医務室の住人を脱却してから一月経過した今も、おれは白ひげ海賊団の船に居候している。
船員になったわけではなくて、居候である。ここ重要。
船長さんが船員でもない子どもを船に乗せる決断をしたのは、おれの記憶の欠如が一番の理由だそう。
このまま治安の良い島に送っていったとしても、知識の無さによってろくでもない結果になることが目に見えていると、口頭でおれの知識テストをしたビスタさんが言っていた。
まあ、回答はほとんど『わからない』だったから、反論はなにもできない。
「でもなあ、回答の解説してほしいよなあ」
「どうしたヘーマ。手は止まってねぇからいいが、ぼんやりしたままじゃ切っちまうぞ?」
「はい、気をつけます」
おれは居候なので任される仕事はないが、手が足らなそうなところだけ手伝っている。食材の下処理とか、デッキの掃除とか、洗濯物を畳むとかいろいろ。
現在は大量の芋の皮むきの最中である。白ひげ海賊団は人数も千人近いから、複数の船で手分けして作っていても下処理だけで重労働だ。
強面でもおれが怯えないことがわかった後は、海賊達はよりフレンドリーになった。対応が荒っぽくなったともいう。
最初の接触者がマルコさんとイゾウさんだった理由は、比較的威圧感のない顔立ちだからとのこと。
他のメンバーを紹介されたら納得しかなかった。強面というよりそもそも体格がデカいしゴツい。オヤジが大丈夫ならいけるだろと安心しておれを構いにきたと笑って話していた。
船長さんも笑っていたけど、息子達の認識それでいいのか。
ちなみに、今生の名前は一向に思い出せないため、とりあえず前世のものを名乗ることにした。ワノ国風だな、と言われたので、日本っぽい国もこの世界にはあるらしい。まあ、刀があるし当然か。
「でも知識テストの不正解、ビスタさんが答え教えてくれないんですもん。サッチさん知ってます?」
「んー?」
「『てんりゅうびと』とはなにかって問題だったんだけど」
「……あー」
そりゃあ、言いづらいなとサッチさんは辟易とした顔をした。ビスタさんも同じような顔をしていたけど、とっても嫌そう。
胸くそ悪くなる話になるから、食材を無駄にしないためにも後にしたいと言われ、おれは頷くしかなかった。うん、相当な厄ネタみたいだなぁ。ちょっと聞くのが怖くなってきた。
手早く仕込みを終えた小休憩の時に、おれはようやく『天竜人』について知ることになった。
八百年前に世界を統一した複数の王家の子孫って点は問題ない。権力を持っているのも、まあこれはどこの国でも同じだろうから問題ない。
だが、一般市民に何をしても許されて、それを止める同格がいない点はアウトですね。
そんな全世界からヘイト稼ぎまくっている奴らが、革命もされずに八百年のさばっている状態。どう考えても組織の自浄作用を失っている。世界政府の役割は天竜人の為の平穏の維持で、逆らう者を押さえつける重石かな。
「行政機関としては不穏分子の締め付けは当然だけど、トップに据えられた奴らが尊敬できなさすぎて、悪の組織と化してるのが笑えますね。
とりあえずマリージョアに爆弾でも贈りつけてきましょうか?」
「思っていたより大分過激だなお前。それだと天竜人もそうだが、奴隷の奴らも一緒に吹っ飛ぶぞ」
「それはだめですね」
なるほど、奴隷にされている人たちは、ある意味人質である。天竜人に逆らおうとする者達は、身内が奴隷にされた理由が多そうだ。
生きているかもしれない身内ごと葬り去ることは決断できないか。
「ピンポイントで天竜人だけ被害に遭う方法か……んー、寝てるときに薬物盛っちゃう?」
「話題に反するあどけない顔と声が怖い」
天竜人の近くにどれだけ悪魔の実の能力者がいるかわからないけど、能力者以外に見えないピクテルなら大抵の所に侵入できる。壁を通過するからな。
……あれ、これなら世界政府管理で侵入禁止エリアでも入れそうだな?
