あなたがつけてくれた名前。
あなたが教えてくれた感情。
あなたと共に過ごした過去。
あなたと一緒に描いた未来。
あなたがいなくなって、僕は全てを失った。
『予選は終わり、本戦に入るようです。貴方の手の者二人は捕らえられましたよ』
片膝をつき頭を下げる僕には目もくれず、大蛇丸様はピチチ、と囀りながら飛び立つ小鳥を目で追った。その表情に動揺は欠片も浮かばず、それどころか、面白そうにくつくつと笑う。
『あら。平和ボケしたかと思ったけど、なかなかやるじゃない』
『よろしいのですか?』
『最初から捨て駒に大した情報なんて与えてないわ。でもまあ……もう用済みね』
パチリ。指を軽く鳴らす。
たったそれだけの動作がたやすく二つの命を刈り取ったのだと知れて、面の下に隠れた頬に冷たい汗が流れるのを感じた。
『……呪印、ですか』
『フフ……貴方も身に覚えがあるようね』
『………』
向けられた視線に面さえも見透かされるような心地がし、頭をさらに深く下げる。舌先が痺れるかのように疼いた。
実力差は明白。ここで気まぐれに僕の命をとることだって、この三忍の一人には訳はない。だが、幸いにも機嫌は損ねなかったのだろう。大蛇丸様は何も気にしていないかのように、それで、と続けた。
『頼んでいたコトはどうなったのかしら』
それこそが本題だとでもいうかのように、言葉に潜められた鋭さにゴクリと息を飲む。身体の震えを抑え込み、何でもないように平坦な声を作ってローブの袖から預かったものを取り出した。
『はい。こちらに』
書簡を受け取った大蛇丸様は、食い入るようにその字を追う。読み進める小さな紙音だけがその場の空気を震わせる。小鳥も流れる緊張感を悟ったのか、去ったまま戻ってくることはなかった。
『…………フフフ、ハハハハハハッ!!まさか、彼が…!フフフ……素晴らしい……!!』
何やら仕掛けがされていたのか、読み終えたと見えるや否や書簡は炎にのまれる。しかしそれには目もくれず、焼けた掌の痛みすら感じていないのか、興奮を隠しもせずに大蛇丸様は狂ったように笑い始めた。
やがてその笑い声もピタリと止まる。吊り上がった唇はそのままに、ドロドロした欲がその目に浮かんでいた。
『あの男に伝えなさい。アナタ達の計画に協力するわ。組織の方もいい返事が貰えそうよ』
一つ礼をして身を翻す。望む答えは得られ、これ以上その場に留まる理由もなかった。
『待ちなさい───カブト』
だが、その足は名を呼ばれピタリと止まった。名乗った覚えはなかった。面を取った覚えもない。きっと最初から知られていたのだろう。
それを悟り、観念して面を僅かにずらし背後の大蛇丸様をちらりと振り返った。上機嫌に弧を描く目の奥、蛇のような鋭い瞳孔に見つめられていた。
『残念ね、アナタも目をつけてはいたのだけど』
『それは光栄ではありますが、こちらも人手不足なので……。僕の後輩で我慢してくれません?』
『一人は死にかけ、もう一人はしばらく表立って使えないんじゃねぇ……釣り合いは取れないでしょう』
『“彼”も入れればどうです?………うちはサスケ君、でしたっけ。彼も予選通過したんですけどね、どうやら怪我をして先程木ノ葉病院に運ばれたようですよ』
その名に大蛇丸様の目がギラリと光った。
視線が向かう先には、木ノ葉病院───彼がいる。
『………その情報を足しておまけでトントンってことにしてあげる。フフ、お前は察しがよすぎて気味が悪いわ』
『買い被りすぎですよ』
にっこり笑いつつ、資料にあった写真の彼へ思いを馳せる。
彼の生い立ちは既に聞いていた。身を売られ、記憶を消され、名を奪われ、里の道具となった子供。その姿に、ふと自身の姿がどこか重なった。
『大蛇丸様……あなたは、彼をどうするおつもりですか?』
『あら、気になるの?』
『………少し聞いてみただけです』
『知りたいことがあるというのはいいことよ。まぁ………今すぐ攫って、私色に染めたい所だけど───まだ足りないわ』
『足りないというと……写輪眼、ですか』
