『同盟は終わった。次に会うときは───敵だ。それを忘れるな』
扉の奥へ消えていく背にかけられた弟の言葉、その悲しげな声の意味を私は知っていた。
それを彼らへ伝えることのできないやるせなさを、姉として慰め一つかけられない無力さを噛み締めながら、テマリは軋んだ音をたてて閉じていく扉を見つめていた。
『よし、開くぞ』
『ああ』
『……』
カンクロウの傀儡を回収したテマリ達は、塔の中、互いの顔を見合わせてコクリと頷く。
テマリとカンクロウが同時に天と地の書を広げ、煙と共に現れた試験官に合格を告げられて、長く波乱に満ちた二次試験がようやく終わった。
『タイムリミットぎりぎりだな。……お前達にしては随分と手間取ったようだ』
合流した砂隠れの担当上忍バキは、一行の血や泥でボロボロな姿に訝しげに眉を潜める。
説明しようにも、この濃密としか言いようのない五日間を思い返せば一言で済むはずもなく、テマリは無言でそっと目を伏せた。
中忍選抜試験、第二次試験。
試験如き、そう侮っていたことは否めない。なにせ、うちには最強の我愛羅がいる、こんなところで負ける筈がない……そんな他力本願とも言える自信は、開始たった数時間で打ち砕かれた。
圧倒的な強者から狙われる恐怖、弟の死への怯え、敵たる者から差し伸ばされた希望に縋るしかない屈辱、そして、触れた優しさへの嫉妬と羨望、罪悪感。
揺さぶられ続けた感情に、弟達へは随分と醜態を晒してしまったように思う。
身体も心もどこもかしこもボロボロだ。それを報告するにはプライドが憚られ、黙り込んでいれば諦めたのかバキはため息を一つ落とした。
『まあいい、合格は合格だ。それより……そこにいる奴はいったい誰だ?』
追求は免れた。しかし、新たな追求が先程とは比べ物にならないほどのプレッシャーを生じさせる。
最初から誤魔化しや隠し立てをするつもりはなかったし、応答も考えてもいた。それでもその一瞬で張りつめた空気に、思わず唾を飲み込んだ。
バキの鋭い目はただまっすぐ、背後の壁際で佇む香燐へと向けられている。
この場で殺されていてもおかしくない程の視線の強さに、香燐の身体がビクリと震えたのが見えた。
『ふむ……?あの赤髪とチャクラ……うずまき一族か』
里の上役も兼ねるバキが、うずまき一族を知らぬはずもなくあっさり香燐の出自はバレた。
声は聞こえないだろうに、バキの顔が興味深そうなものに変わったからか、それを悟ったらしい香燐はうつむき髪を隠すように手を当てる。
その無遠慮な視線を遮るようにカンクロウが一歩前に進み出た。
『アイツは草隠れのうずまき香燐。試験中に助けられた』
『……油断でもしたのか?慢心するな、そう言ったはずだが』
『ま、それは否定しねえじゃん。けどそのおかげで収穫もあった』
『収穫………あの女がそうだという気か?』
バキのその問いにカンクロウは深く頷いた。
遠く離れて立つ香燐には、その声は届かない。聞こえていたなら、この場から逃げてくれていただろうか、なんて考えて、その思考に自嘲をこぼした。
あいつも、私らも。逃げ場なんてどこにもない。利用し利用される、それが忍だった。
『アイツは医療忍者だ。瀕死の重傷だって治せる。………これからの任務に役立つじゃん。試験は不合格だったが、里に戻しちまうのは惜しいだろ』
『ほう?医療忍者とは珍しい……宿に戻ったら話を聞こう』
監視カメラがあるため言葉は濁され、意味深にカンクロウはニヤリと笑った。バキが興味を示すのがわかって、もう後戻りできないことに目を伏せる。
───命を救ってもらったことは感謝してるじゃん。けどな、俺らが木の葉に来た目的を忘れんな。
───一番に狙われるのは主力の我愛羅だ。いくら絶対防御があったって、全部防げるとは限らねェ……あいつがいれば、何かあっても安心じゃん。
塔に入る前のカンクロウの言葉が胸を刺す。
傀儡を探しながら、小国とはいえ他里の事情に口を挟むのはおせっかいがすぎるんじゃないか、そう宣った私の言葉は的外れも甚だしかった。
分かっていたことだ。いずれ敵対することを知っていた。だから関わるべきじゃない、懐に入れるべきじゃない、そう分かっていた。だから我愛羅には距離を取らせようとしたし、同盟にも反対した。
