『はぁ……よかったぁ……!』
畳敷きの六畳間。その部屋の中央に敷かれた真っ白な布団に、安堵の声と共に赤い髪が散る。
和紙を通した柔らかな光を放つ照明に翳した巻物には、確かに木ノ葉滞在を許可する旨が記されていた。
第二試験が終了し、丸三日。その間は砂の担当上忍の指示に従って里へ書簡を書き、部屋に閉じこもっていた。
今日ようやく伝達鳥が運んで来た返信には、嫌味も勿論書かれてはいたが、よくよく学び見聞を深めるように、砂隠れの指示に従うようにと記されていた。
木ノ葉ではなく砂隠れ預かりとなったことに少し違和感はあったけど、それも滞在許可という言葉にかき消されていった。事務手続きも厄介ながら済ませ、これで正式に滞在が許されたのだ。
『ずっといたいくらいだもんなぁ……』
滞在先にと案内されたのは清潔で落ち着く雰囲気の館だった。部屋は小さいが文机や洗面台、小型テレビに冷蔵庫と必要な備品は全て揃っている。草隠れの自室よりよほど居心地の良い部屋だ。
布団もふかふかだし、と微笑みつつごろりと寝返りをうって、ふと掛け時計の針がもう夕食時になろうとしていることに気がついた。意識してしまえばぐう、と腹の虫までが鳴き始める。
(お昼のオムライス美味しかったな〜。夜は何にしよ………うん?)
浮かれ足で食堂に向かう道すがら、ふと近くに感じた気配に香燐は目を輝かせた。
『我愛羅!』
駆け寄る香燐に、我愛羅が足を止め振り返った。
この宿は他国の忍を一纏めに監視している。我愛羅やテマリ、カンクロウ、あの砂の担当上忍もここに滞在していた。
とはいえ、表向きは友好を謳っている以上、流石に内部までは入り込んで来ないため、常に視線に晒され能力を使わされていた草隠れと比べれば、まるで天国のような環境だ。
『我愛羅も夕飯か?』
『…………』
『もう食べたのか?』
『…………』
『食べてないな。お前、食堂で滅多に見かけないし。そんなんじゃ背が伸びないぞ?』
『…………伸びる』
『うちよりチビじゃん。ほら、一緒に食べよ!』
『チビじゃない』
むっとした口調ながら、普段は話しかけても無視されほぼ返ってこない返事があったことに驚きつつ、唇がにまにまと緩んだ。
(友達って、こんななのかな)
そう思えば嬉しくて、ついつい顔を見れば話しかけてしまうのだ。特に今夜は待ちに待った滞在許可にはしゃいでいる自覚はあったが、どうしようもない。
眉を潜める我愛羅に、それが照れかくしと既に知っている香燐は怖気づくこともなくその手を取る。ビクリと肩が跳ねたが、振り払われることはなかった。
『急ごう、食堂閉まっちゃうぞ!』
『…………』
『なあ、お前は何食べるんだ?』
『…………』
『決まってないのか?だったら、おすすめはオムライス!卵とろっとろでさ……!』
『…………』
『あ、ごめん……里の滞在許可が下りてつい……』
『………別にいい』
一方的と言ってもいいような会話に、煩くし過ぎたかとしゅんとした香燐だったが、良かったな、と我愛羅の小さな言葉が耳に届いて顔を上げた。
暖かくなる胸を誤魔化すように、肌見離さず持ち歩いていた書簡を取り出す。
『じゃん!ほら、ここにちゃーんと許可するって───我愛羅?』
子供っぽいとは思うが、ただ見せびらかしたかっただけだった。一緒にいられると喜んでくれたら、そんな願望もあった。
しかし、その書簡を見せた途端に、我愛羅の表情が明らかに強張った。
『我愛羅……?どうかしたのか……?』
『………帰れ』
『え?』
『今すぐ帰れ、この里から出ていけ!!』
突然態度を豹変させた我愛羅は、ギロリと視線を尖らせると書簡を叩き落した。
向けられる怒気に禍々しいチャクラが混ざり込み、その恐ろしさに体が震えた。立っているのがやっとで、頭が少しも回らず、どうしたらよいのかも分からなかった。
『我愛羅!何をしてるんだ!』
『おいおい、暴走じゃん……!?』
チャクラを感じ取ったのか、テマリとカンクロウが駆け寄ってくる。本能的に二人の元に逃げようとした香燐の手を、我愛羅が掴んだ。
『嫌っ……!』
『───』
その手を恐怖のまま振り払う。ズタズタに裂かれた書簡が目に入り、先程温もりに満たされていた胸も引き裂かれるような痛みを感じた。
じわじわと視界が潤むのがわかって、書簡もそのままにテマリとカンクロウの間をすり抜ける。後ろから『どういうことだ』と争うような声が聞こえたが、耳を塞いで暗い部屋へと駆け戻った。
閉ざした襖に背を預ける。足から力が抜けて、ずるずると滑るように座り込んだ。
友だなんて思っていたのは、自分だけだったのかもしれない。そんなよぎる思いが、ただ悲しかった。
それからどれくらい経ったのか、涙も枯れ果てた頃。
気配を押し殺しながら、砂隠れの上忍、バキがやってきた。襖が開くと同時に、吐き気のするような濃い血臭が部屋を満たした。
『お前の力、確かめさせて貰おうか』
咄嗟に逃げようとすれば、布団に押さえつけられる。袖を引き上げられ、腕に容赦のない痛みを覚える。その迷いのない動作に胸の奥が冷えていった。
(誰がウチの力のこと、教えたの?)
