執務室から出ていったナルトとサスケを見送ってすぐ、綱手を連れた三代目らはうちは地区へと向かった。言わずもがな、その目的は月光ハヤテの治療である。
監視役ばかりでなく、その傍らに常に寄り添う夕顔をも下がらせる。
精神系の治癒は繊細なチャクラコントロールが必要とされるもの。特に綱手は幻術で無理にトラウマを克服させている以上、恋人同士である二人の姿が悪影響を及ぼす可能性があったためだ。
待機していたフガクとイタチも合流し、皆が固唾をのんで見つめる中で治療は行われた。
綱手がチャクラを送りはじめて幾許か、ハヤテの瞼が震えた。
「目覚めたか、ハヤテ」
「火影、様……?ここは………っ!!至急、ご報告、が……!」
「動くでない、そのままで良いぞ。だが、冥途の淵から戻ったばかりのそなたには悪いが、事は一刻を争う───話せるな?」
「はッ!」
咳き込むハヤテにシズネが枕元の吸い飲みから水を含ませる。それをコクリと一口嚥下したハヤテは、掠れた声で訥々と襲撃の夜のことを語った。
襲撃犯はイタチの推測通り砂隠れの上忍。その上忍と密会していたという暗部装束の男。その会話の最中で聞き取った、木ノ葉崩しとダンゾウの関与。一尾の人柱力である砂隠れの下忍受験者。
その内容一つ一つが重い石のようにヒルゼンの胸に押し込まれていった。
(やはり……ダンゾウが関与しておったか)
砂隠れの上忍の捕縛と対処、暗部装束の男の特定等、考えねばならない事は多岐に渡るというのに真っ先に心に浮かんだその悲哀に苦く笑う。
ダンゾウの関与の可能性はイタチから進言されていた。ハヤテの襲撃との関連性は不明でも、サスケの呪印について知る者はごく僅か、解呪が可能な者は唯一人。大蛇丸に情報を漏らしたことには間違いなく、監視下にあるダンゾウと大蛇丸を繋げる暗部の存在が露呈していた。
とはいえ、サスケの情報が漏れたことは内密にせねばならないし、元相談役であるダンゾウも、里のエリートである暗部も証拠がなければ手が出せなかった。
その膠着状態もこのハヤテの証言によって覆されるだろう。
話を聞くやいなや、部下に指示を出すイタチらに頷き許可を出すも、彼らのように敵の尻尾を捉えたとは到底喜べぬ、苦い心の内を吐き出す息にのせるばかりだ。
忍も所詮は人、数十年を共に過ごせば情は湧く。
こうして証言を前にしながらも、あり得ない、何か誤解があるのでは、そうダンゾウを信じたいという思いが心の底にこびりついていた。
(……相対せねばならん時が、来てしまったようじゃのぅ)
いずれはと思いながらも先延ばしにしたツケが来たかのような重石に目を伏せつつ、ヒルゼンはハヤテの肩を労るように叩いた。
「報告ご苦労、あとは儂らに任せゆっくり休め」
「火影様……実は……気になる点が」
歯切れ悪くそう言ったハヤテはちらりとイタチらを見やる。どうやら人払いを求めているようだった。
片手を上げ彼らを部屋から出し、浮かない表情で俯くハヤテにそっと耳を寄せた。
「して……気になる点とは何じゃ?」
「私は───あの夜、自分の心臓が止まる音を聞きました」
「何?」
「止めを刺された瞬間も覚えています。無念を胸に抱えながら……間違いなく、死んだ筈なのです」
なぜ、私は生きているのでしょう。
ポツリと落とされたその言葉は、疑問というよりも頑是ない子供の問いのようだ。
茫洋とした眼差しで自分の掌を見つめるハヤテ。その実力をよく知るからこそ、それが勘違いだと笑えなかった。
(死者が生き返る?……まさかのぅ)
とある禁術が咄嗟に思い浮かぶも、目の前にいるハヤテは決して死者には見えない。
これほど完全な状態で蘇らせる術など聞いたことがないが、未知の術が無いとも言い切ることはできなかった。
もし蘇生されたのだとすれば、誰が、何のためにハヤテを蘇らせた?それも、完全な復活とは言い難い、半死半生の状態のままで?
