浮遊城に生きた者へ感謝を込めて。   作:あおい安室

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本作に登場するアイテムにはオリジナル設定が含まれております。
原作に登場していないアイテムや設定が多く含まれますが、ご了承いただければ幸いです。

当然、この男も原作には存在しません。オリ主ですから。


雨の降る森の中で黒の剣士と出会った。

 

「人間、かっこよく生きてみたいものさ。あんたみたいにな」

 

 2023年5月XX日

 

 茅場晶彦は何を考えてゲームの世界に腰痛を実装したのだろうか。

 

 水がたっぷり入った樽を担ぎながら、ふと思った。ソードアート・オンラインの世界はゲームでありながらも限りなく現実に近い世界を築き上げると共に、私たちにかりそめの肉体を与えた。

 年老いて筋肉と共にいくつもの思い出が抜け落ちて、後に残ったのは皴にまみれた情けない男の姿が足元の水たまりに写った気がした。だが、そんなものは幻覚だ。

 

 ここはあくまでもゲームの世界だ。全てのガラスや水面が周囲の光景を反射する表現をやってしまえば、あっという間に処理落ちを起こしてしまう。それは人の意志をゲームの世界へダイブさせるようになった時代でも変わらない。

 家具や装飾品としての鏡ならともかくマンホールくらいの大きさの水たまりには何も映し出されてはいなかった。水たまりの底には土の地面が見えるだけ。

 

「からっぽ、か」

 

 作り物のような水たまりを踏み散らした。衝撃を与えられたことで泥のエフェクトが発生し、泥水と化して濁ったそれは私の知っている水たまりらしかった。空虚な水たまりよりはずっといい。

 何をやっているのだろうな。ふふっ、と小さく笑い声がこぼれた。馬鹿なことをしている私のことをソードアート・オンラインのシステムは嘲笑ったのか振り続けている雨がより一層激しくなった気がした。勘弁してくれ、まだ荷物を運んでいる途中じゃないか。

 

 運んでいた樽を馬車に詰め込む。振り向けば残っているキャンプの跡地が見えるが、残りは簡単な調理道具や雑貨品程度。これならストレージにも収納することはできる。

 荷物に近づいて指を振ってメニューウインドウを表示させると、散らばっている荷物を全てストレージに詰め込むように操作した。体が少しだけ重くなった気がする。これは重量オーバーが近いな。ただでさえくたびれていた体に重しがのっかったが、まだ動けないほどじゃない。雨を吸いつつあるコートの重みを味わいながら、馬車に乗り込むと一息ついた。

 

 馬車の中には小さな本棚や寝袋といった生活用品が置いてある。決して広いとは言えないが、狭いわけでもない。人が一人生活するには十分な空間だった。

 

 幌を叩く雨音はまだまだ大きくなりそうだから、しばらくはここでゆっくり休憩するかな。ストレージからカンテラを取り出して火をつける。薄暗い車内を照らしてくれるそれを天井に吊るす。ついでに少し前に拾った木片をカンテラの中へ放り込んで燃やすと、やわらかい匂いが広がった。

 

「……ビンゴだ。説明文通り香木の類だったか。現実ではこうも簡単にはいくまい。程よく簡略化されているのはありがたいな」

 

 大きく息を吸い込む。心なしかほんのり甘いその匂いを胸いっぱいに吸い込むと生きていることを実感する。できれば現実でもこの匂いを吸い込みたいところだが、後1年半くらいはかかるだろう。

 

 難儀なものだが、仕方ない。私に勇気はないのだから。薄汚れた木製のチェスト――家具屋で中古だから安く売られていたモノだ――に触れると専用のウインドウが開く。先ほどストレージに詰め込んだ荷物を移しながら気を紛らわせていると、コンコン、と馬車を叩く音がした。

 

「すまない。突然の雨に降られた、雨宿りしたい。中に入れてもらえないか?」

 

 突然降り出した雨だ。同じようにやられたんだろうな。狭いところだが勘弁してくれよ。後ろの幌を開いて、そこに立っていた少年に手を差し出す。

 

