記憶に掠る声
イオンオーデー号の旅は快適だった。
空を飛んでいるため、風による多少の揺れこそあるが波の揺れよりは穏やかだ。船内もしっかりと作りこんだため、いくつかの個室と客室には浴室が付き、共用部にはそこそこ広いキッチン設備とダイニング、談話エリアも備わっている。
設計主権限でアトリエも作ることもできたが、安全のためこれは止めておいた。おれは絵を描いているときが最も無防備だ。万が一敵に乗り込まれたときを考えると、危なくてできない。
「これは確かに旅行だな」
おれが作った朝食を食べ終わったレイリーは、コーヒーを片手に苦笑していた。
「海賊としては優雅過ぎる」
「イオンオーデー号を作る前はもうちょっと荒っぽい旅行だったよ」
「二人して座席に座りっぱなしだったからな。いまのおれの身体じゃ、ちと辛いところだった」
「一年で伸びたもんなぁ」
長期滞在している間、成長期のソルが全く成長しないのはおかしい。今までは間隔をあけて年齢を調整していたけど、毎日一回調整する羽目になったのも今となってはいい思い出である。
一年で四十センチも伸びるとはなぁ、この世界の成長期って恐ろしい。
「このコーヒーといい、昨夜の酒といい質が高い……ロジャー、お前かなり舌が肥えただろう」
「三食美味いもん食ってりゃ、仕方ねェ。ヘーマまた料理の腕が上がったんじゃねェか?」
「下がったら特訓でしばらくモビーディック号から降ろしてもらえなくなるだろ」
「そりゃそうだ」
課題を出す隙を窺っているからな、みんな。回を重ねるごとに難易度が跳ね上がるの、本当にやめてほしい。おれは画家なんですよ?
そんなおれの家庭事情を知らないレイリーは、どういうことだと疑問を浮かべている。
「ニューゲートとマルコはそこまでじゃねぇんだが、他の奴らがな。かよわいヘーマばっかり見ているもンだから、過保護なんだよ」
「なにやったんだ君」
「お父様の息子でいたいってギャン泣きした」
「……それはなるだろ」
「だよな」
二回目の特訓はそれが原因だと思うので、やってしまったなぁとはおれも思っているんだよ?
子育て経験のある二人は仕方ない奴だとおれに微笑ましいものを見る目を向けた。やめて、自覚しているから。
「やっぱり、泣き止まずにクマのぬいぐるみを抱えてソルに手を引かれていった姿が拙かったか……」
「本気でよく船から降ろしてもらえたな」
「後日おれとの手合わせを見せたから、ある程度実力は認めてンだろうがな。まあヘーマがデカくなりゃそのうち治まるだろうぜ」
まだちっこいもんな、とおれの頭をポスポス叩くソル。お前、自分が先にデカくなったからって、余裕かましてんじゃねぇわこの野郎め。
第一、お前に比べりゃ大抵のヤツはちびだろう。今でさえ二メートルを超えているのにここからさらに五十センチ程伸びるとか、身体能力の高さが身長に影響しているんだろうか。
ソルのちょっかいをされるがまま受け止めているおれを見ていたレイリーだったが、それで今後の予定についてだがと話を切り替えてきた。
「シャボンディ諸島に寄るとのことだったな、なにか物資の調達か?」
「それもあるけど、コーティングを依頼しようと思って」
「相棒にか?」
「そうレイリーに……え?」
「ん?」
言っている意味がわからず首を傾げたおれに、ソルもなにが引っかかったのかと首を傾げた。え、どうしてレイリー?