かける言葉が見つからずに思案していれば、ふとハヤテが顔をあげる。
「それから……死ぬ間際に見た紅い瞳───あれは、写輪眼でした」
どくんと心臓が音をたてた。
「それは、お主を助けたのが警務部隊で……」
『急変?フン、どうだか……警務部隊の巡回ルートを外れた所で、偶然にも虫の息のハヤテを見つけたと本気で思うのか?』
『ハヤテ以上の手練れが、敵の只中でそんな凡ミスをするはずがあるまい。風隠れの商人の失踪といい……うちはを信じるな、ヒルゼン』
『いずれ、後悔することになるぞ』
相談役の声がふと反響して続けようとした言葉が途切れる。
胸に芽吹いてしまった疑惑を、否定する者も肯定する者もいない。
判じるのは、火影という荷を背負った、己の心唯一つだけだった。
◆ ◆ ◆
「三代目、あの男は危険です。どうか護衛を……」
「最後のけじめだからのぅ。二人で話をさせてくれぬか」
「ですが!」
「イタチよ、“猿飛ヒルゼン”としての頼みじゃ」
「……わかりました。せめて、白眼は宜しいでしょうか」
「ほう、そ奴が近年“芽”に入ったという日向の者か……良かろう。何かあった場合はすぐに踏み込め」
「「はっ!」」
膝をつくイタチと“芽”の部下にコクリと頷き、ヒルゼンは笠を目深に被りなおした。
幾重にも封じの術をかけた鋼の扉が、門番二人の手で重い音をたてながら開かれる。扉の先、底が見えぬ程に長く続く階段を、剥き出しの岩肌に片手を付きながら仄かな明かりを頼りに一段一段降りていった。
途中の階層から漏れ聞こえる呻き叫び。それらにも顔色を変えることなく歩き続け、ようやくその最下層へと辿り着く。
夏場であることなど露ほども感じさせぬ冷気に肌がブルリと粟立つのを感じながら、ヒルゼンは牢の中に座る友をしかと見据えた。
「こりゃ老骨には堪えるのぅ。三十年前、霜隠れで遭難した時のようじゃ───そうは思わんか、ダンゾウ」
「フン……あれは四十年前、第二次忍界大戦の始まる少し前だろう」
「おお、そうだったそうだった。まあ、こうして振り返ってみれば、十年程度大した違いはあるまいよ」
「この十年余りの変化を目にしていながら呑気なことだ。だからお前は甘い」
岩肌からピシャリと滴る雫を凌ぐ振りをして、笠の下でその懐かしいやり取りに頬を緩める。
ヒルゼンの言葉に視線を上げた男は、元相談役、同じ師に仕えた兄弟弟子でもある志村ダンゾウだ。
松明のぼんやりした赤光に照らされ三年ぶりに見るその姿は痩せこけ、皺や白髪が増えたのか随分と老けたように感じる。
けれど、闇の中で爛々とした瞳だけは嘗てと同じ、否、それ以上に強く暗い光をたたえていた。
「それで……何をしにきたヒルゼン。まさか、くだらん昔話をする為に来た訳では無かろう」
「……そうじゃの」
ここは木ノ葉の重罪人を収容する獄屋の一つ。
ハヤテの証言により反逆罪容疑で囚われたダンゾウは、イビキの拷問にさえ口を割ることなく沈黙していると聞く。その証言も会話の中でダンゾウの名が出たに過ぎず、件の暗部を捕らえて口を割らせねば証拠とは言い難い。
こうして顔を合わせてしまえば迷いが生まれると分かっていて尚、イタチらの反対意見を退けてまでここに赴いたのは、はたして尋問か、けじめか、決別か、心の弱さ故か。或いは嘗ての友情を信じたかったのか。
実際に相対してしまえば、儂自身にすら己の心が分からなかった。
「今さら何を聞く事がある?もう全て調べがついているだろうに」
「報告は受けておる。だが……お主から直接聞きたい。ダンゾウ、お主は考え方は異なれど、里の為に尽くしておったことを儂は知っておる。それが何故、このような裏切りをした?何故、木ノ葉を害そうなどと変わって……」
「───裏切る?それを、貴様が言うのか」
途端にダンゾウの纏う気配が一変する。嘲笑のような、自嘲のような、乾いた笑い声が牢奥から低く響く。
座していた影がゆっくりと立ち上がり、ジャラリとチャクラ封じの施された枷が重い音をたてた。
「お前は何も分かっておらん。個も集団も、里も国も……互いに相手を追い落とす。同盟にせよ戦争にせよ、所詮は戦略の一つにすぎん。昨年の旱魃から砂隠れは多額の負債を抱え、里の困窮からこのまま消えるか生き延びるかの勝負に打って出た。ワシが口を出そうが出すまいが、何れは同じことが起きていただろう」
