『うちはサスケ』
呼ばれた名に、またか、とぼやけた思考の中に思った。
あたりは暗く、声は出せず、身体は動かない。まるで深い海の底に沈んでいるような感覚は、最早馴染み深くなってしまった。
いつからだったろう、この声を聞くようになったのは。目を覚ませば、どうしても覚えていない。ただ、己が己でなくなるような、そんな漠然とした不安だけが残っている。
『 』
ほら、また。呼ばれている。
なのに、見えない。応えられない。向こうに行けない。それがもどかしくて仕方ない。
動かせない身体で、それでも藻掻こうとして。
そして……ふと、気がついてしまった。
動けないのではない。動かす身体がないのだ。
悲鳴を上げたいのに。藻掻き出したいのに。手を伸ばしたいのに。助けを求めたいのに。
悲鳴を上げる声も、藻掻き出す力も、伸ばそうとする腕も、助けを求める相手も。
ここには、何もなかった。
自覚すると同時に、途端に自分がどこにいるのか分からなくなった。
境界線が溶けていく。何かが、流れ込んでくる。押しつぶされそうになる。
凄まじい速度で移り変わる映像は捉えきれない。なのに、紅だけが残像に残る。
これは、記憶だ。
───誰の?
『うちはサスケ』
お前は───誰だ?
『 』
俺は───誰だ?
「……っ!!」
ヒュウ、と喉をか細い空気が通り抜け、サスケは胸を覆った苦しさにハッと目を覚ました。
荒い呼吸。ドクドクと速く刻まれる鼓動。それが己のものであると瞬時に悟り、敵襲かと身構えるも視界には所々光が差し込む森が広がるばかりで人の気配はない。
それを確認し、ホッと胸を撫で下ろしたサスケは身体を襲った気だるさに再び大地に背を付けた。
(……夢、か)
ひんやりとした地面の冷たさに身体から力が抜けていく。落ち着いていく呼吸と鼓動に、珍しいものだとぼんやり思った。
何の夢だったかは生憎記憶には残らなかったものの、胸を襲う空虚さと締め付けられるような苦しさには覚えがあった。
誰かを失い、その度に何度も感じた。決して慣れることのできない痛みだ。誰の夢だろうかと思いを巡らせると同時に、首筋の呪印がズキリと痛んだ。
まるで、思い出すなというかのように。
───思い出す……一体、何を?
ぐるぐると巡る思考に、徐々に頭が痛くなってくる。つう、と額を伝った汗を拭って、微かに震える指先を握り込み、木の葉の合間から差し込む陽光を遮った。
瞳を閉じるまでは透き通るようだった朝日は、今や陰りを帯び始めている。随分と長く眠ってしまったようだった。
考えていても、一向に答えは浮かばない。徐々に夢に抱いていた感情も薄れてきていて、考えても答えは得られそうにないと早々判断したサスケは一つ息を吐き出して身を起こした。
(……早く、行かねぇとな)
ホルダーには天の書が収まっている。これがなければ、そしてサスケ自身がいなければ、ナルトとサクラは塔に着いてもゴールできない。
そして、今日は中忍試験四日目、試験のタイムリミットは明日。それまでにナルト達と合流しなくてはならない。それに、巻物を巡っての戦闘は激しさを増すだろうことを考えると、ここでぐずぐずしてはいられない。カンクロウの手当もしなくては。
重い足を叱咤して立ち上がった瞬間、駆け抜けた痛みにサスケは顔を顰めた。
(クソ……しばらく走るのは厳しいか)
昨晩の戦いで酷使した幼い身体は悲鳴を上げている。
サスケは重いため息を吐き出し、痛む足を引きずりながら森の中を歩き始めた。
塔へと歩みを進めて幾許か。途中、戦闘中のチームや敵索中の敵などとも鉢合わせしそうになったが、気配を消してやり過ごしたり、迂回したりで回避した。
だから、サスケは再び近づいてくる気配にそっと気配を殺し、それまでと同じように敵が通り過ぎるのを待とうと木陰に身を潜めたのだ。
しかし。ふと違和感に気が付いたサスケは枝を払い、森の奥へと目を凝らした。
(一人か……逸れたのか?)
