古ぼけた壺皿に一対の賽子が振り込まれ、ぶつかり合ってはカラカラと音を立てる。張った張ったと胴元が声を上げるも、誰一人として口を出すものはいない。
その肝心の壺皿には誰もが視線一つ向けやせず、衆目はただ一点に集まっていた。静まり返る周囲の注目を一手に集めていたその人物は、不意に瞑っていた瞼をカッと見開いた。
「───丁!!」
「「「「半!」」」」
その言葉を待っていたとばかりに声を揃える賭客達。そして壺皿がゆっくりと上げられ、並ぶ出目は“二”と“五”───案の定というべきか、半である。
「いやあ、悪いねえ~!!」
「姐さんご馳走さまッス〜!」
「クッ……!もう一回だもう一回!!」
「綱手様ぁぁぁ……!もうすっからかんですよ、もうやめましょうよ、もう早く逃げましょうよ!!!」
「ごちゃごちゃ煩いぞシズネ!!ここまで来て引き下がれると思ってるのかい!?」
「今夜の宿代どうするんですかぁぁぁぁ!?」
「勝てばいいんだろう勝てば!ほら、次だ次!!」
「その意気だよ姐さん!!」
「いやー、まいどあり〜〜!」
「あひぃぃぃぃ……!!」
伝説のカモを前に、もはや本音を隠そうともしない賭客達だ。
そんな奴らに気づいているのかいないのか。ジェラルミンケースから最後の札束を取り出そうとしているのは、この数日間探し続けていたかの三忍の一人、綱手姫だった。その傍らでは涙ながらに必死で止める側近のシズネと子豚の姿もある。
相変わらずだのォ、とため息をつく自来也に見物客の一人、博徒らしき男が物珍しそうに首を傾げた。
「おや、アンタ見ない顔だな。まあいいさ、アンタも賭けてみるかい?」
「いや遠慮しておくのォ、結果の分かりきった賭け程つまらねぇもんはない」
「ハハハ!言ってくれるねぇ!!坊主はどうだい?賽の目を足して偶数になれば“丁”、奇数になれば“半”だ」
「うっさいな、オレってば修行してんだってばよ!邪魔すんな!」
ゴムボールを手にしたナルトは、そう言ってすぐに修行に戻る。二人続いてすげなく振られ、肩を竦めた男の目が次いでサスケに向けられた。
ちらりと横目で賭場を見れば、既に壺皿は伏せられ綱手が唸り声を上げていた。
「───丁!!」
「「「「半!」」」」
先程と同じ流れが辿られる。
綱手は死ぬほど賭け事に弱い。その中の目は決まり切っている。そうわかっていた。
「丁」
サスケの声が静まり返った部屋に響く。綱手と同じ方に賭ける者がいるとは誰も思わなかったのか、皆、驚愕の眼差しでサスケを見つめていた。
その内の一つ。ギョッとする自来也にかサスケ達の木ノ葉の額当てにか、揺れた薄茶色の瞳をサスケはまっすぐに見つめ返した。
(俺は、アンタに賭ける)
◆ ◆ ◆
「惜しかったの〜。あれで賭け金を決めておけばのォ……」
心底残念そうに呟きながら自来也が酒を煽った。
一悶着を経て賭場を出たときには既に真夜中に近く、綱手ら含めた一行は居酒屋にいた。歩き通しの空きっ腹に焼き鳥をペロリと平らげたサスケは、茶を啜りながら先程の大番狂わせを思い返す。
賽の目は“半”だった。
しかし、壺皿を上げる寸前でちょうどナルトのゴムボールが破裂し、その風圧により出目は変わり───結果は“丁”。綱手とサスケの勝利となった。
しかし、サスケは賭けに勝ったものの、掛け金を出していなかった為に無効とされたのだ。
よって、綱手の一人勝ち。それもすぐさま、泡の如く消えていたが。
「も〜〜!綱手様、あそこでやめておけばよかったのに!!ガッポリだったのに〜〜!!また借金取りから逃げないと……!!!」
「ったく、終わった事をグダグダ言うんじゃないよ」
「何も終わってません!!前の借金だって返しきれなくて夜逃げしてるんですよ!!今回の賭け金だって借りたお金じゃないですか、今夜の宿代だってないのにぃぃぃ!!」
「……シズネ、お前飲み過ぎだぞ」
酒瓶をバンと机に叩きつけるシズネの涙目は完全に据わり切っている。借金返済の希望がたった数分で消え、一度夢を見た分その心境は絶望的なのだろう。
そんなシズネを憐れむように、自来也がその肩にぽんと手を置く。
「まあまあ、ここはワシの奢りだ。親父、もう一本!」
「自来也様ぁ……!」
「さあ呑め呑め!」
店主の持ってきた徳利からとぽとぽと注がれる、度数の高い酒にシズネはやがて沈んでいった。
潰れたシズネに笑いながら尚、自来也は綱手の猪口に酒を注ぐ。随分と景気の良い自来也に、綱手が不審げに目を細めた。
「それで……まさか、偶然って訳じゃないだろう。アタシを探していたのかい?」
「それがのォ……」
船を漕ぎだしたナルトに肩を貸してやっていたサスケは、向けられた自来也の目配せにこくりと頷いて湯呑みを置いた。
「アンタを探していたのは俺だ」
「……このガキは?」