鎖を鳴らしながら一歩一歩近づいてくるその様は、まるで幽鬼のように覚束ない足取りだというのに、その言葉は酷く力強い。
光の加減だろうか、クツクツと歪んだ笑みを浮かべる口元の皺が濃く映る。
「少しばかり助力を匂わせれば、奴らはすぐに食らいついた。ワシは奴らに情報を流し、奴らは木ノ葉崩しを企てる……ワシはそれを機に復権し砂隠れとの停戦協定を結び、和睦に際して奴らに便宜を図る。そう───奴らは簡単に騙された」
その言葉にハッと目を見張る。やはりと、胸の奥で何かが歓喜に囁く。
いつの間にかダンゾウは柵を隔てた向かいに辿り着き、松明の灯りが揺らめきながらダンゾウの顔を煌々と照らしている。
間近で見つめる怒りに燃えた瞳には、顔を複雑に歪める儂の姿が映っていた。
「これを機に風影を、一尾を押さえれば……もはや砂隠れは何もできぬ。企てなど考えることもできない程に木ノ葉に従属させれば、二度とこのようなことは起こるまい」
「ダンゾウ、お主……」
「お前はいつもの如く、見て見ぬふりをしておればよかったものを。変わったのは、裏切ったのは───貴様だ、猿飛ヒルゼン!!」
ガシャンッと柵を軋ませる衝撃に、思わず一歩後退る。
憎悪と怒りに燃える瞳に、囚われたように目が離せなかった。
『里の為にやったことだ。命一つで里同士、国同士の争いを防げるとあれば安かろう?』
『里の為ならば、何をしてもよい訳ではない!!!里は民を守るためにこそある!!民がいてこその里……お主がやっていることは、ただの裏切りにすぎぬ……!!』
三年前に交わした、似ているかのようで決して相容れぬその心情を思い返す。
イルカが儂を褒めそやし、アカデミー生らに教えているその場から逃げ出すように去った理由。それは、あの日からずっと、この心に巣食う罪悪感の故だった。
本当は分かっていた。
ダンゾウの行動に目を瞑っていたのではない。名声を、徳を、光ばかりを手にし、そんな自分の手を汚すことを厭うた。
後ろ暗い闇を押し付け、己のすべきことを彼に背負わせた。本当は己に責があると分かっていながら、その重荷を負う覚悟がなかった。
あの日、儂にはダンゾウを責める資格はなかったのだ。
「すまぬ」
「……」
「四代目が死に、九尾襲来により壊滅状態に陥ったこの里を……守ってきたのは、お前だった。あの日、責められるべきはお主ではなく、お主に全てを託したこの儂だ」
「……」
「すまなかった、ダンゾウ」
頭を下げた儂をダンゾウは何も言わずジッと見下ろしていたが、やがて『過ぎたことだ』と逸らされる視線を感じて身体を起こした。
腕を組みつつ片手で顎を撫でるダンゾウのその仕草は戸惑った時の奴の癖だ。過去の思い出が頭に過ぎ去って歯を噛みしめる。
そう、ダンゾウは過去と何一つ変わらない。変わったのは、その闇を背負うと決めた己自身だ。
「しかし───ダンゾウよ。此度の計画は、本当に、木ノ葉の為だったのか?」
「……何が言いたい」
過去も今も揺るぎないその暗い眼差しを正面から見つめ返し、拳を固く握りしめたヒルゼンは後ずさった以上にその距離を詰める。
「南加ノ区の祭りに参加しハヤテ襲撃の晩に消息を断ったという風遁使いの元忍が、妻子ともに遺体で発見された」
「……」
「その襲撃犯は忍を辞め市井に降りていた、元“根”の者。そ奴は自白したぞ、お主の指示であったとな」
「馬鹿な……!?」
動揺を隠しきれない様子で目を見開くダンゾウ。その目に浮かぶ驚愕の色を冷徹に見据える。
暴けばもう後戻りはできない、そう知りながら続けた。
「呪印で口を封じている筈か?確かに呪印は術者が死ぬか術者が解くか、その二択……じゃが、お主は半月前にサスケの呪印を一部解呪させただろう。その時に誰がおったか、忘れたか」
「イタチ……まさか……」
「そう、写輪眼のコピー能力じゃ。他の商人らも、お主が使っていた元“根”の忍も……呪印は全て解呪した。みな、自ら告白してくれおった」
「───呪われた一族がッ!!ヒルゼン、分からんのか!うちはをのさばらせれば、必ず里は滅びる!根絶やしにすることが木ノ葉の為なのだ!!」
