入院初日をあわせ、三日間の入院生活はあっと言う間に過ぎ去った。
病院とは身体を休める場であり、隠れて修行しようにも医療忍者やサクラを筆頭に修行中のナルト、一足先に退院したあの兄弟やら、同期やらの来訪により阻まれる。
できることといえばベッドで横になることくらいだ。何もなく穏やかな空間にいると二次試験の疲れが一度に襲い、ただ泥沼のような抗いがたい眠気に襲われる。そうして目を開ければ日は既に跨ぎ朝日が昇っていた。
退院まではまだ時間がある。欠伸をかみ殺しながらも散歩にでも出るかと病室を出た瞬間、ふと感じたヒリつくような空気に眉をひそめた。
(朝っぱらから何だ……?)
寝起きでぼやけた思考も、冷水をかけられたように冴える。受付のあるホールへ通路を進んでいれば、常ならまだ誰もいない時間にも関わらず人の気配がしていた。
廊下の角から気配を消してそっと様子を伺うと、数人の男達が何やら気難しい顔で佇んでいることに気がつく。
背負うのは木ノ葉の忍のベスト、そしてその両肩には手裏剣とうちはの家紋──木ノ葉警務部隊だ。
そのうちの一人、腕を組み何やら話しあっていた人物にサスケは息を呑んだ。
(……父さん?)
その横顔を見間違える筈もない。
うちはフガク。うちはの頭領であり、警務部隊を束ねる総隊長であり、そしてサスケの実の父だった。
頭領という立場柄、フガクは滅多に南賀ノ区外に出ることはなく警務部隊本署につめていることが多い。
それが何故、こんな里の中心部、それも早朝の病院になどいるのか。怪我をしている様子もなく、サスケはフガクが出ざるを得ないほどのただならぬ事態を悟った。
声は遠く、口の動きも角度からしてよく見えず。立ち竦んでいても何も始まらないかと廊下から出れば、一斉に血のように赤い瞳が向けられた。
「子供……?」
「おい、あれって……」
「ああ、頭領の……」
サスケの姿に写輪眼が一対一対消えていく。口々に囁かれる声は好奇心を隠さず、そしてその視線はサスケとフガクを行き来する。
そんなギャラリーに目をやることなく、フガクとサスケ───父と子は、六年ぶりの再会にただ見つめ合っていた。
六年という歳月を超え、サスケの記憶の中のフガクより口元の皺はやや掘りが深くなり、髪が伸びている。数本交じる白い髪は少しの老けを感じさせ、貫禄と重厚感は更に増していた。
足先から頭までサスケをジッと眺めるフガクの視線も感じる。それでも、お互いに表情を変えるような失態はしない。
ここにいるのは父であり、父ではない。戸籍上は赤の他人だ。
「……おはようございます……?」
何と声をかけるべきかと考えに考えあぐね、挙げ句に出てきたのはそんな何の変哲もない挨拶だった。口を噤むももう遅く、軽く頭を下げながらも上目にフガクの反応を伺う。
それに目を瞬かせたフガクは、フ、と薄く笑みを浮かべた。
「ああ……おはよう」
そんな何気ない一言が酷く懐かしい。
まるで止まっていたままの記憶が、動き出したかのような。そんな思いに胸の奥が熱く滲んだ。
◆
「昨晩、木ノ葉の忍が襲われてな……」
何かあったのかと尋ねたところ、はぐらかされるかと思いきや、予想外にもフガクは経緯や現場調査の結果も含めた仔細を話してくれた。
襲われたのは木ノ葉の忍───一昨日顔を合わせていたあの病人のような顔色をした試験官、月光ハヤテだという。
事件現場は桔梗城。その傷跡は刃より鋭く、風遁の術によるものと見ているそうだ。
フガクと共に集中治療室のガラス越しに奴を見る。
酸素マスクの下の頬は元々青褪めていたのが真っ白になり、血が足りないのかその腕からは輸血が施されていた。ピ、ピピ、ピ、と鳴る心臓の拍動は素人にもわかるほど不規則で、モニターに映るその波は酷く小さい。命がまだあるのが奇跡、予断を許さない意識不明の重態だという。
(風遁か……まさか、な)
ナルトを始めとして木ノ葉にも風遁使いはいるが、その数は少ない。風遁の扱いにおいて、またその数において特化しているのは───砂隠れの里だ。
ダンゾウと大蛇丸が繋がり木ノ葉崩しを企んでいるのはほぼ確定的だが、砂隠れの立ち位置はまだ読めない。木ノ葉崩しに加わるのか、否か。大蛇丸と砂隠れの共謀はないにせよ、ダンゾウが絡んでいることも考えると否定できるだけの要素もなく。