ごっそりと奪われたチャクラにもう何も感じなかった。涙と一緒に心の中も乾いてしまったのかもしれない。
バキは塞がっていく傷跡に目を瞠り、ニヤリと笑う。月光に照らされた瞳が冷たく光っていた。
『ほう……いい能力だ。これなら───』
その後に続く言葉は何?誰と戦い、誰を殺したの?何故、ウチを木ノ葉に留め置いたの?いったい、何をしようとしているの?
聞くこともできないまま、ただ、何か得たいの知れぬ怖気が走る。
今になって、我愛羅の言葉が思い返された。あれは警告だったのかもしれない───でも、と身体を起こせぬまま乾いた笑いが零れた。
どこにいても変わらない。ただ奪われ、使われる。そんな運命を痛烈に感じていた。
『今夜のことは誰にも言うな。この力も許可なく使うことは許さん。分かっているな?もし裏切れば────お前を殺す』
上忍の殺気にただ震える。抗う術はない。
砂隠れの忍が去った部屋で、ぼんやりと赤い輪の増えた腕を窓へと伸ばした。
『……サスケ………会いたいよ……』
届かぬ空には、大きな満月が昇っていた。
◆
どんなに苦しくても日は昇る。浮上する意識に嫌々ながら目を開けてみれば、月は既に姿を隠し、窓の外には憎らしいほど蒼く澄んだ青空が映っていた。
『朝食……食べそこねた……』
ギュウ、ぐるぐると腹の虫が鳴り続けていたが、時計は既に九時。食堂は既に閉まっている時間だ。
水でも飲んでガラガラの喉でも潤そうかと立ち上がろうとしたとき、すぐ近くにあった気配に体をガバリと起こした。
『起きたか』
襖の向こう側に、我愛羅がいる。けれどそのチャクラは昨日の殺気だったものではなく、ホッと体から力を抜いた。
安心した途端にぐるぎゅーと鳴り出す腹が憎らしく、我愛羅の耳にも届いたかと思うと顔が熱くなって腹を抑えた。
『………聞こえた?』
『………。……いや』
『嘘つくなよお前その間!絶対聞こえて───!!』
拳を握りしめ問い詰める前に、襖がそっと開いた。
開いた隙間から入れられた盆に乗せられていたのは、昨日食べたのと同じオムライスだった。
『う、うちは怒ってるんだ!まあ……話くらい聞いてやってもいいかなって……べ、別に食い物で釣られたとかじゃないからな……!』
そんなことを言いつつも綺麗に完食した。冷めていても美味かった、流石シェフ。
渋々招き入れた我愛羅にジト目で催促してみれば、我愛羅は暫し逡巡していたが、やがて小さく口を開いた。
『………サスケは木ノ葉病院に入院したらしい』
『え……?』
突然の情報に目を瞬かせていると、ボン、と煙が上がる。煙が消えていき、現れたのは自分自身だった。
自分───香燐に変化した我愛羅。綻び一つない変化で、擦り切れた服の小さなほつれまで完璧に再現されていた。
『昼までには戻れ。それまでならバキを誤魔化せるだろう』
『………!!』
その言葉の意味を理解し息を呑む。
そんなうちにくるりと背を向け、もうひとりの自分はボソリと呟いた。
『………逃げることも、一つの選択肢だがな』