『まったくもー、サスケ君ったら!また怪我をほったらかしにしたでしょ!』
消毒液の臭いが鼻腔を刺激する。
怪我を軽視し放置するほど幼くはない。最低限の治療はした、ただそれよりも大切なことがあったから忘れていただけだ。
そんな言い訳を制すかのように、傷口が熱く滲んだ。消毒綿の触れる刺すような痛みに呻きながら、何故医療忍術を使わない、そんな恨み言を言った。
『ダメよ。細胞にだってダメージは蓄積される。そんな何度も無理に再生させるべきじゃないわ』
きっぱりとそれにNoを返した妻に、専門的知識を知らぬ俺は黙り込むしかない。せめてもの反抗にふいと顔を背ける。それでも腕を引くことはしないのは、痛みはあろうとその手に委ねたほうが早く治るとそう知っているからだ。
そんな俺にクスリと微笑んで、妻は包帯に覆われた傷をそっとなでた。
『それに痛みはね、手遅れにならないように危険を知らせてくれてるのよ』
目を伏せたその顔を、そっと横目に見やった。
その傷をジッと見つめる眼差しは何度も見たものだ。きっと俺はこれからも懲りずに繰り返す。そしてまたこいつに同じ顔をさせるだろう。そんな方法でしか、守り方を知らなかった。
一言ぽつりと謝罪を告げるも、それに返る言葉はない。ただ、触れられた傷口の痛みがどこか鈍く感じた。感覚を確かめるように、掌を握り、開く。
まだ手遅れではない。そう信じたかった。
47.歪む運命
誰かの話し声がぼんやりと耳に入ってくる。
疲労でまだ身体は休息を欲していたが、それを堪えて薄っすらと重い瞼を開けば、白い天井とカーテンが視界に映る。照明の眩しさが目に刺さり左手を目の上に翳そうと持ち上げた途端、カッと神経を焼かれるような痛みに襲われうめき声がこぼれた。
「あっ!お兄ちゃん目が覚めた!」
とたとたと軽い音がしたかと思えば腹に一気にかかる重みに息が詰まる。
ひょっこりとサスケの顔を覗き込んだのは、数ヶ月前にうちはの集落で出会った、兄に水風船を強請って泣いていた子供だった。黒い瞳にはあの時のような涙はなく、ニコニコと満面の笑みを浮かべながら人の腹の上でキャッキャとはしゃいでいる。
無邪気なその様子に、そして理解の至らぬ現状に目を瞬かせていれば、半分ほど開かれたカーテンからその兄がちらりと顔を覗かせていることに気がつく。目があったかと思えば、途端にカーテンに身を隠す様子につい笑みが溢れた。
「何故隠れる、入ってこい」
サスケの言葉に、点滴台を押しながらその子供の兄はおずおずと入ってきた。
思わぬ再会に思考から飛んでいたが、その姿にようやく今の状況に思い至る。
(木ノ葉病院か……)
その兄と同じく、サスケの右腕には点滴の管が繋がり、左腕は白い包帯に丁寧に覆われている。
雷遁によりヒナタを蘇生した所で記憶は途切れていた。意識を飛ばす刹那の、筆舌に尽くしがたい痛みを思い出す。高電圧の雷遁にまだ貧弱な経絡系が耐えきれず焼かれたのだろう。火傷も負ったのか、左腕は動かしてさえいないのにヒリヒリと痛んだ。
あの後、医療班に運ばれそのまま入院したのか。続く予選を見れなかったのは残念だが致し方ない。
「お前たちも入院しているのか?」
「俺だけです。風邪を拗らせてしまって」
「僕は兄ちゃんにお花持ってきたんだ。祭りのお兄ちゃんにもいっこあげる!」
その小さな手に持っていた野花はしばらく握り込んでいたのか少し草臥れている。それでもその屈託のない笑顔と共に差し出されたその小さな花は、今まで見たどんな花よりも輝いて見えた。
ふっと頬を緩め、動かせる右腕でそっとその白い花弁を撫でる。
「綺麗だな」
「でしょ〜!」
「すみません。あなたが病室に運ばれていくのが見えて、弟が追いかけて……」
「そうか。……それで、お前らの親は?」
「「あ」」
しまった、とありありとかいたよく似た二つの顔に答えを悟ったサスケは、ため息を一つつくとその額を二つ続けて小突いた。