 その姿には見覚えがあったけれど――表情には出さないように。

 

 黒い指ぬきグローブの手をつかむと、少年の体を馬車へとひっぱりあげる。雨の様子を確認すると幌を閉じて座り直すが、彼は車内を珍しいものを見るかのようにキョロキョロしていた。

 

「座るところが見当たらんか?そこのチェストでもどこでもいい、好きに座ればいい」

 

「えっ、あー……ま、まあ、そうだよな、そうですね、うん」

 

「……ふむ。緊張してるのか、坊主。こんな老いぼれと狭い馬車の中で二人きりだからな」

 

「そ、そうですか……。あの、失礼なことを聞きますけど。おじいさん、NPCですか?」

 

「ああん?私はNPCじゃない、プレイヤー。人間だ。私の頭の上が見えるか?」

 

 指さした頭の上には何もないはずだ。ソードアート・オンラインの世界には人間が操作するプレイヤーだけでなく、コンピューターが操作するNPCも生活している。その中でも特別な役割を持っていたり、店員を務めるNPCにはなんらかのアイコンが浮かんでいる。私にそんなものはない。

 

「で、ですよねー。すみませんでした、はい……」

 

 彼は馬車の隅で縮こまる。人をNPC扱いしたことが申し訳ないのだろうか。別に気にしていないのだが……。ウインドウを開き、携帯コンロを取り出す。ガスボンベを燃料とする現実とは違い、動力源はゴーレムのコアというのがいかにもファンタジー。いかにもゲームな代物だ。

 そして、もう一つ。耐久度が減ってきて少しだけへこみが目立つ小鍋を出現させる。そのうち鍛冶屋に持ち込んで直してもらわないとな。鍋をコンコンと叩いてから少年へ差し出した。

 

「ちょっといいか。そこの樽に水が入ってる。この鍋の七分目くらいまで入れてくれないか?」

 

「わかりました。これですよね?」

 

「そうだ。使い方はわかるよな?」

 

 コクリと頷いて鍋を受け取った彼は樽に触れてウィンドウを出現させる。現実みたいに蓋を開いてくむこともできるが、ここはボタン一つで水をくめるゲームの世界だ。現実から簡略化された操作もある、ということだ。味気ないというべきか、便利な世界というべきか。

 少年は水が入った鍋をコンロにかけると、こちらの表情をうかがう。ああ、それでいい。笑みを浮かべて鍋にいくらかの食材を放り込み、調理スキルを発動させる。キマグレシチュー。味はまずまずで完成まで5分くらいかかるありきたりなメニュー。鍋料理系の初歩的なものだ。

 

「坊主。この辺りは雨が降りやすいエリアでな。主街区の天候占いNPCによれば、今日は17時頃……つまり、今から真夜中まで降るらしい」

 

「えっ、マジですか。あのNPCなかなかいい値段取るから使わなかったんだけど」

 

「たまには使ってやるといい。街によってはなかなかの美人さんだぞ」

 

「へえ、そうなのか……でも、的中率7割くらいって聞いたんですが。しかも占ってくれるのは翌日までで、占う時間が未来になるほど外れやすいから信用できない、とか」

 

「そりゃそうだろうよ。こうしてフルダイブ技術が生まれた世界でも未だに天気『予報』なんだからな。現実が確定してくれないんだ、こっちの世界もそういうものさ」

 

 おたまに赤色のペーストを乗せて鍋へ突っ込む。菜箸で少々かきまぜてやると鍋からいい匂いが漂ってきた。程よく辛い匂いを漂わせるこれは、私のとっておき。

 

「だけど、そういった面倒を楽しむことも人生には必要だと思うのさ。この年になってもゲームをしている老いぼれとしては、ね。なあ、坊主。少々無粋な話題だが……君は攻略組だろう?生き急ぐばかりが、生き方じゃあるまいよ」

 

「生き急いでる、か……わかるのか?」

 

「わかるとも。戦うことから逃げてこんな森の奥でのんびり引退生活してるおじさんと、戦いに身を置いている坊主じゃ纏っている雰囲気が違う。背中の剣はこれと違って飾りじゃないだろう?」