いずれにせよ、ハヤテは何かを掴み口封じされたのだ。少なくともその下手人さえわかれば繋がりも見えてくる筈だが、命が風前の灯火である以上聞き出すことも難しい。
どうやらフガクも幻術で記憶を引き出せないかと試みたそうだが、その意識は深く眠り、無理にやれば命が危ういため断念したとのことだった。
治せるとすれば、心当たりは現状二人。
一人は香燐だが、あいつを木ノ葉の問題に利用させたくはなかった。そしてもう一人は三忍の、ゆくゆくは五代目火影となるくノ一。しかし各国を渡り歩くあの女傑の所在は不明だった。
「ハヤテ!ハヤテ、何があったの……!?どうしてこんな……!」
暫しその場でハヤテを見つめていると、紫の髪を振り乱した暗部装束のくノ一がやってきた。集中治療室を隔てるガラスへと縋り付く彼女は、年齢からしておそらくハヤテとは親しい間柄なのだろう。何度もハヤテの名を呼ぶその顔には幾筋もの涙が伝っていた。
その場に居続けるのは無粋にも程がある。どちらともなく顔を見合わせ、フガクとサスケはその場から去った。
それでも先程の悲痛な声は耳から離れない。これは“前”と同じか、それとも過去を変えた影響か。分からないが、防げた可能性を否定はできなかった。
拳を握りしめる。意を決し、前を歩く背を呼び止めた。
「話したいことがある。………俺は一昨日……いや、二次試験中にも、大蛇丸と名乗る忍に会ったんだが───」
「今、大蛇丸と言ったか……!?まさか、奴がこの里に来ているのか!?」
その名に、パッと振り返ったフガクの顔は驚愕もあらわに、サスケの両肩を強く握った。
余りに大きいその反応に目を丸くする。確かに驚かせるとは思っていたが、大蛇丸が中忍試験に潜りこんでいたんだ、おかしなことでもないだろう。
だが………この反応はまるで、その存在を知らなかったかのような。そこまで考えて、まさか、と思い至った。
(大蛇丸が来ていること自体、把握できていなかった……?)
里の守護を任せられる警務部隊に、その情報がふせられるというのは考えにくい。だとすれば、知らなかったのはうちはだけでなく、木ノ葉全体だ。
余りの衝撃に言葉を返せないサスケの姿に、一つ深呼吸をしたフガクは冷静に、しかしその瞳の鋭さは消さぬまま告げた。
「怒鳴って悪かった。しかし………話を聞きたい。場所を変えよう」
そう言って、フガクは何事かと様子を見にやってきた医療忍者に声をかける。
時間外とはいえ警務部隊を前にしては彼らは首をコクコクと縦に振るしかなく。医療忍者の診察もそこそこに、フガクはサスケの退院手続きをあっという間に終わらせてしまった。
サスケの荷物を部下達に預けて、フガクと二人で朝のまだ閑散とした大通りを歩く。まだ早いがもう少しすれば、きっと勤務に赴く忍や商店を開く店主、アカデミーに通う子供達、行き交う人々で賑わい始めるだろう。
方向から考えるに、向かうのはどうやら南賀ノ区のようだった。警務部隊本署に行くのだろうか。
どちらもあまり自分から喋るような性格ではなく、何を話せばいいのかも分からない。沈黙のまま、ただその背を追う。
それでも、その一時は決して苦とは感じなかった。昔よりは成長したとはいえ、まだその身長差は大きいにも関わらず、置いていかれることがないのは歩幅を合わせてくれているからだ。そんなわかりにくい、不器用な愛情を知っていた。
木ノ葉中心部を出て、住宅街を過ぎ、土手を越え、長い道の両脇に立ち並ぶ嘗てはなかった店や家を抜ける。やがてうちはの家紋を構える門が見えてきた。
ここに来るのは数ヶ月前の祭りの時以来だったが、朝日に照らされている飾り気のないその門に、懐かしさがこみ上げた。
祭りの時の暗闇では気づかなかったものの、うちは地区の内部は大きく様変わりしていた。空き地だった筈の場所には新しい店が、古びていた屋敷は建て直されて新築同様の家が。やや荒れていた道の石畳は整備され、区画も見直されたのか道も少し変わっている。
知っている筈なのに違う、その差に戸惑いながらも、進む時計とその変化は喜ばしいものだった。
「おはようございます、頭領!」
「朝から巡回ご苦労様です。……あら?あなたは……」
「ねェあんた…あの子何だか見覚えがないかい?」
「んん?まさか……」
