ふわりふわりと浮かぶ白い雲。
今日も木の葉は晴天なり。青空は澄んでいて、日差しは初夏の眩さと一緒に里へ降り注いでいる。
その光をいつもの18禁愛読書で遮りつつ、木の幹へ身体を預けて眼下をチラリと見下ろせば、子供たち───いつの間にか食事会で見慣れるようになった火影の孫だ───がキャッキャッと追いかけっこをしているのがよく見えた。
「長閑だねぇ……」
そんなことを呟きつつ、開いていたページをパラリとまた一枚めくる。
(『───本当に信じてる?私のこと───』……駄目だね。どうも頭に入ってこない)
文字が頭を素通りしていく。
読んでいるはずだが、どうも前のページの内容が思い出せない。そして、また一枚ページをめくる。後ろへと。
そんなことを、さっきから何回も繰り返していた。
どうせ、あと何時間読んだところで前へ進めはしないんだろう。そうわかっていて、それでも本を閉じられなかった。
(………アイツらは、俺の自慢のチームだ。負けるわけがない)
信じている。しかし、信じてはいても、この職業柄だ。いつだって失う可能性を秘めている。
それに、とカカシは目を細めて────彼らのいるはずの方角へ、意識を傾ける。
何故か、嫌な予感がしていた。
こんなにもいい天気なのに、それでもその明るさこそが何かを、夕立ちを連れてきやしないかと。雨雲も雨の匂いもしないのに、そんな不安だけが胸を覆っている。
これじゃ、心配性の父親みたいじゃないか、なんて考えてしまう。きっと心情的にはきっとそれに近い。随分と深くまで潜り込まれてしまったものだ。
「はぁぁ……俺も焼きが回ったね……」
「そうみたいだなー」
間延びした相づちに“ねー”と答えそうになって、ハッと慌てて身を起こした。
「ったく、どうしたんだよ?そんな腑抜けちまってさ」
そんな俺を呆れたように半眼で見やる、いつの間にか隣の枝に腰掛けていた黒髪黒眼の青年───うちはシスイ。
半袖の黒服といったラフな姿から察するに、休暇中なのだろう。
パタパタと家紋と同じ色合いのうちわを扇ぎ、『おお、すっげぇ冷え冷え。あー、生き返るー』なんて、ラムネを傾けて惚けたようなことを言っている彼だが。
その正体といえば、この数年で功績を積みあげあっという間に出世街道を駆け上がったエリート中のエリート、暗部総隊長様だ。
彼とは暗部時代に知り合い、とある共通趣味があると知ってからそこそこ、いやカカシにしてはだいぶ付き合いが深い奴となっている。
「いつの間に来たのよ、お前」
「ん?“長閑だねぇ……”なんて年寄りくせぇことをお前が呟いてるころか?」
「あ、そ……」
かなり前からいた事に、驚きと呆れでそれ以上言葉が続かなかった。
まったくもって、やりにくい。何せ、実力差は明白。年下のくせに、その弟分も合わせて可愛くない奴らである。
「あ、お前も飲むか?」
「いいよ。甘いの駄目だし。……それで、お忙しい暗部総隊長サマが一体何しに来たのよ?」
「んー?どっかの誰かさんが本を返さねーから取り立てに」
「あ〜、あれならちょっと行方不明に」
「さり気なーく懐入れようとしたってバレバレだっての」
「ハハハ……あと一ヶ月待ってくれない?」
「ったく。後で酒奢れよ」
「りょーかい」
ホッと懐に隠そうとしていたイチャパラを握りしめる。
この第一刷(サイン入り)はとっくに売り切れてしまったし、次の仕入れがあるまではどうしても手放せない。
一度は水没しそうになったことはイチャパラ仲間のシスイには内緒だ。
「んで、何をこんなとこで管巻いてんだよ?───お前んとこの班も、出てんだろ?」
何に、とは言われない。けれど指し示すものはたった一つ。
チラリと横目で伺うも、顔色一つ、声音一つ変わらない。噂なんかじゃなくそれを確信しているような口調だ。