でも、あのときはその手を取るしか道はなかったんだ。でなければ、カンクロウは死んでいて、私達はここにいなかったし、計画そのものが頓挫していただろう。
それでも、と同盟を組んでからも言葉や態度で足掻いてみたけれど、それも長くは続かなかった。
だって、あいつらといると我愛羅が笑う。枯れた筈の心が再び芽生えたのを知った。だから、距離を取らせようとしていた腕が緩んでしまった。
そうして気づけば、もう自分も毒され過ぎていた。こうやって、香燐に後ろめたさを覚える程度には。
苦々しさを押し殺し、そっと二人から、そして私らを呼びに来た試験官にどこかへ連れていかれる心細げな香燐から目をそらした。
代わりに視界に映る我愛羅は離れた所で壁に寄りかかって、目を瞑りただ沈黙している。我愛羅はサスケ達と別れて以来、一言も喋らない。
作戦の中心に立たされている我愛羅だって、きっと最初からわかっていた筈だ。この先にあるのが敵対しかないのだと分かっていても、傷つくと分かっていても、その心の渇きの前に奴らに縋るしかなかったんだろう。
それは姉である自分の責任でもあって、もはやため息すらも出やしない。
(どうしてこうなったんだかね……)
砂隠れと木ノ葉隠れ、その同盟はもう途絶えた。
所詮、忍は争いの道具だ。同盟を機に依頼は木の葉に流れ、里はバカ大名により軍事縮小を余儀なくされ、財政は厳しく、もはや風の国の存在すらも危うくなっている。
うちの里を苦しめる木ノ葉が憎かったけれど、でもそれはあいつらのせいじゃないと言葉を交わして気付いてしまった。
私らと何も変わらない人間で、大切な奴らがいて、感情があって、生きていた。そんなこと、気づかなければこんなに苦しまなかった。気づかなければよかったけど、もう遅すぎる。
共に笑いあった記憶はまだ鮮やかなままで、だからこそ胸が重苦しくて息がしにくい。
いずれ殺し合う敵だと、予選中はずっと自分に言い聞かせていたけど、あいつらが戦闘で追い込まれそうになる度に、握りしめた手のひらに汗が滲んだ。自分の順番が来ても、対戦する女の額当てにチリリと胸に走る痛みがあった。どうしようもなかった。
そして、今。
眩いばかりの光に一瞬目が眩み、それが収まったかと思った時には既にサスケがマスクの上忍に押さえられていて。
ここまで顔色一つ変えずに、無感情に試合を見下ろしていた我愛羅さえ柵から身を乗り出す。
何が起きたのか分からないまま、意識がないのかぐったりしたサスケが慌ただしく担架で運ばれていく。
床にはあの女のものか、それともサスケのものか、もしくはそのどちらもか。決して少なくない量の血が落ちている。
翠の目は階下からナルト達が戻ってきてからも、じっと扉を見つめたままだった。
その奥で揺れる瞳に気がついて、ジワリと胸の奥に熱い何かが滲む。
あの二次試験を経て我愛羅は変わった。私達が殺した心がまた生まれた、それを誰が成したかなんて聞くまでもない。
無表情も無言も、あの忠告も。その心を我愛羅なりに守ろうとしたのかもしれない。私と同じく……いや、それ以上に、板挟みとなって苦しんでいるんだ。
かつてならあり得ない心の機微。それが嬉しく、そして酷く悲しかった。
「テマリ?」
「……ちょっとね。情報収集に行ってくるよ」
気づけば歩き出していた。背に我愛羅の視線を感じながら、バキに言い訳を残す。
その足が向かうのは、仲間から少し離れた所にぽつんと立つ、見慣れてしまったたんぽぽ頭だ。
(まったく……何をしてるんだかな)
情報収集をするんだったら、最初から他の奴を選んでいただろう。そのくらいわかるほどには話を交わしていた。
それでも、そのナルトに話しかけている自分に呆れ内心で自嘲する。
聞いたところで意味なんてない。
知ったところで状況や立場が変わる訳でもない。
伝えたところでその心を揺らし傷つけるだけだ。
わかっている。わかっているんだ。
それでも、何かしてやりたかった。何かを変えたくて、失いたくなくて。
無駄な足掻きをしている、そんな滑稽な自分を嗤った。
◆
(……どういうことだってばよ?)
