蝉の鳴き声があちらこちらから聞こえてくる。視界が封じられ見えないものの、きっと木々は青々と茂っているのだろう。
7月ももうすぐ半ば。炎天下とまではいかずとも陽光は強く、忍として過酷な環境に慣れているとはいえ暑いもんは暑い。
勾配のある坂の途中で足を止め、瞼に感じる木漏れ日の熱を片手で遮りながら、サスケは額に滲んだ汗を拭った。
今、サスケ達は阿多福町を出て、次の目的地である火の国と湯の国の狭間にある宿場町へと向かっている。歩き出して一刻もしないうちに坂道に入り、やがて舗装もろくにされていない山道を登っていた。
雷遁を応用した感知により地面から突き出た根っこや窪み、道端から伸びた枝を避け。ここまでかすり傷一つなく歩くことができていたが、平地とは比べ物にならない程の障害物の多さに、もしも昨日の時点で進んでいたらと思えばゾッとする。
ただし、その知覚範囲は数メートル程度といった所で、それ以上先は以前と変わらぬ闇が広がるばかり。そして何より常に微弱な雷遁を流している状態であり、それなりにチャクラを消費していた。
(術を使う時だけならともかく、常日頃使うには消耗が大きいか………シスイさんにはまだ教えられないな)
感知の手段を見つけたサスケが、まだ視力の封印を解いていない理由。それは更なる能力の向上という意味合いもあったが、一昨日出会った暗部総隊長の姿がよぎったというのが一番の理由だった。
万華鏡は光を失う運命にある。シスイはうまく隠してはいたが、時折目を気にする素振りをしていたことにサスケは気づいていた。万華鏡を持つ者が他にいない現状、このままシスイが失明するだろうことは自然の成り行きといえる。
万華鏡写輪眼を持つ者は、瞳の交換により永遠の光を手に入れることができる。だが、万華鏡写輪眼の強さは身をもって知ってはいたが、心を写す瞳である写輪眼、心の歪んだ成れの果てだ。
シスイには悪く思うが、たとえどんなに力を得るとしてもその対価を思えば開眼したいとは思えないし、イタチにだって開眼してほしくはない。
だからせめて視力の代替手段としてこの術を使えないかと考えていたが、まだ改良していく必要があるだろう。
「サスケ!早く来いって、すげーってばよ!」
遠くの方からナルトの歓声が聞こえてきた。どうやら立ち止まっている間に、随分先に進んでしまったらしい。
サスケは一度息を大きく吐いて思考を中断させ、再び山道を歩き始めた。
ナルト達に追いつくと、ふと道の両端のチャクラの流れがぷっつりと途切れた。一歩踏み出せば足元がぎしりと揺れる。どうやら山頂から長い吊り橋がかかっているようだ。
「すっげー深い……底が見えねーってばよ……!」
「この谷は地獄に続いているという話だ。落ちたらまず助からんぞ」
ゴクリとつばを飲むナルトに並んで橋の下を覗き込む。見ることはできずとも、谷間から吹き上げる風にその深さを感じ取れた。
そこに僅かに混じる異臭。鼻腔を刺すような独特な臭いは硫黄のものだろう。湯の国はその国名にもなっている通り、温泉が国のあちこちから湧き出ており、目指す国境の宿場町もそう遠くないことの証と言える。
だが、それよりも橋の先から届いた自来也の言葉、この硫黄の臭いに。呼び覚まされる記憶があった。
(もしかするとこの谷は、地獄谷に繋がっているのかもしれないな……)
贖罪の旅を始めて間もない頃、各国で起きた忍失踪事件。その真相といえば、血の池一族の末裔であるチノがうちは一族である俺へ、そして世界への恨みと孤独へ復讐を企てたものだった。
戦いの最後に透明な涙を流したチノは、今どこにいるのだろう。雷光団を打ち立てているのか、それともまだあの暗い闘技場に囚われているのか。それともこの先に続く地獄谷で一人朽ちようとしているのか。
分からない。知る術を持っていない。
そう言い訳をしようとした内心に響く声があった。
『被害者からしたら、加害者も第三者も同じ……自分を救ってくれなかった人たち、それで一括』
俺にできることはないのか?───本当に?ただ、この安寧を手放したくないだけではないのか?