「随分と詳しいね」
「ま、暗部総隊長サマだし。それに、猪鹿蝶の山中、奈良、秋道に加え、犬塚、油目、日向……今年は随分と粒ぞろいだ、警備も楽じゃないさ」
「確かに、あの年は随分と豊作だよね。名家七家揃うなんて歴代初じゃない?」
「名家七?おいおい、計算もできなくなったのか?」
「あれ?ひぃふぅみぃ……六か」
シスイに笑われて指折り数えてみれば、なるほど。山中、奈良、秋道……全部合わせて六つだった。
はて、と首を傾げる。数え間違いとかじゃない。ただ、知っていたかのように飛び出た言葉だったのだ。
「本当に大丈夫か?」
「うーん………なんでか、七って思い込んでたみたい」
「なんだそりゃ」
そう。何故か、ずっとずっと、そう思っていたのだ。
最近のことじゃない、もっと昔、誰かが────。
『今年は随分と豊作らしいぞ。あの■■■に日向、それに猪鹿蝶や犬塚、油目んとこもだろ?いやはや、将来が楽しみだ』
『戦争が終わったからなぁ。ベビーブームって感じか?』
『名家七家なんて、責任重大じゃないか。担当上忍は誰になることやら……』
そうだ。誰かが言っていた。
『名家七家』と、そう確かに言っていたのだ。
いつもなら興味すらない、ただの通りすがりの雑談だったと思う。
けれど、つい耳をそばだてていた。まだ『あの日』から一年も経っていなかったのに。オビトを、リンを、そして遂には師をも失って、そんな余裕、なかったはずなのに。
(……オビト?)
ふと、何かが記憶に引っかかった。
そうだ。そんな世間話に耳を傾けたのは───。
『リン、カカシっ!聞いて驚け、実はなぁ!』
『前置きが長い。俺は忙しいんだ、簡潔に話せ』
『なんだよ、せっかくめでたい話をしてやろーとしたのに!』
『オビト、そんなに急いでどうしたの?悪い知らせではなさそうだけど……』
『おうよ!俺にさあ、俺にさぁ、親戚ができるんだ!』
『わぁ、素敵じゃない!おめでとう、オビト!』
『へへへ……』
『親戚っていったって、お前の一族内ならみんな親戚じゃないか。実際は家族なわけじゃないんだろう』
『お前、わかってねぇな。■■■は全員家族なの!頭領の奥さんのお腹の中にいんだよ!名前、なんになんのかなぁ……』
『名前かぁ……楽しみだね』
『おう!俺はさ、柱間とか扉間とか、火影の名前がいいって思うんだけどな』
『まだ男だって決まってないだろ』
『いーや、男の子だ、俺の勘がそう言ってる!』
『どうだか。お前の勘はいっつも当てにならないからな』
『なんだとォ!』
『オビトは男の子、カカシは女の子に賭けるのね。負けた方が何か奢るとか、どう?』
『おい、リン。俺はそういうつもりじゃ……』
『おっし、乗った!!!どうしたよカカシ、負けんのが怖いのか?』
『ふん……まさか。そこまで言うなら乗ってやる』
『ふふ、決まり。じゃあ…………絶対、帰って来ないとね』
『おう!』
『当たり前だ』
そうだ。あれは、あの日。
あの任務の前に、“あいつ”が言っていた。
少しでも明るい話題を、そんな意図があったんだろう。結局、あの後オビトは帰ってこなかったし、賭けは勝敗すらわからず仕舞いになっていたのだ。
(名家七家は………うちは、か)
名家中の名家。オビトと同じ一族で、そして、目の前にいる男の一族でもある。
ならば、知らぬはずもない。それなのに、存在しないものと振る舞っているのだ。つまり───既に亡き者と。
生まれる前に流れたか、病気や事故で死んだのか。
導きだされた答えを、カカシはそっと胸の奥に押しとどめた。
カカシの思いを知ってか知らずか、シスイは「あー、うまかった」とラムネを飲み干している。
表情は変わらない。
けれど………どこか、遠い目をしているように見えた。
