はあ、とクザンはため息をついた。
任務の合間に数日だけスケジュールが空き、休暇を貰えたことが切っ掛けだった。
外出せずにマリンフォードで過ごすのも手だが、恩師であるガープに稽古へ引きずり出されるのが目に見えている。別に稽古が嫌なわけではないのだが。
自身のヒエヒエの実の能力で他の島に出かけるとしても、期日内に行き帰り可能なのはシャボンディ諸島くらい。
わざわざ見たくもないことを直視せざるを得ない場所に足を運んで、心身のリフレッシュなんて出来るはずがない。
今回は大人しく自宅でのんびりするかとクザンが決めた直後、向こうの廊下から恩師であるガープが歩いてきた。
『クザン、お前今度休みらしいのぉ』
『……そうですけど、なんです?』
『ちょっとシャボンディ諸島まで行ってグラセン買ってきてくれんか』
ワシとセンゴクの二人分な、とカラッとした笑みで代金を渡されて、断れる弟子がいるだろうか。しかも次期元帥の分まで。
『余ったらお前の分も買え!』
『ハァ……はいはい、わかりましたよ』
ガープは基本的にシャボンディ諸島への渡航をしないようにしている。海軍の英雄が天竜人を殴って投獄なんてニュースは防ぐに限るからだ。
まったく足を踏み入れない訳ではないのだが、基本的には部下に買い物を頼んでいるようで、今回はクザンが該当したということだろう。
海面を凍らせて自転車を漕ぎ、三十五番GRで頼まれたグラセン数箱と自分用のグラマンを購入。用は済んだため面倒な事に巻き込まれないうちにさっさと帰ろうとしたとき、クザンは前方に一人の子どもを囲む集団を見つけた。
無法地帯ではない観光地である三十五番GR。一般人の客ばかりの場所で何をやってんだと彼が騒ぎの場に一歩踏み出したとき、囲まれていた子どもが地面を蹴り──一人の男の股間を容赦なく蹴り上げた。
ありありとその痛みを想像出来る光景に、子どもの所業を目撃した男はひとり残らず内股になって恐怖に顔を引き攣らせている。
それはクザンも例外ではなく、近づくのをやめようかと一瞬本気で躊躇した。
『今後の人生で玉なしになりたいヤツからかかってきな』
『それは流石に勘弁してやれない?』
股間を蹴り潰した男を足蹴にして堂々と言い放った子どもに、クザンは反射的に待ったをかけた。どんだけ股間を潰したいんだこの子どもは。
この時はまだ、彼もただの子どもだと思っていた。
ゆっくりとクザンに振り返った子どもの顔が、とてつもなく美しいことを知るまでは。手配書で見たことがある、異例の初頭手配額となった海賊だと気付くまでは。
『“白薔薇”のヘーマ、か』
『……』
この距離であればクザンの服に印刷された海軍のマークは子どもの目にも入るだろう。目の前の男が海兵だとは気付いているはずの白薔薇は、怯えることも逃げもせずにクザンをじっと見上げて黙っている。
……気のせいか、興味深そうに見られているんだが、海兵相手にスゴイ度胸だなとクザンが呆れた目を返しても仕方がない。
『ク、クザン中将……』
『アンタら観光地で何やってんの』
『い、いえ……失礼しましたー!!』
名前を呼ばれたためそちらへ目を向ければ、脱兎の如く逃げ出していく人間の姿。しばらく眉を顰めて見送っていたが、ふと目線を落とせば先程と変わらずそこに居てクザンを見つめる白薔薇の姿があった。なんで逃げてないのかね。
『あー……グラマン食べる?』
整った顔にガン見されることに気まずさを感じて、手に持った袋から買ったばかりのグラマンを取り出して見せると、美しい子どもはパチパチと長い睫毛に縁取られたエメラルドの目を瞬かせ……こっくりと頷いた。
いや頷くのかよ。
そして今は隣に座ってもぐもぐと食べる小さい姿を見下ろして、警戒心は何処にいったと賞金首相手だというのに心配しそうになっている。
見れば見るほどただの子ども、ストロベリー少将とやり合える武力を持つとは思えない程だ。至近距離でも感じ取れる覇気は弱々しく、脆く儚げな印象しかクザンは持てなかった。
目の前でタマを潰す姿を見ていなければ、クザンは少年がソレをやったと聞いても信じなかっただろう。
さらには所作もゆったりと優雅で、貴族の教育を六歳までしか受けていないようには見えず、下手すれば政府の高官よりも育ちが良く見えるのはとても笑えない。
