(どうしてこうなっちまうのかなぁ……)
初雪は既に溶け、ぬかるんだ大地を踏みしめながら、シスイの心はやる瀬のない思いに沈んでいた。
通常、正月休みを取れるのは下忍・中忍まで。例外として担当上忍が存在するが、それ以外の上忍や暗部は常と変わらぬ任務三昧である。
勿論シスイもその中に含まれていたのだが、たまには休めとの休暇を与えたのは他ならぬ三代目だ。
そんな休暇中にも拘らず、大雪の中呼び出された時には嫌な予感しかしなかった。
その予感は違うことなく、下された任務がシスイの心を掻き乱す。
任務は三つ。
一つ目は昨夜完了した。二つ目はこれから、三つ目はそれが失敗した時の保険だ。
任務。言ってしまえばそれだけなのに、苦い気持ちが抑えられない。
暗部として後ろ暗いことなんて数え切れない程にこなしている。それに比べれば生易しいものではあるが、それでもターゲットが身内というだけで。知っている奴だというだけでこんなにも苦しい。
(こんな事になるんなら、出会わなけりゃ良かった)
親友によく似た笑顔を思い出して、更に心は重くなった。
任務で不在の親友が戻ってきた時にはきっと全てが終わっている。それを狙っていたのかと思ってしまうようなタイミングだ。
のろのろとした足取りで、シスイは南加ノ神社へ続く石段をのぼった。
それは少しでも先延ばしにしたいという気持ちの表れだったのだろう。
結局最後は、やらねばならないとしても。
神社の本堂が見えてくる。
赤い口のように待ち構えていた鳥居をくぐると、余り日が当たらなかったのか、そこにはまだ雪が残っていた。
元々は白かっただろうそれは、いくつもの足跡によって茶色く汚れている。
そこに新たな足跡を刻み込みながらシスイはふと空を仰いだ。
(降りそうだなぁ……やっぱ、カサ持ってくりゃよかった)
仰いだ空は鈍色でどこか明るい。
帰る頃にはきっとまた、冷たい雪が降っている。
南賀ノ神社本堂、右奥から七枚目の畳の下。そこにうちは一族秘密の集会所はある。
入り口の傍に座っていた年配の男は、シスイをチラリと見上げると手元の名簿欄に印を入れた。
今夜は彼が出欠確認の当番らしい。
ご苦労様です、と一声かけて暗い階段を降り、一番後ろの席へ腰掛けた。
蝋燭の明かりが部屋を淡く照らし出し、息が詰まりそうな湿気を帯びた生暖かい空気が身に纏わりついてくる。
どうやらシスイが最後だったらしく、先ほどの男も入り口を閉ざして隣へ座った。
静まり返った部屋の中、自然と視線は正面に座るうちはの当主、フガクへ集まる。
何かを思い詰めたように床を睨んでいたフガクは、全員揃ったことを確認してぐるりと部屋を見渡した。
フガクは若かりし頃、天才と名をはせ大戦でも大きな功績を残した優秀な忍者だ。
その力量は当主の名に恥じぬものであり、溢れ出る常にはないピリピリした緊張感とプレッシャーに皆姿勢を正す。
それはシスイとて同じ事で、むしろその怒りの原因を知っているからこそ、周囲の者よりダイレクトに伝わってくる。ツ、と背を冷や汗が流れたが顔には出さずに、集会の始まりをただ待った。
「揃ったようだな…では、集会を始める」
口調は穏やかだ。だがそれが恐ろしい。
腸は煮えくり返っているだろうことは雰囲気から明白で、隣の男がゴクリ、と唾をのむ音が聞こえた。
「今日緊急集会を開いたのは里がよこした書簡について話し合うためだ。………俺は今回、口を出さない。皆の意思で決めてほしい」
頭たるフガクが口を出さない。
そこから重大な問題が起きた訳ではないのか、とほっとする者。それでもその怒りから何かある、と逆に体を強張らせる者に部屋の空気は分かれた。
―――残念ながら、正解は後者であるが。
懐から取り出したのは、昨日シスイが手渡した巻物だ。それを固く握り締めてフガクは続ける。
「里は前回提出した、うちはの要望書の八割を呑む用意がある…そう言ってきた」
空気がさざめく。
嘘だ、あり得ない、罠だ。そんな疑念の声が呟かれるのも当然のことだろう。