 

 馬車の骨組みに縛り付けて飾っているのは、もはや骨董品の剣だ。ソードアート・オンラインの舞台である浮遊城アインクラッドの第一層で手に入る武器では最上級品と言われた剣だが、全百層の内三割が攻略されようとしている今では性能不足の飾り物でしかない。

 

「で、攻略組の坊主はこんな低層の森の中に何しに来たのやら。老いぼれに聞かせてもらえないか?もちろんお代は払うとも。このシチューと交換でどうだ?」

 

 ちょうど鍋も完成したところだ。食器を取り出してシチューをつぐと、腰のポーチから取り出した瓶を振りかける。中身はベルデバジル。シンプルな調味料だ。赤いスープに緑のバジル、黄色の芋っぽい野菜が浮かぶそれは最上級の料理とは言えないし、なんならNPCレストランにも負ける。

 だが……私も彼も、お互いに体は雨で冷えている。湯気が立っているそれは今の私たちにとっては間違いなく絶品の料理であると言えた。その証拠に、私と少年の腹の虫が鳴った。

 ソードアート・オンラインは感情が表に出やすい、とは聞いたが腹にも出るまでとはな。

 

「はっ、はははっ!!すまん、忘れてくれ坊主。お互い腹が減ってる、一緒に食おうか」

 

「ははっ。なら、お言葉に甘えさせてもらいますよ」

 

「食え食え。うまいとは言わんが、不味いとは言わん。それにそんなかしこまった言葉はいらん。お互い楽に行こうぜ、坊主」

 

「じゃあそうさせてもらうぜ、爺さん。よかったら俺の持ってるパンはどうだ?硬いけど保存性はばっちりな黒パンだけど。ストックはそこそこあるんだ」

 

「いただこう。しかし、黒パンときたか。NPCパン屋の最安値品じゃないか。階層を増すごとになぜか硬さと保存性が上がるんだったか」

 

「ちなみに二十九層品だぜ。もうちょっと上がったら乾パンみたいにになるんじゃないかって友人の野武士面はぼやいてたっけなぁ」

 

「そうか、そいつは楽しみだ。あの硬さが意外といけるのさ」

 

「……マジか、爺さん?」

 

「マジだとも。見たまえ、硬いものを食べてしっかりと歯を鍛えたおじさんのこの歯を。まだまだ若い坊主にも負けない歯……おい、どうして距離を取る」

 

「好き好んで男の口の中は普通覗かないだろ」

 

「女なら覗くのか?例えばそうだな……情報屋の鼠なんてどうだ?」

 

「アルゴか。あいつは口を開くたびにコル要求してきそうだから絶対覗きたくないかな。何なら閉じててくれないかと思ったこともある」

 

「ククっ、そうかそうか。坊主、重要な情報を抜かれた口か?」

 

「抜かれたどころか、どうも専用ジャンル化されてる疑惑がある。下手したらあいつ、俺のスキル構成どころか装備の強化度合いも全部知ってんじゃないかな……好物とか個人的なのも」

 

「そいつは大変だな、攻略組も。その分色々とサービスしてもらってるんだろう?」

 

「まあな。最前線のダンジョンとか新アイテムの情報はそれなりの値段で買い取ってくれるぜ」

 

 ボッタクリ価格だけどな。笑いながら少年はシチューをかきこむ。私のシチューもちょうどいい温度になっただろう、いただくとするか。暖かいシチューに硬い黒パンの相性は悪くない。

 何切れかにちぎったそれをシチューに放り込んで混ぜてやれば、多少は柔らかくなって程よい硬さになる。誰かが見ていれば行儀が悪い、などと言うかもしれないが知ったことか。ここには男二人しかいないんだ、自由にさせてくれ。口の中で嚙み潰したパンから辛味が溢れる。

 

「おっ。なかなかうまいな、これ。俺好みの辛さで気に入ったんだけど、どんな調味料を使ったのか教えてくれないか?さっきの赤いやつなんだろう?」

 