グラマンが好みの味だったのか満足げに緩んだ少年の表情は、そっちの気がないクザンでも気を抜けば見惚れそうになるほど美しい。
二年前に七武海入りした九蛇の女王もその絶世の美貌で騒がれたが、少年の未成熟な美貌もそれに匹敵するだろう。
やりにくいな、とクザンは顔をしかめた。少年の手配書が発行された経緯を知っているため、敵意を持ちにくいということもある。
──同じ年頃に懸賞金を懸けられたあの少女は、もう二十歳を越えた。
彼女が今も闇に潜みながらどうにか生きているのに対して、男女の違いや戦闘の才の有無はあれど堂々と過ごす少年に、クザンの胸中には複雑な思いが渦巻いていた。
***
海兵のお兄さんにグラマンをご馳走になった。いや、だって食べるかって聞かれたからつい。丁度ソル達へのお土産セレクトに悩んでいたし。
どうしてか、食べている間凄く凝視されていたけど。その前はおれもガン見してたからお相子だとは思っている。いや、ディオとそっくりな声が、容姿が全く似ていないお兄さんから出てくるのが面白くてつい。
「ごちそうさまでした」
「いーえ。うまかった?」
「美味しかったです」
美味しいお饅頭に顔がしまりなく緩んでいる自覚はあったが、お兄さんは特に指摘することなく「そりゃあよかった」と困ったように微笑んだ。
まあ、うん、困るだろうね。お兄さん──クザン中将って呼ばれていた海兵に、おれは心の中で謝罪する。子どもとはいえ手配書発行済みの海賊にお饅頭食べさせちゃうんだ、きっと人が良いんだろうな。お兄さん割と貧乏くじを引くタイプでしょ。
タイガーさんの時の中将のおじさんと同じ階級だけど、ジャージみたいな海兵服な上に辛うじて将官コートを羽織っていないあたり、職務中ってわけではなさそう。
「ここに来たのはコーティングの為?」
「はい。お兄さんは?」
「おれは……おつかい。グラセン買ってきてくれって頼まれたのよ」
そう言ってお兄さんは持っている袋を覗かせてくれた。この世界に海軍中将すらパシリにする人がいるのか。もしかして天竜人とか……いや、天竜人なら店の店主に命じて作って持ってこさせるか。なら誰だろう。
袋の中には包装紙に包まれた箱がいくつも入っている。へぇ、グランドライン・ファーストハーフの記念煎餅、完全に観光地用の名付けでおれは笑いそうになった。
懐かしさも感じるくらい日本の観光地っぽいお菓子だな、って待て、これ文字が日本語じゃん。は? 手配書アルファベットなのに日本語の文字も世界共通なのってどういうこと。
……ま、まあ今は気にしないでおこう。
えーと、今食べてるお饅頭も同じシリーズなのか……ほー、他にもチョコレートがあるの?
興味津々に身を乗り出して袋の中を覗き込むおれの耳に、フ、と息が漏れる音が聞こえた。見上げるとお兄さんの目が笑っている。
「お菓子好きなんだ」
「食べるのも作るのも好きです。お兄さんのおすすめのお店はありますか?」
「んー、焼き菓子とアイスのやつなら」
調子に乗っておすすめを聞いてみれば、お兄さんは快く教えてくれた。とても気さく。
えっ、持ち帰りも出来るアイス屋さんですか。今日は結構暑いし、作業休みで食べるのにいいなそれ。おれはポーチからメモ帳とペンを取り出して、お兄さんから聞いた店名を書き込んでいく。
「……君、なんで海軍に喧嘩売っちゃったのよ」
カリカリとペンを動かしているおれに、ちょっと声のトーンが変わったお兄さんの質問が落とされた。
「おれ、良いヤツが馬鹿を見るのが嫌いなんです」
おれはペンを動かず手を止めずに、お兄さんの質問に回答する。
「迷子を送りに危険な海を渡って来た、とびきりの優しさが損なわれるのが嫌だったので、つい」
「──つまり、気に食わなかったから殴り込んだの君」
「はい!」
「まー、元気なお返事」
端的にその時のおれを表すとすればお兄さんの言うとおり。おれは気に食わなかったから海軍に喧嘩売って、気に食わなかったからタイガーさんの治療をした。
言葉にするととんでもない人間に聞こえるし自分でもそう思うけれど、おれは何も後悔はしていない。
「君、そういう所ちょっとおれの恩師に似てるなぁ」
「恩師ですか?」
「ガープ中将って知ってる?」
「え゛」
なんでそこで一番見つかりたくない海兵の名前が出てくるのか。恩師、お兄さんもしかしてガープ中将の派閥とかそういうやつだったりする?
