少しばかり古ぼけた石畳を、サスケは買い物かごを揺らしながら歩いていた。
師走の冷たい風に、高く舞い上がった枯葉を目で追いかける。
幼い身体で見上げる景色は何もかもが酷く大きく、果てなく遠く、戻った当初は子供の視界とはこうだったかと新鮮に感じたものだ。
(ようやく慣れてきたか……)
毎日忙しく働く母に、嘗て出来なかった親孝行をしよう、と思い立ったサスケは早々に家事の手伝いをしていた。
しかし、嘗ての身体と今の身体の落差が大きすぎて、転びそうになったり皿を落としかけたりとヘマばかり。
それも一ヶ月もすれば随分と慣れ、最初は心配そうだった母も、今は喜んで頼み事をしてくれるまでになった。
このお使いもその一つ。腕に下げているトマトやらキャベツやらが詰められた籠は、子供の腕には少々重い。
過去と比較しようのない程に著しく落ちた筋力、体力、チャクラ量。それらを苦く思いながらもそろそろ本格的な修行をするか、と思案しながら歩いていると、通りを箒で掃いていた煎餅屋のおばちゃん、うちはウルチと目が合った。
「お使いかい?偉いねぇ、サスケちゃん」
おばちゃんがにこにこ笑ってサスケの頭を撫でる。
遠すぎる過去に声さえ埋もれていたが、こうして顔を合わせるとその目尻の皺が優しく深まる所が好きだったな、と朧気に思い出した。
サスケは本家の子供、最年少ということもあってか、一族にはよく構ってもらっていた。
ちょっと待っておいで、と店内に入ったおばちゃんはその手に小さな袋を持って戻ってきた。
「よかったら食べておくれ」
断る間もなく渡されたのは、うちは煎餅。甘味が苦手とするサスケが、生涯で唯一好んだ菓子だ。
おばちゃんに礼を言って、帰宅後に母に渡せば『お手伝いはもういいから食べていらっしゃい』と微笑まれ。
母の入れてくれた茶を啜りつつ、サスケはポリ、と煎餅を一口齧った。
(うまいな……)
懐かしい味を噛み締める。口の中に広がる甘しょっぱさは、遠い記憶の中のそれと全く変わらず、ついつい頬が綻んだ。
(この後はまだ夕食の準備まで時間がある……手裏剣術、剣術はまだ無理だろう。まずは体力をつけることが最優先か)
走り込みでもするかと予定を立てつつ煎餅を齧っていると、ふと慣れ親しんだチャクラを感じサスケは玄関へと向かった。
「ただいま」
「おかえり、兄さん!」
「サスケ、よく分かったな。気配を読むのが上手くなった」
「もうすぐ俺だってアカデミー生だ。これくらい出来て当然だろ」
家の前でサスケが来るまで待ってた癖に、それをおくびにも出さず子供扱いするイタチに口を尖らせる。
そんな負けん気も『驚かせようと思ったんだがな』と残念そうに言われてしまえば、あっけなく霧散していった。
やはりいつになっても兄には敵わないようだ。内心で苦笑しながら、大分高い位置にある兄の顔を見上げた。
「そういや今日は随分早いけど、どうかしたのか?」
下忍の頃は今くらいの帰宅だったものの、中忍となってからは忍務の難易度も上がり、日もとっぷり暮れた頃に帰るのが常だった。さらに暗部入隊が決定した今、こんなに早く帰れる訳も無い。
少し不安げに瞳を揺らすサスケに、イタチは優しく笑って首を横へ振った。
「今日から三日間休みが取れたんだ。年末前から中期任務が入る。その代休といったところか」
その言葉になるほど、と頷く。
将来的には改善はされるものの、忍の職務形態ははっきり言って非常にブラックだ。それでも年末年始分の休みは流石にあるらしい。
しかし、そもそもまだイタチは十一、そんな子供にさえ数ヶ月に及びかねない中期任務が振られることに違和感を覚えるのだから、まだ“前”の常識が抜けないようだった。
「そっか。あ、うちは煎餅貰ったんだ。兄さんも一緒に食べようよ」
「そうだな、それもいいが……サスケ、夕食まで一緒に修行しないか?最近……その、修行を見てやれなかっただろう?」
やけに歯切れの悪いその言葉に、そういえば、と過去の自分を振り返る。
この年頃は兄の顔をみる度、纏わりついては“修行に付き合ってくれ”と口癖のようにせがんでいた。
しかし、今となっては、これから任務に行こうという兄にそんな言葉をかけられる筈もなく。多忙なイタチを煩わせたくなくて、玄関先でいってらっしゃいと見送るのが精々だ。
きっと急にその口癖が無くなったものだから、心配をかけてしまったのだろう。
(だけど……兄さん、帰ってきたばかりじゃないか)
今でも確かにイタチと修行したい、その思いはある。だが兄は毎日の任務で忙しく、疲れてもいるだろう。
兄が負けるとは思わないが何が起きるか分からないのが任務。実際サスケ自身、波の国では死にかけた。
忍とはそういう命懸けの職であり、体調を万全にすることは最も優先されるべき事柄の筈だ。