感じるチャクラは一つだ。しかし、後ろを追いかける大型の獣の気配。周囲に他のチャクラはなく、仲間の助けの入る様子もない。
逸れたか、もしくは───遺されたか。
過る推測に眉を顰める。
他チーム間の戦闘に口を挟むのはフェアではないが、しかし相手はサスケから見ればまだまだ子供、見殺しにはできない。
サスケは痛む足を堪え、そのチャクラの方向へと木を駆けた。
(……あそこか!)
木々の狭間から薄茶色の熊の巨体が見えた。だが、その影に感じるチャクラは動かない。怪我をしたか、それとも───。
チッと舌打ちをしたサスケは強く足場の枝を蹴り、その熊の頭を目掛け勢いよく跳び下りた。
「獅子連弾!!」
熊の硬い頭蓋に打ち付けた衝撃と共に、足に激痛が走る。それに眉一つ動かさず、勢いを殺さぬままサスケは熊の顎を地面にめり込ませた。
ピクピクと痙攣していた熊だが、やがて気を失ったのか静かになった。
もう危険はないだろうとサスケは襲われ倒れ込んでいた子供を振り返り───懐かしい色に目を見開いた。
その色は、鮮やかな赤。
そしてその赤色の髪に覆われた顔に、唖然と息を呑む。
(……香燐?)
その子供は紛れもなく、嘗て共に旅をした仲間、鷹のメンバー“香燐”の面影があった。
───何故、香燐が中忍試験にいる?
疑問符が頭を埋め尽くす。
しかし、子供のサスケを見上げる視線に気が付き、とりあえず疑問は後回しにしたサスケは熊の背から降りた。
近くで見れば見るほど嘗ての姿が重なり、サスケは懐かしさに頬を緩める。
「無事か?」
まだ怯えているのだろう、固まった子供の返事はない。それに焦らせないようにサスケはゆっくりとしゃがみ、未だ座り込む香燐へと目線を合わせた。
「怪我はなさそうだな。……立てるか?」
そっと手を差し伸べると、そろそろとその小さな手が重ねられる。そして、立ち上がらせようとその手を握った瞬間、その眼鏡の奥の大きな瞳からぼろぼろと涙が溢れ出した。
「っ!?」
慌てたのはサスケである。子供の涙には昔から弱い。孫の子守は笑顔の練習をしていたものだ。
忍とはいえ香燐もまだ子供。死の恐怖に怯えていても仕方がないだろう。握られていない方の手でぽんぽんとその頭を撫でると、更に嗚咽は大きくなった。
それに苦笑しながら、サスケはスッと香燐の姿に目を走らせる。
嘗てより短く揃えられた、燃えるような赤い髪。
涙でぐしゃぐしゃな顔。
泥だらけで、ぼろぼろになった服。
それから、白い腕と脚に残るおびただしい程の歯型。
その腕に残る歯型の中の、真新しい輪が四つ。血がまだ滲んでいるということは、そう時間は経っていない。そして、香燐の治癒能力に頼ったということはそれなりのダメージを受けていたのだろう。それも、二回も噛むのだから劣勢だったようだ。
しかし、周囲に他のチャクラはない。戦闘の気配もない。
「お前、仲間はどうした?」
酷かもしれないが、それでもサスケは敢えて問いかける。
案の定、咽び泣くばかりで返る言葉はない。しかし、翳った瞳に、耐えるように噛まれた唇に、生存は絶望的であることを悟った。
いくら香燐が治癒能力に長けているとはいえ、死者は蘇らせることは不可能だ。
それ以上は追求せず、サスケは黙ってその頭を撫で続けた。
どうしたものか。
今日は中忍試験、四日目。もうじき日も沈み、五日目の最終日に入る。
試験終了時まで生き延びていれば、試験失格者も救助される。だがそれは逆に言えば、試験終了まではギブアップができないということだ。それ以外で助かるには、自力で塔にたどり着くしかない。
