ダークシリアス、死ネタあり。
きっと最後に救いがある(……筈)
腕にずしりとした重みを感じる。
まだ歯も生え揃っていない幼子の、くたりと力の抜けた身体を掻き抱いていた。
慟哭が喉を震わせる。眼尻から流れていく熱を感じながら、握る刀の切先を敵里へとまっすぐに向けた。
───許さない。
延々と降りそそぐ雨空を見上げていた。崩れた瓦礫に押し潰された身体はもう動かず、遮れぬ雫が瞼に染みている。
救いを求めて伸ばした指先は温もりを感じることもなくただ凍えて。
最後の吐息と共に呟いた名は、誰にも届くことなく白く消えていった。
───何故だ。
床に伏した老人がか細い呼吸を繰り返している。
その枕元に立ち、枯れ細ったその弱々しい姿をせせら笑う。
決別の言葉を連ね、父へ背を向け立ち去った。
───認めない。
ぽたり、ぽたり。手の隙間を通り抜ける水のように頭を駆けぬけるそれは、数え切れぬほどの古い記憶だ。
死を迎えるごとに流れ溢れた呪詛が、この世界を黒く埋め尽くしている。
その全てを呑み干しては塗りつぶされ、溶け合っては喰らい尽くし。全てが混ざり合う中で、名だけが己の存在を繋ぎ止めた。
何十、何百年と続く因果と共に延々とそれを繰り返す。その思いが、感情が魂に染み込んでいく。
そんな果てのない地獄を漂っていた。
『 』
黒一色に塗りつぶされた世界に、ポツリと白く染み込むような音がした。
淡く照らすその名が、その輪郭を、その意志を取り戻す。長い夢から引き上げられるように瞼を震わせた。
【存外、保ったものだが……時間切れだ】
『彼』は、終わりを求めて目を覚ます。
「───ぐ、あああぁぁああっっ!!!!」
薄闇に響き渡る自分の声が、どこか膜がかったように遠く聞こえる。
一瞬でも気を抜けば刈り取られそうな意識を、サスケは傍らの木へ爪を立てて何とか繋ぎ止めていた。
何が起きたのかなど考える余裕すらない。それでも、ここで倒れる訳にはいかない、それだけを頭に懐を探る。
丸薬でも、武器でもなく。本能的にか震える手で懐から探り当てたものは、綱手から貰ったチャクラの安定剤だった。
『治癒例はない。発症者は一人の例外もなく死亡している』
『過剰に投与した場合は効力がなくなるばかりか、反動で精神エネルギーが上がり、あっという間に均衡を崩すことになるだろう』
『大した症状がないからと油断するなよ。覚えておけ───あと2%だ』
割れそうに痛む頭に綱手の忠告がよぎる。
我愛羅との対戦時に一つ。暴走したナルトを止める際に一つ。これ以上は危険だと分かっていても、諦める訳にはいかなかった。
縋るような思いで薬を飲み下せば鉄錆の味がした。
途端に和らいでいく痛みと熱は、まるで死に際の解放感を思い起こさせる。けれど、身構えていたもののそれ以上に何かがある訳でもなく。
徐々に晴れていく視界に目を瞬けば、名残のようにズキリと肩口が疼く。
未だに熱をもつ肩口を手で押さえ、その違和感に気づいて目を瞠った。
「呪印が……解かれた……?」
肩口、そこにあった筈の呪印が。六年もの間この身を支配していたチャクラが、消え失せている。
それができる者はただ一人、術者であるダンゾウしかいない。だが、解呪は枷を外すようなもの、あのダンゾウがこの戦時下で解呪する理由が分からなかった。
だが、それ以上に不可解なのは消えた呪印だ。
俺には百十数年の記憶が残っていた。何一つ欠けてはいなかった。
それにも関わらず、呪印は確かに存在していたのだ。
ならば───呪印は何を封じていた?