受験者二人が消えた会場には、困惑と共に重苦しい沈黙が残されていた。
ヒナタの息が止まって、その傍らに膝をついていたサスケが何か考え込んでいたかと思ったら、突然その手が光って。
眩いばかりの光に咄嗟に目を瞑ってしまったナルトが恐る恐る目を開けて見たのは、カカシに取り押さえられたサスケの姿だった。
その左手は焼け爛れていて、無残な状態に声も出なかった。その代わりに、と言っていいのかは分からないけれど、ヒナタは息を吹き返していた。
ちょうどそこに到着した医療忍者達が、意識のないサスケとヒナタに駆け寄った。
『命に別状はありませんが、内臓へのダメージに、酷い熱傷……治療が必要です。恐らくはお二人とも入院になるでしょう。後は私たちにお任せください』
担当上忍達へそう伝えて、命に別状はないという言葉に安堵する間もなく、医療忍者達は二人を連れて行ってしまった。
『サスケ君……』
『……心配いらないよ。あいつなら大丈夫だ』
『カカシ先生、何が起きたんですか!?サスケ君、なんで怪我してっ……!』
『落ち着けサクラ。医療班も言っていただろう、命に別状はないよ』
泣き出しそうなサクラへ、カカシ先生がそう慰めるけど答えになっていないその言葉は空っぽだ。
でも、マスクから覗くその顔色は悪い。カカシ先生だって困惑していて……どこか、後悔しているような目を閉じた扉へ向けていた。
『……心配いらないよ』
繰り返す言葉は、まるで自分に言い聞かせるみたいで。きっとあの瞬間もちゃんと見ていて何かを察しているんだろうけど、そんなカカシ先生に問い詰めるようなことはできなかった。
『えー……とりあえず、皆さん上階へ戻ってください』
咳き込む試験官の促しで観戦席に戻ってきたナルトとサクラ、カカシだったが、その心ここにあらず。
何やら火影と審判の話し合う様子をぼんやりと見つめていれば、ふと近づく足音にナルトははっと我に返った。
「おい。仲間の所に行かなくていいのか?」
「……別にいいだろ。わざわざ何しに来たんだってばよ」
少し一人になりたくて離れたのに、と顔を上げないまま小さく口を尖らせる。
隣にやってきたテマリは、知ったことじゃないとでも言うかのようにふん、と鼻を鳴らした。
それにカッとなってつい声を荒らげようとしたナルトだったが、顔を上げてしまえばその言葉は喉の奥に小さく消えた。
「……あいつは、無事なのか?」
躊躇いがちに尋ねるテマリの顔はどこか暗くて、どこか悲しそうだった。
怒りはしゅるしゅると萎んで、もう一度扉をちらりとみながら素直にコクリと頷きを返す。
「医療班の人は入院するだろうけど、命に別状はねえって」
「そうか。なら、良かった」
そう言って緩む顔は、前の試合で冷たく笑っていた奴とは同じ奴に見えないほどに柔らかい。
やっぱし、変わった訳じゃない。あの冷たいテマリもきっと一部だけど、あの森の中で泣いていたテマリだってまだテマリの中にいるんだ。
そう考えると、波立っていた心が凪いでいった。里に残れるようになった香燐のこととか、さっきの試合で出ていたネジのこととか、ポツポツと取り留めのない話をしていたら、あの幽霊みたいな試験官が咳払いと共に次の試合の始まりを知らせた。
『ガアラ』VS『ロック・リー』
「早く降りてこい」
電光掲示板の文字が浮かんですぐ、我愛羅が印を組んだと思ったら、砂が集まりだして一瞬で我愛羅を下に移動させていた。
放たれる荒れた殺気にナルトはゴクリと息をのむ。
その視線の向かう先。もう一方のリー達へ自然と注目が集まった。
「引っかかりましたね!最後がいいと言ったのならそうならない、電柱に当てるつもりで投げた石は当たらず外すつもりで投げた石は当たってしまう。その法則の応用です!」
