──避ける。
伸ばされた腕がキャンバスの端を掠めた。
──避ける。
進路方向に腕を置かれて挟み撃ちされそうになった。
──避ける。
回避できない指をキャンバスで弾き返した。
回数を重ねるにつれ、徐々に魔王の動きが良くなり、じりじりと追い詰められていくことを実感する。
どうやらこの魔王はロボットのようなパターンで動くものではなく、うちのピクテルのようにしっかり自我を持っているらしい。
学習して動きを最適化していることもそうだけど、絶対コイツはおれを殴るために意地になっている。
こう、ぶん殴るって強い意志を感じる。最初の方で避けた後に煽ったのがまずかったかもしれん。
「下から来る!」
「りょ、かあい!」
ウタの警告に反応して進路方向を右に切る。すでにスピードは目を開けられるギリギリだ、次回はパイロットゴーグルを準備するとしよう。
下から突き上げるように伸びた鍵盤の腕を見送って、紙一重の回避に目減りしていく集中力と体力を自覚する。はぁ、いま息止めてたわ、求む深呼吸できる余裕。
おれのスタンド『ピクテル・ピナコテカ』は近接戦闘がとても苦手だ。人間型だから平手打ちくらいは出来るけど、一般的な女性の力しかない。
スピードもそれほどではなく、今どうにか逃げ切れているのは、おれの生命力というガソリンを投入しているからである。
つまり、近いうちにおれがバテる。
ねぇまだー? まだ避難は終わらないのかね?
全国民だからそりゃあ仕方ないけど、これ以上伸びると疲れて武器も出せなくなるんだけど。
ウタもこの緩急の差が激しすぎる運転にどうにか耐えている。酔いに強いタイプで助かったけど、それもあまり長続きはしないだろう。おれもウタもまだ九歳、大人のような体力はない。
現に、ウタの様子を伺えば、いつもより顔色が悪いようだ。
あーくそ、ピクテル製の飴なんかを懐に入れておけばよかったな。
一人で旅をしているときは、ピクテルが出したものはおれには栄養にならないから、使わなかった。頑丈な大人ばかりの白ひげ海賊団でもおれの生命力を必要とする人はいなかった。
前世でもそうだ、おれ以外は全員強くて、守られるのはおればかりだったから、守る相手がいる事態を想定できていない。
拙いことに、おれの視界は疲労で既に歪みはじめている。ウタからは見えないだろうけど、攻撃がピクテルの背中に掠っていたから、結構血が流れているせいでもあるだろう。
そろそろワンチャン海へのダイブを検討すべきか。元が楽譜から出てきたように見えたから、水とか火に弱いんじゃないかっていう、楽観的な予測でしかないけど。
ひえ、想像するだけで傷が痛そう。やっぱ止めようかな。
「ウタ」
「なに」
「そろそろおれの体力が尽きる」
「……うん」
このままでは時間稼ぎが足らずにウタが魔王に奪われる。それを防ぐにはウタをキャンバスの中に入れるのが最適だ。
でもそのかわり、ウタを見失った魔王がどんな行動に出るのかが不確定になる。
ウタを得るためにおれを仕留めにくるのか、はたまた目標を見失って暴れ出すのか。
おれのカンだと前者かな。いや、ヘイト稼ぎすぎたかもしれない。
「次の手はウタを安全なところに移し」
「やだ」
「おっと食い気味の拒否」
おれの服を掴む手の力が強くなった。まだ最後まで言ってないよ。落ち着いて。
「さっきから、あの案山子に、引っ張られる感じがするの」
「ほーう」
「アイツ、私を取り込みたいんだと思う」
まあ、そうだろうな。おれが執拗に攻撃されているのは、やはり魔王の邪魔をしていることが一番の理由だろう。
高度を上げて左腕を避けて、すぐに下げて右腕の薙ぎ払いを避ける。落馬を狙い始めたなこの野郎。
「おれの推測だけど、ウタウタの能力を、狙ってるんだろ」
「私の?」
「いまのアイツは仮面のピクテル程度。おれやウタには見えてるけど、シャンクスさんたちには見えない状態。これはエネルギーを使いっぱなしだから、消費が激しいんだ。だからエネルギー源を求めてる」
スタンド使いになれない人間がどうして死ぬのか。それは身体から溢れた生命力を留めておけないからだ。
