歩調に合わせ、波紋が広がっては消えていく。薄暗く似たような光景ばかりが続く回廊を、右へ左へ、更に奥へと。
何かに引き寄せられるかのように、サスケは複雑に入り組んだ精神世界を迷いなく進んだ。
『ッ、ナルト!!』
一時間か数分か、ほんの刹那か。精神世界での時間は定かではないが、直感は正しかったようでやがて開けた部屋に出た。
見上げる程もある巨大な檻の中、侵入者に気づいた九尾が唸り声を上げる。しかしそんな九尾の威嚇すら眼中になく、サスケはその檻の前に蹲るナルトに駆け寄った。
『ナルト!おい、しっかりしろ!』
『………』
『ナルト……』
ポコポコと泡立つ九尾のチャクラを纏ったナルトの瞳は黒く、瞳孔だけが赤色に染まっている。呼びかけにも僅かにも反応がない。
そんなナルトの姿に唇を噛み締め、サスケはキッと檻の中に黄色く光る双眸を睨みあげた。
『九尾……テメェ、ナルトに何をした!?』
サスケの怒声に警戒心を宿していた瞳が瞬く。
鼻先がひくりと動いたかと思えば、九尾は小馬鹿にするように口端を捲り上げた。
【違うな、お前は……そうか、うちはの者だったか。ナルトの中のワシが見える程とは。その瞳力とワシ以上に禍々しいチャクラ……嘗ての■■■■と同じ……】
『煩い、質問に答えろ!』
【クク……ワシは何もしておらん。ワシの中に渦巻く憎しみ、その怨嗟に小僧が耐えきれなかったまでよ】
『何……?』
【お前がワシの力を抑えた所でもう手遅れだ。ナルトの暴走は止まらん。そら……六本目だ!】
九尾の言葉を肯定するかの如く、ナルトの背後に六本目の尾が生えていく。
写輪眼はチャクラを見る瞳だ。サスケの目には、ナルトのチャクラが九尾のチャクラに侵食されていく様がはっきりと見えていた。
ただの写輪眼では、ここまで暴走した九尾を制御できない、そう悟る。それこそ木遁や封印術に長けた者、あるいは万華鏡写輪眼でもなければ。
しかし、自来也やヤマトを連れてくるような時間はない。
サスケは精神世界に入る前のナルトを思い出して顔を歪めた。五本でさえも全身血塗れだったのに、六本。現実世界での今の状態など考えたくもなかった。
『ナルト!もうやめろ、これ以上はお前の身体が……!!』
両肩を掴んで揺すぶろうと、その瞳を正面から覗き込もうと、ナルトは為されるがままで。こんなに近くにいるのに、声すらもが届かない。
掌がジュウと焼けただれていく。写輪眼を解いてチャクラを絞り出して両手から注ぐも、そのそばから九尾のチャクラに弾かれる。それでも諦めることなんてできなかった。
『頼む……ナルト……』
両の目尻には涙の痕が残っている。暴走のきっかけはこの俺自身だ。
あの河原で口寄せの修行をした時から、こうなることは予想できた筈だ。
ここまで六年という月日、寝食をともにした。一人きりだったナルトにとって、俺は始めてできた繋がりとなった。
孤独を知る分、それが断たれる恐怖は尚の事強くなったのだろう。
そして、それは俺自身にも同じことが言える。
夢を叶えたナルトの姿を、七代目火影を知っている。病に臥せながらも里を案じ、それでもその笑顔を曇らせることのなかった親友を。アイツを見送った、その時の埋まりようのない喪失感を。
俺が過去を変えた結果が、ナルトの未来を絶とうとしていた。
視界がぼやける。ナルトが死ぬ、そう思えばもう耐えきれなかった。
ぽたりと頬から顎へ伝い落ちた涙が水面を叩いた。
【フン、無駄なこと………ッ!!】
【───無駄なんかじゃないよ】
ナルトの肩に置いていた手に、柔らかな温もりを感じた。
ハッと視線を上げれば、空より澄んだ蒼眼が優しげにサスケとナルトを見詰めていた。色の乏しいこの世界で、その色だけが輝いて見えた。
『四代目、火影……』
【やあ。久しぶりだね、サスケ君。あの大戦以来かな?】
四代目火影にして、ナルトの父である波風ミナト。
彼は、“うちはサスケ”を知っている。その意味する所に、ゴクリと息を呑んだ。
過去に戻ってきたのは、俺だけなのだと思っていた。けれど、もしかすると───。そんな淡い期待が芽生えかける。
場所を変えよう、そう言った四代目の言葉とともに九尾の檻が消え、何もない白い空間にサスケは立っていた。
そして四代目が何か術を施したのか、隣では目覚めたナルトが寝ぼけ眼に辺りを見回している。
ふと視線がかち合うと、ボロボロと泣き出したナルトが飛びついてきた。デジャウである。
『サスケェ!生きてたってばよ……!俺ってば……俺ってばァ……!』
『……悪かった。だが四代目の前だ、泣くのはやめろ』
『四代目?』
号泣するナルトにも二度目となれば慣れたものだ。
ひっついてくるナルトの頬を掴んで無情に引っ剥がしたサスケは、ニコニコとこちらを見ている四代目ミナトに視線を戻す。
ナルトもずびずびと鼻を啜りながらも、目の前の人物にようやく気づいたのかよく似た青い目を瞬いた。
