──」
騒がしく入ってきた二人組、サクラとイノにシカマルの顔がげんなりする。
俺は関わりたくないとばかりにそそくさと席へ戻っていくのに胸をなでおろしながらも、そっとサスケもナルトと共に席につこうとした、が。
「おはようサスケ君!」
「あ、ああ……」
このサクラの切り替えの早さは、毎度のことながら凄いと思う。
若干呆れながらも、真っ直ぐに向けられる好意が面映ゆくてサスケは苦笑した。
それだけで嬉しそうにするのだから、色恋沙汰へ興味を示せるほど心に余裕が無かったとはいえ、以前の冷たい態度に少し反省するというものだ。
「一緒に座っていい?」
「ちょっと、サスケ君の隣は私よ!」
「はぁ?早い者勝ちでしょ」
「教室に入ったのは私が早かったわ!」
マシンガントークをサスケを挟んで交わす二人。
実際、状況としては羨ましがられるのだろうが、恋云々よりも張り合っているだけのような気がしてならない。
それに以前は他の奴からも好意を寄せられていたのだが、今ではこの二人くらいのもの。
まぁ、姓もなく、授業もサボりがちで話すこともロクにない。将来性やら何やら考えれば、顔だけで選ぶほど幼くはないだろう。
(なのに何でこいつら、俺が好きなんだ……?)
考えても一生理解できる気がしない、女ゴコロとかいうやつか。
『全部好きよ、しゃーんなろー!』と叫ぶ妻の声が聞こえた気がしたが、やっぱり分からん。
病み上がりには少々キツイ高い声の応酬に溜息をついていれば、さっさと席に着いていたシカマルが意味有りげな眼差しを送ってくる。
曰く、『頑張れよ』と。他人事だと思ってあの野郎。
恨めしげに睨んでいると、トントンとナルトに肩を叩かれた。
(サスケ、今のうちに逃げねぇ?)
(だな……あっちの席空いてるし、行くか)
アイコンタクトは完璧だ。
コクリ、と頷きあって、息を潜めながら静かにサクラの背後を通る。
「デコリンちゃんの癖に……!」
「何ですって、イノブタが!」
終に取っ組み合いが始まった二人だったが、ちょうどその時向かいにいたイノと目があった。
イノの力が緩むのがわかる。だが、サクラはそうはいかない。バランスが崩れてよろめき、慌てて押し返したイノによって逆にこちらへ倒れ込んできた。
避けることも出来たが後ろは階段だ。
この年では体格もそれほど変わらず支えられない。このままでは落ちると判断し、とっさにサスケはサクラを抱きしめた。
「サスケェ!」
「サクラ!」
ガタガタと落ちていく二人に、ナルトとイノは血相を変えた。途端に教室がザワザワと騒がしくなる。
「サッ……サスケ君!」
サラサラとした髪が瞼をくすぐって、サスケはうっすらと目を開けた。
目の前に広がる桃色。そして唇に当たる何かに気がついて、ゆっくりと抱きしめていた腕を緩める。
「〜〜〜〜!!」
サクラがバッと離れ、呆然と押さえているのは頬。
そうしてようやく状況を把握して、サスケは思わず顔を赤く染めて口元を押さえた。
一瞬遅れて、教室がくノ一陣の興奮した黄色い悲鳴に包まれ、それが更に恥ずかしさを増幅する。
「あー……。サスケ、怪我とかねぇか?」
「………あぁ」
複雑そうに立ち尽くすナルトに代わって、シカマルが手を差し出してくる。
幸い段差もそれほどなく、受け身を取ったからどこか痛めたということもなかったが、素直にその手を借りて立ち上がる。
ショックを受けたように俯いて震えるサクラに、やはり俺が好きだった訳ではないのか、と少し胸の奥が痛んだ。
心は重いが、それでも責任を取るべきだろう。意を決したサスケはサクラに声をかけた。
「……その、サク──」
「メルヘンゲットォォオオオ!しゃーんなろーーー!!!」
突然叫んで拳を突き上げたサクラに思わずたじろぎ、一歩下がったのは仕方ない反応だろう。
事が飲み込めず目を瞬かせていると、目の前に居たシカマルが誰かに突き飛ばされた。
「この泥棒猫!!私だって……!」
おい!と抗議するシカマルを無視して身を乗り出してきたのはイノだった。
そしてそのまま、頬にリップ音が鳴る。
「あーーー!!」
「フフン。アンタのは事故よ、事・故!ねぇサスケ君、私お返し欲しいなぁ……?」
上目遣いで覗き込んでくるイノと、頬を膨らませ引き離そうとするサクラにくらりと目がくらむ。
可愛い可愛くないの話ではなく、上も下も分からなくなるような目眩である。
「お、おいサスケ!?しっかりしろってばよ!」
「誰かイルカ先生呼んでこい!」
ナルトやシカマルの慌てた声を聞きながら、サスケはもうどうとなれという投げやりな気分で意識を飛ばした。
ちなみにファーストキスはアカデミー時代……。