精神の強さや攻撃性で制御し、スタンドのヴィジョンが確立することによって、流れ出る生命力をその形に押し込める。それが出来てはじめて人間はスタンド使いになれる。
んで、本体が死ねばエネルギー供給元が無くなるから、特殊なスタンド以外は消滅する。
あの魔王は、ヴィジョンこそハッキリしているものの、本体なしで存在しているスタンドのようなもの。
そしてその本体に該当するのが──
「ウタウタの能力者だ」
「私……」
「正確には、過去のウタウタの能力者がアレを生み出したんだろうさ」
どういう理由で作り出すことになったのかはわからない。だけど、従来のウタウタの能力とは違う使い方をしたんだとは思う。
魔王が欲しがっているのはエネルギー供給源で、そのためにウタを狙うストーカー(仮)と分かればそれでいい。
仮定だけど、そう外れてもない気がするんだよなー。
「つまりな、ウタ。おまえが取り込まれたら、アウトってことだ。アレが元気いっぱいになって、おわっ……何するかはわかんないけど、まあ碌なことにならないだろうし」
「でも! 友達置いて私だけ」
「おれも隠れるぞ?」
「逃げ……え?」
パチクリと目を瞬いているウタに向かって、おれはさぞ人の悪い笑みを浮かべているだろう。
これだけヘイトを稼いだんだ、目の前で逃げれば絶対追いかけてくる。
「あれほどデカいんだ、小さくなった的なんて当てるのにさぞ苦労するよ」
とぷん、とキャンバスにウタ共々飲み込まれた。
***
「おい、ウタたちが見えなくなったぞ!?」
ウタを狙う見えない化け物からヘーマが逃げ回っている。
エレジア国民の避難が完了しだい、港に化け物を誘導する。
そうシャンクスから伝えられて港で待機していた赤髪海賊団は、誰もいなくなった空を見て叫んだ。
「まさかその見えない化け物に食われたのか!?」
「ヤソップ」
「いや、まだそこにいるな。見えねェがなにかが動きまくっているのはわかる」
ルウが慌てる横で、シャンクスは静かに見聞色が優れるヤソップに問うた。その結果は未だ追いかけっこが続いているとの判断。ならば姿を隠しただけかと船員たちは胸を撫で下ろす。
「違ぇな。ヘーマの限界が近いんだろう」
副船長たるベックマンは、愛銃を担いだまま冷静に現状を予測した。途中まで姿を現したまま逃げていたのに、何故今更隠すことにしたのか。
それは子ども二人の重量を支える力すら惜しいと、逃げるための力を節約せざるを得なくなったのだろう。
取れる限られた選択肢の中で奮闘する小さな友人を思い、海賊達の口元には笑みが浮かんだ。
「まったく、限界ギリギリまでウタを守るつもりかよ。普段のぽんやり姿がウソみてェだな」
「無茶しやがってよォ……」
ヘーマは荒事の匂いがしない子どもだった。
白ひげ海賊団所属と聞いて、すぐには信じられない程だった。
多少は鍛えているようだが、ヘーマの趣味も相まって平和な島の子どもと言われたら、信じてしまうような穏やかさを持っていた。
しばらく生活を共にしたとはいえ、敵船の海賊であるシャンクス達に、迷いなく友達と告げるクソ度胸は知っていた。
だが、単独でウタを守りながら時間稼ぎのおとり役を即断で請け負う、思い切りの良さまで持っているとは彼等も思わなかった。
そんな子どもに、なにより大切な娘を守る相手に、海賊である彼等も情を移さないではいられない。それでもいま成り行きを見守っているのは、友の面子を守るためだ。
あとで、と子どもは言った。なら、役目の開始まで友を信じて待つ。
笑みの下にヒリつくような焦燥感を圧し殺して、海賊達は唯々とその時を待った。
『──聞こえるかヘーマ君!』
引き延ばされるような時間が過ぎ、島全体に国王の声が響いたあと。
『エレジア国民全員の避難が完了した。繰り返す、エレジア国民全員の避難が完了した! もう街には君たち以外は誰もいない!』
ようやく反撃の合図が来た。
そして即座に響き渡る破裂音に、男達は空を見上げる。風船が割れたような音と共に、白い液体が宙へまき散らされているのが見えた。
「あれは、化け物と……ピクテルか?」