香燐は優れた治癒能力を持ち、感知能力もずば抜けている。このまま別れても救助される確率は高いだろう。
───しかし。
ぎゅうとサスケの手を両手で強く握り込み、たすけて、と嗚咽の中で繰り返す香燐を、どうしても見捨てることはできなかった。
◆
『力を貸すのがこの里に置いてもらう条件だもの』
『すぐに戻るから。いい子にしていてね』
やつれた母は、頭を撫でながらそう言った。
いくら待っても、母は二度と戻ってこなかった。
その日からうちの地獄は始まった。
『いやっ……!やだ、やめてっ……!』
腕に、脚に、肩に、指先に。立てられた歯が肉を裂く。それもそれで痛かったけれど、苦しいのは、辛いのは、いつもその後だ。
裂けた傷口から滴る紅い血が、傷だらけの奴らの口に入っていって。同時に、身のうちに蓄えていたチャクラがごっそりと奪われていく。
まるで、生命を吸い付くすかのように。容赦なく、うちの意思すら関係なく、ただただ略取される。
その度に、無力であることを、そして………いつか母と同じ運命を辿るであろうことを思い知らされる。
それがたまらなく苦しくて、辛くて、怖かった。
だけど、手を伸ばしたところで、救いなんてありやしない。
───助けて。
泣き叫んでも、押さえつけられ。
悲鳴をあげても、口を塞がれ。
全てを呪っても、何も変わらない。
どんなに抵抗しても無駄だと、繰り返されるうちにそう気づいた。
やがて、うちは里のためだと自分自身すら騙すようになった。
そう。うちはよそ者で、これは義務なのだと。………本当はこんな里、クソ喰らえと思っていたけど。
おとなしくなったうちは、この身体と引き換えにある程度の自由を得た。いくら嫌だって言っても殴られるだけならさ、口答えせず引き受けて取り入って、ちょっとでも対価をもらえたほうがいいだろ?
そう、賢くなったのさ。
───いやだ。
まぶたの間から差し込む光に、まだ生きていると安堵した。ふかふか、とは間違っても言えないが、それなりに清潔なベッドから身体を起こす。
このベッドも、この小さな部屋も、対価として手に入れたもの。この空間だけは、うちだけのもの。
「おはよ……母さん」
大きなあくびをこぼしながら、窓辺で微笑む色褪せた母に語りかけた。
写真立ての中の母も一人ぼっちだ。いや……うちを一人ぼっちにしたから、母も一人ぼっちにしてやったんだ。本当はその側に男がいた。知らない男だが、その髪は母やうちとは異なる、“黒”。写真は後生大事に母が身につけていたようで、一人になって初めてそれを見つけた。
その男と母がどんな関係だったのかは知らない。でも、二人はとても幸せそうで。
……母は、一人ぼっちなんかじゃなかった。それが、羨ましくて。気づいたら破いていたんだ。
母は責めない。ただ、ずっと微笑んでいる。側にいてはくれなかった人を、バカみたいに想い続けて。
───ごめんなさい。
そっと写真から目を逸らし、ベッドから足をおろすといくつもの赤い輪っかが代わりに視界に入る。まるで、逃れることなど許さないとでも言うかのように、腕に、足に、絡みついて放してはくれない。
今日はいくつ増えるだろう。いつまで、続くのだろう。
『来い、“うずまき”。長がお呼びだ』
『……はい』
従順に。逆らうな。弱みを見せるな。
そっと胸の中で唱える。そう。味方はいない。頼れるのも、信じられるのも、うち自身だけなんだから。
『上層部の話し合いで、お前を次の中忍試験に参加させることになった』
『ウチを?』