橋の欄干から見下ろす先には闇だけで。気づきたくない答えから顔を背けるように、足早に前を進んだ。
「ナルト。口寄せの術のコツを教えてやる」
「え!?そんなのあるんだったらもっと早く教えてくれってばよ!!」
「それはの───命を懸けることだ」
そんな思考に耽っていたからだろう。いつの間にか、自来也とナルトを追い越して少し距離がひらいていたことに意識が向いていなかったのだ。
数歩後ろから聞こえた不穏な会話に、背筋にゾワリとした寒気が走った。
「死にたくなかったら自分で何とかしろ、のォ」
「え?」
途轍もなく嫌な予感に二人を振り返ると同時。トン、と何かを突く音がして、ナルトのチャクラが宙を舞った。
すぐさまその場へと駆け寄り、欄干から身を乗り出して手を伸ばす。ちりりとナルトの伸ばした指先が掠めて、あっという間に離れていく。
「ぎゃああああああ!!」
一拍遅れでナルトの悲鳴が、奈落のような闇に落ちる。それを認識し、考えるよりも先に身体が動いた。
「───!?」
耳元を風が吹き抜けて、何かを叫ぶ自来也の声もかき消される。落下しながら印を結ぶ。左腕に激痛が走ると同時に視界が開けた。
眩しさとかかる風圧に一瞬目を眩ませるも、すぐさま真っ暗な谷間に落ちていくナルトを捉えて手を伸ばす。
「ナルトォ!!」
「……!?」
驚愕もあらわにこちらを凝視するナルトを何とか空中で捕まえ、サスケは痺れかけた左手を気力だけで動かし、後手に力いっぱいクナイを投げた。
雷遁を纏わせたそれは橋の支木を杭のように貫く。
「しっかり掴まってろ!!」
ガクンと引かれる左腕。かかる重力。何より経絡系の焼けるような痛み。
溢れかけたうめき声を噛み殺して、ナルトを掴む右腕に力を込める。
「サスケ……お前……何してんだってばよ!?」
「煩い、ウスラトンカチ……早く、登れ!!」
徐々に衝撃と揺れは収まったものの、二人の身体を支えているのは、橋を貫いたクナイから伸びた一本のワイヤーだけ。蜘蛛の糸のようなそれが、宙に浮くナルトとサスケの命綱となっている。
腕にかかる負荷に顔を歪めながら、ナルトを急かす。指に絡ませたワイヤーも血でぬめっている。糸か、指か、この細い命綱もいつ切れるか知れなかった。
(こいつだけは……!)
たとえ片腕を失ったとしても、ナルトだけは助けなければ。その一心で、サスケはナルトを支える手に力を込めた。
「サスケ……」
ポタポタと頬に落ちる血痕にナルトも気づいたのか、一瞬泣きそうに歯を食い縛ると、顔を俯けた。
早くしろ、と再度急かそうとした時、ナルトがふと顔をあげた。
その縦に割れた瞳孔と、視線が重なった瞬間。意識が切り離されたかのように、サスケの身体から痛みが消えた。
◆
どこか覚えのある感覚を思い出すよりも先に、ピチャリと足元の水面が揺れて、サスケはハッと我に返り辺りを見回した。
先程まで眼下に広がっていた大自然はそこにない。人工的な光に照らされた薄暗い廊下、天井には何処かへと幾筋も伸びるパイプが走り、漏れ出た水滴が踝まで覆う水面を規則的に打っている。
(ここは……ナルトの精神世界か?)
大蛇丸のアジトでナルトと再会した、その遠い記憶と視界が一致する。しかし、写輪眼の瞳力を今は使っていない、まるで何かに引きずり込まれたかのようだ。
そうしてふと通路の奥、獣の唸り声のする方向へと向かう背に気付いて呼び止めた。
(……ナルト!!)