「机上の空論でも、言うだけは無料ですからね」
「はー……冗談かよ。ちと焦ったぜ」
「本当にやるとしたら、彼らがおれの許容範囲を超えたら、です。
例えば……おれが奴隷にされそうになるとか」
「おれはお前が将来の危機について自覚していることを安堵すればいいのか、起こりうる可能性が高すぎて暗殺者の未来がビカビカに輝いていることを嘆けばいいのかわからねえ」
おれの容姿は何の因果か前世の姿にそっくりだ。髪の色は黒だが若干青みがあるし、目の色も緑でカラーリングがジョナサン寄りになってこそいるが、ディオのすこぶる端整な顔立ちのままという奇縁。
こんなおれが天竜人に遭遇すれば、その後の展開はベタすぎるってものだ。なお、スタンドについて知られれば、確率は上がる。
そりゃあ、海賊である船長さんも知識のないおれを船から降ろすことを渋るよ。おれも同じ立場ならそうする。
この海賊団、上層部ほど懐が深すぎて聖人の疑いがある。天竜人への暗殺計画を止めないあたりは、やっぱりアウトローだけど。
「もしそうなっても応援してくれます?」
「お前が決めた道なら、おれ達ぁ文句はねえよ」
サッチさんに苦笑いされたが、おれがこの船に乗っている間は、奴隷にされる危険はほぼなさそうだ。まず、天竜人は白ひげ海賊団のいる地域に近づいてこない。
理由は船長さんが四皇っていう海賊のトップフォーにいるため、恐れられているのが一つ。もう一つが彼らが根城にしているのはほぼグランドラインの新世界で、海を渡ること自体が危険なため世界政府から航海が推奨されていないためらしい。
みんなはおれがある程度育つまで、将来の猶予をくれようとしているのだろう。実に大人な対応だ。ありがたいが、どんどんおれの攻略が進むことだけが難点だな。
「よし、手伝いご苦労。後はおれたちがやるからもういいぞ」
「はーい、お疲れさまです」
小休憩の終了と共に手伝い完了を言い渡されて、素直に調理場を出る。おれが手伝えるのは野菜の皮むきと皿洗いくらいだ。子どもだからということもあるが、居候に食事を作らせるほど警戒心のない海賊団ではない。
つまり、カテゴリーのわりに真っ当な組織ということで、おれの中の白ひげ海賊団の株価の上昇が止まらない。世界政府はクソなのにどうして。色々話を聞く限り、他の海賊は普通にカタギに迷惑をかけまくる犯罪者集団のようなので、この海賊団がとても変わっているだけだろう。
以前、船長さんはビッグダディなのかと呟いたら、その場にいた全員がとんでもなく嫌そうな顔をした。
わけを聞いたらビッグ・マムと呼ばれるクソババアな海賊がいるらしい。似た呼び方もダメなんだ……ここまで嫌うとなると、大家族は同じでも方針が全然違いそうだな。
甲板に出て日課のスケッチをするため、手すりに登って腰掛ける。
毎日こんなに海と空を描いたことはないなぁ。ずっと描いていた時期もあったけど、建物と交互だったし。でも同じ形の雲はないし、同じ色の海はないしで、いくら描いても飽きることはない。
午前中に知識を教えてもらい、午後は手伝いがないときは自由に過ごしている。たまにトレーニングや手合わせの光景をスケッチして、船長さんの部屋に行ってはこれまたスケッチする。自主的にこっそり練習もしている。
……困った、生活が充実しすぎて、おれが船を降りられる気がしない。海賊にならなくても実家として認定するのはダメだろうか。
軽くため息をつき、気を取り直して鉛筆を持ち直した直後、突然船が大きく揺れた。
いきなりの横揺れに体勢を崩したおれは、手すりから落ちて床に背中を強かに打ちつけた。
