『くっそ、降ってきやがったか』
例年より遅い初雪が服に舞い落ちゆっくりと溶けていくのを見て、帰路を急いでいたシスイは舌打ちしつつ足を早めた。
忍であるシスイは、雨や雪どころか血に濡れることすら慣れてはいる。
それは我慢できるというだけで、それでも決して好きなわけじゃない。
むしろ服に張り付き徐々に体温を奪うそれが、シスイは大嫌いだった。
だからその日は手早く任務報告を終え、疲れた体に鞭打ち駆け足で帰宅したのだ。
『お袋、ただいまー!』
『おかえり。寒かったろう、風呂は出来てるから早く入りな』
そんな居間から届いた母の声に甘えて、入った風呂は冷たくなった体にはとても心地よかった。
ガシガシと濡れた髪をタオルで乾かしながら、炬燵へと急ぐ。
だが、いつも通りの流れはそこで終わった。
『ようやく出たかい。さ、この子をちょっと見といておくれ』
そんな言葉と共にひょいと渡されたそれには結構な重みがあり、慌てて落とさないようにと抱え直した。
『頭領の長男が高い熱を出したようでね。奥さんがその子を病院に連れて行くから、下の子をうちが夜まで預かることになったんだよ』
『え、ちょっとお袋、どこ行くんだよ!コイツどうすりゃ……!?』
『だから見といてくれって言ったろ?あたしは夕飯の準備があるんだ』
まあ、怪我させないよう頑張りな。
と、励ましというよりこちらの狼狽を面白がっているだろう言葉を残し、無情にも襖はピシャリと閉ざされた。
途方に暮れつつ腕の中の生き物を改めて見やれば、「あ~」だか「う~」だかよく分からない声を上げた。
『あ、ちょっと駄目だっての。それは危ないぞ!』
『やーー!』
『駄目なものは駄目だ。割れたら血だらけに……って、おい待て!それもマズイ!!』
父親の灰皿(ガラス製)を退避させるや否や、忍具入れからクナイを引っ張り出そうとしているのを見て、シスイは任務中さながらの動きで間一髪赤ん坊を引き離した。
クナイは勿論、起爆札なども入っていたのだ、もし暴発でもすれば幼い赤子の命なんて簡単に消える。
どこにも怪我をしていない事を確認して、シスイは安堵にへなへなと座り込んだ。
『ふ、ぅうああああ!!』
『だから、危ないんだって。ああもう、泣くなよ…』
『うっ、うぇぇ!にぃぃぃ……!』
邪魔されたのが気に食わなかったらしく大泣きする赤ん坊に、シスイの方が泣きたくなってくる。
シスイは赤ん坊の扱いには慣れていない……所か全くの初心者だ。泣き止ませ方など知らない。
子守の下忍任務で、抱き方を教わっていた事くらいが救いだろう。
(初心者になんて大役を任せるんだよ!)
内心悲鳴を上げるが、母親を呼びにいくにしてもその間赤ん坊を一人にする訳にはいかないし、台所なんて一緒に連れて行く訳にもいかず。
なんとか泣き止ませようとテーブルに置いてあった柔らかいケーキを口元に運ぶが、余計に泣き声は大きくなった。
『そういや俺の小さい頃の玩具まだあったっけか……』
隣の部屋の押入れに入っていたような、と赤ん坊を抱きつつ襖を開けた瞬間。
その泣き声がピタリと止んだ。
襖を開けた先、庭を一面の白い雪が覆っていた。粉雪は牡丹雪へ変わり、どこか優雅に舞い続けている。
『積もってるな……明日は雪かきかよ、折角の休みなのに……』
『……ああー!』
『雪が欲しいのか?』
『う!』
宝物を見つけたかの如くキラキラと輝く黒い双眸からは、もう涙は零れていない。
それにほっとして、また泣き出さないようにと屋根の下から手を伸ばした。
ひんやりとした感触が手の平に落ちて、それを赤ん坊に見せると年から考えて初めて雪を見たのか、興味心身で雪を覗き込んだ。
だが、雪は当然すぐに溶けて水へと変わっていく。
再び大きな眼が潤み出していくのを知って、すぐさま地面に積もっていた雪を一掴み取った。
濡れることなんて、もう頭にはなかった。
『ったく。我侭な奴だなぁ』
ぼやきながらも嬉しそうにキャッキャッと笑う赤ん坊にシスイも何だか嬉しくなってきて、もう一掴み雪を取って固めていく。
そして近くに植えられていた南天の枝から葉っぱを二枚と赤い実を二つ採った。
出来たのは赤い眼をした雪ウサギだ。やはりというべきか、それを見た赤ん坊は益々喜び、手をたたく。
―――ふと、そこに一人の少女の姿が重なった。
(ほら、兎さん!かわいいでしょ。次は一緒に雪だるま作ろ!)