だがナルトはサスケの声が聞こえていないのか、何かに惹かれるように奥へ奥へと消えていく。
サスケは急いでその後を追いかけ、開けた部屋の入口で立ち止まった。
見上げる程の巨大な檻。封じの札が貼られたその奥には、暗闇の中に光る両眼、悍ましい程強力で肌が総毛立つような冷たいチャクラがある。
───九尾の妖狐が、そこにいた。
「アホギツネ!俺の体に泊めてやってんだから、家賃としてお前のチャクラ貸しやがれ!!」
九尾相手に一歩も怯むことなく啖呵を切ったナルトを、ジッと睨みつけていた九尾がふと笑いだす。
【フフ、ハハハハハハ……!どの道お前が死ねば、わしも死ぬというかァ……わしを脅すとは、大した度胸だ……!】
哄笑と同時に赤いチャクラがナルトを縛り付ける。咄嗟に駆け寄ろうとするも、何故か泥沼に沈んでいるかのように身動きができなかった。
声は出ない。身体も動かない。そんな歯痒い状況なのに、得も言われぬ既視感を感じた。
どこかで。同じことを、思ったことがある。そんな気がした。
【よかろう、ここまで来た褒美だ───くれてやる!】
その九尾の言葉と共にナルトの姿がかき消えた。現実世界に戻ったのだろう。通常であれば精神世界の持ち主であるナルトと共に、異物たるサスケは排除される筈だ。
それなのに、サスケは戻れなかった。
一体、何が起きているのか。動けず、話せず、戻ることさえもできないまま立ち尽くしていると、不意に九尾がその鼻をひくつかせ唸りだす。
【誰だ………いるのは分かっている、出てこい】
その言葉に従うように檻へと歩き出す。
何かに操られているかのような、けれど自分の意思でもあるかのような、奇妙な感覚だった。
【そのチャクラ……ジジイの……いや、そんな筈がない!!!】
怯えるかの如く後ずさる九尾に、檻さえも何もないかのようにすり抜けて近づいていく。
嘗てと同じように鼻先へ手を伸ばせば、九尾の瞳が驚愕に見開かれた。
【貴様────!!?】
九尾の吠える言葉に、唇がゆるりと弧を描く。
九尾の瞳に映る俺は、俺の知らない顔で嗤っていた。
【 】
聞き取れぬ音と共に、その巨躯が泡のように弾け飛んだ。
◆
「お前がうずまきナルト……ウチの倅共が世話になっちょるようじゃのぅ」
「え?え?セガレ?」
「ガマ吉とガマ竜じゃア」
「セガレ……って、まさかあいつらのオヤジ!?蝦蟇一つえぇっていう自慢の父ちゃん!?」
「フッフ、ワシを呼び出すちゅうとったガキじゃろう。大した奴じゃ……ワシの頭に乗ったのは、四代目以来じゃけんのォ……よっしゃ、ガキぃ、お前を子分として認めちゃろう!それが仁義っちゅうもんじゃ!」
「オ、オッス!ガマオヤビン!!」
そんな響く会話にうっすらと目を開ける。視界には大自然もあの部屋もない。ただゴツゴツしたぶ厚い皮膚のような茶色の地面だけだった。
軽くかろうじて動く右手を握り開いて、途端に走る腕の痛みに安堵すら覚えた。どうやらナルトのあの世界から抜け出せたようだ。
「サスケ?おい、サスケってば!ガマオヤビン、ガマオヤビン!!サスケが……!!」
「んん?こいつがサスケか。熱が出とるな、随分弱っちょる……」
「………!」
「………」
「……」
「…」
意識が急激に落ちていく。痛みすら溶けていくのに、首筋の呪印だけが火で炙られているかのように熱い。
抗えぬ暗闇に引きずり込まれ、サスケの意識は途絶えた。
【 】
その音を。その名を。
俺は、確かに知っていた。
呪印に記憶に夢。開く手と握る手。呼ばれる名前。
ここまで色々散りばめてきた伏線に気づいた方、いらっしゃるかしら?(゜-゜)
以下おまけ
〜蝦蟇親子の食卓 in 妙木山〜
「「ただいま」」
「おかえり二人とも。ガマ竜がお夕飯に遅れたことなんてなかったのに、今日は随分遅かったわねぇ。どこかに行っていたの?」
「お母さん、僕ね!今日はじめて口寄せされたんだよ!」
「あらまあ凄い、怖くはなかった?」
「うん!兄ちゃんと一緒だったから、全然怖くなかったよ!」
「ふふふ、さすがお兄ちゃんねぇ?」
「ベ、別にわしは何も……(照)」
「ほっほう。お前らを呼ぶとは中々見どころのある奴じゃ……名前は何という?」
「黄色い髪の毛で、空みたいな青い眼をしてて……名前はえっーと……」
「───うずまきナルト。火影になるっちゅうとるガキじゃ。親父を呼び出そうって飽きもせず毎日口寄せしとるから、暇つぶしに遊びに行ってるんじゃ」
「黄色い髪に青い目……うずまきナルト、か」
「それとね、お菓子くれたお兄ちゃんもいるんだよ!サスケのお兄ちゃんって言ってね───」
「ほらほら、話を聞く前に水を浴びてらっしゃい。もうお夕飯よ」
妙木山の一角。
笑い合う蝦蟇達の姿があったとか、なかったとか。