利用し、利用される。それが忍だ。
上っ面の甘い言葉の裏には思惑が潜んでいる。善意なんてまやかしを信じちゃいけない。いつしか必ず対価を払うことになるのだから。
でも、それでお前とまた会えるなら───利用されたっていい。そう思ったんだ。
木ノ葉病院、院内。
その中庭に面したベンチでは、桃色と赤色の髪をした少女二人が並んで肩を落としていた。
「……サスケくん、大丈夫かな……」
心配そうに呟くサクラの横顔からそっと目を逸らし、香燐は渡しそびれてしまった一輪の薔薇を手持ち無沙汰にゆらりと揺らした。
『サスケさんですか?ああ、彼なら警務部隊の方と今朝早くに退院されましたよ』
思いがけず花屋で会ったサクラと近況を話しながら病院に着いてみれば、サスケの病室は既に空っぽで。
受け付け嬢の答えに青褪めたサクラを訝しく思って詳しく聞いてみれば、警務部隊というのは木ノ葉の治安維持を担う部隊だそうだ。
写輪眼という血継限界を身に宿すうちは一族が中核を成しており、総じて眉目秀麗で優秀な忍が多い───が、その取り調べは非常に厳しいという。
治安維持。取り調べ。そんな物々しい言葉の羅列に、自然と二人共に口数が減った。
(サスケ……どこに行ったんだよ……)
一度気配を探ったものの既に近辺にはおらず、木ノ葉の中心部であるここは人が多すぎてそれ以上探ることができなかった。
言いしれぬ不安にぎゅ、と薔薇を握りしめた───そんな時。背後からの甲高い悲鳴に、ハッと背後を振り返った。
「ダメです!何をしているんですか!?」
医療忍者だろうくノ一が駆け寄る中庭には、右腕だけで腕立て伏せをしている同世代と見える少年がいた。
「片手腕立て二百回……できなかったら、片足スクワット、百回っ……!!」
「リーくん、やめなさい!アナタは動ける体じゃ……」
「触らないで……!修行の邪魔をしないでください!!」
その剣幕に止めようとしていた女性が言葉を無くし、リーと呼ばれた少年は腕立てを続けた。
その身体中に包帯が巻かれており、傷も塞がっていないのか腕からは血が滴っている。怪我でもしているのかと、ふとそのチャクラを探った香燐は愕然と息を呑んだ。
(嘘だろ……!?こいつ……こんな身体で……!)
チャクラの流れは滅茶苦茶で、左足と左腕に限ってはまさに粉々と言っても過言じゃない。
見た目を上回る怪我の惨状にも関わらず、震える身体で修行を続けるその姿は痛々しく、そしてその執念めいた気力に背筋が寒くなる程だった。
「リーさん……」
「……知り合いか?」
「ええ、ちょっとね。予選で我愛……、………病院に運ばれたのは知ってたけど、ずっと面会謝絶だったのよ。まだ会えると思ってなかったけど……」
言いかけた名に目を瞑りつつ、続いた話にだろうなと頷く。抜け出して来たことはひと目でわかったが、まだまだ安静にしていなければならない状態だ。
間違っても、あんな風に動ける体じゃない。それどころか───。
「………あいつ、もう二度と忍としてはやってけない体だぞ」
「え!?」
「体の組織はボロボロ、経絡系に至ってはズタズタだ。チャクラを練ること自体、もう難しいだろうな」
「そんな……!」
淡々と告げた言葉に、サクラは震える手で口元を抑える。血と汗を文字通り流しながら修行を続ける男を見詰め、じわ、と潤んだ翠の瞳が、ハッとしたように香燐を振り返った。
「ねえ、香燐……香燐なら、治せるんじゃないの?カンクロウだって助けられたじゃない!」
「…………」
そのサクラの言葉に、どくりと心臓が一つ音を立てた。
可能か不可能か。それなら、可能ではあった。友人を助けたい、そのサクラの想いもわかる。でも───。
「───できない」
その期待するような眼差しから目を逸らす。ズキリと痛んだ胸に蓋をして真っ赤な嘘を吐き出せば、口の中にはただただ苦々しさが残る。
それでも、自分と、顔も知らない他国の忍と。天秤にはかけられなかった。
「そんな……」
「百九十九……、っ!」
「っ、リーさん!リーさん、しっかりして!!」
「担架を持ってきます、見ててください!」
