昔から……いや、この時代に戻ってからだろうか。よく夢を見るようになった。
場所だとか、誰がいただとか。そんな内容は翌朝にはほとんど覚えていないが、恐らく内容はまちまちだと思う。
だが、共通していることがある。たった一つだけ記憶に残るものがある。
いつだって、名を呼ぶ声があるということだ。
だから、今も夢の中にいるのだろうと、光一つ見えない闇の中でサスケはぼんやり思った。
いつもの声が聞こえるからだ。
静かでどこか無機質なその声は、しかしどこか懐かしく感じる。聞き覚えはないものの、忘れてしまっただけなのかもしれないし、それとも本当に知らないのかもしれない。
何かきっかけでもあれば思い出せるかもしれないが、名以外の言葉は何故かいつも聞き取れなかった。
辺りは真っ暗。声は出ない。身体も動かない。
だから、そいつの姿を見ることも、返事をすることも、探しに行くこともできない。
ただ、聞いていた。
飽きもせず、ただただ呼びかけ続けるその声を。
【うちはサスケ】
───そいつは俺を知っている。
◆
フ、と意識が浮上した。
薄っすらと瞼を上げれば光が網膜に届く。朝の刺すような眩い光ではない。赤ともオレンジ色とも言えるような、仄かな灯火。
(………結構、寝ちまったみたいだな)
暗闇の中で揺れる焚き火は、火をつけた時と比べてずっと小さくなっていた。
水面歩行に医療忍術、それから敵対策に張った幻術結界。それでチャクラをほとんど持っていかれてしまっていたものの、寝たことで大分回復している。
異常がないことを確かめ、手のひらを握り開いてホッと安堵に息を吐き出した。
小さな炎が照らすのはその周囲のみで、辺りは先の見えない闇に包まれたままだ。夜明けはまだ遠い。
もう一度寝なおそうかとも考えたが───先程からこちらをジッと見つめてくる視線が気になって、サスケは欠伸をこぼしつつ身体を起こした。
「おはよう、我愛羅」
「……まだ日は昇っていないぞ」
「フン、一日の中で一番最初に会ったら“おはよう”でいいだろ?」
「……そういうものか?」
「ああ」
「そうか」
焚き火から少し離れたところ、木の幹へ背をもたれていた我愛羅が納得したようにコクリとうなずく気配がした。
正直なところ定義など知らないし適当だ。根が素直なんだろうな、と内心でクスリと笑ったサスケは、消えかけの焚き火に枯れ木をくべて火を継ぎ足した。
パチパチと乾いた薪が火をまとう。
フ、と少し強めに息を吹きかければ火の粉が弾け、生まれたばかりの炎が揺らめき勢いが増した。
火花の爆ぜる様は綺麗だ。そして、綺麗だからこそ目立つ。特に真っ暗な夜闇の中では尚更に。
敵に見つかるリスクも高くなるが、血を失ったカンクロウにとっては夏の夜といえど油断は出来ない。毛布などない今、保温のためには火で暖をとるのが一番だった。
炎の明かりを頼りにカンクロウの傷口を確認したが、化膿はしていないし、呼吸も落ちつきチャクラも安定している。熱もどうやら下がったようだった。
もう峠は越えていたから、そのまま別れることだってできた。
それでも、今こうして我愛羅たちと一緒にいるのは、今後───この二次試験終了まで共に行動することになったためだ。
我愛羅達とは昨晩のうちに話し合い、契約を交わしていた。
一、サスケ達はゴールするまでカンクロウの治療を行う。
二、我愛羅達は所有する地の書を対価として払う。
三、ゴールまでは共に協力し塔へ行く。
四、対価である地の書はゴール後に渡す。
簡単に言えば、巻物をもらう代わりに治療を続けるということだ。
我愛羅達はやはりと言うべきか、大蛇丸と接触するまでに幾組かと戦っていたらしい。結果は圧勝、勝負にすらならなかったというのは想像に難くない。
その過程で地の書も二つ所持していたのだ。組が揃ってからは巻物を奪うことなく戦闘不能にしていたそうだから、最初に被ったということだろう。
