群青色を押し花に   作:保泉

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手放したキラキラしたもの

 

 

 

「自己紹介は……いらねェようだな?」

 

 浜辺にいる村人達から一斉に警戒を向けられたシキは、葉巻を咥えたまま笑みを浮かべて彼等を見下ろした。

 

「この村に何の用なの」

「おいおい、そんなケンカ腰になるなよお嬢さん。別におれはこの村へ虐殺しに来た訳じゃねェんだからよ」

「……なら一体どういう理由で偉大なる航路(グランドライン)の海賊が、こんな東の海(イースト・ブルー)まで来たのよ」

 

 ベルメールの剣呑な声音に肩を竦めるシキ。道化のようなわざとらしい声音に気を緩ませることはなく、彼女は大海賊を睨みつけたまま回答を促した。

 

「なに、勧誘だ」

「勧誘……?」

「ちぃっと耳にしたのさ、この村に希少な能力を持つ人材がいるとな」

 

 ベルメールはチラリと隣に立つアーロンを見た。希少な能力を持つというのなら、彼らのことだろうか。

 狙われやすさも相まって、本来なら東の海に魚人や人魚はいない。基本的には一万メートルの深さにある魚人島に行かなくては、遭遇することはないからだ。

 更に彼らは現王下七武海の一角、ジンベエ率いる魚人達で構成された海賊団、そこから分離した一味で実力者揃いだ。勧誘が来たとしても可笑しくはない。

 

「ああ、違う違う、魚人どものことじゃねェ。おめェ、おれの能力を知ってんだろ、空を行くおれの船じゃあソイツらの有効活用は難しい。できねえ訳じゃねェが、それでわざわざ東の海(イースト・ブルー)まで来ねェよ」

「なら」

 

 しかしシキは首を横に振った。彼が欲しいものは種族としての能力ではない。それよりも貴重な、個々としての才能だ。

 

「いるんだろう? 類い稀な気象センスを持つガキ……おれはソイツをスカウトしにきたんだ」

「……!!?」

 

「……え?」

 

 想定から外れた回答に、思わずその場にいる者達の目が動く。

 その向けられた先にいるのは……まだ十を数えたばかりの少女。キョトンとした表情は、現状を理解しているとは言い難い幼げなものだ。

 

「──ほう、そのベイビーちゃんか」

 

 そして一瞬だけ動いてしまった彼らの目の動きを見逃さず、狙いの獲物を見つけた獅子は舌舐めずりした。

 大海賊が浮かべた嗜虐的な笑みに、ベルメールはぞわりと背筋に悪寒が走った。

 

「逃げなさい!」

 

「えっ、きゃあ!」

「こっちじゃ早く!」

 

 ベルメールの咄嗟の促しに応えた村人の男が、ナミを抱えて弾かれたように走り出す。

 見る見る小さくなっていく姿を止めもせずに見送っていたシキは、ニヤニヤと嗤うだけですぐに追おうとしなかった。

 当然だ、彼にとって子猫を捕まえるなど容易いことで、焦る必要など何もない。

 

「なんだ、鬼ごっこがしてェのか……いいぜ、まだガキだしな。付き合ってやろう」

 

「易々と追いかけさせると思うか」

「ウチの村のモンに手は出させねェ」

「……ベルメール、お前が構えてんのそこにあったシャベルじゃねェか」

「家まで銃を取りに行く暇ないんだから仕方ないでしょ」

 

 動き出そうとしたシキの行く手を遮るため、アーロン達はそれぞれ構えをとる。ある者は武器を、ある者は己の拳を、ある者は銃を。全ては少女を逃がすため。

 

「気を付けて、手に触れたものを浮かせるらしいから」

「つまり肉弾戦はアウトってことかよ」

「だが勝機がないわけじゃない。奴は能力者だ、海は弱点のはず」

「チュッ、引きずり込めばこっちのモンってわけだ」

 

 戦意が高まる彼らを見て、大海賊は大袈裟に嘆くような動きをした。わざとらしさに不快感を覚えはしても、アーロン達はピクリと眉を動かすだけだ。

 