まったく理解できていないおれに気付き、レイリーは呆れた声を出した。
「なんだ、初対面のときの私の挨拶を覚えていないのか」
「初対面……?」
はて。何を言っていたっけ。
ウンウン唸り記憶を探るおれの頭に、ぼわっと当時の光景が再現される。
『私はレイリーという。しがないコーティング屋の老人だよ』
──あ。
「レイリー、コーティング職人?」
「いまは道具と素材を持っていないからできんがな」
うわー、ほんとだ。ちゃんと言ってたよ、そうかそうか。すっかり忘れていたおれは折角の伝手を見逃す所だったらしい。
シャボンディ諸島は人攫いの巣窟だ、それらを排除しながら信頼できるコーティング職人を一から探すのは時間がかかるだろう。渡りに船とはこのことだ。
「レイリーに頼むとしたら金額どれくらい?」
「そうだな、この船の大きさなら──」
そうして提示された金額は、大金ではあるがどうも安い印象を受けた。まさかとジト目でおれがレイリーを見つめると、パチンとウインクを返される。うわ慣れてる。
もー、知人割引なんてしなくていいのに。よし、割り増しで払ってしまえばいいことだ。支払時は渡すカバンに細工しよう。
「受け取らんぞ」
「受け取らせてやる」
見聞色で読んだのか眉を顰めるレイリーに、おれは無邪気を装った笑顔を向ける。カーンと勝負開始のゴングの音が鳴った気がする。
まあ、支払はどうあれ、コーティング作業には数日かかるということなので、その間おれ達はレイリーの住処に身を寄せることになった。
シャボンディ諸島に辿り着いたあと、おれは一旦イオンオーデー号をスケッチブックに仕舞い込んだ。これで船泥棒は抑止できる。
「ではまず十三番GRを目指そう。そこで身内がバーを経営していてね」
「ヤルキマン・マングローブの木ごとに番号がついているんだっけ。今いるここは何番?」
「二十七番だな、全部数えると七十九番まであるぞ」
「いやー、久々だなここも」
おれは顔隠しのためフードを被ったままレイリーとソルの後をついていく。周りに人気はない。ここに止めたのはレイリーの指示だけど、上陸のため目立たないところを選んでくれたらしい。
「ちなみに、番号が小さいほど治安が悪いと思ってくれ。特に二十番台よりも前は無法地帯となっている」
「行くの十三番だよね、そんなところでバーをやってるの? 大丈夫?」
「ぼったくりバーだからな」
なるほど、経営側も治安が悪いのか。無法地帯なのは客層だけじゃないと知っておれは妙に納得した。そうだよな、レイリーの身内だもんな。
おれは背の高い二人を追って小走りで付いていったが、気付いたソルがひょいとおれを片腕に抱えた。攫われる隙を作るつもりはないが、悪魔の実の能力などを使用されると面倒だとのこと。確かに。
抱えられて進むうちに、適度な揺れとソルの高めの体温でおれの意識はいつしか眠りについていた。一年近く弟達と昼寝してたからな、習慣ってこわい。
***
「……寝たな」
「ハモンで強化しているとはいえ、元々ガキの中でも体力がねェほうだからな。レイリーも抱えてみるか、温いぞ」
「今からおれが抱えていると隠し子だと思われるだろうが」
「わっはっはっは!」
こてっと眠ってしまったヘーマを抱え直して、ソルは豪快に笑う。慣れているのかかなりの大声だというのに子どもは起きず、いつもより子どもらしい姿にレイリーは口の端を引き上げた。
目標地点のバーはレイリーの内縁の妻同様の女性が経営している。元海賊でもある彼女は無法地帯でも一人で店を存続できる十分な強さを持っており、基本的に犯罪者ばかりの客から日々ぼったくっている。
大抵は料金を踏み倒そうと店に来るが、腕利きの彼女に手も足も出ずにぼったくられる運命にある。
ぼったくりの意思主張の強い店の中に足を踏み入れると、ちょうど店主がぼったくっているところだった。
「あらレイさんおかえりなさい。そちらはお友達?」
「ああ、ただいま。貸し切りをお願いしたいのだが、片付けを手伝おうか」
「いいわよ、もうおかえりのようだから」
ね、と踏みつけている男に店主が笑いかけると、男達は悲鳴を上げて財布を置いてバタバタと店から逃げ出していった。
「一年と半年くらいかしら、前に会ったのは。旅先でこんな可愛い子達を見つけたの?」
「……ヘーマは可愛い顔だと認めるが、コイツは違うだろう」
「ひでぇじゃねェか相棒。おれだって今はピチピチの十六歳だぜ」
「中身はジジイが何ぬかしてんだアホ」
嫌そうな顔をするレイリーの肩へ青年は楽しそうに口の端を吊り上げたまま腕を伸ばす。二人の気の置けないやり取りに店主──シャクヤクの眉がピクリと動いた。
青年に対してレイリーの反応が随分と若い。まるで現役時代の、と彼女が考えを巡らせたとき、ふと青年に見覚えがあることに違和感を持った。
見覚えがある? 初対面の筈なのに?