「おお、さすが俺の教え子!」
「僕はトリなんて真っ平ごめんです。見事にひっかけることが出来ました!」
「そんなお前に一つナイスなアドバイスをしてやろう───まだ誰も気づいていないかもしれんが、あの瓢箪が怪しいぞ……!」
「なるほど……!」
「メモはよせ、戦闘中にそんなものを見ている暇があろう筈がないぞたわけがァ!」
「なるほど……」
「よぉっしゃ―――!いけ、リー!!」
「オッス!!」
勢いだけのよい力の抜けるような会話が終わり、ビシッと階下を指さしたガイに応え、燃えているリーは柵を飛び降りた。
(大丈夫かってばよ、ゲジ眉……)
……何とも不安のある始まりだったが、少なくとも我愛羅の放つプレッシャーは屁にも感じてなさそうだった。ある意味スゲェ奴だ。
「早々にあなたとやれるなんて、嬉しい限りです」
我愛羅と向かいあったリーが構える。先程の会話などなかったかのように、張りつめた緊張感が走った。
我愛羅はピクリとも表情を動かさず、じっとただ始まりを待っていた。
我愛羅の強さの片鱗はあの森の中でも感じていた。土に隠れていた雨隠れの奴らなんて瞬殺だった。
そして──一瞬感じた、強いチャクラ。背がゾワッとするような感覚を思い出すと、今でもブルリと身体が震える。
「あのオカッパがどんな攻撃をするか知らないが、我愛羅には勝てないよ。確かにスピードはあったけど、蹴りはたいしたレベルじゃなかったからな」
「いや……」
確かに我愛羅は強い。でもどこでリーの戦闘を見たかはわからないけど、その言葉には違和感を覚えた。
思い返すのは試験前のサスケとの一騎打ち。結果としては負けたものの、その動きは目で追えなかったし、スピードも威力も戦う内にどんどん上がっていた。
「アイツも、強ぇ」
ナルトの断言にテマリが片眉を上げると同時に、我愛羅の瓢箪の栓が弾け飛ぶ。
「それでは第六回戦───はじめ!」
合図と共にリーが駆けた。
「木の葉旋風!」
リーの蹴りは瓢箪から出てきた大量の砂に阻まれる。
砂を操る我愛羅の術は前にも見ていた。周りの奴らが驚きの声を上げるのを聞いて、スゲーだろ、と内心でニマニマ笑う。
リーは次々と蹴り、殴りかかるが尽く砂に防がれていた。その間、我愛羅はピクリとも動いていない、指一本どころか視線すらもだ。
「我愛羅にはどんな物理攻撃も通用しない。我愛羅の意思に関係なく、砂が盾となって身を守るからな。……まあ、基本的には、だが」
テマリは得意げに話していたが、最後に気まずげにそう付け足した。確かに森ではボロボロになってたしな。
でも、今見ていて思う。それこそが想定外、あのガードを抜けられる奴は早々いないだろう。
「それだけか?アイツには到底及ばない……」
我愛羅はそう言って目を細めた。
アイツ……我愛羅達をコテンパンにした大蛇丸ってやつかな。
あのサスケだって一目散に逃げろと言った。直接その姿を見ていないけど、きっと相当に規格外な奴だったんだろう。
砂が手のように形をもって動き出し、リーの足を掴んで壁に叩きつけた。
すぐに立ち上がったリーだが、その後の追撃でも通じない体術を使い続ける。
「どうしてリーさん、体術しか使わないの?あれじゃあ接近戦は厳しいわ。少しは距離を置いて忍術でも使わないと!」
「使わないんじゃない……使えないんだ。リーには忍術、幻術のスキルが殆ど無い。俺がリーにあった時には完璧ノーセンス、何の才能もなかった」
「そんな……信じられない……」
視線は目の前の戦いに集中したまま、離れた場所でのサクラとガイの会話にナルトは耳をそばだてる。
忍術、幻術が使えない。才能がない。