(嫌だって。寒いし早く帰ろうぜ)
(え〜、もったいないじゃない!すぐ溶けちゃうのよ?)
(溶けなかったら困るだろ。今すぐ溶けて欲しいくらいだ)
(こんなに綺麗なのに。お兄ちゃんのバカ!)
瞬きをすると、少女の姿は淡雪のように消えていった。
『うー?』
『……ああ、ごめんごめん。また作ってやるよ』
何時の間に握り締めていたのか雪ウサギの形は崩れていた。
聡い子なんだろう、こちらの様子を泣くでもなく見つめてくる。
赤ん坊に気遣われてどうすると笑顔を見せるが、その黒い眼はどこまでも澄んでいて、心まで見通されるような気分がした。
―――俺は何故、あの時一緒に作ってやらなかったんだろうな。
そんな後悔なんてもう遅いのに。
歳の近い妹だった。けれど、もうどこにもいない。
俺がアカデミーに入学した年に起きた第三次忍界大戦に巻き込まれて死んだからだ。
アカデミー生ですらなかった。
『なあ、雪だるま……作らないか?』
自分でも、赤ん坊相手に何を馬鹿なことを言っているんだか、と呆れてしまう。
それが自己満足でしかないと分かってはいても。それでも何だか妹が喜ぶ気がした。
『んー!』
その言葉に反応した訳ではないのだろうが、赤ん坊は崩れた雪ウサギに手を伸ばすと、小さな両手いっぱいに雪を掴みそれを俺に差し出してニパッと笑った。
握られていたのは、歪だが、小さな丸い雪玉だ。だから俺は、今度はそれよりも少し大きな雪玉を作った。
『ほら、雪だるまだ。……かわいいな』
『ま!』
そうして出来たのは、俺と同じような、赤い眼をした雪だるまだった。
『おやおや。すっかり仲良くなったようだね』
『まあな』
『なー!』
炬燵で息子の足の間に座り元気よく返事をする赤ん坊に、良かったね、と母は懐かしそうに微笑んだ。
夕食が出来たのだろう、台所からはいいにおいがした。
『そういや、コイツの名前は何ていうんだ?』
『言ってなかったかい? サスケちゃん、だよ』
『へえ、サスケちゃんか。俺はさ、シスイっていうんだ』
『いー?』
『違う違う、シスイだ。シ・ス・イ』
『しぃー!』
『ちょっと違うけど……ま、いっか。よろしくな、サスケちゃん』
『そう、シスイお兄ちゃんさ。お兄ちゃんって言ってごらんよ』
『お袋、止めろよ。コイツには本当の兄貴が……』
母も妹と赤ん坊を重ねていたのだろう、そんなことを言い出した。
本当はそう呼ばれてみたかったが、それでは兄という立場を取ってしまうようで流石に本当の兄に悪い気がしたから止めた。
でも。
『しーにぃ!』
少しだけ。少しだけなら、許されるだろうか。
舌っ足らずなその声と無邪気なその笑顔を、今でもたまに思い出す。
それは雪の日の出会い。
ほんの少しだけ、雪が好きになった日。
◆
コツコツと硝子窓を叩く音がする。続いてキー、と弱弱しい泣き声が。
「ん……っ、悪りィ!!眠っちまってた!」
うるさいな、と窓に目を向けたシスイは慌てて鍵を開けた。
窓の外では雪が降っている。初雪だ。それらを背景に体を縮こませた暗部の伝達用鳥が、いそいそと部屋に入ってくる。
いくら鳥が寒さに強いとはいえ、この寒さの中待たせるとは可哀相なことをした。
労りを込めてその背に積もった雪を払い落とすと、嬉しそうに鳴きながら片足が差し出される。
結わえられていた文を受け取れば、鳥は北風に揺らぎながらも寒空へ飛び立っていった。
「至急火影邸へ来られたし、緊急任務あり……マジか」
この悪天候の中を……とげんなりするシスイを嗤うように、積もった雪が落ちていく重い音が響いた。
雪はまだ、今も降り続いている。
あの日のような穏やかさはそこになく、風と共にただ吹き荒れていた。