「待って、その子……」
違和感は急速に得体の知れなさへ変わっていく。名前を口にしようとしたシャクヤクは、言葉を続けることができずに口籠もった。
何に見覚えがあるのかわかってしまったからこそ、彼女は迂闊に名前を出すことができなくなってしまった。
ああでも、血縁者の可能性もある。その方が自然であるし、妊婦狩りを逃げ切った誰かがいる可能性は否定できない。
だけど、コイツは血縁なんて可愛らしいものではない。そんな青臭い未熟さを残している人間ではない。
「……ロジャー?」
「当たりだ。元気そうだなシャクヤク」
ゴールド・ロジャーでしかあり得ない佇まいで、手配書によく似た凶悪な笑顔で、青年の筈の男は笑った。
処刑された男の登場に、流石のシャクヤクもどういうことかと取り乱した。レイリーは彼女を落ち着かせたあと、ロジャーがここにいる経緯を話して聞かせた。
時折ロジャーからの注釈が入る話の中身は
「そう……ニューゲートの孫なのね」
「んぅー……」
「ふふ、柔らかい。てっきりレイさんの隠し子かと思ったけど」
「シャッキー……」
「わはは、信用がねェな」
「うるさい」
あどけなく眠る少年の頬をつついてみると、柔らかく指が沈むそれに彼女もニッコリと笑みを浮かべる。親しい女性に疑われたレイリーは困ったように眉を下げたが、からかうロジャーに悪態をついた。
クスクス笑いつつ、シャクヤクは棚からコーティング依頼の書類を取り出した。
「コーティング作業の請負ね、船は何処に泊めているのかしら」
「いや、コイツが能力で持ってる。レイリー、作業は明日からか?」
「今日中には計測しておきたい。だがヘーマが起きないことにはできないだろう?」
レイリーはヘーマの能力を悪魔の実の能力と同じように捉えていた。ロジャーにそう説明されたため猶更である。悪魔の実の能力は能力者の意思で使うもの、第三者が使うことは不可能だ。
──しかし。
「言っただろ相棒、おれはヘーマが認知しない所で捕まったってよ……なァ、ピクテル」
ニヤリと笑うロジャーの呼びかけに応えるように、微笑むピクテルの姿がふわりと空中に現れた。
「本人の意識が無くても動けるのか……!」
「実質二人のようなもンだ。ピクテル、イオンオーデー号を出せるか?」
ロジャーに向かってピクテルは指で丸を作ってから、おもむろにクッションやブランケットをスケッチブックから取り出した。
何をしているのかと一同が首を傾げて見守っていると、彼女はソファーの角にクッションを集めてヘーマを横たえてから、ぬいぐるみのトットムジカを取り出してヘーマに抱えさせる。
トットムジカごとすやすやと眠るヘーマへブランケットを掛けてから、満足げにひとつ頷いて、ひらりとロジャーの傍に寄った。
そして行くぞとばかりにビシリと店の外を指差しする。
「よし、準備できたみたいだぜ」
「彼の印象が二転三転するなァ……」
「なーに、どれもヘーマだ」
頭を掻きながら自分の後に続いてドアをくぐる親友に、ロジャーはニカッと笑顔を向けた。
***
意識の浮上と同時に、おれはパチリと目を開けた。なんだかとてもよく寝た気がする。
起き上がってみると、何処か飲食店のようなインテリア達が目に映った。飲食店というか、成人年齢以降に行くお店というか。おれが埋もれていたクッションはピクテルが好むデザインをしているため、この店の備品ではないだろう。
店内にソルとレイリーの姿は無い。護衛役に残されたのだろう抱えていたトットムジカに聞いてみると、コーティング作業のため外に出ているとのことだった。
「──あら、起きたのね」
かたん、とカウンター内の扉を開けて姿を現したのは、黒髪のおかっぱボブの美女。新たな人物にキョトンとしているおれにニッコリと笑いかけ、ジュースでいいかしらと聞いてきた。
はいと頷くとおれが座っているソファーの前のテーブルに、ストローの刺さったコップを置いてくれた。お礼を言ってストローを咥える。あ、パイナップルジュースだ。
「あの、おれヘーマって言います。お姉さんは」
「シャッキーって呼ばれてるわ。この店の店主なの。よろしくねヘーマちゃん」
おっと、ちゃん付けときたか。おれの近くに椅子を持ってきて座る美女に、こちらこそと頭を下げた。この女性がレイリーの身内の人なんだろうな。
でもなんでこんなにニコニコ笑って見られているのだろうか。
向けられる優しい笑みに困惑するおれの耳に、ガランというドアベルの音が聞こえた。
「──こらこら、シャッキー。ヘーマが戸惑っているだろう」
「だってとっても可愛いじゃない」
こんな美人な男の子初めて会ったわ、とドアをくぐったレイリーに笑いかける横顔は親しみを込めた笑顔が浮かんでいる。はっ、身内って聞いていたけど、もしかして奥さんなのかな。
「お、起きたかヘーマ」
「おかえり。もう作業始めたの?」
「まだだ。必要な材料の見積もりが終わったところだな」
続いてドアをくぐったソルは、これから材料の買い出しを手伝ってくると担いでいた道具を床に降ろした。
いくつか道具がダメになっていたのと、ヤルキマン・マングローブの樹液に混ぜる薬剤が足らないので、買い足しに行くらしい。
薬剤って大量になりそうだし、荷物持ち運び担当として一緒に行って手伝おうとソファーから降りようとしたおれの肩を、白くて綺麗な手が押さえた。
あ、あれ……動けないぞ?