そんな疑問にゾクリとした怖気が走った。
未知の病に、身を蝕む呪印。封じられた記憶と何故か伝えられぬ過去。そしてこの二度目の生さえ。
すべて、偶然などではない。
何が起きているのかも、得体の知れぬこの状況をどう受け止めればよいのかもわからずに、掌に吐き出した血痕を見つめていた。
「………?」
ふと、吐き出した血の表面に、ぬらりと反射する光が揺れた気がして目を瞬く。
黒くなっていく筈のその紅は、何故かさらに鮮明に色合いを深めていく。
視界の端で何かが煌めいて顔をあげた。夕焼けと思っていた森奥からちらつく赤い光は、どうしてか徐々に明るさを取り戻していくかのようで。
その時、一筋の風に乗って何かが鼻を掠めた。
何かが焼き焦げたような、そんな臭いだった。
(……違う)
流れてくる風の元を思い、咄嗟に否定の言葉が浮かんだ。
途方もなく嫌な予感に突き動かされ、よろめく身体を引きずって森を駆ける。近づけば近づく程に異臭は強くなっていく。漂う塵が目に入ったのか、自然と視界がゆがんで見えた。
『うちはは火を扱うからこそ、火をもって天へと送るそうだよ』
あの日カカシと共に見上げた黒煙が、まさにその森奥から立ち昇っている。
だが、狼煙のように風に揺れるか細いものではない。
それはむしろ、去りし日の入道雲を彷彿とさせるように大きく高く、けれど宵に溶け込むかのような黒色をしていて。
森を抜けた先───サスケの瞳に写ったのは、炎に包まれたうちは区の姿だった。
轟々と燃え盛る火、煤となっていく家紋。
あの兄弟が、母と父が、一族らが。一人ひとりの顔が浮かんでは消えてゆく。
(動け)
貼り付いたようにその場から離れぬ足は、その先に何が待ち受けているのかよく知っていた。
鮮明に蘇る紅が揺らめく炎と重なる。門戸から覗く倒れ伏した人影が燃えている。生きた人の気配が感じられない。
またあの惨劇を見たいのか。逃げてしまえと囁く己の声がした。
(違う……!動け、動けよ!!)
どんなに否定しても、どんなに自分に言い聞かせても、過去の傷は拭えない。
動けぬままに立ち尽くしていた時だ。パチリと火の弾ける音がして、サスケはハッと顔を上げた。
風に靡く炎の向こうによぎる影があった。敵か、味方かなんて分かりはしない。見間違えただけだったかもしれない。
それでも、あの日のように立ち竦んでいたくなかった。
「動けッッ………!!」
カッと目を見開き、決して動こうとしない足に深々とクナイを突き刺した。
走る痛みに息を吐けば、肺が循環し始める。息が止まっていた事さえ気付かなかった。
荒く不規則な呼吸もそのままに、サスケは燃え盛る炎の中に身を踊らせた。
(誰かッ……誰か、いないか……!)
煙を吸わぬよう口元を抑えながら、濁った空気に目を凝らして前へと進む。煤と血、そして肉の焼ける臭いが鼻につく。
足元に転々とした赤黒い塊は、その面影を僅かに残していた。
『お使いかい?偉いねぇ、サスケちゃん』
『頭領の息子さんか。もうすぐアカデミーに入るんだろう、頑張りなさい』
『いい子だねえ、うちの息子も見習ってほしいものだよ。全く、図体ばっかり大きくなっちゃって』
『そんな事…そんな事、出来ません頭領!!』
『あの子はまだ六つでしょ、人質なんて……!』
『すまない……ありがとう』
『いってらっしゃい』
頭を撫でていく大きな手を感じた気がした。
落ちていく涙は燃え盛る火を鎮めることなどできず、熱に晒され消えていくばかりだ。
六道の力を有していた頃ならともかく、今の俺に水遁の適性はない。だからただ、弔うことすらできずにその最後を見届けた。
人影を見つける度に駆け寄り、そして失望と共に歯を噛みしめ。それを何度繰り返しただろう。
火が回り、逃げ道も覚束なくなってきた。それでも諦めきれずに捜索を続けるうちに、やがて見覚えのある家屋の前に俺はいた。
「ここは……」
うちは一族、本邸───サスケの生家だ。
そっと玄関をくぐれば、六年振りの我が家は記憶不気味なほどに静まり返っている。居間や台所を覗いたがそこには誰の姿もない。
いや……認めたくないだけで、彼らが何処にいるのか本当は最初から分かっていたんだ。
幼い頃は遠く思えた廊下を歩けば、すぐに両開きの扉の前へと辿り着く。まるで行くなと呼び止めるかのように、心音はドクドクと狂ったように早鐘を打っている。
不意に部屋の中から聞こえた女性の悲鳴に、サスケはすぐさま扉を押し開けた。
「父さん……母さん……!!」
誰かが部屋の中心に立っていた。
窓越しの炎に照らされた刃が赤く光る。
振り返った、その人は。