もう日も昇り皆起き出してきたのだろう。ちらほらと通りがかる人々は一族の頭であるフガクに頭を下げ、そしてその後ろに続くサスケに気がつくと、ヒソヒソと声を潜め囁きあう。
向けられる視線に棘はなく、好意が滲んでいたから居心地の悪さはない。
ただ、なんとなく気恥ずかしくて少し足を早めフガクの影に隠れようとしたのだが……そのフガクの横顔に浮かんでいた誇らしげな笑みに気付いてしまうと並ぶこともできず、耳を仄かに染め上げたサスケは俯き耐え忍んだ。
「ついたぞ」
フガクの足が止まる。その声にホッとしながら顔を上げて───啞然とした。
そこにあったのは警務部隊本部ではなかった。いや、その道向かいには警務部隊のマークが掲げられているやや古ぼけた懐かしい詰所も確かにある。
だが、今サスケの目の前の二階建ての建物は真新しく、明らかに異なるシンボルが掲げられていた。
「木ノ葉内部監査部隊、南賀ノ区詰所だ」
写輪眼を模したような赤円に黒い三つ葉の芽。
聞き慣れぬ組織の名に、サスケは呆然とそれを見上げた。
◆
木ノ葉内部監査部隊、通称“芽”。
この部隊はつい五年ほど前に新設された火影直轄独立組織である。その役割は木ノ葉の内部調査を行い、汚職や他国との密通者の摘発を担っている。
火影邸の地下に本署は構えているものの、設立の経緯から隊員はうちは一族の者が大半を占めており、また警務部隊との連携の必要性を鑑みてここにも支所が建てられている………と建物に入りつつ簡単に説明を受けたが、脳内は容量オーバーだ。質問も疑問も湧く余地はなく、やはりここでも向けられた視線さえも気にはならなかった。
建物の二階。その最奥の扉で足を止めたフガクが軽くノックをすると、何やら覚えのある声がどうぞ、と答えた。まさかと思う間もなく、扉が開かれる。
「入るぞ」
「父さん?ああ、ちょうどよかった。そちらに行こうと思っていた所です。ハヤテの件ですが、何か進展、は………」
重厚な机の上。山のように、だが綺麗に揃えて積まれた書類を数枚捲っていたのは眼鏡をかけたイタチ。
目を上げたイタチは、サスケの姿を認めて絶句する。サスケ自身も顔が強張っている自覚があった。
「イタチ……あんた、何でここに……」
「ん?ああ、言ってなかったか……イタチはこの組織の設立者、木ノ葉内部監査部隊総隊長だ」
イタチは休暇中は専らここで仕事を持ち込んでいてな、というフガクの声もどこか遠い。
ふらりと揺れた視界にまずいと受け身を取るより先に、サスケの身体は力強い腕に支えられていた。
「父さん……確かサスケは今日が退院日だった筈ですが?」
「ああ、院内で偶然会ってな。話したいことがあると言うからここに……」
「退院したその足で?病み上がりのサスケを連れてきたんですか?」
「いやしかしな……大蛇丸の件だぞ」
「だからといって、ここまで連れてくることはなかった筈だ。火影邸のうちの部署でも使えばいい」
「……他の者に聞かれるのも……」
「舐めないでください。うちにそんな情報を漏らすような馬鹿はいません。それに機密を扱う部署ですよ、そんな杜撰な結界を張るわけないでしょう」
「だが……」
「だいたい父さんは───」
一を言うと十が返る、そんな応答にたじろぐフガク。さらに言えば、直接向けられていないにも関わらず、眼鏡越しのイタチの無表情にも圧がある。キラリと光る高級感のあるフレームも何だか鋭さを感じた。フガクは更に重いプレッシャーに晒されていることだろう。
だが、すれ違っていた思いもどこかで溶けたのか、嘗てのよそよそしさも、険悪さもそこにはなく。少々力関係が歪ながらも一般的な親子の枠に収まる、そんな会話に頬が緩んだ。
しばらくそのやり取りを眺めていたが、ついに黙り込んでしまった父に憐れみを感じ、もう大丈夫だから離してくれと支える腕を軽く引く。途端に先程と180度異なる、気遣わしげな柔らかい目が向けられた。
「カカシさんから話は聞いている。退院おめでとう。腕は大丈夫か?」
「ああ……問題ない」
「予選も突破したそうだな。次は本戦か……」
「一ヶ月後だ」
「焦る気持ちもあるだろうが、まだ無理はしないほうがいい。経絡系のダメージは甘く見るなよ、後遺症が残ることも──」
「………イタチ。大切な話があるんだ」
長くなりそうなイタチの話を遮り、その腕を逃れてまっすぐその黒い瞳を見つめた。