「サスケだ。隣の黄色いのはうずまきナルト。ワシの新しい弟子共だ」
綱手がハッとしたように眠るナルトを見つめる。どうやら九尾の人柱力として名前は知っていたのだろう。
自来也に弟子として認識されていたことをほんの少し嬉しく思いながらも、次いで向けられる視線に口元を引き締めた。
「ん……?お前の顔……どこかで……」
「?」
サスケの顔をまじまじと眺めながら綱手が訝しげに首をひねるも、当然ながらこの時代に綱手との面識はない。
もしかするとうちはに知り合いでもいるのかもしれないな、と思いつつも黙っていれば、思い出すことを諦めゆるく首を振った綱手は、酒を継ぎ足しながら続けた。
「まあいい……弟子の趣味は変わってないようだね。それで、そんな自来也の弟子がアタシに何の用だい」
「率直に言う。アンタの力を借りたい」
「アタシが誰だか分かって言ってるのかい?」
「三忍の一人、蛞蝓姫こと千手綱手。医療忍者においてアンタの右に出る者はない」
「ふうん……その腕を治してほしいって所か」
綱手がちらりと左手を見る。包帯で隠されているとはいえど、医療スペシャリストの彼女には傷の具合もお見通しとばかりだ。
だが、そんなことはどうでもいい。首を横に振ったサスケは、脳裏に青白い顔を、泣き縋るくノ一を思い浮かべた。
「治してもらいたい奴がいる。一週間前、賊に襲われて意識不明の重体となった。救えるのはアンタだけだ……頼む」
ナルトを起こさぬようにしながらも、サスケはその頭を下げた。
綱手を説得し、里に連れ帰る。その手段なんて最初から持っていない。だが、ハヤテを救い、里を守る為には彼女の協力が不可欠だった。
「友人、恋人、家族、部下……そうやってお前のように頼みに来る奴が、今までいなかったと思うかい?」
静かな声音に思わず顔を上げる。彼女はまるで過去を見つめるような遠い眼差しで、酒に写った自身の姿に目を落としていた。
サスケが言葉を発するより早く、彼女はフッと口元を緩めると猪口を傾ける。一気に中身を飲み干すと同時に、指先に込められた力にパキリと器が砕けた。
「なッ!?」
「……これをご覧」
破片が掌に食い込み、握った拳から赤い血がたらりと流れた。慌てるサスケを制し、綱手は自嘲気味に笑みを浮かべた。
その指先がガクガクと震え始めたかと思えば、次第に震えは綱手の全身へと広がっていく。青褪めた顔で歯を食い縛る姿は明らかに尋常ではない。
「やはり、血液恐怖症はまだ治っていないか……」
静観していた自来也がため息混じりにポツリと呟く。
里を出る前、自来也の言っていた綱手の『トラウマ』───それがまさか、血液恐怖症とは。
医療忍者として、忍として致命的な欠陥だ。それも自来也の口ぶりからして、それなりに長いことが伺い知れた。
(……あの五代目火影が?)
サスケの記憶にある女傑は、第四次忍界大戦の折も最前線で血を纏いながら戦っていた火影だ。まさかそんな過去があったとは予想だにしなかった。
“前”は克服できていたのだろう。だが、今は?
自来也達による綱手の捜索は本来、木ノ葉崩しの後だ。時期として早すぎたのか。克服のきっかけが、サスケが過去に戻った影響により消えてしまった可能性もあった。
「……分かっただろ。血一滴で動けない、医療忍術どころかチャクラを練ることもままならないんだ。アタシは力になれないよ」
苦々しげに唇を噛んだ綱手は、かすれ声を絞り出すように言った。
その言い分は尤もで、確かに医療忍術は繊細なチャクラコントロールを必要とし、一つでも間違えれば却って身体を害することになる。
ましてやハヤテは出血多量で輸血までしていて、その命は風前の灯だ。リーの手術なんて言うまでもない。
今の綱手に治療を頼んだとして、万が一失敗したら?里の為とはいえ、命を賭ける、その責任を取れるのか?
自然に目覚める可能性を無視し、リスクを冒してまで綱手に治療を急がせる必要性はあるか?
様々な考えが頭を過り、奥歯を噛みしめた時だ。
そのサスケの肩に、そっと大きな手が添えられた。
「言った筈だ……一人で背負うな。お前さんの味方は存外多いぞ。このワシも含めて、な」
サスケが驚いてパッと自来也を見上げれば、自来也は懐を弄り一つの書簡を取り出す。
赤地に封の印が押されたそれは、過去、旅の最中にも受け取ったことのある火影の密書だった。
「言い忘れておったのォ……この自来也、三代目火影より勅命を受けて参った。綱手───お前の即時帰還命令だ」
自来也の強い眼光が、信じられないとばかりに硬直する綱手を貫く。
サスケは広げられたその書状を、ただ呆然と見つめていた。
【三代目火影、猿飛ヒルゼンがここに命ずる。三忍が一人 千手綱手、直ちに自来也と共に里に帰還し、重要参考人の回復にあたれ。治療に付随する全ての責任は、里が負うものとする】