『フフ。まったく、鋭い子ね』
どんなに存在を消そうとも、流れる血は変わらない。暗部の任務でもうちはの者と組む機会が何度かあったから、その名高さに恥じぬ血継限界の力を知っていた。
すぐにでも欲しい、その欲求を伏せる価値は確かにあるだろう。
『うちはの者が大きな愛の喪失や自分自身の失意にもがき苦しむ時、脳内に特殊なチャクラが吹きだし視神経に反応して眼に変化が現れる。それが、心を写す瞳───写輪眼』
『大きな愛の喪失や自分自身の失意……』
『そう……まだ彼には絶望が足りないのよ』
大蛇丸様はニィと口角を上げる。背筋にゾッとするような怖気が走った。
愛の喪失にせよ、自身への失意にせよ、苦しみが伴うことは避けられない。その苦しみの対価が心を写す力だというなら、うちはも難儀な一族だと言えた。
(優秀すぎるってのも考えものだ。君は目立ちすぎた……大蛇丸様の目に留まってしまったのは不幸だったね)
その名を捨てても、その血から逃れることができない彼を憐れむも、そこに情報を売った罪悪感なんてものは欠片もなく。大蛇丸様に背を向けると同時に、その砂粒程の憐憫さえも頭から捨てた。
『そういうアナタはどうなの。何の為にこんなことをしているのかしら』
『“僕達”は、ただ木ノ葉の行く末を憂いているだけですよ』
『木ノ葉の行く末、ねェ……。でも、“お前自身は”そんなこと露ほども思っていないでしょう?』
『………任務ですから。それに理由が必要ですか?』
いけしゃあしゃあと宣う僕の背後で、大蛇丸様はくつくつと嘲笑う。
再度面を深く被り、僕も嘲笑った。
『全ては、木ノ葉の為に』
それが本心か、偽りか。
そんなことどうだってよかった。
◆
煌々とした満月が木ノ葉隠れの里を照らしている。
木ノ葉郊外、廃墟となった真夜中の桔梗城にわざわざ訪れる者もおらず、周辺に人の気配はほとんどない。
───そう、ほとんど。薄闇に紛れるように、数名のチャクラがそこにはあった。
「ううぅぅ……」
桔梗城、天守閣。そこに佇む月光を背にした小さな影が、ふと身じろぎと共に呻き出す。自身での制御を超えたチャクラがざわめき、砂がうっすらと霧のように舞い月光をかげらせている。
ひときわ強く吹いた風が、風鈴を奏でた瞬間。その砂がはっきりとした実体と化し、並ぶ屋根瓦を抉りとった。
「……凄いですね。あれが彼の正体ですか」
その様子を少し離れた所で静観しながら、淡々とそう評する。あの破壊力。あの途方ないチャクラ。敵としては厄介だが、味方……否、協力者となれば大きな戦力だ。
「でも大丈夫なんですか?あんなに制御がきかないとなると、暴走の可能性もある。計画の妨げになりかねないのでは?」
面にあけられた両眼の穴から、隣に立つ男をちらりと横目に見やれば、彼は腕を組みながらフン、と鼻を鳴らした。
「満月の夜は奴との同調が高まり、コントロールが甘くなるのでな。まあ、本戦では問題なかろう。それにそもそもが暴走を引き起こす前提にある。多少の狂いはあってもカバーは可能だ」
「まあ、そうですね。その辺りのタイミングはそちらにお任せしていますし。よろしく頼みますよ?」
「貴様に言われるまでもない。……お前達こそ、大丈夫なんだろうな?」
「さて、何の話でしょう?」
「……あの伝説の三忍の一人、大蛇丸が里に戻ってきたそうだが」
探るような視線が向けられる。その目をまっすぐ見つめ返す。
何故、砂隠れがそれを知っている?まだ暗部でさえも、その事実を事実として確信している訳でもないのに。
内心は押し殺し、目を細めてジッと注意深く彼を観察する。疑惑ではなかった。確信している、そんな言葉だ。とすれば、どこかで接触したのか。余計なことを、と内心苦々しく思うもそれを表に出すことなく淡々と返した。
「何故、それを?」
「二次試験中、うちのチームが接触したらしい。まさか、奴もこの件に絡んでいるのか?」
「……いいえ。こちらとしても大蛇丸がここで里に戻ってきたのはイレギュラー……でも、ラッキーですよ。そちらに目がいく分、だいぶ動きやすくなりましたから」