声を荒らげるダンゾウをジッと見つめる。
その瞳に宿るそれは、紛れもない憎悪だった。
呪印を刻まれた商人らは脅されていた。うちは一族が砂隠れとの密通に助力したと証言するようにと。
木ノ葉崩しのことまでは知らされていなかったようだが、未遂とは言え木ノ葉崩しの計画が明るみに出た後、その情報が出れば彼らに疑惑が向くことは避けられない。砂隠れも裏切られたとは言え、うちはに与するより一尾を手中に収め復権したダンゾウへと口裏を合わせることだろう。或いは既に手を回している可能性もあった。
指し示す答えは一つ。
ダンゾウはうちはに、木ノ葉崩しの共謀という濡れ衣を着せるつもりだったのだ。
「『木ノ葉の為』?違うじゃろう。お主が成そうとしたのは復讐──『己の為』だ」
「……ッ!」
「うちは一族もまた、儂の守るべき木ノ葉の民。里には毎年、多くの忍が生まれ育ち、生き、戦い、里を守るため……そして大切な者を守るため死んでいく。そんな里の者達は、たとえ血の繋がりがなくとも……儂にとって大切な家族!」
イタチ、シスイ、フガク。ハヤテの証言を聞いた彼らが真っ先に部下に指示したのはダンゾウの捕縛などではなく、砂隠れの忍の捕縛及び周辺の里民の避難指示だった。
他里の迎賓館は木ノ葉の中央部、人通りの最も多い通りにほど近い。砂隠れの忍と交戦になった場合、その被害は里民に及ぶ。
うちはにどんな疑惑があろうと、民を思う心は同じ。それを儂が信じずにどうする。
『木ノ葉の同胞はオレの体の一部一部だ。里の者はオレを信じ、オレは皆を信じる……それが火影だ!』
『サルよ。里を慕い、貴様を信じる者達を守れ。そして育てるのだ、次の時代を託す事のできる者を……明日からは、貴様が火影だ!』
初代様の声が、二代目様の声が、不甲斐ない儂の背を押す。
お二人の言葉が心に灯っている。光も闇も全てを含み、燃えたたせる火の意志が。
「儂は初代様、二代目様の木ノ葉の意志を受け継いだ男───三代目火影じゃ!!儂は儂のやり方で木ノ葉を、民を守る!根が腐れば木ノ葉は枯れよう……たとえ木ノ葉の為であろうとも、お主のやり方を
ダンゾウの目の奥で、ぴしりと何かが砕ける。
『木ノ葉の闇』は、ダンゾウの心をも歪めたのだろう。それはもうお主の役目ではないのだと、そう伝わることを願った。
「沙汰を待ち、内省せよ。お主は私情で里を危険に晒せたのだ、然るべき処罰が下ろう」
「……」
「お主の意図も隠さず伝える……命までは取られまい」
俯くダンゾウに背を向けたヒルゼンは、笠を目深に被り直し、壁にかけていた松明を取った。
牢を後にするその背に、掠れた声が届く。
「その甘さ……変わらんなヒルゼン。もしあの時、お前が面会に応じておれば……違う未来があったのかもしれん」
扉を潜る刹那───ガチャンと鎖の落ちる音がした。
「フン……何れにせよ、もう手遅れさ」
「───ッ!?」
柵を隔てることなく、すぐ後ろで聞こえた見知らぬ声。
振り返った牢の中には、虚しく残った枷だけが落ちていた。松明の灯火は己の影だけを地面に照らし出す。
「火影様!!」
「三代目、そこから離れてください!」
異変を感じ現れたイタチらが儂を背に守る。
だが、そこには敵の姿はない。友の姿もまた、忽然と消え失せていた。
もう二度と重なることのない未来を悟り、笠先を握る指に力が籠もった。
「ダンゾウが脱獄した。S級犯罪忍として疾く、追い忍を向かわせるのじゃ。抵抗するようであれば───殺せ」
『惨めな姿だな、ダンゾウ』
『何、里を守らんとした英雄の末路を嘆いているだけだ』
『五年前、お前が俺と交わした木ノ葉との不戦協定……お前が処刑されれば当然無効となる、そうだろう?』
『だが───俺に一つ、提案がある』
『どうする?俺はこのまま木ノ葉を滅ぼすこともできる。だが、お前が手を取るならば、木ノ葉を救うことができるかもしれん。ただし……失敗すれば、お前はただの大罪人。生涯追われ続けることとなる』
『死ぬまでこの檻の中にいるか。それとも、俺の手を取るかだ』
ダンゾウは男の手を取った。
ヒルゼンがその場を訪れる、僅か数分前のことだった。