おれの嫌そうな顔に即気付いたお兄さんは、ひとつ瞬きをしてからスッと目を細めた。ちょっと空気がひんやりする。
「なに、もしかして既に追いかけられたりした?」
「いえ、まだ……」
まだ追いかけられたことはないです、まだ。おれの全力をもって遭遇しないように気を付けているから今のところ何とかなっているけれど、そのうち見つかりそうでヒヤヒヤしている。
でも、このお兄さんの反応からすると、まだガープ中将におれがあの島に入り浸っていることはバレてなさそうだ。それともあの島にはエースがいるから、海軍には情報を伏せて黙っているとか……どっちなんだろう。
目をそらしているおれに納得できる落としどころを見つけたのか、お兄さんはうんうんと頷いた。
「君の相方を見つけていたら、あの人ずっと追いかけそうだもんな。とてもある人物に似ているからさ」
「やっぱりそうなんだ」
「……で、そこんところどうなの?」
「ノーコメントで」
そりゃ答えてはくれないか、と首を掻くお兄さんにおれは努めて微笑みを維持した。よかった、そっちに行ったか。
優れた見聞色の使い手の前で無防備でいたら、心の声がだだ漏れになることは既にソルやレイリーで体験した。読み取られ放題では見聞色の深度で勝負がついてしまい、いつまで経っても格上には敵わないままだ。
それを防ぐため、おれは覇気を抑えて小さくすることを思いついた。覇気の発露が減れば読み取れる量が減る、イメージは七つの龍玉の気のコントロールかな。
完全には抑えられなくても、読みづらくなったと二人の太鼓判は貰っている。
お兄さん相手でもこれは効果的のようで、だんだん怪訝な顔になっている彼から離れるため、メモ帳とペンをポーチにしまっておれは立ち上がった。
「じゃあおれはここで失礼します。土産物を買って帰らなくてはいけないので」
「おれがここで捕まえる、って言ったら?」
「白ひげ海賊団との戦闘許可、貰ってないのでしょう?」
「……知ってたか」
四皇に戦闘を仕掛けるには許可がいる。新世界で縄張りを持つ勢力はどれも強大で、海軍でさえも容易に手を出せば大きな被害を被ることは確実だからだ。
四皇同士が接触することすら危険で、争いも同盟も世界の勢力図を容易に書き換えてしまう。
白ひげ海賊団は特に団結が強く、家族に手を出した者をけして許さない。だからこそ、今は海軍はおれやソルを捕まえられない。……おじい様の威を借る現状は気に食わないけど。
「君の後ろ盾強すぎない?」
「おじい様は強くて格好いいんです!」
「満面の笑み……」
嫌そうな顔になったお兄さんにおれはニッコリと笑顔を贈ってやる。もっと世界はおじい様を褒め讃えてもいいと思うんだ。
お饅頭ありがとうございましたと軽く一礼してから聞いた店の方向におれは歩き出し、「ああ、そうだ」と口にして振り返った。
まだおれを見ていたらしいお兄さんと目がバチッと合う。
「おれ、別に後ろ盾がなくても同じ事してますよ」
「だろうね」
歯を見せてニカッとおれが笑うとお兄さんも笑った。若干苦笑いだったけども。
「おれも最後にひとついい?」
「はい、なんでしょう」
お兄さんは先程までの気だるさはなりを潜めて、キリッと顔を引き締めた。なんだろ、またソルについての質問か──
「君の性別どっち」
「男ですよバカ野郎!!」
失礼な、見てわか……らない格好しているけど!