「当たりだ、坊主。あれはエピセ、っていうペーストだ。十八層の裏路地で買った」

 

「やっぱりか。十八層の裏路地となるとおばあさんが店主のお店だったか。それにしても、エピセ、エピセ、エピセ……意味は何だろうな?」

 

「言葉の響きから考えるにフランス語だろうな。鼠に情報を売ったら「アア、『辛い』ってことカ」とか言ってたっけか」

 

「なるほどね……アルゴの真似したんだろうけど、似てないぜ爺さん?」

 

「やかましいわ、坊主。女の声をこの年で真似できるかよ。そういうのは女顔のおまえの方が向いてるだろうよ。髪伸ばしてちょいと声高くすりゃいけるんじゃねえか」

 

「誰が女顔だよ。一生やらないぜ、そんなこと」

 

「ククッ、どうだろうなぁ。人生何があるかわからんよ、坊主?」

 

 鍋の底に残った芋もどきをスプーンですくって口の中へ放り込む。ごちそうさまでした。

 

「さて。まだ雨は続いてるが、どうするよ坊主。老いぼれともうしばらく駄弁るか?」

 

「あんたがいいのなら、そうさせてもらうよ。野営道具や雨具も宿に置きっぱなしにしてたから身動きが取りにくいしな」

 

「なるほどな。宿泊期間は大丈夫なのか?延滞したら道具が処分されると聞いたことがあるが」

 

「後三日は余裕もって登録してる、大丈夫だ」

 

「さすが攻略組だ。お金に余裕があると見える」

 

「よく言うぜ。俺なんかより爺さんの方が金持ちなんじゃないのか?馬や馬車は結構な高額商品として売られてる娯楽商品だし、おまけにNPCの御者付きとかどんだけ金使ったんだよ」

 

 私がめくった入り口とは反対側の幌を少年はめくる。そこには深紫色の鎧をまとった騎士姿のNPCが腰かけている。私が雇っているNPCの御者兼護衛が雨に濡れていた。すまんね、狭いんだ。

 

「そいつは先着順クエストだったから、秘密だ。とはいえ今はなかなかに貧乏だよ。戦闘が得意じゃないから地道にモノを作って売りさばいてようやく、といったところだな」

 

 ポケットから煙草を取り出す。吸ってもいいか?とジェスチャーすると一本よこせ、と返される。生意気な坊主だ。鍋をどけたコンロに二本近づけて、火が付いたところでパタパタと扇ぎ火を消してやる。ほんのりと煙を漂わせるそれを一本咥えながら、もう一本を坊主に差し出した。

 

「……意外だな。坊主も喫煙してるのか?」

 

「いや、生まれてからずっと禁煙してる。リアルでもこっちでもこれが初めてだよ」

 

「なるほど、では禁煙をやめるいいきっかけになったんじゃないか?」

 

「ほほう?爺さんゲーム好きなのか?」

 

「わかるか。子供のころにやった思い出の逸品でな。で、どうだ。初めての味は」

 

「口の中がざらってする。こう、喉に辛味が刺さる感じがするって聞いたことはあったんだけどあんまり美味しくない」

 

「はっはっはっ。子供の内から背伸びすればそんなもんだろうよ、坊主。こいつは安物だからな、上級品ならいい味してるがお前にはまだ早い。今は安物で我慢するんだな」

 

「……爺さんのシチューよりはうまいかもな」

 

「ぶっとばされたいか、小僧!」

 

 笑いながらポンポンと肩をたたいてやると少年はニヤりとほほ笑む。全く、言ってくれる。

 少年と共に食事の後片付けを済ませた頃には空が暗くなり始めていた。咥えている煙草は先端2割ほどがグレーのポリゴン片となって消えている。灰皿がいらないのはありがたい。

 カンテラに香木をもう一本突っ込んでいると、一足早く吸い終わった坊主が口を開いた。

 

「なあ、爺さん。あんたこの辺でよくキャンプしてるのか?」

 