ヤソップが見つめる先には、まかれた液体──白のペンキを被った二つの異形があった。
海賊達は知らないことだが、ピクテルがスケッチブックから出すものはスタンドに触れることが可能だ。
現時点の魔王の最も厄介なところは、スタンド使いや悪魔の実の能力者以外に視認できない点である。
それを打破するため、ヘーマはピクテルに作り出したペンキを魔王に塗すように指示をした。
視認さえできれば避けることができる。避けることができるのならおとりの数を増やすことも選べる。
「あれは、風船か? へぇ、中にペンキを入れてんのか!」
響く破裂音が鳴る度、異形はその姿を夜空に映しだされていく。ハットを被った頭も、短めのマントも、長い腕も──数分後には全て海賊から見えるようになっていた。
ピクテルと思わしき仮面の異形はふわりとシャンクスの前に降りてきた。おもむろにスケッチブックの中に手袋だけの手を差し入れ、そこからいくつもの剣と、箱を取り出しては地面に並べた。
ベックマンは地面に置かれた箱を確認する。その中身はすべて銃弾。しかもベックマンやヤソップ達の愛銃に適応したもの。
つまり、これらはあの魔王に対する武器ということだ。
「これなら確実にあの魔王に当たるのか?」
こくりと仮面は頷く。そうか、とシャンクスはカトラスを拾って、鞘から刃を抜き取った。
ホールで放ったシャンクス渾身の斬撃は、なんとなく逃げられたと感じた。相手が目視でも見聞色でも見えにくく、狙いが定まらなかったということもあるだろう。
今なら見える。なら、避けられた分もあらためて叩き込まなくてはいけないな、とシャンクスは娘には見せない類いの笑みを浮かべた。
お頭たる彼に続いて次々と武器に手が伸ばされる。各自の愛用品に瓜二つなそれを手に携えて、彼等は空に浮かぶ異形に向きなおった。
「ヘーマが全力で整えてくれた戦場だ。おまえら準備はいいか?」
「当たり前だろお頭ぁ!」
「待ちすぎてすっかり身体が冷えるところだったぜ!」
「早く号令を掛けてくれ!」
意気揚々と武器を掲げる男達に共通するのは、沸き立つ戦意と役目をやりきった小さな友人に負けていられないという自負。
「よーし、赤髪海賊団総員──魔王討伐といこうか!」
「「「おう!」」」
***
「ヘーマ、この怪我……!」
キャンバスの中に避難したおれ達。外のピクテルが魔王の攻撃に掠る度、何処かしら怪我を負うおれに、ウタが泣きそうになっている。
すまん、何もいないのに怪我していくって結構ホラーだな。お化けに怖がってたウタには辛いかもしれん。
謝罪を口にしようとしたときに、くらりと目眩が起きて額に手を当てて耐える。
いま一気に疲労感がきた。たぶん避難が完了して魔王はペンキを塗りたくられているんだろう。
それにしても、前世よりも随分と生命力が多い気がするな。前のとき同じ身体年齢でこれやってたら、確実に死んでたわ。
今生は地球人よりは、かなり強靱な種族っぽい。明らかにお父様たちの身体能力はおかしいもの。おれも鍛えたらあのレベルまでいくのかなぁ。
一回外の状態を確認したいけど、この負傷度で出ると戻る前に力尽きる可能性もある。出るなら止血は必須だけど、このキャンバス新品だから道具類なにも置いてないんだよな。またびっくりさせるけど、やるか。
ジャケットを脱ぎ、中に着ているシャツも脱ぐ。
「て、手当てしなきゃ……!」
「平気だ。少し待ってて」
露わになった背中を見たウタの顔色が白い。スゴイ痛いから、きっと抉れてるんだろうなぁ。子どもに見せるにはグロすぎる。
傷に触れるかどうかの位置にそっと手を当て、訓練して任意でできるようになった特殊な呼吸を行った。
みるみるうちに血が止まり、新しい皮膚が肉を覆う。しばらくしてから、おそるおそる傷があったところを触ってみて、痛みがないことが確認できた。
うっわ、本当に治ってる。今まで打ち身にしか試していないから、本当に治るんだな波紋スゲェ。
ほら大丈夫だろ、とウタに笑いかければ、突然彼女が飛びついてきて支えきれず、おれは壁に頭を打った。いってぇぇぇ!?