力尽きたように意識を失ったリーへ駆け寄るサクラとは裏腹に、香燐は血溜まりをジッと見つめ立ち尽くしていた。
(………同じ色)
そう思うと同時に込み上げた吐き気に、香燐は赤髪を翻しその場から走り去った。
『分かっているな?もし裏切れば────』
ずっと、あの夜の暗闇が追いかけてくる。脳裏に響く声から、あの赤い血から、流れた涙から。全てを振り払うようにただ逃げた。
走って走って辿り着いた、人気のない奥まった通路。元々ない体力を使いきったのか、足が縺れてべしゃりと倒れこんでしまって、硬い床に打ち付けた膝が鈍く痛んだ。
(受け身も取れないとか、本当に忍かよ)
情けなさに自嘲しつつ身体を起こした香燐は、ハッと我に返り恐る恐る指を開く。
美しかった花弁は無惨に散り、転んだ時に押し潰してしまったのか形も歪んでいる。強く握りしめていたためか、茎も折れてくたりと傷んでいた。
(初めて買った花……無駄になっちゃった……)
立ち上がることも忘れ、ボロボロになった花をぼんやり見詰めた。
渡すことなどできないまま、誰の目にも触れずに捨てられるのをただ待っている。
そんな花に『同じだな』と小さく笑いかけた。
「何が同じなんだ?」
「そりゃ、ウチが………!?」
独り言の筈だった。
しかし、今一番会いたくて会いたくなかった男が、不思議そうに首を傾げながら香燐のすぐ隣から覗き込んでいた。どうやらばっちりと独り言さえも聞かれていたらしく、顔が火が出そうな程に熱くなる。
「さささささ、さ、サス、サスケ!?ど、どうして、ここ、退院……!」
「荷物を取りに来た」
その言葉通り、サスケの手には幾ばくかの私物が詰められたバックが握られている。なるほど……じゃなくて!!
「サスケ、怪我は?大丈夫か?警務部隊に連れていかれたって……!」
「怪我はあと数日で完治する。警務部隊にもただの情報提供をしただけだ」
「そっか……」
ホッと胸を撫で下ろしていると、サスケの視線がちらりと落ちる。
その先にある自分が握っている薔薇に行き着いて、先程の独り言に加えみすぼらしくなった花が見つかったことが途端に恥ずかしくなって後手に隠した。
「どうして隠す?」
「……だって、汚れちゃってるし……捨てようと……」
「捨てる?……捨てるには勿体ねェだろ」
「え」
もごもごと言い訳のように口籠る香燐をジッと見つめていたサスケはふと腕を動かす。気づいた時には、その薔薇はサスケの手の中にあって。あまりの早業に言葉も出せずにいれば、少し待てと言いおいて、サスケは花へ軽く手を翳した。
流れ始めたチャクラに医療忍術と悟った。しかし、一瞬、その眉が僅かに潜められたのを香燐は見逃さなかった。
「サスケ!いいから!やめろって!」
見た目にはわかりにくいが、その経絡系はまだ治りきっていない。無理にチャクラを流せば激痛が走る筈だ。
たかが花のためにと、必死に止める香燐に渋々サスケは手を離す。そうして現れたそれに、香燐は目を見開いた。
「あ……」
元通りには至らなかったものの、捨てられるのを待つだけだったその薔薇は、明らかに生気を取り戻していた。
サスケは少し考え込んでいたかと思うと、不意に香燐の頭にそっと触れる。髪に乗せられた柔らかな重みを感じた。
「ああ……お前と同じ色だな」
納得したように頷いて、サスケはフッと笑った。
呆然としていた香燐は、やがてわなわなと唇を震わせると、その眼差しから逃れるように顔を俯かせた。
「………どうして」
空っぽだった胸の奥がいつの間にか満ちていく。でも与えられるそれが、今はただ苦しい。
溢れていく汚い心を隠したくて、両手で目を抑える。それでも指の隙間から、ポタポタと零れ落ちていった。
「どうして、そんな優しくするんだよ!!!ウチ、ウチはっ……もう、何もできないのに………!!」
覆われた視界はあの夜のように真っ暗だ。
それでも、傍らに感じる暖かなチャクラに、ずっと聞こえていた声への恐怖が薄らいでいった。
その安堵が。その優しさが。その暖かさが───罪悪感という鎖となって心を締め付けた。