「ここを使うのは4度目だ。この森は一応ダンジョンだが、入り口から程よい距離で安全地帯にたどり着けるからな。ちょっとしたキャンプを楽しむには悪くないポイントだよ」

 

「他のところでのキャンプ経験は?」

 

「それなりだ。レベルの関係で二十層以上に行ったことはないが、そこまでのキャンプポイントは大体行ったことがあるぞ」

 

「なら知ってるかもしれないな。俺がこの馬車に乗った時爺さんがNPCじゃないかって疑っただろ?あれはアルゴから買った情報がきっかけなんだよ」

 

「聞こうじゃないか。情報料はいくらだ?」

 

「お題はもう払ってもらっただろ?」

 

 少年はポンポン、と腹をたたいて見せる。そうだな、そういう話だった。残り少ない煙草を掌で握りつぶして消滅させると、話を聞くことにした。

 

「今、攻略組は迷宮区を攻略中なんだけどボス部屋への道が見つからない。何らかの仕掛けがあると思われるが今のところ手掛かりも見つかってない」

 

「トップギルド連中はどうしてるんだ?」

 

「血盟騎士団とかか?あいつらも迷宮区内でいろいろと試してるけど、最近の攻略スピードが速すぎてレベリングが追い付いてなくてな。正直探索そのものが難航している」

 

「第二十五層での軍壊滅からの血盟騎士団結成で勢いが乗りすぎたな。また大事故が起きかねんぞ」

 

「血盟騎士団のリーダーも同意見だ。ここで一度攻略組を引き締めた方がいい、という声に聖龍連合とか他ギルドも賛同してしばらくは攻略組全体の底上げ狙いのレベル上げしてるよ」

 

「最近どこに行っても紅白装備や全身青い連中を見かけるわけか。おまえは?」

 

「俺は気楽なソロだから好きにやらせてもらってる。独り身は自由だからな」

 

「代わりに老後は寂しくなるがな」

 

「切ないこと言わないでくれ、空しくなる」

 

「そういえば、昔攻略組に名コンビがいたと聞いたな。坊主みたいな黒い装備を愛好する騎士とフードで顔を隠した細剣使いのコンビだとか」

 

「わざとか?わざと俺の傷口抉ってないか?」

 

「さぁて、ねぇ。そのうち仲直りしないと年取って後悔するぜ」

 

「……前向きに検討して善処いたします」

 

 苦い顔をする少年を肴にケラケラと笑いながら話の続きを促す。

 

「とにかく、独り身な俺のところにアルゴが情報を持ってきた。村人たちに伝わる伝説によると、数十年前に迷宮区からエルフが出てきたことがあるらしい」

 

「エルフか。懐かしい名前を聞いた」

 

「第三層からの連続キャンペーンクエストで出てきた黒エルフと森エルフだな。言われてみればあいつらに初めて会ったのはもうずいぶんと前な気がする」

 

「ボケるには早いんじゃないか、坊主」

 

「要らんお世話だ。今のエルフ達は第三層を中心に生活してるけど、アインクラッドができた頃は各層に散り散りだった。散り散りのエルフ達は各層でそのまま命を落とした者もいれば、三層を目指してアインクラッドを逆走した者もいた」

 

「逆走するエルフの姿を村人たちは見ていた、と。創作物においてエルフってのは大抵長命設定だったな。もしかすると迷宮区を脱出したエルフがまだ生きてる可能性もある、か」

 

「そういうことだ。で、色々と聞いて回ったところ生き残ったエルフの一人がどこかの森で隠居生活しているらしい。最後に会った時は馬車に乗って森の中で暮らしていた、と聞いたんだが……」

 

「聞けばどことなく私に似てる気がするな。それで坊主は私をNPCと間違えた、と」

 

「雰囲気がそれっぽくてつい、な?御者もどことなく黒エルフっぽいし」

 

「そいつは残念だったな。私はプレイヤーであいつはただの人間だよ」

 

 だろうなぁ。そう言って気を落とす彼の背中をポンポン、と叩いてやる。

 

「気を落とすな。そういう事情があって隠居していたとは知らなかったが、森で一人暮らしているエルフには心当たりがある」

 