説得力が自分でも無いとは思うけども! おれは男! いいね!?
反射で叫んだ後、即座に身を翻しておれは駆け足でその場を去った。あーもう、なんでおれはこんな格好をしているんだ、シャッキーさんに逆らえなかったからだが!
苛立ちを隠しながらグラセングラマングラチョコにアイスと購入してトットムジカと手分けして持ち、おれは走り帰る勢いのままソルとレイリーに蓋のついたカップアイスを投げつけた。
くそ、あっさり受け取りやがった!
「おっ、おかえ──」
「アイスの差し入れ! 食え!」
「んお、えらく不機嫌だな」
「ふむ、出先でなにかあったか……どうした、ナンパでもされたかね」
「うるせぇ!」
あれはナンパじゃない、絶対ナンパじゃない!
今度は付属のスプーンも投げたけど、これも楽々キャッチされた。
……なに、トットムジカ。物に当たるのを止めろって? なに、また投げられたくない……その節は大変申し訳ございませんでした。
そうだね、物に当たるのは良くないねとトットムジカの前で正座をして、おれはたどたどしい言葉の耳の痛いお説教を、神妙な顔で受けることになった。はい、すみませんでした。もうやりません。
***
「……気にしてたのか」
走る後ろ姿でも不機嫌さが伝わる小さな姿を見送って、クザンは手に持っていた食べかけの饅頭を口に放り込んだ。
儚い容姿に対して随分と元気一杯な子どもだったな、と最初クザンが持っていた印象は塗り替えられて、あれは悪ガキだなと彼は納得した。
「コーティングを頼んでいるということは、次の目的地は魚人島か」
何故かとても素直に用事を教えてくれたが、海軍が彼らに手を出せないからという理由ではない気がする。聞かれたから答えただけ、コーティングが終わるまでこの諸島から逃げられないというのに本部中将相手にあの度胸。末恐ろしい子どもだなとクザンは頭を掻く。
魚人島に向かう船は通常新世界に行くためだが、彼はそもそも空を飛ぶ馬車のような物に乗っていたはず。態々危険な航路を通る必要はなく、つまり魚人島自体が目的なのかもしれない。
そこまで考えて、クザンは考えることを放棄した。別に彼らのことを追いかける訳でもなし、単に魚人島を見たかっただけかもしれない。
「まあ……報告は後でいいか。おれ休暇中だし」
首に手を当てたまま立ち上がり、クザンはスタスタと帰路についた。
そして後日。
「白薔薇じゃとぉ!?」
クザンが航海任務から戻ってきたガープにグラセンを渡し、軽く白薔薇の話題を出すとクザンはガープに胸元の服を勢いよく掴まれた。
あまりの勢いにクザンが咽せるが、ガープは目を吊り上げたまま手を離そうとしない。
「ぐっ、ガープさん、あの子どもと何かあったんですか」
「何かぁ!? おのれ白薔薇、ルフィを誑かしおって!!」
やべ、火に油を注いだ。ヒートアップした恩師にガクガク前後に揺さぶられて、クザンは己の迂闊さを内心叱咤する。
どうにかガープを宥めて話を聞いてみると、なんでも彼の孫が山賊に連れ去られて島の外に誘拐されかけたとき、偶然島に立ち寄った白薔薇に助けて貰ったらしい。
今では孫は白薔薇を兄と慕い、将来は海賊になるとか言っているそう。海軍の英雄の、孫が。
前にも息子が革命家になったと聞いたけれど、今回もヤバいなとクザンは目が遠くなった。絶対ガープさん子育て向いてねぇよ。
ガープ曰く、孫を助けてくれたことは感謝しているが、海賊に対する憧れを強めたことは許せないらしく、遭遇したら殴ってやると息巻いている。
クザンはあの時の言い淀みはこれか、と少年の気まずそうな顔を思い出していた。何らかの切っ掛けで助けた子どもが海軍の英雄の孫だと知ったのだろう。
まあ、頑張れ。
休暇が明け、クザン大将となった彼は移動したばかりの執務室の椅子に座り、ずずっとコーヒーを啜った。