いってぇ……頭は防御したけど、背中を無防備に打ったぞ。
痛みに悶えながら身体を起こし、受け身のため手放したスケッチブックと鉛筆の行方を捜す。放り出したときに真上に投げたのか、手すりに乗ったスケッチブックを発見した。あぶな、もうちょっとで海に落ちてるところだった。
ピクテルに取りに行ってもらい、もう少しで彼女の手がスケッチブックに届こうとしたとき。
もう一度、船が揺れた。
ゆっくりとスケッチブックが舞い上がる。こちら側ではなく、青い空の方へ。
その向こうに、三階建てビルのような大きさの、牛のような魚のような、変わった生き物が顔を出した。どうしてか頭にたんこぶを拵えていて、涙目のように見える。
「なにあれ」
「あれは
「こっちみてるのは」
「ゼハハハ、八つ当たりする気満々ってやつだな。問題ねぇさ、隊長たちがしっかり対応するだろ」
怪我はねぇかとおれを起き上がらせるティーチさんの手をとって立ち上がり、転がった拍子に付いた服の埃をはらう。
あれ漫画で見たことあるわ、アーロンが従えてたろ確か。
なるほど、うっかりぶつかったか。うんうん、あるよねうっかりすることって。それはまあ納得しよう。
けどさぁ──
「はぁ!?」
仮面を外したピクテルによってキャンバスに入れられ、成人男性の大きさになったおれ。ティーチさんの驚く声が聞こえるが、気にせずに手すりを足場にして海牛に向かって跳躍する。
はは、近くに来るとさらにデカいな。単純な衝撃ではビクともしないだろうとわかる。
でも、テメェのデカい目に、地上の生き物より低いはずの熱耐性……急所はわかりやす過ぎんなァ!?
秘密の特訓の成果でおれの右足に熱が集まり、前世では決して出来なかった、弟分の技をおれは叫ぶ。
「よくもおれのスケッチブックをッ!
くらいやがれ──
髪を焼き切るほどの熱を帯びた蹴りを左目にくらい、たんぱく質が焼ける音と臭いがする。おれの攻撃に、牛に似た悲鳴を上げて苦悶している海獣。
牛みたいな見た目ってことはきっと肉質も似てるんだよなぁ、テメェを仕留めて皆でバーベキュー大会してやらぁ!
ギョロリと無事な右目でおれを睨み付ける海牛。おう、ソッチもヤル気になっためたいだな。
睨み合い、海牛が少し後ろにのけぞる。
──くるか。
勢いをつけて向かってくるとんでもない質量の海獣を、波紋を溜めながら待ち受け──海牛の首が胴体からずれて宙を飛ぶのを見た。
……は?
どぉん、と音をたててデッキの上に海牛の頭が転がる。その顔は何かを睨み付けたままで、この海牛が自分の死を理解していないことがわかる。
……えっ、くび、とん……エッ。
ぱちくりと目を瞬かせて切り離された頭と海獣がいた方向を往復するおれを、何とも言えない顔で下手人であろうビスタさんが血糊を拭いながら見ている。
「ヘーマ」
「……マルコさん」
そこに、ひっっくい声で名前を呼ばれて肩を跳ねさせ、恐る恐る振り向いた先には無表情でおれを見下ろすマルコさん。その背に仁王を背負ったような姿を認識して、ピクテルは素早くおれを元の姿に戻し、その場で正座するおれの横に同じように正座をした。
流石だピクテル、どうすれば一番怒られないかを理解している。
「流れるように正座したな」
「さっき、ヘーマのやつデカくなってなかったか」
「ああ、大人だった」
「横のとんでもない美女は誰だ」
「ヘーマに似てるな」
「おい、ヘーマ。そこの美女はお前の姉ちゃんか?」
内心ガクブルで沙汰を待つおれたちを見て、みんなはワイワイと野次馬をしている。あれー、なんでみんなピクテルが見えているの?