その言葉には覚えがある。才能なんて自分じゃどうしようもない、そんな理不尽さに何度も歯を食いしばった。挫けそうになったことなんて数え切れなかった。
(あいつも俺と同じ……)
サスケとの試合で包帯が解けて、ちらりと覗いたリーの腕を思い出す。
その腕は傷だらけを通り越して、ボロボロになっていた。盛り上がった傷の上に更に傷があって、それを繰り返した証拠に浅黒く皮膚の色が変わっていた。
(あのゲジ眉はすっげー特訓したんだろうな、毎日、毎日……俺よりもずっと)
リーが砂に足を取られて倒れて、あっと声を上げる。
砂が襲いかかってやられるかとも一瞬思ったけど、クルクルと回転しながら無事に空中に逃れたリーは、会場に設置されていた大きな印を組んだ像の上に着地した。
「確かに、忍術も幻術も使えない忍者なんてそうはいない。だが、忍者として生きていく為にリーに残された道は体術しかなかった──だが、だからこそ勝てる!リー、外せ!!」
「で、でもガイ先生。それはたくさんの大切な人を守る時じゃないとダメだって……」
「構わん、俺が許す!」
ビシッとサムズアップしたガイの歯がきらりと光る。
それに顔を輝かせたリーは座り込み、足のカバーを外す。そこには『根性』と書かれた重りが連なって両足に巻き付けられていた。
「あれって……重しか?」
「なんてベタな修業だ……」
「くだらんな」
ギャラリーは三者三様の反応だが、どうにも全員不評だったらしい。
実はやったことがあるのは秘密だ。つけ過ぎてずりずり足を引きずって転びまくっていたら、身長が伸びにくくなるぞって言われて一日でやめたけど。
そんな周囲の反応には気づいていないリーは、ニコニコと上機嫌にジャラジャラ音をたてながら重りを外していく。
「よォーし、これで楽に動けるぞ!」
リーの両手から下げられた重りが離れ、落ちていく。テマリがふん、と鼻を鳴らす。
「少しくらいの重りを外したくらいで、我愛羅の砂に付いていける訳が───」
───テマリの言葉をかき消す程の、轟音が響き渡った。
硬い床が砕かれ、重りが地面にめり込む。
観戦席が地震のようにぐらぐら揺れて、パラパラと天井から塵が舞い落ちてくる。
「身長……伸びんじゃん」
余りの現実感の無さに、思わずそんな言葉がこぼれ落ちた。ちなみにナルトよりも、10cm以上リーの背のほうが高い。
「行けェ、リー!!!」
「押忍!」
唖然とするナルト達ににんまりと笑ったガイの合図と共に、リーの姿がかき消えた。
「ッ……!?」
パン、と鳴り響く衝撃音。
砂がかろうじて防いだ攻撃だったが、そちらへ目をやる前に別の方向からまた音が、それを視認する前に更に別の方向に砂が動く。
我愛羅の頬を風圧が掠め、初めてその顔色が変わった。
「すげェ……!」
ナルトは思わず感嘆の声を上げる。
尋常じゃなく、速い。上からでさえ目で追えない、かろうじて残像を捉えられるくらいだった。あの我愛羅もたじろぎ防戦するばかりだ。
ガイは誇らしげにリーを見て口角を上げた。
「忍術や幻術が使えない……だからこそ体術のために時間を費し、体術のために努力し、全てを体術だけに注いできた。たとえ他の術ができずとも、アイツは誰にも負けない体術のスペシャリストだ!」
リーのかかと落としが、ついに我愛羅の頭を強打した。
その勢いに我愛羅の身体がぐらりと傾く。倒れこそしなかったものの、その頬に一筋の赤い血が伝った。
それを見た木の葉の面々が喝采を上げる。
「信じられない……あの我愛羅がまた傷を……」
呆然と呟くテマリに、やっぱし俺の目は間違ってなかったってばよ、と内心ニヤリとナルトはほくそ笑む。
そうして───ふと気がつく。
(俺ってば、どっちを応援してるんだ?)