「兄さん……?」
暗部装束に赤紐で結ばれた髪。一対の写輪眼がサスケを静かに見下ろしていた。
『もしも。もしも、一族がそれでもクーデターを起こすというなら───その時は、俺の手で』
嘗ての誓いが身体を縛り、放とうとしていたクナイがカシャンと硬質な音をたてて床へと落ちていく。
その音に、足元に倒れ伏した女性が顔を上げた。
「……ッ、来ちゃ駄目───!!」
「母さん!!」
刃がまっすぐに母の胸を貫く。
舞った血飛沫が兄の頬に飛ぶ。引き抜かれた刃から血が伝うより早く、サスケの放った千鳥が空気を切り裂いた。
千鳥は軽く避けられたが、その隙をついて母の体を引き剥がし、無我夢中でありったけのチャクラをかき集めて拙い医療忍術を施した。
手の隙間から溢れ出る血に、後先なんて考えられなかった。
「……サスケ……どう、して……」
「喋るな!!今、傷を塞ぐから……!」
掠れた声が、血の垂れる口元が俺の名を形作る。その懐かしさに、そして今にも失いそうな恐怖に、叫ぶように言葉を遮った。
六年という月日が経った筈なのに、母ミコトの顔立ちは過去とそう変わらなかった。
変わったのは、ただ一つ。薄っすらと開いた右目が、泣き濡れたサスケの姿を写し出す。左の血だらけの眼窩は落ち窪み、ぽっかりと暗い穴が空いている。
ポチャリ。
そんな何かが落ちるような水音が聞こえた。
兄───否、イタチの姿をした何者か持つ培養液の中、浮かぶ写輪眼がサスケを見つめていた。
ギリ、と歯を噛み締めてサスケは男を睨み据える。
「お前は、誰だ」
「……この兄の顔を忘れたか」
「違う。お前は、イタチじゃない!!!」
赤い瞳は優しさの欠片もなく、冷たい憎悪を宿している。
その姿は確かに過去の記憶とピタリと重なるのに、イタチの眼差しとは何かが違った。
この男は、イタチじゃない。
これは、罠だ。
「ほう……俺の変化を見破るとはな。良い目をしている」
顔を歪ませるサスケに男はクツクツと嗤い、変化を解いた。
赤い叢雲と黒い装束、そして渦を巻く仮面。その面に空いた穴の奥から覗く禍々しい紅───写輪眼。
「どうして……」
暁の黒幕であり、マダラに扮して忍界大戦を始め、そして俺を庇って死んだ男。
『うちはオビト』がそこにいた。
「俺は木ノ葉から依頼を受けたのさ。上層部にとってうちはは大きくなりすぎた目の上のコブ……だが、理由なく排除すれば、里の民から反感を買うことになる。そこで俺に白羽の矢が立った。俺もちょうど写輪眼のストックが切れていてな、こちらとしても渡りに船だった訳だ」
愕然とする俺に、オビトは肩を竦める。
その言葉を理解をしたくなかった。それでも、理解せざるを得なかった。
「木ノ葉が……うちは一族を、裏切った……?」
木ノ葉上層部が、持て余したうちは一族をこの男へ売ったのだと。そう言いたいのだろう。
敵であるオビトの言葉を鵜呑みにはしないが、それをすぐに否定できる程、俺は木ノ葉を信じきれなかった。
「ああ、そうだ。だが───その原因の一つは、お前だ『うちはサスケ』」
そんな心の迷いを指摘するように、オビトはまっすぐに俺を指差した。
「お前を人質に取り一族の抑えとする、その筈が。お前は一向に写輪眼を開眼せず、うちはは人質がいるにも関わらずダンゾウを排斥した……わかるか?お前は一族から見捨てられたのさ」
「………」
「だが、うちはが権力を握り始めた以上、お前は予備の駒として生かされた。いや、忘れられたと言ってもいい。写輪眼をも使えぬ出来損ないと蔑んでいた……まったく、見る目のない愚かな連中だ」
やれやれと頭を振ったオビトは、ジッと俺を見据え憐れみと同情、共感をその写輪眼に写し出す。
「お前も記憶が戻ったなら、木ノ葉の手口は分かるだろう?呪印が解けた今、お前は里の傀儡となる道しか残されていない。俺が受けた依頼はうちは一族の抹殺、お前がうちはの姓を持たぬ以上は手を出さん。……どうだ、俺と来ないか?俺はお前の敵じゃない」
あの洞穴での語り口を彷彿とさせる、そんな言い回しだった。
憎しみと孤独に浸っていた嘗ての俺なら。或いは、本当に記憶を失い、一族と里へ不信を持つ子供なら。
もしイタチの姿でそれが木ノ葉の意志だと告げられていたら、心が揺らいでいたかもしれない。
だが、騙る真実の合間には、巧妙に織り交ぜられた嘘がある。
「一つ教えろ───木ノ葉崩しは、誰が企てた?」
差し出されようとしていたオビトの手が、ピタリと止まった。
仮面の奥の瞳がスッと細められた。どこまで知っているのかと、探られている。