「ヘーマちゃんはこっち♡」
「えっ」
「じゃあ行ってくるぜ!」
「シャッキーの相手を頼んだぞ。……健闘を祈る」
「なんでいま祈られたのおれっ!?」
そそくさと出ていく野郎共の後をピクテルが付いていくのを強制的に見送ることになった。どうしておれは置いて行かれたの。訳がわからず見聞色を使うことも忘れて固まっていると、フッと息が漏れる音が聞こえた。
「──あんなにはしゃいでいるレイさんは久しぶりね」
ありがとうヘーマちゃん、とシャッキーさんはおれの頭を撫でた。振り返ると彼女は微笑みながらおれをソファーへ座り直させた。
「やっぱり船長は特別みたい」
「……シャッキーさんはソルとは」
「ロジャーとは顔見知りね。これでも昔は海賊だったのよ?」
あなたのおじい様とも、と楽しそうな彼女を見て年齢がよぎったが、おれはそれ以上考えることをやめた。失礼だし。
「次はウチの人も連れて行くんでしょう? いいわよ連れてっちゃっても」
「……いいの?」
「他の女のところを渡り歩いているか、お友達とはしゃいでいるかの違いでしかないもの」
それは大分変わると思うんですが。何とも、割り切った関係だな。なんとなくこの二人らしいとは思うけど。というか、レイリーはやはり女好きで間違いなかった。他の女って。
「──じゃあ、お着替えしましょ」
「……着替え?」
おれがレイリーに持っていたナイスミドルの印象がガラガラと崩れたとき、シャッキーさんはすっと立ち上がってカウンター内から布の塊を持ってきた。
「丁度、ヘーマちゃんが着れるサイズがあるの」
「お待ちくださいレディ、それどう見ても女物では!?」
「あら、レディだなんて。今の服より露出は多くなるけど、大丈夫似合うわよ」
ぴらりとテーブルに広げられた服を見ておれの顔がひくつく。思わず前世で仕込まれた口調が出るくらいには驚いた。
え、おれ女装させられるために店に残されたの? いやなんだが?
おれは断固として断ろうとシャッキーさんの名前を呼び──
「それともジュース代払う?」
「着させていただきます」
──にこやかに伝えられた詰みに両手を上げることとなった。
しまった、ここがぼったくりバーってこと忘れてた……まさか最初のジュースすら罠だったとは。
そっちに小部屋があるからそこで着替えてねと服を渡され、おれは肩を落として示された場所へトボトボと歩いて行った。
まあ、それで着替えたのだが。
デニム生地のローライズのショートパンツ、胸元を覆う黒のチューブトップに薄手の白いショート丈の襟付きシャツ、そして黒のニーソックス。
ねえ、やっぱりこれ完全に女の子の服だよねぇ!?
おへそが出てるだけなのになんか凄く恥ずかしいんだけど、なんで!?