確かに時間はかかるが、サスケ達は確実に巻物が揃う保証がある。塔付近には敵も多く、我愛羅やテマリの戦力があれば心強い。
見つかるリスクは上がるにせよ、我愛羅やテマリ達としても戦闘不能となったカンクロウを庇いながら進むには人数が多いほうがいい。
それに、峠は越えたとはいえど、今のギリギリ生きている状態では失格条件の2、再起不能者として失格にされる恐れがある。治療を続け、少しでも体力を戻さなくてはいけない。
互いにメリット、デメリットがある。
そんな、一時的な同盟のようなものを結んだのだ。
(それにしても……どういった心境の変化だろうな)
提案したのはこちら、賛同したのは我愛羅だった。
一度会ったことがあるとはいえ、まさかあの我愛羅が他者と協力関係を築くとは。
断られることを予想していただけに驚きも大きく、ついつい聞き返してしまった程だ。
今のところ殺人衝動も出ていないし、普通に会話もできている。
いいこと、いい傾向だ。だが、前を知っている身としては何故とは思うのは仕方ないだろう。
そうやって、疑問ついでについまじまじと我愛羅を見ていたのだが、当然ながら気付かれて鬱陶しそうにジロリと睨まれた。
「何を見ている」
「……別に、何でもない」
「嘘をつくな」
我愛羅の苛立ちに呼応したように、砂が舞い始めるのがチャクラの流れでわかった。
しかし、なんと言ったものか。
苛立ってもいつものように殺気立たないのは何故か、とでも聞けばいいのか?それこそ藪蛇になりかねない。
徐々にこちらへ流れてこようとする砂に冷や汗をかいていれば────唐突に、目前に迫っていた我愛羅の砂の一部がコントロールを失って地面にグシャリと崩れた。
チッと舌打ちが聞こえて、同時に砂が我愛羅の元へ戻っていく。
そういえば、テマリから聞いた話では、大蛇丸から何か術を食らったと言っていた。それに、服に……特に左腕に結構な量の血が付いている。我愛羅自身怪我をしているのかもしれない。
気づいてしまえば放ってはおけず、サスケは我愛羅に近づいた。
里内ならともかく、こんな衛生的とは言えない森の中では小さな傷だって命取りになりかねない。さっさと処置するに限るだろう。
「怪我、見せてみろ」
「必要ない」
「見せろ。小さな傷だろうが、菌が入ってたら取り返しがつかないぞ。中忍試験はまだ続く、少しでもいい状態にしておけ」
「お前には関係ない」
「……同盟結んでる以上、関係あるに決まってるだろウスラトンカチ。今、お前に倒れられたら困る。意地を張るのも………っ」
頑固な我愛羅に焦れて、少しばかり強引に腕を引こうとしたが、その手は当然ながら砂で弾かれた。
その砂の動きさえもどこか緩慢で常の勢いがない。それに眉を潜め、どうしたものかと考えを巡らせる。
どの道、砂のガードを抜けなくては治療ができないし、それは我愛羅の意思外であっても成されるものだ。
もし毒や化膿があれば傷口を切る必要だってある。そうなれば当然我愛羅を守ろうとこの砂は動くだろう。
なにせ、この砂は───。
『母は、死んでもなお俺を守りたかったそうだ。その母の想いが砂に宿っていると………父は最後に言っていた』
『俺は、愛されていた』
『ずっと……生まれた時から。今だって、俺を守ってくれている』
昔の会話が蘇り、そっと目を伏せる。
歳を重ね、過去の過ちを笑い話に出来るようになった頃。酒の席で忍界大戦の話になった際、我愛羅から聞かされた話だ。
(……母の愛、か)
チャクラは精神エネルギー、身体エネルギーの掛け合わせ。それを異国では魂と呼ぶ所もあるらしい。肉親の我愛羅に意志を持つチャクラが宿る、それはあり得ない話ではなかった。
今も我愛羅を守るように舞う砂が、傷ついた我愛羅を抱きしめる腕のように見えて、サスケは目を眇めた。
ゆっくりと砂へ手を伸ばす。ザラリとした感触が指先に触れて、静かにチャクラを送った。