今まで一切そんな素振りはなく、特にダンゾウが許すわけがないのだから。
「三代目を始めとして、相談役のコハル、ホムラ…そしてダンゾウの署名入りだ。間違いなく本物だろう」
だが実際、ダンゾウはそれを呑んだ。……一つの代償を払う代わりに。
後に続く言葉を知って、シスイは固く目蓋を閉ざした。
「その代わりに……うちは本家の次男を、人質に差し出せとの事だ……!!」
苦しげに吐き出された言葉に、上がり始めていた歓声は、プツリと途切れた。
うちはは生来、愛情深い一族である。時には、その愛によって狂ってしまうほどに。
そんな性質を持つうちは一族だ。
特に今は差別により一族間の結束が強まっている中『人質』は大変有効的な策だった。
そして人質の対象となるのは女や老人、子供。
つまりは抵抗や脱走ができない力の弱い者だが、うちは一族は忍の家系であり、女や老人は上忍以上の実力を持つ。
―――ならば、子供を。
そう考えた時、条件に余りにも当てはまる存在があった。
アカデミーにも入っていない、ただの無力な子供で。
皆から愛されている、大戦後うちはにようやく生まれた子供で。
本家の血を引き、尚且つ長男ではない子供。
人質としての価値を十二分に備えた子供が、たった一人いたのだ。
更には暗部の身辺調査でイタチとの仲の良さも知られているだろう。
弟だけは、と言ったその横顔は忘れられない。
その眼を見たからこそ、俺は断言できる。
イタチは弟を殺せない。
そうすればイタチは、決して里を裏切れない。
反うちは勢の筆頭であるダンゾウが推しているものの、未だにイタチを暗部に入れることに上層部の中では懸念の声がある。
シスイの時もそうだったがこの『眼』を支配下に置くことが目的だったため、そして本家の血筋ではなかったために、イタチほどではなかった。
それらの声をも押さえることが出来、結果優秀な手駒を里は手に入れる。
ダンゾウのことだ。何かあれば弟を使ってイタチを脅し、一族を皆殺しにさせる事も考えているのではないだろうか。
―――イタチにはそれを可能にする力がある。
それをシスイはよく知っていた。
少し間をおいてフガクは淡々と巻物を読み上げていった。
内容は先ほどの言葉通りのもので、若干オブラートに包んでいても話の本質は変わりはしない。
「うちはの長としては受けるべき、なのだろうな……」
苦々しい声で、フガクはポツリと呟いた。
静まり返った部屋にミコトの啜り泣きが響く。
「そんな事…そんな事、出来ません頭領!!」
「あの子はまだ六つでしょう。人質なんて……」
「『悪い待遇にはしない』?信じられるものか!」
「くそっ!里の奴ら、何て卑怯な……」
ミコトの涙を呼び水に、次々と怒号が飛び交った。このままクーデターに繋がりそうな勢いだ。
うちはは長年の要求が通り、里は手駒と一族の弱みを握る。確かにクーデターに比べれば、はるかに円満的な解決策だと言えるだろう。
だが、理屈では説明のできない感情がそこにはあった。
最初から一族が賛成するとは思ってはいなかったが、フガクが口を出すつもりはないと言ったために抱いた期待は無駄なものになったらしい。
というかそれを狙った訳ではなくとも、公私を分けたその姿勢もまたこの強い反対に繋がったように思える。
あれで部下からはかなり慕われている人だ。
皆が皆憤りを見せている中、シスイは深呼吸して息を整えた。
シスイの任務。
それは一族を説得し、この契約を通すことだった。
見たところ反対8割、賛成1割。もう1割は隣に座る男のように、まだ悩んでいる。
その賛成派も声を大にしては言えないようで、どう頑張っても反対7割、賛成3割程度にしかならないだろう。
(愛されてんなぁ……)
なんだか勝ち目のない勝負をしているような気分だ。
イタチの前に一族からの怒りを買うことになるかもしれない。
(あ~あ、イタチとの友情も終わりかね。ホント、貧乏くじすぎるだろ)
本当ならシスイも反対の側に付きたかったが、そうも言ってられない事情があった。