もしかすると、その子供を思い出していたのかもしれない。別のことに思いを巡らしていたのかもしれない。
けれど、どんなことがあってもこいつは表情を変えないのだろう。いや───変えることのできない立場に、こいつは辿り着いてしまったのだ。
そんな姿に、何故だろうか。
急に喉が乾いた気がした。
「シスイ!」
ポツポツと近況やらイチャパラやら、雑談を続けていると木の下から相方の名が呼ばれた。
下を見下ろせば、名を呼ばれた彼の弟分、親友と明言しているうちはイタチがいた。
シスイと同じくラフな姿をしている。シスイとイタチ、二人揃って休日とは珍しい。
直接聞いたことはないものの、数年前に流れてきた噂では、イタチは暗部総隊長補佐をしていた筈だ。暗部ツートップがいなければ、仕事が回らなそうなものだが。
それとも、人事異動でもあったのだろうか。イタチならばどこでも引っ張りだこだろう。
そんなことを思いつつ、シスイとともに木から飛び降りれば、パチリとその黒い目が瞬きする。
「カカシさん……お久しぶりです」
「久しぶり。あ、もしかして二人とも待ち合わせでもしてたの?」
「新しく出来た店の視察ですよ。里内のことはちゃんと把握しておく必要がありますから」
イタチはそう人好きのする微笑みで答えたが、シスイがこっそりと『甘味処だ』と耳打ちする。
よくよく見れば、イタチのどこか楽しげな様子……とは裏腹に、シスイの顔色はよくない。青ざめている。どんよりとした暗い雰囲気だ。
イタチの甘味狂いは暗部内でも有名で、事実、俺も茶屋に一緒に行ったことがある。
元々、甘いものは得意じゃなかったし、煎餅を齧っていたのだが……隣で黙々と団子を頬張るイタチにこちらの方が胸焼けしそうだった。やっと食べ終わったかと思ったのも束の間、二軒目に入ったのは若干トラウマになっている。以来、甘いものは余計に駄目になったのだ。
シスイの気持ちが大いにわかって、ポン、と肩を叩けば恨めしげに睨まれた。
替われ、と視線は訴えてくるが、諦めてくれ。それに男二人甘味処に入って何が嬉しいんだ。うちはのイケメン二人なら女性陣も大喜びだろう。
「………そういえば、カカシさん。今日は子供たちは一緒ではないんですね」
ふと、そんなことを聞かれてカカシは眉を上げた。
シスイが知っているのだからイタチも理解しているだろうに、随分と回りくどい真似をする。
だが、思った以上にこいつらは中忍試験を気にかけているようだ。それに内心首を傾げながら、カカシはヘラリといつものように笑った。
「あいつらは中忍試験中。今頃は二次試験で、第四十四演習場かな」
「何故、出したんです?一年くらい様子見してもよかったはずだ」
「………随分と突っかかるね。それに、あいつら自身が決めたんだよ。お前が口を出すことじゃないし、そんな筋合いないでしょ。お前とは何も関係ない話だ」
「…………」
そう、冷たいとさえ言える口調で突き放せば、イタチはぐっと黙り込んだ。表情はどこか、苦しそうで───傷ついたように見えた。
初めて見るその表情に、カカシは何故か罪悪感を覚える。
(……罪悪感?俺は何も間違ったことを言っちゃいないでしょ)
自分の思考に疑問を覚える。
だが、何故か……禁句を言ってしまったような。そんなことを思ったのだ。
「イタチは心配性だよなぁ。大丈夫だって、あの子達なら」
「そうそう。何より……俺の自慢のチームだよ?絶対、勝ち抜いてくるから安心しな」
「そう、ですね……ただ───最近、砂隠れの動きがおかしい」
「おい、イタチ……」
「先日、里の守衛が二人殺されました。何者かが侵入した可能性があります。それこそ、里の内部に詳しい誰かが手を───」
「やめろ、イタチ!!」
「今の木ノ葉は水面下で揺らいでいる。面目上、公表はできませんが……この中忍試験、用心してください」