なのに、この兄はいつも自分のことはいつも後回しで、蔑ろにする。そうしてイタチを犠牲にして優先されるのが、こんな弱く愚かな自分自身だということが。とても悲しくて、悔しかった。
「……いいよ、止めとく。兄さん疲れてるだろ。俺、風呂沸かしてくるから」
「サスケ?」
「そういや、台所に団子あったな。茶もついでに持ってくるから待っててよ」
呼び止める声を振り切って走る。話も聞かず逃げるなんて、善意から誘った兄に対して酷い態度だと分かっている。
───でも、思い出してしまうんだ。
『許せ、サスケ。これで最後だ』
大好きな兄だ。でも、そんな所は大嫌いだった。
過去の鮮烈に蘇った記憶に、ほんの少し零れた涙をぐいっと袖で拭い去ったサスケは、歯を食いしばって廊下の角を曲がった―――が。
「全く。二人とも、そんな所ばっかり父さんに似るんだから」
「え?母さん?ちょっ!!?」
「こら、暴れないの」
突然出てきた母に驚いていると、抵抗する間もなく抱き上げられた。呆れたようにため息をつきながら、しっかりとサスケを抱く腕はびくともしない。
そうして母に連行されたのは、先ほどサスケが逃げ出してきた玄関、だったのだが。
「に、兄さん……?」
「あらあら、見事に沈んでるわねぇ」
昼間だというのにそこだけ暗かった。原因はサスケが恐る恐る声をかけた兄、どんよりした空気を放ち立ち尽くすイタチである。
あまりに暗い空気に尻込みするサスケに構わず、母はズンズン近づきその肩を揺さぶった。
「イタチ!ほら、起きなさい!」
「母さん……俺はしばらく、シスイの家に、泊まります」
ショックで青ざめたイタチは、掠れた声でそう告げながら、フラフラと玄関の扉に手をかけた。
そんなイタチにミコトは再び深いため息をつく。
「何言ってるのよ、あなたまで……。最初から聞いていたけれど、二人とも言葉が足りないのよ。イタチ、ほらサスケと修行に行ってらっしゃい」
「でも」
「でもじゃないわよ、そんな空気でシスイ君の所行っても迷惑でしょ。悪い方に思い込むくらいなら、ちゃんと二人で話をしなさい」
「か、母さん、兄さん疲れてるだろうし、俺夕飯作るの手伝うから……」
「サスケ。『お手伝いはもういい』って母さん言ったわよね?お風呂も夕食も、母さんが用意しておくから早く行きなさい。いいわね、二人とも?」
綺麗に微笑んだ母に、頷く以外に道は無い。
ぴしゃりと閉ざされた玄関の扉。遠ざかっていく母の足音とともに、サスケは長年のイメージが脆くも崩れ去る音を聞いていた。
それもそうだろう、うちは一族族長の妻がただの女性な訳も無く。妻とは話が合うに違いない、そんなことを思った。
◆
「……」
「……」
気まずい。今の二人の間に流れる空気は、正にその一言に尽きる。
家から叩き出されたサスケとイタチは、うちは一族所有の林へ向かっていた。
途中すれ違った通行人たちは二人に声をかけようとし、その空気に固まり、そして目を逸らしてそそくさと去っていく。それが十数人続いたあたりで、ようやくいつもの修行場所が見えてきた。
大きな岩と、それを囲むように伸びる木々。暖かな日差しが葉と葉の合間から大地を照らしている。
冬風も吹いてはおらず、何故かその場所だけ穏やかな雰囲気を醸しているように感じた。
『すごいや兄さん!岩の裏の死角の的にもど真ん中だ!!よーし、俺だって……!』
『サスケ、そろそろ帰ろう』
『えっ……新しい手裏剣術教えてくれるって言っただろ!』
『明日はちょっと大事な任務があって、その準備がある』
『……兄さんの嘘つき』
『───許せ、サスケ。また今度だ』
懐かしい思い出が蘇る。
兄に褒めてほしかったサスケは無茶をして足を捻り、イタチの背におぶわれたのだったか。今考えれば馬鹿なことをした。
それでも、百年が経った今尚思い出せるのだから、その痛みも全くの無駄ではなかっただろう。
そんな暖かな記憶に後押しされて、サスケは兄を振り返った。
「兄さん、あのさ……」
「すまなかった、サスケ」
へ?と口から情けない声が漏れた。
「すまなかった」
再び繰り返す兄の言葉の意味が本気で分からない。
善意から誘ってくれた兄に対して酷い態度を取ったのはサスケだ。謝るなら自分だろうと眉根を寄せてイタチの顔を覗き込むが、すぐに目を逸らされる。
『二人とも言葉が足りないのよ』
先ほどの母の声が蘇った。
確かにそうだ。“前”は本音を聞けたのはたった一度だけ。それが本当に最後だった。
でも今なら。
生きている今なら、二人ともまた向き合える。
「何で兄さんが謝るんだよ。謝るなら俺だろ?」
「俺は、このままシスイの家に行く。暗くなる前に戻れ」
……兄さん、話を聞いていない。