湧いた疑問に、試合が一時意識から遠のく。
先立っての試合では、名前くらいしか知らない先輩であるテンテンよりも、短い間だが共に過ごしたテマリを応援できた。
でも今は?どちらもが言葉を交わした知り合いで、どちらも嫌いになれねえ奴だ。
中忍試験の本当の目的を考えると、同じ木の葉の忍であるリーを応援するべきだ。だけど、何か、何処かがモヤモヤした。
「青春は、爆発だァァァ!!!」
そのモヤモヤを解決できないまま、ガイの雄叫びにハッと意識を目の前の戦闘に戻す。
それに応えるリーの拳が砂をくぐり抜け、我愛羅の頬にめり込んでその身体を思いっきり殴り飛ばした。
「凄い、早い!砂のガードが完全に追いついてない、直撃ね!」
「すっげぇ……」
「攻撃が早すぎる…!」
「目で追うことができないよ……」
一度考えてしまったら、もう木ノ葉の歓声に交じることができなかった。
口を噤んだまま、攻撃を喰らって倒れた我愛羅に目を向ける。伏せていた我愛羅は、やがてゆらりと立ち上がった。背負った瓢箪から水のように大量の砂が流れ落ちていた。
「やばいな」
「ああ。我愛羅……けっこう重いの食らったってばよ」
「……そっちの“やばい”じゃないよ」
「え?」
テマリの硬い声に首を傾げる。
その時、ふと覚えのあるチャクラを感じて鳥肌がたった。慌てて発生源に目を凝らせば、我愛羅の顔にヒビが入りボロボロに崩れ出した。落ちた欠片は床に落ちると共に砂となって形を失う。
異様なその姿に息を飲む音が、あちこちから聞こえてくる。そんな中、テマリも別の意味で顔を曇らせる。
「やっぱり砂を纏っていたか……」
その呟きを気にすることもなく、ナルトはただ我愛羅から視線を逸らせなかった。
血走った目が、純粋な殺意を灯してジッと敵を睨みつけている。その瞳は冷たく底冷えのするもので───我愛羅のものじゃなかった。
「あれ……何だってばよ……」
「あれは砂の鎧だ。さっきのオカッパの攻撃もあれでガードしたのさ。普段は砂の盾がオートで我愛羅を守り、万が一砂の盾が破られたとしても砂の鎧が攻撃を──」
「ちげーってばよ。砂の下………あの目!あれ、何なんだよ」
的外れな答えを遮ってテマリに詰め寄れば、その深緑の目が見開かれた。
やっぱり。そう思って、歯をぎりりと噛み締めた。
「お前……気づいて……!?」
「舐めんじゃねェ!少しだったけど一緒にいたんだ、わかるってばよ」
「そうか……そうだな。お前達はあたしらよりもよっぽどよく“我愛羅”を見ていた……」
テマリが自嘲するかのように悲しげな笑みを落として我愛羅へ、その荒立つ砂に目を向けた。
「我愛羅は、母の命と引き換えに生まれた。父……風影の忍術で砂の化身を身に取り憑かせてな。風影の子として、里の最高傑作として生み出された」
潜めた声で語られたその過去は、暗く、痛みに満ちていた。
俺と同じ、腹の中に化物を飼っている我愛羅は、里の皆から危険物として恐れられ、何度も父親に暗殺されかけたという。その話に胸がズキズキと痛みだす。
(わかるってばよ……)