そう言って、イタチは目を伏せた。シスイの表情は厳しい。
おそらく、機密事項だったのだろう。口外すれば厳罰が待っている。
だが、それを承知でイタチは俺に伝えたのだ。それは、信頼でもあるだろうが………きっと、それだけじゃない。
言外に、守れと言われている気がした。
イタチがあいつらを可愛がっていることはわかっている。けれど、生真面目で任務に忠実なこの男が、規則を破ってまで警告してきた。
思う以上に、あいつらを大切にしていたのだと、カカシはようやく気づいた。
「了解。大丈夫、あいつらに手出しはさせないよ」
「はぁぁぁ……。イタチ、お前後で何か奢れよ。カカシも口外したら………わかっているだろ?」
「はいはい。暗部総隊長サマ」
身内といえど、シスイは罰する。優しいが甘い男じゃない。
先程の内容は黒にほど近いが、きっと核心は話していないのだろう。だからこそ報告はしないと言外に言っているのだ。
最も強調された重要なキーワードは、『里の内部に詳しい誰か』。里抜けした者ということだろうか。
そう考えて、真っ先に思い浮かぶのは、蛇のような不気味な瞳。
(…………まさかね)
最悪の想像に頭を一つ振った。
「じゃあね」
「おう。サスケちゃんたちによろしくな」
「では………行くぞ、シスイ」
「わかってるって。逃げねーからその目はヤメロ」
「どうだか。さっき、お前待ち合わせ場所から逃げただろう?」
「いや、そのー、それは、カカシの姿がチラッと見えてな。返してもらいたいのがあっただけだって!」
「約束は約束だ。賭けた以上、きっちり払え」
「はいはい」
どうやら、何かの賭けにイタチは勝ったようだ。そのためシスイは奢ることになったらしい。
ご愁傷様、と心の中で呟きつつ、離れていく背を見送った。
(オビトが生きていれば────勝ったのはどっちだったろうな)
影が、当時の俺とオビトの姿に重なろうとして、消えていく。
たった一つ、消えずに残ったのはうちはの家紋だけ。
その家紋を見つめていた時………ふと、オビトの言葉が蘇った。
────お前、わかってねぇな。“うちは”は全員家族なの!
(頭領、当主の子供………ってことは)
イタチだ。だが、歳が合わない。
あれはそう、九尾が襲来する前の年で、生まれていればその子はナルトたちと同じ年齢。
(お前、お兄ちゃんだったんだ)
辿り着いた答えは、ストンと胸に収まった。
シスイと一緒にいる姿は確かに弟を思わせるが、しかしその前にイタチとシスイは親友だ。対等で、お互いの力量を認めあっている。
それに、どこか違和感があった。
あいつは俺のような一人っ子でも、弟でもない。
(………きっと、いいお兄ちゃんだったんだろうね)
生きていたなら。
不思議なものだ。どちらかがいなければ、“兄”でも“弟”や“妹”でもなくなってしまう。どちらかがいるからこそ、そう呼ぶことができる。
そう考えるならばもはや、イタチは兄には戻れないのだ。
今日はやけに喉が乾く。
「ラムネを一つ」
「はいよ」
キンキンに冷えたラムネを呷った途端、その冷たさが一瞬頭を通りぬける。そしてそのまま身体の奥へと染み込み、それと乾きが満たされていった
どうやら、随分と水分不足に陥っていたらしい。
喉を潤すそれは、やはり甘くて。けれど、すぐに消え去る、そんな優しい甘さに思えた。
飲み干した瓶の中で、ビー玉のカランと澄んだ音が響く。
帰ってきたら、あいつらにも買ってやろうか。
きっと、ナルトははしゃいで、サクラは嬉しそうに笑って、サスケは渋い顔で受け取るだろう。
そんな姿が簡単に思い浮かんで、カカシはマスクの下でクスリと笑った。
「あっ!カカシの先生だこれ!」
この後、先に木ノ葉丸たちに奢る羽目になったのは余談である。