『この試験は参加した下忍の実力をもって各忍里の力を計る、代理戦争の側面を持つ。我々としては負けるわけにはいかんのだ。お前の役目は他の二人の徹底回復……よそ者の身で養われてきたのだ。そのことを肝に銘じて必ず結果を出せ』
かかるプレッシャーに逆らうことも出来ず、静かに『はい』と頷いた。
うちはいつまでもよそ者でしかない。それなのに、よそ者を里の代表にするなんて矛盾もいいところだ。
そんな皮肉に笑おうとして、笑えなかった。足が震えているんだ。戦ったことなんて、一度もないのに。
───怖いよ。
出発の日。クナイ、手裏剣、起爆札、それから母の写真。その他にも必要そうなものを詰めて、そっと息を吐き出す。がらんどうな、物がほとんど残らない部屋を見渡した。
今度はもう帰って来れないかもしれない。そうしたらこの部屋は別の誰かが使うんだろう。結局、手に入れたものなんて一つもなかった、それが思い知らされるみたいだった。
試験は木の葉隠れの里で行われた。うちらは手も足も出なくて、ただただ、巻物を守るだけで精一杯だった。
里の威信を示す?馬鹿馬鹿しい。中忍試験の合格なんて端から期待なんてされてなかったんだ。木の葉と草の戦力差は明らかで、小国はそんな大国の華を映えさせるための雑草だ。
かろうじて生き延びたと思った束の間、弱った隙を突かれ連戦になった。回復も間に合わなくて、あっという間に殺された他の二人。
その死体が母の姿と重なった。
───死にたくない。
がむしゃらに逃げた。
敵は撒けた。でも、また追われている。
大型の獣の牙が背中に迫る。生きたまま食べられる。きっとうちは、簡単に死ねない。
頑張って走ったけど、足は限界だったんだろう。縺れて地面が近づいたのがやけにゆっくり見えた。
眼鏡が転んだ拍子に跳ねていく。背中に獣臭い荒い息がかかるのがわかった。
どうせ何も見えないのに、それでもほんの皮一枚でも逃げたくて、ギュッと瞼を閉じてその時を待った。
───誰か。
暗闇の中で、何かがぶつかる大きな音がした。
その牙が身体を引き裂いたのかと一瞬思ったけど、来ない痛みに恐る恐る目を開いて、視線を上へと向ける。
誰かがいた。ぼやけたシルエットに急いで眼鏡をつければ、そこにいたのは嫌いな“黒”。
なのに、どうしてだろう。その“黒”はキラキラ光って見えたんだ。
「怪我はなさそうだな」
「立てるか?」
そっと伸ばされたのは、敵の手だ。
取っちゃだめだ。誰の手も、取っちゃだめだ。うちの味方は誰もいない。自分自身だけ。
そう思うのに。
その黒い髪も瞳も綺麗で。
その強く輝くチャクラが眩しくて。
初めて伸ばされた手にそっと触れた。
握られた手のひらが暖かかった。
頭を撫でる仕草が、母さんと重なった。
その優しすぎる眼差しに、涙が溢れた。
「たすけて」
眼鏡をかけているのに、見えないよ。
もっと、ずっと見ていたいのに。
手に入らなくてもいい。見ているだけでいいから。
だから、どうか。あと、少しだけ。
どうか、うちの側にいて。
香燐ちゃん初登場!鷹メン大好きだったなぁ(*´艸`*)
そして超重い過去よ……。原作香燐ちゃんもサスケに助けられた、それが心の支えだったんじゃないかな、と。
ちなみに、サスケさんは香燐が前回も中忍試験に参加していたことを知りません。
そしてそして……!ついに明日、サスケ烈伝放送!!!これを盛り上げるためだけに投稿していたと言っても過言ではない(笑)録画準備ばっちりです!(〃∇〃)
烈伝放送を祝し、明日から主要キャラの誕生日にあわせて連投予定ですので、どうぞお楽しみくださいませ。最初はカカシ先生から行きますね〜( ´∀`)b