サスケの真剣さが伝わったのか、イタチは一度口を噤むと、眼鏡を外してこっちへ、とサスケとフガクを本棚の下、写輪眼でしか開けられぬ地下扉を開き隠し通路へと案内した。
階段を降りると内部は広く、幾つか部屋がある様子だったが、イタチが連れてきたのは机と数脚の椅子しかないベタな尋問室だった。
シンプルながらも、その部屋にかけられた複雑な防音の忍術式に感嘆の声をこぼしていれば、それで、と尋問には優しい声でイタチは話を切り出した。
それでもその目には、何やら得体の知れぬ組織のトップに相応しく、甘さは欠片もない。写輪眼でもないのに全てを見透かされそうな、そんな漆黒の瞳を見つめ返した。
「………二次試験中に、大蛇丸と名乗る忍に追われた」
多少の誤魔化しを入れながらも、ほぼ全てを伝える。未来は話せない。しかし、経験した事実は話すことができた。
目の前で両手を組みながら口元を隠すイタチの眉間の皺は、話が進むにつれ深くなっていった。一昨日のことを話し終える頃には、俯きがちなその顔に黒い影がかかっている幻影が見えた程だ。
ただ、大蛇丸の言った『うちはサスケ』の名には、一瞬ピクリと肩が揺れていた。
「………この話、カカシさんには?」
「いや。奴がS級犯罪者とは知らなかったからな……わざわざ報告する必要性を感じなかった。奴からうちはの名が出たから、戯言にせよあんた達には話しておいたほうがいいかと判断したんだ」
「……そうか。情報提供、感謝する。この件はこちらで追う、カカシさんを含め誰にも言わないでくれ。どこから誰に話が漏れるか分からないからな。───必ず、奴の尻尾を捕まえてやる」
ギラリと光る眼光は獲物を定めた狩人の如く、強い決意と執念を滲ませている。
あのイタチが言うのだ。遠からず、ダンゾウも大蛇丸も追い詰められることだろう。だが、それが一ヶ月後に迫る木ノ葉崩しに間に合うか、それはまた別の話だ。
「もし奴が、何かことを起こすとすれば……」
最後まで言い切る前に、聡いイタチは分かっていると頷いた。
「大名達が一同に会す、本戦中が最も木ノ葉の守りが手薄になる。狙われるとしたらそこだろうな」
「………それなら、警務部隊の巡回を増やそう。里民を害させはしない」
壁によりかかり、腕を組み黙って話を聞いていたフガクが、目を開きつつそう続けた。
その言葉にホッと胸を撫で下ろす。万一奴を追い詰められなかったとしても、警務部隊がいれば里の被害はかなり抑えられる筈だ。
その後の質問にも答えてゆけばそこそこの時間が経過していた。もう十分だと、事情聴取がようやく終わる。疲労感はあれども、両肩に抱えていた重荷も減った、そんな心地がしていた。
足取りもどこか軽く通路の階段を登っていれば、ふと隣にいたイタチが足を止めたことに気が付いてサスケも立ち止まった。
「イタチ?どうしたんだ、遅れるぞ」
先に進んでいたフガクとの差は広まるばかりで、急かすように促すもイタチは俯いたままその場から動かない。
余りの様子のおかしさにフガクを呼び止めようとした時、サスケ、とどこか低い声音で名が呼ばれた。
「お前は……お前が、もしも『うちは』だったとしたら───」
言葉が途切れた。続くはずだった言葉は何だろう。
顔を上げたイタチは、まるで全ての感情を押し殺したかのような無表情で、その意図は読めなかった。
「………ただの戯言だ。忘れてくれ」
目が逸らされ、その足がサスケを追い越す。すれ違いざまにその手を掴んだ。
六年前よりも大きく、厚い掌。それでも繋いだ手と手は幼い頃と変わらず暖かいままで、あの時の凍えるような冷たさはもうなかった。
その続く言葉は分からない。聞くこともできない。ただ、一つ言えることがある。
「もしも俺が『うちはサスケ』だったら───里を守る一族を……あんた達を、誇りに思う」
イタチの双眸が大きく開かれる。
フガクの声が隠し扉の上から降ってきて、薄暗かった通路が淡く照らされた。
「早く行こう。遅くなると叱られる」
「ああ。……まぁでも、母さんよりは怖くはないな」
「聞こえてるぞイタチ。母さんにはちゃんと伝えておいてやる」
「……チッ」
イタチとフガクのやり取りにクスリと笑いながら、渋るイタチの手を軽く引いて、出口へと二人で進んだ。
この手をもうすぐ離さなければならないと分かっている。
でもあと少しだけ、家族のままでいたかった。