重い身体を起こし、通路を通りがかった医療忍者を呼び止め事情を説明すればすぐに院内のアナウンスが流れた。
その間、やってきた医療忍者の軽い診察を受け三日の入院を申し渡される。火傷は医療忍術により数日で治るようだが、経絡系のダメージは治癒までに半月はかかるらしい。
前と比べれば格段に短い入院期間、そして本戦の準備期間内に治癒できる知りホッと胸を撫で下ろしていれば、唐突にバン、と勢いよく病室の扉が開いた。
二人の母親か、と振り返ったサスケは見覚えのある女性に目を見開いた。
その女性もまた、サスケを認めると怒りに吊り上がっていた眦がゆるりと下がり、そのハシバミ色の瞳が大きく開かれる。
「サスケ君……?」
あの兄弟が、母さん、と呼びながら駆け寄っていく姿を呆然と眺めた。
その三人の背には、うちはの紋が染められていた。
◆
『さっき九尾の子供がぶつかって来たの。この子を殺そうとしたのよ。里に野放しにするなんて、三代目は何をお考えなのかしら……』
『あの子は九尾のバケモノなの!あなたは知らないだろうけどね、あれに私の息子は殺されたのよ!そんなものとこの子を一緒にするなんて……!』
『あの………私ね、一週間後に入院することになったの。ああ、病気とかじゃないわ。この子が産まれるのよ』
『ふふ、まだ早いわ。無事に産まれてくれるといいのだけれど』
『赤ちゃんのこと、見に来てちょうだい───あの子も、もし良ければ』
『あの時は……ごめんなさい、酷い事を言ったわ。それから、教えてくれてありがとう』
出合いはアパートの近くのスーパーだ。
最初の印象といえば最悪としか言いようのないものだったが、しかしその後の再会と小さな命の誕生をきっかけにその関係性は和らいだ。夫を亡くし荒れていた彼女も、その存在に癒され角がとれていった。
特売日に見かければ声をかけあう程度の、小さな小さな交流。それも、ある日突然終わりを告げた。
『私ね、再婚するの』
そう言って、彼女は幸せそうにはにかんだ。
再婚に伴い引っ越した彼女達を、そのスーパーで見かけることはなくなった。
ほんの少しの寂しさはあれど、それでも、日常は変わらない。やがて記憶からも薄れていった。
そんな彼女が、今目の前にいる。
俺が失ったうちはの家紋を背負って。
「久しぶりね。まさか、こんな所でまた会えるなんて。……ほらあなたも挨拶して。あなたが生まれたばっかりの時にも会ってるのよ」
澄んだ瞳に青ざめた顔が映り込んでいた。
繋がる点と点に吐き気がした。
俺は運命を決定的に変えたのだと知った。彼女も、その子供も。
それからの応答は朧気だ。顔色悪く生返事ばかり返す俺に体調が優れないのかと気遣って、彼女は子供達を連れて部屋を出ていった。
静かな病室でただ白い天井を見上げていた。思考は鈍い。三人の親子の姿だけが頭に浮かんでいる。
うちはに嫁ぐことになった彼女、うちはの血が一滴も流れないままその名を背負った兄、うちはの血を繋いだ存在しなかった弟。
後悔するには、その弟の存在は尊すぎる。だからといって、その決断が正当なものとするには、彼らが背負った名は余りに重かった。
運命を変える、その覚悟はした……そう思っていた。それでも、目の前に突きつけられた現実に己の甘さを痛感した。
それでも、もう二度と時は巻き戻せない。
身体も心も重く沈んでいく。日もいつしか傾始めていて、少し開いた病室の窓から吹き込む夏風は生暖かさを孕む。
ふと感じた悪寒にサスケは息を止めた。
「あら、汚い雑草ね」
ビリビリと走った身体の痛みに無視をしてその場を飛び退いた。点滴の管を無理やり引き抜いた腕から赤い血が散る。
萎れた一輪の花を片手に腕を組み、窓際の壁に背をもたれた大蛇丸は、片膝をつき構えるサスケにニイと歪な笑みを浮かべた。