でもゴメンね、じっと見下ろすマルコさんから視線を逸らすため、床を凝視するおれには返事する余裕がないんです。
「そいつは誰だ」
「ピクテルです。仮面を外したらこうなります」
「さっきお前がデカくなってたのは」
「着ぐるみを着たようなものです。今の姿が本当です」
「海牛を蹴飛ばしていたあの技は」
「出来そうと思ってやってみたらできた勢いの技です」
「なんで海牛に向かっていった」
「この船に乗ってから描き溜めたスケッチブックを海に落とされて、頭に血が上ったからです」
淡々とした、しかし威圧感を滲ませる声で質問していくマルコさん。なんだろう、シーザーもなんだけど説教時のジョナサンも混ざってるような……つまり頭が上がらないメンバーミックス。勝てるわけがねぇ。
いや、心配されたんだろうことはわかる。頭の血も大分降りてきた。おれと海牛では明らかに質量が違い過ぎて、普段のおれなら絶対向かっていかない。直接戦闘なんてもってのほかだ。
おれもまさか今生もこの悪癖が残っているとは思わなかったし、キレすぎて練習でもまだ成功したことがない波紋疾走をぶっつけ本番で試すとは思っていなかった。
というか、波紋を使えたなぁおれ。呼吸法を練習していたけど、本当にできた。
本来なら喜び腕を空へ突き上げているところだけど、いまのおれは冷や汗を流しながら必死に目を逸らしている。自業自得だけどもうちょっと穏便な状況で成功させたかったな。
うつむくおれの両頬に大きな手が添えられ、ぐいと上を向かされる。近い距離にいるマルコさんと視線が合った途端、おれの身体は小さく震えだした。
嘘だろ、この場面で今生の記憶にないトラウマスイッチが入るって。
頭を掴まれて視線を合わせられるのがダメなの?
それとも両頬に手を添えて顔を近づけられるのがダメなの?
どちらにしろ碌なシチュエーションが浮かんでこないんだけど!?
どんだけトラウマ積んでるのかわからんなこの身体……。
マルコさんは震えだしたおれに目を見張って、パッと手を離した。代わりに両脇に手を差し入れ、おれの頭がマルコさんの肩にもたれるように抱き上げる。
落ち着かせるためかポンポンと背中を撫でられ、おれはマルコさんの肩にしがみついた。接地面からじわりと移る温かさに、震えが収まっていく。
本当、なくした記憶は碌でもないものが詰まってそうで、思い出したときが怖くなるよ。
おれの背中を撫でて宥めていたマルコさんは、小さく息を吐いてからおれの名前を呼んだ。なんでしょうか。
「スケッチブックが無くなって、悲しかったのかよい」
おれは目を見開いた。
その言葉が、正しいと理解したから。
そうか、おれは悲しかったんだ。いまも、前世も。
描いた絵や画材を壊されたとき、おれは怒りで我を忘れていたと思っていたけど。
悲しくて、あまりに悲しくて。それがとても耐えられなかったから、怒りに転換して発散していたのか。
目を逸らし続けていた自分の心に、とうとう気づいてしまったおれは、両目からぼろぼろと涙が流れるのを止められなかった。
「せっかくみんなのえをかいたのに」
──おう、ヘーマ。今日も絵を描いてんのか。
「いそがしいのに、ぽーずとってくれたり、うまいなってほめてくれたのに」
──これで描いてくれよ!
──おれはこれだ!
──馬鹿、この角度のほうがカッコいいだろ!
──すげぇ……おまえ本当にうまいなぁ。
「おれには、えしかかえせるものがないから、いっばい、いっばい、かいてたのに」
──へへ、絵を描いてもらったのなんて初めてだ。
「おれの、たからものだったのに……!」
──おはよう、ヘーマ。今日は誰を描くんだ?
「なくして、ごめんなさい……!」
しゃくりあげて、呂律が回らないまま、マルコさんのシャツを握りしめる。悲しい気持ちに心が満ちてしまって、おれはただ小さい子どものように泣いていた。
「そうか……おれたちの絵が宝物だったかぁ」
だから、マルコさんの声がとても優しかったことも、野次馬だったみんなが頬を綻ばせていたことも。
泣き疲れて眠ってしまったおれの頭を、代わる代わる撫でていくことも。
落としたスケッチブックを海の底まで拾いに行ってくれて、びしょ濡れになったそれをどうにか乾かそうと努力してくれることも。
おれは気付かずに、知らずに。心の示すまま、全身で感情を表していた。
「お、寝ちまったなァ」
「あれだけ大泣きしてりゃあ、仕方ないけどな」
「……宝物、か」
「こそばゆいよな」
「まあな。でもよ、アレだな」
「ああ……嬉しいなァ」