『へ?四代目って……四代目火影!?』
【ナルト……本当は八本目の尾まで封印が解放してしまうと、俺がお前の意識の中に出てくるよう封印式に細工しておいたんだけどね。お前はまだ子供だからこれ以上は身体がもちそうにない。だからどうにか出られないかと思ってた所だったんだ。君のチャクラが呼び水になってくれてね、助かったよサスケ君】
『……』
『四代目火影が、俺達の名前をどうして知ってんだってばよ?ってか、ここってどこ?』
【だってお前の名前は俺がつけたんだから。倅なんだし……サスケ君とはちょっとした縁ってとこかな。ここは、お前本来の精神世界で───】
『倅って……俺の父ちゃん?』
【うん……言ったろ、お前は俺の息子だよ】
恐る恐る尋ねるナルトに、ミナトは目を細めてしっかりと頷いた。
しかしナルトは先日ようやく九尾を認識したばかり。九尾のことも、四代目火影のことも、まだよく分かっていないからか半信半疑といった具合だ。
サスケの裾を軽く握ってちらりと伺ってくるナルトに、サスケもフッと口角を上げて“行って来い”とその肩を押した。
四代目に聴きたいことは無論ある。だが、たとえ精神世界といえど時間は有限だ。
過去を知るミナトはともかく、ようやく父と会えたナルトの時間を奪うことはできなかった。
【ナルト。何歳になる?】
『十二歳……』
【そうか。まさか、こんな小さい君とも話せる日が来るなんてね、クシナに焼かれちゃうな】
『ホントに、ホントのホントに、四代目が俺の父ちゃん?』
【本当の本当だよ。ほら、目の色も髪の色も、一緒だろう?】
『そっか……へへ……俺の父ちゃんってば、四代目だったんだ。母ちゃんは香燐と同じうずまき一族って奴なんだよな?』
【うん。うずまきクシナといってね、君と性格がそっくりなんだ。でも忍術は……僕の開発した螺旋丸を習得したからね。僕似かな?】
『父ちゃんなんで知って……』
【君の中からずっと見ていたから。四代目火影の再来ってね】
『……おう、俺様にかかればチョチョイのチョイだってばよ!なんたって、四代目の……火影の息子だから!』
ナルトはそう言って照れたように鼻をかいた。
和やかな会話が続いた。二人の過去のやり取りがどんなものだったかは定かではない。だが、きっとこの穏やかな空気だけは変わらぬものだったのだろう。
しばらく親子のやり取りを一歩下がって見守っていると、ふいに四代目がこちらをくるりと振り返る。
【さて……サスケ君。君に伝えたいことがある】
来たか。そう思いながら重い足を進めナルトの隣へと進む。
四代目は間違いなく過去の記憶を持っている。
いつからなのかは分からない。ただ、こうしてナルトを命の危機に晒したばかりか、過去を変えるという禁忌を犯したのだ。断罪されても仕方がない。
そんなサスケの後ろめたさを知らず、ナルトがニシシと笑ってサスケの肩を組んだ。
『父ちゃん、サスケのことも見てたろ?俺の兄弟弟子だってばよ!』
『……は』
『俺のほうが兄弟子な!』
『んなわけあるか。俺が兄弟子だろ』
『だって俺ってば先にエロ仙人に弟子入りしたもん』
『年は俺のほうが上だろ、ウスラトンカチ』
『年とかずりぃ、二ヶ月ぽっちじゃん!俺だってあと少しで追いつく!』
ぶーぶーと文句を言うナルトと暫し口論していたが、やがてくすくすと笑う声にハッと我に返る。
そろりと視線を上げて瞑目する。ミナトの瞳には責める色は一つもなく、変わらぬ凪のような穏やかさばかりがそこにあった。
【サスケ君。ナルトを救ってくれて、ありがとう】
『……別に、救ってなんか……』
【いいや。たしかに、救ってくれていたよ。……君がナルトの友達でよかった】
『……!』
過去を知るミナトの言葉だからこそ、その重みが分かった。
里を裏切り大罪を犯し、何度もナルトを傷つけてきた。きっと親である四代目からすれば、否、他の奴らからしてみても良い友ではなかっただろう。
ようやく、ナルトに恥じぬ友となれたのかと。そんな思いが胸を熱くする。
無意識ながら耳まで赤く染めたサスケに頬を緩めていたミナトだったが、ふと真剣な眼差しへと切り替えナルトの両耳を塞いだ。
ピリリとした緊張感にナルトも何かを感じ取ったのか、大人しくその腕の中に収まっている。
微笑ましい光景ではありながら、そのただ事ならぬミナトの雰囲気にサスケも顔を引き締めた。
【サスケ君。君は飛雷神の術を習得したんだったね】
『……?ああ』
【なら分かる筈だね。時空間移動に最も難しく、最も重要なのは、座標なんだ】
『それが……ッ!』
【ここは恐らく未来と並行世界の狭間……気づいていただろう?未来と似通った出来事が起きていると】
ミナトの言わんとすることを悟り、サスケの顔から血の気が引いた。
過去へ戻る。それは紛れもなく、時空間移動の類いだった。
(俺は……何故、過去に戻った?いや……何故、“戻れた”……?)