俺も一人ぼっちだった。だからわかる。
みんなから除け者にされて、何もしてないのに憎まれて、死を願われて。生きてる理由が分からなくて、苦しくて。
けど、サスケが俺の存在を認めてくれて、初めて生きてることを実感できた。イルカ先生、サクラちゃん、カカシ先生───認めてくれる人が一人ずつ増える度、埋められていく何かがあった。
「奴らにとって我愛羅は過去の消し去りたい遺物───でも私にとっては、血の繋がった弟だ。……気付くのが遅すぎたがな」
でも、もうそれは過去の話だ。俺も、我愛羅も、一人ぼっちなんかじゃない。
遅くなんてねェ、そう言いたかったけど、視界の片隅で動いたリーにハッとして戦う二人に目を戻した。
しゅるりと解けた包帯、追撃に浮かぶ身体。見覚えのあるその技が我愛羅を襲う。
「表蓮華!」
回転と共に叩きつけられたその身体は、指一本動かない。
木の葉の皆が喜びの声を上げる中、ナルトは身を乗り出してその名を叫ぶ。
さっきまでリーを応援していたサクラも思うところがあったのか、歓声には加わることなく口元を押さえて心配げに眉を下げていた。
(死んじまったんじゃ………)
その考えにゾッとする。
とっさに駆け寄ろうとしたその時、我愛羅の指先がボロリと欠けた。
「くく……」
リーの背後に砂が集まっていく。傷一つ負っていない我愛羅が現れる。
その血走った目は酷薄に歪められ、あの森で見せた穏やかさは欠片も残っていなかった。
───我愛羅の中の、『化物』が目覚めた。
そこからは一方的な蹂躙だった。
攻撃的な砂がリーに襲いかかる。リーはそれを避けられない。高速体術を使った反動で体中が痛み、動き回るどころじゃない筈だ、とカカシ先生の言葉が聞こえた。
避けることもできないリーに我愛羅は笑いながら砂を操る。傷つけ、いたぶって、それを楽しんでいる。化物のせいだと思いたかった。
「もう……やめてくれってばよ……!」
堪らず絞り出した声に我愛羅がピクリと反応し動きを止めた。
見上げる翠の目は化物じゃない、我愛羅だった。一瞬傷ついたように揺れ、その眼が冷えていく。冷たい刃のような殺気が、俺にも向けられている。
「これでわかっただろう。同盟は終わった………俺は砂の我愛羅───
その言葉に胸がズキリと痛んだ。
でも、それはまるで自分に言い聞かせるかのようで。そして、その言葉に、誰よりも我愛羅自身が傷ついているように見えた。
◆
「裏蓮華!!!」
木の葉の蓮華が二度咲いた。
身体のリミッターが外れた残像すらも残らない高速体術に、為す術もなく叩きつけられる。人間の動きとは思えない程のスピードと威力。先程のように、砂の鎧による変わり身の術を使う間もなかった。
胸の空気が衝撃に全て吐き出され、一瞬意識が霞む。身体中が痛い。額を流れる血を感じた。
咄嗟に背の瓢箪を砂に変え衝撃を和らげたが、もしもそれがなければ骨が砕けていただろう。
痛みに呻きながらうっすらと瞼を開けば、先程くらった裏蓮華という技の反動か、ロック・リーが息を切らして倒れ込んでいる。
(俺は、負ける訳にはいかない……!!)