「……ダンゾウだ。最も、最初こそ砂隠れとうちはを陥れる罠だったようだが。しかし、奴は捕縛され、火影からも切り捨てられた。ダンゾウは木ノ葉とうちはを恨み、大蛇丸と手を組んで木ノ葉崩しを企てたのさ」
木ノ葉上層部が木ノ葉崩しに関与する筈もなく、順当にオビトはそう答えた。ほんの僅か、滑らかだった口調が固くなっていた。
「木ノ葉崩しにより里内の戦力が低下すれば、他国が攻め寄せてくる可能性が高い。上層部もわざわざそんな時に貴重な戦力を手放す程、愚かじゃないだろう」
「……依頼を引き受けたのは過去の話だ。さすがに俺一人で全員を相手取るのはキツい。機会を狙っていた……それが、今だったというだけだ。利用させてはもらったが、ダンゾウや大蛇丸が木ノ葉を滅ぼそうとも俺には関係ない」
矛盾を突けば、嘘は崩れる。それを塗り固めようとすればどこかが綻びだすのは避けられない。
ましてや関係がない、などと。嘘とも言えぬ、ただの言い逃れだった。
「ハッ……大蛇丸が俺をここにおびき寄せ、ダンゾウが俺の呪印を解き……お前は、ここで俺を待ち伏せていた。偶然にしては、何ともタイミングのいい話だと思わないか」
「……」
床に転がる遺体がある。ずっと目を逸らしていたそれは、父の変わり果てた姿だった。
その血は既に黒く固まり、死んでからそれなりの時間が経過している。それなのに、この男はあえてサスケが現れるまでミコトを生かしていたのだ。それも、イタチの姿を真似て。
何故、最初から気付けなかったのだろう。何故、一族を信じきれなかったのだろう。
この男にあって、イタチには決してなかったものがある。
その冷酷な瞳に浮かんでいたのは、大蛇丸やダンゾウと同じ、紛れもない“欲”だった。
「正直に言ったらどうだ。お前たちは、写輪眼が欲しかった、だから共謀したとな……!」
仮面の奥の瞳が揺れた。
オビトは俯いたかと思えば、肩を震わせクツクツと笑いを噛み殺した。
「───だったら、どうする?俺を殺せると思うのか?」
瞬間、空気が変わり、重い殺気が漂う。
オビトが顔を上げると同時、巴がくるりと回って形を変えた。万華鏡写輪眼だ。
満身創痍な今の状態では勝ち目がない。撤退するにしても、飛雷神の術を使うにはチャクラは底を尽きていて、身丈よりも大きい母を抱えて逃げる事もできなかった。
迫る炎の熱に窓ガラスが割れた。その隙間から、火が這うように部屋へ忍び込んでくる。吹き荒れる熱気に晒される。
それにさえ、男は微動だにしなかった。
この場に己に害をなしえるものはない、そう確信しているのだろう。
「だが、お前がうちはの姓を持たぬ以上は手を出さん、そう言ったからな。大蛇丸との約定もある……チャンスをやろう」
細められた瞳が弧を描く。
ゾッと悪寒が背に走った。
「その女を置いていけ。そうすれば、お前のことは見逃してやる」
「───ッ!」
「罪悪感を感じることはない……どうせ、あと幾許も生きられない命だ。一思いに楽にしてやれ」
咄嗟に母の体を抱きしめて後退った。
血は多少止まったものの傷は深く、もう手遅れなのは明らかだ。
それでも。それでも、細くもハアハアと荒い息の根を感じる。温もりがまだある。
いずれ死にゆく体だと、愚かな選択だと分かっていても、見捨てられる筈がなかった。
「そうか。それが答えなら仕方ない」
オビトの足が父の屍を踏み越え、ゆっくりと近づいてくる。
踏まれ砕けたガラスの破片をぼんやりと眺めた。逃げる気力さえ、失せていた。
(これで……いいのかもしれないな)
俺を支点として分かたれたこの世界は、俺が消えれば無かったことになる。未来の世界に上書きされ、存在そのものが消滅する。
あるべき世界に戻るだけだ。
これが未来を変えた、その結末か。そう思えば、何も成し得なかった己の滑稽さに自嘲が溢れた。
きっと最初から、間違えていたのだろう。
俺が過去に戻った、その瞬間から。
刃が翳される。
見下ろすオビトの瞳が、ほんの一瞬和らいだ気がした。
「───あの世で待て。この俺がもう一度、お前達の居る世界を創るまでな」
そして、刃がまっすぐに母の胸を貫いた。
舞った血飛沫が俺の頬に飛ぶ。
俺に覆いかぶさるようにして代わりに刃を受けながら、微笑む母の顔を呆然と見つめていた。
「大きく、なった、わね……」
「母、さん」
「あなた達を、ずっと……愛してるわ」
冷たい指先がそっと俺の頬の血を拭い、優しく輪郭を撫でていく。
その右目が形を変えていった。
巴から、どこか物悲しい五枚花へと。
「いって……いきなさい、サスケ」
その言葉を最後に、俺の意識は闇に沈んだ。