「本当か!?」

 

「おう。ちょうどこの森の奥深くで小屋建てて生活してる。ビンゴだぜ坊主」

 

「マジか!最近装備の強化に失敗したりで運が悪いと思ってたけどようやく運が向いてきたか」

 

「そいつにはキャンプするついでに森を探索していたら偶然出会ったことがあってな?自分のことはろくに話さない寡黙な爺さんだが、こいつで情報を聞き出すことはできるだろう」

 

 ストレージから取り出したのは液体が入った古びた瓶。手書きのラベルにはかすれた文字でウイスキー、と書いてある。この前クリアしたクエストの報酬でもらった高級品だ。

 

「さ、酒で聞き出すのか……なんというか、こう。悪い大人って感じがする」

 

「クククッ、悪い大人は楽しいぞ?で。こっちの経験はあるか、坊主」

 

「……実は、ちょっとだけ飲んだことがある」

 

「どっちで?」

 

「ノーコメント。リアルの詮索はご法度だぜ、爺さん」

 

「それもそうだな、聞きすぎた。悪かった、坊主」

 

 頭を下げながら前方側の幌を開ける。相変わらず雨に打たれている鎧姿の御者NPCをコンコン、と叩いてやるとこちらを向いて首を傾げた。まだ起きてくれているようだ。

 

「坊主、これからあの爺さんのところへ向かうつもりだが馬車の護衛経験はあるか」

 

「あるにはあるけど夜間かつ雨天っていうのは初めてだ。それでもここぐらいのエネミーには余裕で勝てるとは思うぜ」

 

「上出来だ。おい、エヴァ!例の小屋まで頼む!」

 

 私の声に鎧はうなづくと手綱を引っ張った。馬がいななき馬車がゆっくりと歩き始めた。

 

「……エヴァ?」

 

「御者NPCの名前だ。馬車の操縦と馬車本体の警護をしてくれるが、レベルはやや低い。戦力としては期待するなよ」

 

「なるほどね。その名前もあれが元ネタか?」

 

「いや、デフォルトだ。本名はもうちょっと長い」

 

「ふーん。で、肝心の爺さんは行けるのか?」

 

「ボチボチ。攻略組のおまえさんほど動けはしないが、なまくらってほど弱くもないぞ」

 

 馬車に置いていた大剣の刃を見せた。メインウェポンであるそれは鈍い輝きを放っている。ソードアート・オンラインにおいて武器の輝きには武器の強化具合や性能が影響する。この大剣はそれなりに強化しているので輝きは悪くない。少年も輝きを見てほう、と声を漏らしていた。

 

「この森にいる主なエネミーは野獣系だ。夜行性の物も何種類かいるが、そのほとんどは視覚が弱い種類だ。おそらく嗅覚を頼りにこちらを探しているのではないか、と情報屋は言っていた」

 

「好都合だな。この雨なら多少は臭いを消してくれる」

 

「エルフの小屋まではここから2㎞と言ったところだろう。雨具は貸してやるが、ぬかるみに足を取られると辛いぞ。坊主の靴の性能はどうだ?」

 

「あまりよろしくはないな。AGIにバフがかかる代わりに滑り止め性能がやや低いんだ」

 

「ならこいつを使え。大型カエルモンスターの油なんだが、靴に塗ると多少は滑りにくくなる」

 

 雨具と共に壺を投げ渡す。少年はそれを受け取ると素早く装備すると共に壺をタップして指先に黄色い光をともす。その指で靴底に触れると、くすんだ黄色に染まった。色が変わった靴底の感触を確かめる姿に少し苦笑する。ちょっとねばついてるんだよ、あれ。嫌そうな顔をしてる。

 

「安心しろ、小屋につく頃には効果時間は切れてる」

 

「そいつはどうも。なあ、爺さん。護衛を始める前に聞いときたいことがあるんだが」

 

「なんだ?急がないと警戒が間に合わんぞ」

 

「名前、教えてくれないか」

 

 ……はて。

 

「言ってなかったか?」

 