「おお、これは困った。おれァ、穏便にスカウトをしに来ただけだってのに……これじゃあ力尽くで連れてかねェといけなくなったなァ?」

「……よく言うぜ、最初から無理矢理連れていくつもりだっただろうによ」

 

「ゲンさん、通報をよろしく」

「いいやベルメール、お前もあの子と逃げろ」

「逃げろ? ……冗談じゃない、我が子を守るのは母親の特権よ」

 

 ベルメールは首を横に振る。たとえ血の繋がりがなくとも、この十年できる限り慈しんできた愛娘の一人。貧しい暮らししかさせてやれなかった頼りない母親だとしても、通したい意地がある。

 

「たとえ伝説の海賊相手だとしても、手放す気はないわ!」

「……ジハハハハ、いい女だなベイビーちゃん」

 

 

 

 

 ナミを抱き上げたドクターは、年齢に見合わない素早さで木々の合間を走り抜けていく。

 

「ドクター、降ろしてよベルメールさん達が!」

「ならん、お前はこのまま島の反対側から逃げるんじゃ!」

 

 泣きながら老人の華奢な肩を叩く少女を宥めることなく、ドクターはむしろ叱咤した。今は早くあの場からナミを逃がさなくてはいけない。

 息も絶え絶えにどうにか岸に辿り着いたそこには、簡易的な桟橋とロープで繋がれた小型の帆船があった。

 

「一人で海を渡るなんて出来ないよ!」

 

 ドクターが出港の準備をしている間も、ナミは首を振って涙をこぼし続けた。ドクターはまだ小さな肩を皺くちゃの両手で掴み、彼女へ言い聞かせる。

 

「無理難題でも、お前は逃げねばならん!」

「やだよ、私みんなと一緒にいたい! 一人になるのは嫌だよ!」

「ダメだ、あの海賊に一生飼い殺しにされたいのか!」

 

 航海術を習い始めの幼子に強いることではないとドクターとて理解している。しかし、今そうしなければナミは二度と明るい道を歩けなくなるだろう。

 だからこそ説得を諦めるわけにはいかなかった。あの海賊に捕まれば、少女の人生から自由の文字は消え失せる。

 それを防ごうと村人達は足止めに残ったのだから、彼らの決死を無駄にする訳にはいかない。

 

 しかし、長く生きた彼でもシキがアーロン達を制圧する早さまでは想定できなかった。

 

「飼い殺しとは聞こえが悪い。おれはそこのベイビーちゃんの才能を有効活用するだけだぜ、長い付き合いにはなるだろうがな」

「ひっ」

「もう追いついてきおったか……!」

 

 声の元を振り返れば、怪我一つなく宙に浮かぶシキの姿にドクターは歯噛みした。偉大なる航路(グランドライン)の、しかも伝説の海賊と知ってはいても、こんなにもアーロン達との実力の乖離があるとは思わず、認識が甘かったと悔やむ。

 

「ベ、ベルメールさんやアーロンさん達になにしたの」

「生きてはいるぜェ、まだな」

 

 声を震わせたナミに、猫撫で声でシキは応える。最初からシキは彼らをまだ殺すつもりはなかった。まだ使い処があるからな、と内心でほくそ笑む。

 

「さてベイビーちゃん、おれの仲間にならねェか?」

「ムサイから嫌!」

「辛辣!? ……即答するにしても、もうちっと棘を少なめにできねェかベイビーちゃん。おれのところに綺麗どころがいねェのは事実だが」

 

 怖がりながらもきっぱりと断った少女の容赦のない回答に、少しばかり傷つきつつ海賊は肯定した。

 

「まあ、いい。どうやら自分の置かれた状況が分かっていないらしい。おれは仲間の希望であればそれなりに許容する男だぜ、ちゃんと故郷に挨拶はさせてやる」

「ヤダ、離して! ドクター!」

「ナミ!! ……この!」

 

 強引に抱えられて宙に浮いていく身体に、ナミが怖がってドクターに手を伸ばす。ドクターも手を伸ばしたがそれは届くこと無く、二人の姿は空に昇っていく。

 

(スマン、皆……わしはあの子を守り切れんかった……!!)