生前所持していた輪廻眼の能力によるものだろうと、そう思っていた。
だが、時空間移動に欠かせぬ座標。それは針の穴を通すような繊細な感知能力を要する。
もしも一つでも間違えれば時空の狭間に閉じ込められ、永久に戻っては来れない。それも死後の魂だ。もしも器であるこの時代のうちはサスケへ辿り着けなければ消え失せていた筈だ。
これは奇跡なんてものじゃない。俺が、この時代、この木ノ葉にうちはの虐殺が起きるよりも先に、こんなにピンポイントで偶然返ってこれるほど時空間忍術は甘くない。
誰かが、何らかの意図を持って、俺の魂をこの時代のうちはサスケへと飛ばした。
そう思い至った瞬間、得体の知れぬ怖気が走った。
【僕は君とナルトが出会った瞬間に、未来を思い出した。ナルト達が思い出していない所を見ると、僕が既に死んでいることも影響しているかもしれない。ただ、この世界は間違いなく君を支点に未来から分かれている】
『……狭間というのはどういう意味だ?』
【完全には分かれていないからこそ、未来を彷彿とさせる出来事が起きているんだ。引き寄せられていると言ってもいい。君の選択によっては、未来の世界に上書きされる可能性だってある】
『上書き……?』
【そう……生まれなかった筈の命は生きられないし、生きる筈の命は生き、死ぬ筈だった命は死ぬ。分かたれた事自体が、無かったことになるだろうね】
『………』
【何れにせよ……君は決断することになる】
その言葉を反芻する。
うちはの子供達が、一族達が、ハヤテが。彼らの笑顔が、墓標が、浮かんだ。
家紋一つ持たぬ背が、急に重くなったように感じた。
【記憶は話さない方がいい。言霊っていうのがあるからね、未来に引き寄せられることになる。さて……俺もそろそろ行かなくちゃならない】
ナルトの耳から離したミナトの手は、向こう側が見える程に透けていた。
『えっ……じゃあ……』
【封印を組み直す。大丈夫、また会えるよ。ナルト、君が火影になって、父親になって、お爺さんになって、いつかその時が来たら……また、ゆっくり話をしよう】
目を潤ませるナルトの頭に手を置いたミナトは、そう言って微笑んだ。
それは一度経験したかのような物言いで。
もし過去に戻らなかったならば、俺も兄や両親、一族達とも語り合うことができたのだろうか。今を生きる彼らを望みながらも、一瞬だけそんな羨望を抱いた。
ナルトの腹にある綻んだ封印をかけ直したミナトは、立ち竦むサスケの複雑な心境を読み取ってか苦笑をこぼした。
『父ちゃん……!』
【ナルト……お前に九尾のチャクラを残して封印したのは、この力を使いこなすと信じていたからだ。俺の息子なら、と。きっとお前なら、九尾の憎しみもどうにかしてやれる】
『俺にそんなこと……』
【俺はお前を信じている。どこまでいっても子供を信じてるのが親ってもんだからね】
ミナトの姿が遠ざかる。意識が現実世界へと浮かび上がろうとしているのを感じる。
真っ白に塗りつぶされた視界に、ミナトの声が遠く聞こえた。
【サスケ君。最後に一つだけ───名を呼んではいけないよ】
【“彼”が目覚めてしまうから】
◆ ◆ ◆
目が覚めたと、そう自覚した。
瞬きを繰り返すごとに少しずつ視界が鮮明になっていく。隣で身じろぐ気配がして、こちらを覗き込む我愛羅やテマリ、香燐、パックンに気がついた。
身体を起こして周囲へと目を走らせれば、ナルト、サクラ、カンクロウが順に眠っている。身を隠していた洞穴にいるようだ。我愛羅が運んでくれたか、パックンらが迎えに来てくれたのだろう。
香燐の能力によってか傷は全て癒えていたが、そんな些細なことを問う余力すらもない。
ただ、最後のミナトの声だけが頭に木霊していた。
ナルト達の胸がゆっくりと上下する。
その流れるような呼吸の音を聞きながら、サスケは再び瞼を閉ざした。