「言ってない。なんなら俺も教えてない」

 

「そうだったか、坊主」

 

「そうだよ、爺さん」

 

「……わしゃもうだめじゃよ」

 

「ダメになるにはまだ早いっての」

 

 後70層もあるんだぜ、アインクラッド。そういってニヤりと笑いながら背中を叩いた少年は一足先に馬車から降りた。生意気な坊主だ。同じように笑いながら私も馬車を降りる。私は左側、坊主は右側だ。その指示に頷いて移動しようとする少年の前にウィンドウが表示される。

 

「ふーん……意外と普通な名前なんだな、爺さん」

 

「本名はもっと平凡だ。いずれ現実に戻れたら坊主が大人になった頃に酒持って行って遊びに行くさ。そんときゃ私の名前を笑ってくれ」

 

 パーティ申請。仲間になった少年の視界の左端に表示されているであろう私の名前を見た少年はまたしても笑っている。うるさいな、私だってもっとかっこいい名前にしたかったんだよ。

 ため息をつきながら周囲の警戒を始めると、今度は私の方にウィンドウが表示される。

 

 ―――からフレンド申請が来ています。

 

「なんだ、坊主も割と平凡じゃないか」

 

「本名は俺も平凡だ。現実に戻ったら爺さんがくたばる前に煙草持って遊びに行くよ」

 

「その時はいい煙草を持ってきてくれよ。楽しみにしてる」

 

 ウィンドウがピロンと音を鳴らし、フレンド欄に彼の名前が登録された。

 

「……ははっ、やはりか。何度見ても間違いないな」

 

「ん?どうかしたか、爺さん」

 

 なんでもないさ。考えていたことが当たっただけだからさ。

 

 

 そうか、おまえが―――なんだな。君があの、黒の剣士なんだ。

 

 

 くしゃりと音がしそうな笑顔と共に坊主の背中を叩く。戸惑いながらも坊主も笑い返す。

 

「それじゃ、老人の代わりに頑張ってくれよ。攻略組のキリトさん」

 

「おうよ、お互いに頑張ろうぜ。エンジョイ組のゴロー爺さん」

 

「爺さんは余計だ」

 

 キリトが突き出してきた拳を打ち返した。年老いた私よりも遥かに若い彼の拳は一回り小さかったが、力強さを感じた。STRステータスが負けているだけ、なんて無粋なことは言わないさ。

 そういった物理的なモノじゃない。もっと精神的なモノが違っているのだ。

 

 彼のようになりたい、と思ったことはある。けれど、決して私は彼になれない。

 

 ただ、それでもどうか……憧れることだけは、許してくれ。

 

 白にも黒にも染まり切れないグレーの大剣を握る手に力が籠る気がした。さあ、行こうか。

 

 未来の英雄、アインクラッド解放者に恥じることなく戦って見せようか。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 203X年4月10日

 

「――で。そのことを思い出して煙草を買った、と?」

 

「えっと、その……まあ、そうなります、ハイ」

 

「そうだったのだ。てっきりお兄ちゃんが私とアスナさんの知らないところでこっそりと喫煙していたのかなーって」

 

「仮想世界ならともかく現実では吸わないよ。向こうで吸ってもアスナに叱られるし。それに、煙草の煙は今も昔も精密機械には毒だからな、俺の仕事にも家族にも害が大きすぎる」

 

「確かにそうだね。うちでもオーグマーの改修モデルを使い始めたから煙草は控えろ、って署長から指示が出ていたかな。それであの迷宮区はどうやって突破したの?」

 

「ああ。直葉もALO版のアインクラッドで知ってると思うけど、あそこの迷宮区は大樹の中に作られていただろ。で、迷宮区の最深部の何もないところでエルフの爺さんが作った煙草を使うと、煙草の煙で壁が枯れて閉ざされた道が開ける、っていう仕組みだったんだ」

 

「なるほど。でも、ALOだと確か祈りを捧げたら開く仕組みだったよね?なんで違うんだろう」

 