(アンタの息子の治療をしたい。頼む、少しだけ、この腕を解いてくれ)
砂は漂うばかり。
駄目か、と落胆する。だが、我愛羅に害を与えようとしていると誤解されているかのようで、何だかそれは嫌だった。
再び、想いを乗せてチャクラを流す。
(……害を与えるつもりはない。俺はサスケ。我愛羅の───友だ)
砂は動かない。
やはり無理かと手を離そうとした時だ。手のひらに当たっていた砂が崩れて大地へと落ちていった。
もしかすると、大蛇丸の術でチャクラが上手く練れないだけかもしれない。
だが、その攻撃的なチャクラが和らいだ、そんな気がした。ただの勘、いや妄言かもしれないが……それでも。
(……ありがとう)
砂の返事はない。
だが、伸ばした手はもう遮られることはなかった。
我愛羅といえば砂が崩れたことにか、触られたことにか、唖然としている。
為すがままなのをいいことに、二の腕の袖を捲ると抉れたような傷痕があった。
まるで、クナイでも突き刺したかのような傷に、サスケの眉間の皺が一本増える。
「このウスラトンカチ……何でもっと早く言わねぇんだ……!」
血は止まっているし、それほど深い訳でもない。
だが、それは人柱力としての治癒力があるからだろう、今もじわじわと傷口が塞がろうとしているのが微かに感じられた。
これほど時間が経って尚、この状態なら元は輪をかけて酷かった筈だ。
呆れたため息を吐きながら、傷口を水で洗って薬草を塗っていく。
真っ白な包帯を巻き付けていくと、それまで黙りこんでいた我愛羅がようやく口を開いた。
「……何故、助けた」
いきなりの質問にサスケはつい手を止めた。
困惑しただけなのだが、それをどう受け取ったのか、我愛羅の目が見透かすかのように細まる。誤魔化すことは許さないと語っている。
何故か。
そんなの、理由なんて一つに決まっている。
「死んでほしくなかった。ただ、それだけだ」
この世界の未来のため。嘗て涙を流した友のため。そして、まだ愛を知らない子供のため。
どうしても死なせたくはなかった。手を差し伸べたかった。
そう───嘗ての俺が救われたように。
目を見開く我愛羅に少し笑いかけて、止めていた手を動かした。
くるり、くるり、と一巻きごとに傷が白に覆われていく。
医療忍術は対象の治癒力を強めるもの、薬はそれ以上悪化させないためのもの、包帯は外部の刺激から保護し痛みを和らげるもの。
出来ることはそのくらいで、俺に癒やしの力などはない。
結局、治すのは自分自身の力だ。その外部の想いを、行動を、否定するも受け入れるも自分次第でしかない。
否定し、拒絶し、いらないと剥ぎ取って。傷を深めるも。
受け入れ、手を取り、それに支えられて。傷を癒やすも。
決めるのは自分だ。
だが、それがないというのなら渡そう。それに気がついていないなら、伝えたい。
「俺は───我愛羅、お前にも生きてほしい」
「………っ…!」
まっすぐに、届くように。
その薄緑の瞳を見つめた。
お前の母を始めとして。サスケも、それにお前を庇ったというカンクロウも、きっとテマリだって、お前に生きてほしいと願っている。
(我愛羅。お前は愛されている)
ただ、気づいていないだけだ。今は無理でもいつかは知るだろう。
それまでは、せめて俺一つ分だけでも、伝わることを願った。
「これでよし、と。他に痛むところはあるか?」
「いや……もう無くなった。礼を言う」
ボソリ、と最後に早口に告げられた言葉に、サスケはああ、と笑った。
時間がだいぶ経っていたようで、再び消えかけていた火に火遁を継いで起こした。
まだ夜明けまでは時間がある。もう一眠りするかと欠伸を零せば、我愛羅の視線がまたこちらに向けられているのがわかった。
どうした、と聞こうとして気がつく。我愛羅の目は正確にはサスケに向いていなかった。
(………手?)