震える手をかざす。その男も気付いて這って逃げようとするが、逃しはしない。
砂がその左手足を絡め取ったのを確認し、その掌を固く握りしめた。
「砂縛柩!」
骨と肉を粉々に潰す感覚が砂を通して伝わってくる。上がる悲鳴は耳ざわりだ。
もう意識がないことはわかっていたが、この男は強い───ここで、潰す。
死ね、そう言ってとどめを刺そうと更に伸ばした砂を払う手があった。ロック・リーとよく似た相貌の忍は、奴の担当上忍だ。
『こいつは愛すべき俺の大切な部下だ』そう言ってロック・リーを庇い立ちはだかるその姿が………ふとカンクロウに重なった。重なる記憶と現実にズキリと鈍く頭が痛む。
「やめだ……」
湧き上がっていた殺意が霧散していく。どの道、担当上忍が割入った時点で奴の負けだ。
そう思い背を向けようとしたが、ふらりと立ち上がって構えた男に動きを止める。
その肉も骨もばらばらにした筈、立ち上がれる訳がない。内心で驚きながら、迎え打とうと砂を操ろうとして………手を止める。
奴は、立ち上がった。けれど、もう動けない。
いや、逆なのか。もう動けない。それでも、奴は立ち上がった。
「リー……お前って奴は……!」
担当上忍はそう涙を流して、気を失っていながらなお立つロック・リーを抱きしめた。
「勝者、我愛羅」
審判の宣言が静かに響く。今度こそ背を向ける。
愛だとか、涙だとか。それは弱さの証だ。役に立たない、くだらない感情だ。それで結果が覆る訳でもない。
「我愛羅……」
呟かれた名にそちらを見上げれば、ナルトとその隣にテマリがいた。
木の葉の額当てと砂の額当て。それが並ぶ嫌悪。吐き気がした。
「テマリ、行くぞ。敵と馴れ合うな」
「ああ……わかってる」
印を組み砂と共に二人の元に現れた我愛羅は、テマリにそう告げ身を翻す。テマリはそっと目を伏せて、その後を追った。
「俺たちってば敵かもしんねェ───けど、友達だ」
置き去りにした声が追いかけてくる。
揺らぎのないその声に、振り返ることはしない。それでも、足が知らず止まってしまった。
二次試験での差し伸ばされた手が、脳裏を過ぎる。
温かな声で呼ばれることはもう、無い。
「…………くだらん。俺には、必要ない」
迷いを断ち切るように言いおいて、足をまた進める。何故か、その歩みは先程よりも重く感じた。
ナルトの気配が遠ざかり、もうすぐバキの元につこうかという時。ふと、ぶらりと下げていた手が掴まれた。
「サスケは命に別状はないそうだ。でも腕の火傷が酷くて……木ノ葉病院に入院したらしい」
意を決したように、テマリはまっすぐに俺を見つめる。嘗ては怯えたように逸らされた目が、しっかりと俺を映し出していた。
その眼差しが重なる。直視ができなくなって、視線を足元へと落とした。
「………それがどうした。俺には関係ない」
揺らぎそうになる声を抑えたが、自分でも気付くほど低く苦々しげに聞こえた。
ナルトの近くに留まることも、バキの元に行くこともできずに、中途半端に二人で立ちすくむ。
テマリはそれ以上は何も言わず、ただ静かに俺の隣に立っていた。むき出しの肌にその体温を感じた。
───何故だ。何故、止める。
友であれ何であろうと、所詮敵は敵。だから断ち切りたかった。断ち切らなければならなかった。
遠くないいつか、俺はあいつらを殺すだろう。それが俺の役目だ。そのために俺は生み出されたのだから。
『俺は────我愛羅、お前にも生きてほしい』
『俺たちってば敵かもしんねェ───けど、友達だ』
声が響く。温もりを感じる。その柔らかな眼差しを思い出す。
その全てを消したいのに消えてくれない。胸の奥へと落ちて、重なっていく。
何故だ。何故こんなに息が吸えない。何故こんなに、胸が潰されるように重く、苦しい。
痛みには慣れていた筈だ。だが、こんな苦しさは知らなかった。
縋るように、唯一繋がる掌を握り返す。
それは解かれることなく、その力を強めた。
「我愛羅、お前は化物なんかじゃない。人間で、私の弟だ。だから……泣きたければ、泣いたっていい」
心を殺すなと引き止められる。
何かを言おうと、口を開いて、でも結局何も言葉にならなくて。
その頬に一筋の透明な涙が伝った。その傍らにただ黙って寄り添う姉だけが、それを知っていた。
変えられぬしがらみに抗って、足掻いている。もがいている。
その苦しみが、生きていることを実感させた。