 

 

 

 

 シキはナミを抱えて最初の浜辺まで連れていった……筈だ。

 それなのに、ナミはいま自分が見ているものが信じられなかった。そこはいつも彼女が見ている長閑な雰囲気など皆無で、争った後の惨劇が広がっていたからだ。

 

「はっちゃん……」

 

 いつも陽気でおっちょこちょいなタコの魚人が、赤に塗れて地面に寝転がっている。

 

「チュウさん、クロオビさん、ゲンさん……みんなも……」

 

 少し意地悪だけどお洒落に付き合ってくれるキスの魚人が、頭が硬くて泳ぎを教えてくれたエイの魚人が、イタズラをしては叱りつつも心配してくれる駐在が、いつも見守ってくれている村人達が。

 

 誰もが力なく手足を脱力させて、赤い液体を身体から滲ませている。

 

 そして、その中に母の姿と兄のように慕うノコギリザメの魚人を見つけて、ナミは全力で身を捩った。

 

「身の程知らずに向かってきたからな、蹴散らしてやったのさ」

「ベルメールさん、アーロンさん!」

「おっと」

 

 腕の中から逃げ出したナミは、真っ先に母親の元へ駆け寄る。娘の声に気づいたベルメールは、霞む意識をつなぎ止め、困ったように眉を下げた。

 

「ナ、ミ……どうして逃げてないの、お馬鹿」

「ベルメールさんひどい怪我、待っててドクター呼んでくるから!」

 

 子どものナミでも一目で危険だとわかる程の重傷のベルメールに声をかけて、先程まで一緒だったドクターを呼びに行こうと立ち上がったとき、少女に意識から外れていた男のニヤけた声がかけられた。

 

「おいおい、おれをここに残して良いのかいベイビーちゃん。今すぐコイツらにトドメを刺してもいいんだぜ?」

「だ、だめ!」

 

 倒れる母を庇うように両腕を広げるナミの身体は目に見えて震えている。か弱いその姿を見ても眉一つ動かさずに、シキはナミと視線を合わせて静かに言い聞かせた。

 

「おれも鬼じゃねェ、仲間のたっての願いなら叶えてやるのも船長の度量だ。なあ、ベイビーちゃん……おれの仲間になるよな?」

 

 仲間になれば母達を助けてくれる、シキがそう言っていることを彼女は理解した。仲間になると頷けばいい、それでこの場は収まる。──だけど。

 

『一生飼い殺しにされたいのか!』

 

 ドクターの言っていたことも嘘ではないことも、ナミは理解していた。この海賊に付いていった時点で、自分の夢は捨てることになるだろうことも。

 

「ならなくていい、ナミ……」

「アーロンさん!?」

 

 困惑し葛藤する彼女に、アーロンが身体を起こしながら引き止めた。

 

「ほう、まだ心が折れてねェか。惜しいな、この村にいなかったら勧誘したいくらいだぜ」

「く、う……ウチの妹分は連れていかせねェ!」

 

 倒れている者達の中でも、一番赤に染まった身体を無理矢理動かして、アーロンは握った石をシキの顔にめがけて投げつける。

 石を受け止め自身の腕で遮られた死角から拳を振り上げるも、大海賊には難なく腕を掴まれてしまい、勢い良く地面に叩きつけられた。

 

「がはっ!」

「アーロンさん!」

 

 衝撃で血を吐くアーロンにナミは悲鳴を上げる。

 

「……ま、ってろ……ナミ、すぐに……助けるからよ……」

「はは……チュッ、まだ寝てるわけには、いかねェな……ゲホッ!」

「ぐ、う……やべェ、少し意識とんでたわ」

「ニュ~、まだおれの腕は折れてねェぞ……!」

 

 再び立ち上がる、けして諦めない兄貴分の姿に、倒れ伏していた魚人達もフラつく身体を叱咤する。

 雄叫びを上げて再度シキに襲いかかる彼らだが、気合いで実力差を埋めるには程遠く、一人、一人と倒れていく。

 