下された命令を思い返し、小さく溜息をついた。
『もしも、説得が出来なかったならば……力ずくでも構わぬ』
去り際に命じられた、三つ目の任務。
うちは一族の集落には強力な結界が張られている。それは外敵を寄せ付けないが身内は別だ。俺は拒まれることもなく、一族が気づくこともない内にその任務を終えることが出来る。
裏切り者とされるのはまだいい。死ぬ覚悟もある。
だが、そんなことをすれば家族までが後ろ指を指されることになるだろう。
それだけは避けたい。そうなると今ここで、説得するしか道がないのだ。
覚悟を決め、シスイは口を開いた。
「待って下さい」
次々と出る反対意見にフガクが頬を緩めて頭を下げようとしたその時、凜と放たれた制止の言葉に発信源へ注目が集まる。
一番後ろの席……ではなく、前も前。フガクよりも前方の、石碑の後ろへと。
「サスケちゃん……?」
台詞を盗られてポカンと開いていた唇は、思わずその名を呼んでいた。
その声は案外大きく響き、その大きな瞳と一瞬だけ視線が交わる。
サスケが両親の前に進み出ると、ようやく固まっていたフガクは動き出し、ミコトは信じられない、というように大きく眼を見開いた。
「サ、スケ…!お前、どうしてここに!?一体いつから……」
「最初から。父さん達が来る前からいたよ。昨日の夜、父さんと母さんが話しているのを聞いたから」
最初から?
嘘だろ、と否定したくても、そこにサスケがいるという事実が何よりの証拠だった。
チャクラも先日と全く変わらない。父親のフガクですらサスケと呼んだからには変化ではないだろう。
「……説教は後だ。母さんと家に帰りなさい」
「いやだ」
「帰りなさい!!」
「嫌だ!!!」
普段のオドオドした様子は微塵も感じさせず睨み付けてくる息子に、フガクの眉間の皺が深くなる。
二人の間でしばらく火花が散っていたが、先に溜息と共に折れたのはフガクだった。
「聞いていたなら分かった筈だ。皆反対している、明日にでもその旨を―――」
「俺は行く」
「っ!?」
「俺は行くから」
人質になる。
そう続けられた言葉に全員が息を呑んだ。
幼き日と同じ、どこまでも真っ直ぐな眼には欠片も迷いがない。
何か言おうとして、その言葉が見当たらずに唇を噛み締めた。
これでいい。任務は完了じゃないか。
自分の手は汚れなかった。家族も無事だ。
裏切り者と糾弾されることもないし、こいつも悪いようにはされないだろ。
心の内。当事者の了承を得て、愛の上に落ちた思いだ。
それは皆同じだったのか、沈黙がその場を支配する。
何かを葛藤するかの如く隣の男が膝上で握り締めていた拳が、やけに眼に留まった。
「……っ!」
「サスケ、あなた何を言ってるか分かっているの!?」
そんな重い沈黙を破ったのは突然の乾いた音だった。
ミコトが泣きそうな顔で、頬を押さえながら呆然とするサスケの肩を強く揺さぶる。
再びその白い頬を涙が伝い、ついにポトリと落ちた。
「人質になれば、すぐに殺されすり替えられてしまうかもしれない……もう、二度と会えないかもしれないわ!どんな扱いをされるかも分からないのよ!?まだ子供なのに、どうしてっ…どうして、あなたまで……!」
その涙を追うかのように力なく落ちたその手を、慌てて小さな手が追った。
「母さん……ごめん。でも俺は、行くって決めたんだ」
その様子をハラハラと見守っていたシスイ達一族を振り返り、サスケは悲しそうに、そして嬉しそうに笑った。
「俺はみんなを守りたい。兄さんや母さん、父さん、それに一族も……この里も。だから父さんの息子として、うちは本家の次男として───行かせてください」
その眼が再び父と母を捉えた。
その紅眼の意味を知らぬ者は、ここにはいない。
その覚悟に反対出来る者も、ここにはいなかった。
◆
外はやはり雪が降っていた。
汚れた足跡を覆い隠したその白は、そんなもの関係ないだろ、とでも言うかのように、ただ静かに降り積もっていく。
雪とは簡単に消えゆくものだ。
でもそれは、確かに今、ここにある。