あとはメイクもされて髪も後頭部で結い上げられてリボンまで付けられた。そこまで徹底的にしなくても。
買い出しから戻ってきた二人には、なんでお前は男なんだと真顔で言われるし。とりあえず親指を下に向けといた。喧嘩売ってんのかジジイ共。
***
ひとりぶらぶらとシャボンディ諸島の街を歩くおれ。さみしい。
「なんでおれに手伝わせてくれないのかなぁ」
ソル達が帰ってくるなりおれはシャッキーさんの店を追い出された。コーティングの手伝いも禁止された。なんでだ。
ソルはレイリーを手伝うそうで、だからピクテルもあっちにいる。トットムジカはおれが抱えて傍にいるから完全に一人って訳じゃないけど、のけものにされるとおれが泣くぞ。
見回す感じ、覇気使いはほぼ見受けられないから、今のおれがひとりで出歩いても実力として不足はないとは思う。
ただ、問題はシャボンディ諸島でぬいぐるみを抱えた子どもが、その手の輩にどう見えるかってことだ。
「お嬢ちゃんはぐれたのかい?」
先程から親切を装った人攫いがひっきりなしに声をかけてくる。お前らもう少し顔から欲望を抑えろ、見聞色使わなくてもわかるわ。
にやけきった顔の男達が伸ばした手を捻って転がしつつ、波紋を流して気絶させながら進む。ほぼ作業であるが、何しろ回数が多い。
おれの実力を察知できず、人攫いに対する意欲が高いあたり、彼らはこの街で誘拐失敗は殆ど経験してないんだろう。治安が悪い。これで海軍本部が近いって、もはやギャグなんじゃないだろうか。
考えながら美味しそうな食べ物を探して歩き続ける。持ち帰りできそうなものないかなぁ、作業の休憩で食べるならしょっぱいものと甘いものどっちがいいだろうか。
歩く距離が伸びるにつれ、だんだん人数が増えてきた。そろそろ数に物をいわせてくるかもしれん。
そんな事を考えながらおれがさらに進んでいると、周りにいる人間に人攫いの割合が半数を越えてきた。お、そろそろくるか。
歩き去ったと思ったら、無言で背後から大きな布袋を手にした男が襲いかかってきた。声を掛けると失敗すると学んだらしい。
スッと横に避けて地面に蹲った男の首筋に指を添え、波紋を流す。ビクリと一瞬痙攣した男は、白目をむいて崩れ落ちた。
さーて、次はどうする?
反応を待ってみると、人攫い達はそれぞれ武器を構えた。おいおい、犯罪を隠す気もなくなったな。
「──多少値は落ちるがどうにか気絶させろ!」
「最悪オークションに出せなくても生きてりゃいい、それでも三億だぞ!」
少し離れた場所で声を張った男の言葉に、おれはニヤリと笑いそうになる口元をこらえた。
なんてことだ、おれの手配書をご存じの方々がいらっしゃったようだ。ならこちらとしてもわざわざ遠慮する必要はないな。
そう、海賊や海軍に対しては止められたけど──人攫いは対象外だよね!
おれは叫んで指示を出してる男に急接近し──突っ立って無防備な股間を蹴り上げた。
白目をむき背中から倒れる男の茶色のズボンは、赤黒く染まっている。やったか。
「ぎゃあああああ!?」
「あれはつぶれた、絶対つぶれた……!」
「ひ、非道極まりない……アイツは悪魔か!?」
「お前男なんだろ、なんでそんなことができるんだ!?」
「人攫い共が何言ってんだよ……てか、やっぱりわかっててお嬢ちゃん呼びしてたのかよテメェら」
ギャーギャー叫ぶ人攫い達に今度こそおれの口元がひくついた。
うん、この合理的かつ効果的な攻撃がお気に召したようで何よりだ。士気を折るのにピッタリ。ムカつく事実も出てきたことだし、ちゃっちゃと残りの去勢作業をはじめますか。
倒れた男の腹に右足を乗せて、おれは華やかで美しい笑みをつくった。
「今後の人生で玉なしになりたいヤツからかかってきな」
《むごい……!!》
「──それは流石に勘弁してやれない?」
怯えきったのか後退るばかりで向かってこない人攫い達に、もう逃げた方がいいかなと次の行動を内心悩んでいると、懐かしい響きの声音に、おれは頭が真っ白になった。
「ディ……」
思わず名前を呼びそうになって、口を引き結んだ。
知り合いのはずはない。ここは来世で、かつアイツは不特定多数の誰かのために、仲裁するような性格はしていない。面白がって高みの見物をするタイプ……絶対違うな!
なら、おれの後ろにいるのは誰だろう?
ちょっと怖がりながら振り返った先に見えたのは二本の柱。黒い布に覆われたそれが足だと理解して上を向くと、くせの強い黒髪を抑える紺色の帽子、気だるげながらも鋭い目がおれを見下ろしている。
最後に左胸元にあしらわれた海軍のマーク。
あ、この人海兵だ。