「……もういい、もういいよ! 助けなくていいよ! みんな動いちゃだめ、死んじゃ嫌だよ!」

 

 再度立ち上がろうともがく彼らに、ナミは耐えきれず悲痛な声で懇願した。もう助けなくていいと、己の全てを投げ出すことを決意した。決意してしまった。

 

「仲間になる、私、おじさんの仲間になるから、もう止めて! みんなに何もしないで!」

 

 誰よりも優しく、また聡い少女だったからこそ、自分がここからいなくなれば彼らは助かると理解して、海賊の要求に応えることを決めた。

 

 そんな子どもであるナミの内心など、シキには簡単に見透かされた。少女が自分の仲間になると決めたのはいい、予定通りだ。しかし、もう一手押しておく必要がある。

 

「仲間になる、ねえ……違うだろ?」

 

 強要されてやったことと自発的にやったことには、大きく成果の差ができる。ここで彼女自身で選んだという結果は、今後の彼女の選択を縛り、裏切りという選択肢を失わせる。

 だからこそ選べと言外に告げたそれを、少女は正確に受け取った。

 

「な、仲間に……させてください……!」

「……ジハハハハ、良く決断したベイビーちゃん!」

 

 正解の返答を選べたナミに、シキは悪い人相を更に歪めて破顔した。幼いながらもこの賢さ、気象センス以外でも良い拾いものをしたなと満足した彼は、ナミを左手で抱き上げる。

 

「これでおれの仲間だ、仲良くしようぜ。……安心しろ悪いようにはしねェ。まだ幼いおめェから母親を引き離すような非道はしねェよ」

「うっ……」

「ベルメールさん!」

 

 シキが右手をかざすと、ふわりと倒れていたベルメールの身体が浮き上がる。既に彼女の意識はなく、だらりと揺れる手足からは血が滴っていた。

 ギリ、と誰かの歯ぎしりが響く。ベルメールを連れていく意図にシキの言うような慈悲は含んでいない。ナミに対しての人質だとわかった男達は、動けない身体でシキを睨みつけた。

 

 それら全てを鼻で笑って、大海賊は柔らかい声音でナミに促した。

 

 故郷への別れを、過去の自分への決別を。

 

「最後の挨拶だ、キチンと告げてやれ」

「ナミ、だめだ……!」

「……みんな、ごめんね」

 

 自分が助けを求めたら、みんなはもっと傷ついてしまうと彼女は知った。

 自分がすぐに仲間になっていれば、怪我なんてしなかったことも彼女は知った。

 

 もう、大丈夫だから。私はちゃんと我慢できるから。

 ベルメールさんは巻き込んでしまったけど、そのうちノジコ達の元に帰ってこれるようにお願いするから。

 

 だから。

 

 

「さよならっ!」

 

 

 そうして少女は、自分の全てを諦めた。

 

 

 

 

 

 

 ナミの涙は流れていなかった。

 

「……クソ」

 

 いつものようにアーロンに駆け寄る時の明るい声だった。

 

「クソ……クソ……!」

 

 なのにその顔は、見たことがないほど歪んで、みっともなく下手くそな笑顔だった。

 

 アーロンの強く握り締めた拳の隙間から、血が流れ出る。

 

(どうしておれは倒れてんだ)

 

 血を流しすぎた彼の身体は力が入らずまったく動かせない。頭も霞んでぼんやりとしてるというのに、遠くに浮かぶシキの船が遠ざかっていくのだけは鮮明に見える。

 

(妹分一人守ることもできねェで、しまいにその妹分に命を救われて……!)

 

 あんな不細工な笑顔を見たくなかった。あんな諦めた目もできると知りたくなかった。覆すことが出来なかったのは、全ては自分達があの海賊に勝てなかったから。

 

(どうしておれは────こんなにも弱いっ!!)

 

「ナミィィィィィ!! ベルメェェェル!!」

 

 島中に響くような男の叫び声に、返す声はなかった。

 

 

 

 

 

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