サスケの手に我愛羅の目は注がれていた。
試しに軽く動かしてみたら、それに合わせて我愛羅の目も動く。
何だか面白い。うちによく来る猫。そいつの前で猫じゃらしを動かした時にそっくりだ。
少しばかり遊んでしまったが、段々と眠気が襲ってきてサスケは我愛羅へ声をかけた。
「どうかしたか?」
「……っ!……何でもない」
ビクリと肩を揺らした我愛羅に何でもないこととは思えず、サスケは我愛羅の目を覗き込む。
そのままジーっと見てやれば、耐えきれなくなった様子でそっぽを向かれた。
「手を……」
「手を?」
「………握っても、いいか」
一瞬きょとんと目を瞬かせたサスケだが、辿々しく眠りが夢がどうのと続ける我愛羅の言葉に、すぐにその意味を理解した。
知ったのは最近だが、どうやらサスケのチャクラには尾獣をある程度抑える力があるらしい。
大筒木の血を濃く残すうちは一族だからか、それとも、六道の力を長く所持していた影響からか。
よくはわからないが、九尾に効果があるなら一尾にも効果があると踏んだのだが、予想は的中したようだ。
「じゃあ、改めて……よろしくな、我愛羅」
差し伸ばした手に、恐る恐るといったようにゆっくり我愛羅の手が重なる。
繋がれた手が、キュと小さく繰り返された。
◆
ずっと。ずっと、死を望まれていた。
でも死にたくは無かった。生きていたかった。
だからこそ、他者を殺していた。
誰かを殺すために生み出されたなら、誰かを殺せば存在意義が、生きている意味が感じられるような、そんな気がして。
───けれど。
『俺は───我愛羅、お前にも生きてほしい』
はじめてだった。生きることを望まれるのは。
理由などない。ただ、生きてほしいのだとそのまっすぐな黒眼が告げる。
自分を庇ったカンクロウの笑みが、そいつに被った。
庇ったのは何故なのか。何故、庇ったくせに、死にかけたくせに笑えたのか。いつだって俺を恐れ、疎んでいたくせに。
何故……俺の死を望まなかったのか。
理由は分からない。分からない、けれど。
ずっと。ずっと、生きることの、存在するための理由を探していた。
───生きることを望む、誰かがいる。
ならば………俺は、生きていていいのだろうか。
それは、生きる理由と成り得るだろうか。
胸の痛みが、消えていくのがわかった。
いや、痛みがあったことさえも随分昔からわからなくなっていたが、それがなくなってようやく、ずっとずっと痛かったことを思い出したんだ。
『他に痛むところはあるか?』
腕は包帯を巻いたからか、随分と楽になっている。
胸はもう痛まない。息苦しさが、和らいでいく。
───痛くない。
繋いだ手を、もう振り払えなかった。
そいつは一人ぼっちだった。
気の遠くなる年月を、たった一人でここにいた。
いや………最初から一人だった訳じゃない。自分から一人になったのだ。
決めたのは己の意思であり、己の憎しみであり、己の欲だった。
この両手は紅く染まっている。
滴り落ちる赤い血から、声が聞こえる。
悲しみと怒りに満ちた怨嗟の声が。
『■■■■』
ああ、そうか。
───俺は今、夢を見ている。