それを悟ったサスケは、離れていこうとするイタチの手を引いて大岩の傍に無理やり座らせた。
日差しは暖かく二人を照らしていて、このまま昼寝でもしたらきっと気持ちいいだろうな、なんてどうでもいいことを考えた。
座ったイタチとでは、立ったサスケの方が目線が高くなる。落ち込んだ様子のイタチの肩は、サスケには大きくても世間一般からすればまだ十分小さい。
この時兄はまだ十一で、曾孫と同じ位の年である。そう思うとなんだか微笑ましくて、その背負ったものの大きさに心が痛む。
そんなイタチの目を覗き込み、サスケはゆっくりと言葉を紡いだ。
「兄さん、さっきはごめん。でも、いつも任務で大変なのに、帰ってからも俺の相手なんか疲れるだろ?だから……」
「それは違う!」
「……~~ッ!」
唐突に顔をあげた兄の頭突きをくらい、サスケは余りの激痛にしゃがみこんだ。
話してる最中だったにも関わらず、舌を噛んで血まみれにならなかったことだけが救いだ。
あたふたと慌てるイタチになんとか平気と答えて、サスケは涙目でイタチの顔をジトリと見上げる。再び逆転した目線だったが、今度は視線が逸らされなかった。
「すまない、サスケ……」
「まあ、今のは分かるけどさ。さっきの謝罪は何だったんだ?それに何が違うんだよ?」
サスケの質問に少しだけ逡巡を見せたイタチは、少し躊躇ってから寂しげにサスケの頭を撫でた。
「謝罪はお前の都合を考えていなかったことと、お前に……嫌われたかと……」
「は?」
とんでも無いことを言い出すイタチに、サスケの頬が引きつった。
「たとえお前が俺を疎ましく思っていても、俺たちは唯一無二の兄弟だ。俺はお前の超えるべき壁としてあり続けようと……」
「ちょ、ちょっと待てよ兄さん!!俺、兄さんに無理させたくなかっただけで、兄さんのこと大好きだし、尊敬してる!修行だってやりたかった!でも、兄さんに休んでほしかったんだ。任務で怪我とかしてほしくないから…」
「サスケ…」
どこかで聞いた物悲しい言葉に、慌てて誤解を解こうとサスケは口走っていたが、嬉しげな兄の声にはっと口元を抑えた。
自分の言葉を思い返した途端、じわじわと顔が赤く染まっていくのを自覚する。
暗い顔から一転、晴れやかな笑顔を浮かべたイタチに、今度はサスケが顔を背けた。
「心配してくれたのか。ありがとう、サスケ」
「そっっ……それより!さっきの違うって何だったんだよ!!」
「さっきの………ああ、あれか。俺はお前と一緒に過ごして、疲れたことなんて一度も無い」
イタチはそこで言葉を切ると、サスケに目線を合わせて笑いかける。
合わさった視線の奥、穏やかな黒い瞳がそれが偽りない本音だと雄弁に語っていた。
風が、二人の間を通り抜けていく。冷たいその北風は、熱い頬にはとても心地がよくて、波だっていた心が落ち着いていった。
「むしろ、元気を貰っているくらいだ。だから、この頃修行をしようと言ってこないお前に焦れて、今日は俺から誘った」
「……なんだよ、それ」
イタチの目が、まるで眩しいものを見ているかのように細められる。
イタチは内緒話をするようにそっと耳元に囁いた。
「お前がいるから……”おかえり”って笑ってくれるから、俺はここに帰って来られるんだ」
玄関の前、立ち止まっていたイタチを思い出す。
二度目に聞けた兄の本音は、優しく飾られてはいたけれど。それでも、隠しきれぬ苦しみを滲ませていた。
◆
「兄さん、手裏剣術見せてよ」
「許せ、サスケ。もう日が暮れる」
冬の日は短く、いつの間にやら空は茜色に染まっていた。
額を小突くその仕草は酷く懐かしい。自分がやることは歳を重ねるごとに増えたが、俺にやる人は今も昔も一人きりだ。
口を尖らせ不満を訴えるが、『遅くなると母さんが怖いぞ』という言葉に確かに、と頷いて笑いあった。
「なあ兄さん、明日は修行に付き合ってよ」
「ああ、分かってるさ。そうだ。朝おにぎりを握ってお弁当に持っていこうか」
「おかかと昆布?」
「勿論だ。食べ損ねてしまった、うちは煎餅と団子もおやつにしよう」
伸びる影は一つ。
風は強く吹き始めていたけれど、繋いだ手と手は暖かく、寒さは少しも感じなかった。
そんな二人の背を、木々が嬉しそうにサワサワと揺れながら見送っていた。
身体は慣れてきたけど、まだ大人と子供の心に乖離のあるサスケさん。無自覚です。
今後はたぶん本来の子供の心に引っ張られてくかなぁ。
そうそう、お煎餅屋のおばちゃん、お名前うちはウルチさんっていうんですね!調べてみて初めて知りました!(*´ω`*)
うちはウルチ(46)
“うちはせんべい”の店主の妻で、共に店を支える。一枚一枚丹精を込めて焼き上げたせんべいは、その深い味わいと共に子供達にも大人気だった。