「ラッキーだと?うちの我愛羅が狙われたんだぞ!」
「おや、それは失礼。……ご安心を、既に大蛇丸はこの里を去りました。それにしても、あの大蛇丸を退けるとは。頼もしい限りですね」
にこやかに微笑んではぐらかせば、額当ての下の眉間に皺が寄る。蚊帳の外、というのは気に食わないのだろうが、馬鹿正直に言う義理もない。
暫し無言で視線を交わしていたが、それ以上の追求を諦めたのか、彼は舌打ちしつつ目を逸らした。
「……あんたらがしくじるようならすぐに手を引く。元々、お前達が持ちかけてきた計画だ……これが砂隠れを陥れる罠の可能性もあるしな」
「あれ、まだ信じてくれてないんですか?」
「当然だろう。あのダンゾウが失脚し、木ノ葉を崩す計画を企てるとは……今でも信じられん」
疑いの声に、面の下でほくそ笑む。
木ノ葉上層部はダンゾウ様の失脚を徹底的に隠蔽した。しかし隠蔽はしても、事実までは覆すことができない。
数十年に渡りダンゾウ様が今まで裏で築き上げたネットワークは今尚生きている。お互い心配はするはずもないが、裏での取引が途絶えれば訝しがるものもいる。いずれはどこかから漏れ、利を貪っていた奴らは不満を訴える。
金で釣れるような奴らも、情報で操れる者達も、心当たりは山程あった。そうして準備を整えてきた。これも三代目の詰めの甘さが招いたことだ。
「モノは考えようですよ。一時的な痛手はあっても、長い目でみればメリットがある。甘い夢を見ている風の大名達も、火影達上層部も……この辺りで目を醒まさせてあげないと」
「フッ、それには同感だ。木ノ葉の勢力争いに興味はないが、今回の件はこちらとしても好都合………しかし、砂はギリギリまで表に出ない。これは風影様のご意志だ」
「それで結構です。……これがこちらの決行計画書です。それと、彼らにもこの計画を伝えておいてください」
書簡を渡し、そう言って月光を背負い立つ少年を見上げる。
既にその砂の化生は姿を消していたが、その爪痕ははっきりとその場に刻まれていた。俯きがちなその顔は少年自身の影に呑まれ見えなかった。
「では、これで。………ああ、あと。後片付けは私がしておきます」
「いや、私がやろう。砂としても、同士のために一肌脱ぐくらいせんとな。それに……」
ジリ、と背後で砂を踏みしめる音がする。よく消されてはいたが、動揺に揺れたチャクラの波は隠せなかった。
「ネズミはたった一匹───軽いもんだ」
砂隠れの実力を図るいい機会になる、そう思って放っておいたが、やはり彼もわかっていたらしい。
二人の忍が月光の元で繰り広げる死闘を眺める。冷たい光を放つ刃も、舞い踊る血飛沫も、月光の元ではモノクロにしか見えない。
(木ノ葉も砂も、暁も、あの方も………欲深いものだね)
それぞれの欲という糸は、縺れ始めている。知らぬ間に絡まって、絡まって、絡まって、絡まって───それぞれの望む結果が得られるという保証もなく。
ただ、切られるのは決まって末端ばかりだ。
それを知ってはいたけれど、解くつもりは僕にはなかった。
最初から、僕には何もない。
あるのは任務。ただ、それだけだ。
死闘の果て、ついた決着に背を向ける。
去り際に見上げた先に少年の姿はなく、ただ大きく丸い満月だけが変わらず空に浮かんでいた。
「そっちは誰かいたか?」
「いや……おかしいな、こっちの方に逃げた筈なんだが」
「猫じゃないのか?近頃野良が増えているらしいぞ」
「この俺が見間違えるものか!確かに怪しげな人影がこっちに……!」
「イナビ、テッカ。夜中なんだぞ、少しは静かにしろ」
「ヤシロさん、こんな辺鄙な所誰も───ん?あれ……おい、来てくれ!あそこに誰か倒れているぞ!」
「これは……酷い傷だ……」
「まだ息はあるが……チッ、血が止まらん。焼くぞ、抑えていろ!」
「「はっ!」」
この日、桔梗城の傍らで、巡回中の木ノ葉警務部隊により瀕死の月光ハヤテが発見された。
意識不明の重態な彼が運ばれたのは、木ノ葉病院である。