「レーティングの関係で調整されたんだろうな。SAOは倫理コード解除でそういうコトもできたし、大分緩かったように思える。デスゲーム化するにあたって少しでも現実に近づけたかったんだろうか」

 

「あ、あんまり聞きたくなかった事実……で。結局その煙草はどうするの?」

 

「さっきも言ったけどこの煙草を吸うのは俺じゃない。これを吸うのは例のゴロー爺さんだよ。今からちょっと渡しに行ってくる」

 

「でも、そんなことしていていいの?だって今日は予定があるって……あっ」

 

「……SAO事件被害者のお墓参り、だろ。大丈夫。爺さんもそこにいるはずだから」

 

 

「あの城が消えてから十年以上経つが、どんな手を使ってもゴロー爺さんは見つからない。今でも信じたくはないけど、爺さんはアインクラッド未帰還者なんだと思う」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「キリト、一つ聞かせてくれ。どうして私をフレンドにしたんだ?」

 

「は?」

 

「黒の剣士は孤独なソロプレイヤーだと聞いたことがある。今もそうだ。人とは群れないんじゃないのか?」

 

「そんなことか。確かに俺は孤独なソロプレイヤーだけど、この残酷な世界に一人で生きていくには限界がある。だから鼠にも頼るし、知り合いの野武士顔と一緒に戦うこともあるぜ」

 

「野武士顔?ああ、壺か」

 

「ははっ、あいつを壺って呼ぶやつ初めて見た。多分元ネタ的には間違ってはないんだろうけどさ。とにかく群れないのは勘違いだよ、爺さん」

 

「ならどうして。そいつらは攻略の役に立つだろう。だが、私みたいな男は攻略の役には立たないぞ」

 

「生き急ぐばかりが、生き方じゃあるまいよ」

 

「あん?」

 

「爺さん、俺と出会ったばかりの頃にそう言っただろ。その言葉が胸に残ってるんだ」

 

「あんな言葉が?」

 

「あんな言葉がだよ。攻略のためだけに前を向いて走り続けてたら、ふと息が詰まりそうになることがある。そんな時に、ふと一息ついてのんびりするのがたまらなく楽しかったんだよ」

 

「一人でのんびり昼寝したり釣りしたり、うまいモノ食べたりさ。そういうのが楽しいんだけど、意外と爺さんと一緒に何かやってる時が楽しいんだな、これが」

 

「からかってるのか坊主。そいつは女を口説く時に言え」

 

「や、割と本気だぜ。だって爺さん、いつも楽しそうだろ」

 

「……楽しそう?私が?」

 

「おう。馬車でのんびり旅しながらおいしい料理を作ったり煙草を吸ったり時にはちょっと冒険したり。息抜きを覚えたばかりの俺には眩しい存在だったよ。きっとSAOを一番楽しんでるプレイヤーはあんただぜ、ゴロー爺さん」

 

「そんな爺さんみたいに生きられたらどれだけ楽しいだろう、って思ったんだ。だから爺さんにフレンド登録を申し込んだのさ。ゴロー爺さんみたいに生きてみたい。あんたの真似をしてみたい、なんてな」

 

「―――はは、はははっ!そうだろうよ。ああ、そうとも!なんせ私はエンジョイ組だからな。攻略組で一番強いキリトさんさえも楽しませてみせるさ。今度も期待してろよ?」

 

「楽しみにしてるぜ。そうだ、今度の釣りは知り合いのギルド誘ってもいいかな」

 

「好きにしろ。どれだけ来るかわからんが盛大にバーベキューでもやるかな。希望は?」

 

「肉!魚!辛めの味付け!」

 

「おうよ、任されて。キリトは食卓の彩りに閃光ちゃんを頼む」

 

「それは……その……まあ、うん。頑張ってみるよ」

 

「……関係改善は遠いな、坊主」

 

 

 

 

 

私はあの城に生きることを許された。とある男の夢を飛び続ける城に。

 

だからこそ。あの空で生きた『誰か』になりたかったんだ。

 

なあ、キリト。私は、黒の剣士にとっての『誰か』になれただろうか。

 


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