ゴッて、ゴンじゃなくてゴッていったぞ。じんじん痛む後頭部に呻く。
「ヘーマのバカー! めちゃくちゃ怪我してるし血だらけだし死ぬところだったじゃない!」
「し、死なないよ。経験上まだ余力が」
「ないの!」
「はい」
首に腕を回されているから至近距離で、しかも涙目で睨み付けられては、もはや降参するしかない。
だってこれ、おれを心配しているからだもの。彼女はおれが無茶をしたことを怒っているんだ。
大事に思われてふわふわした思考にいたおれだけど、ウタが小さくごめんなさいと呟いた声を聞いて、抱き返そうとした手を止めた。
「私のせいで」
「は?」
私のせい? 何が? もしかしてあの魔王が現れたことが?
そんなことはない。今日、ウタの歌声を聴きたいと望んだのはエレジア国民だ。そして、魔王が封印されていたのもエレジア。したがって、おれが怪我することになった理由はエレジアにある。
ウタが罪悪感を持つ必要なんて何一つない。むしろゴードン様がとても落ち込むのが想像できる。あっちもフォローいるのかよ。
「ウタはバカだな」
「ヘーマの方がバカだよ、ジカクして」
「う」
即行で罵り返された。いや、躊躇がまったくなかったな。返球が速すぎて次の言葉を飲み込んでしまったぞ。
「バカなのに、カッコいいとかずるい」
「おれは罵られてるの? 褒められているの? どっち?」
「ヘーマのバーカ!」
「罵り一択になったかぁ」
ウタさん、ウタさん、首締まってる、力込めちゃってるからちょっと落ち着いてほしい。
背中を叩いて宥めてはみたが、より首が締まる結果となった。ギブ、ギブですウタさん。あとおれ上半身裸なんでシャツ着てもいいですか。
耳元で鼻を啜る音が聞こえて、宥める手を止めて抱きしめる。
ごめんなぁ、おれが怪我をしなかったら、そこまで思わせることがなかったのにな。
前のとき、おれの周りはおれより強いひとばかりだった。おれが怪我をするときはその守りを突破された後で、回復するなら問題ないとされることも多かった。
落ち着いた後の説教は必ずされるけどな。
怪我をすることに慣れて周りの目を気に留めなかったツケが、この現状だ。おれの配慮のなさが、まだ九歳の少女の心を傷つけた。
まったく、何年生きてもおれは抜けたままだな。
「同じウタウタの能力者だからって、何代前のやっちゃったことは、ウタのせいにはならないよ」
「でもっ、私がエレジアに来なかったら」
「それこそウタのせいじゃあない。音楽が好きなやつがエレジアに来て、なにが罪なんだ?」
たぶん外では赤髪海賊団が盛大に戦っているだろうから、港近くの建物がボロボロになっている可能性は高い。
まあ、それくらいだろ、おれ達がやった罪なんてさ。海賊としてはお上品にも程があると思う。
あとは全部、元からエレジアに埋まってた地雷だ。むしろ一番の被害者がウタなんだぞ。昔々の誰かのやらかしに巻き込まれているんだから。
首に巻かれた彼女の腕をほどいて、泣いた顔の額におれの額をくっつけた。
ああ、鼻が真っ赤になっちゃってる。それに、潤んだ紫色の瞳がとても綺麗だ。こんなに近くで見たことなかったから、気づかなかった。
「なぁ、ウタ。おれも生きてるし、シャンクスさん達だってあの魔王に負けるわけがない。すごいよな、シャンクスさん斬撃飛ばせるんだろ。ズバンって壁を通り抜けたのおれ見たよ」
ビスタさんもすごいけど、シャンクスさんもすごいよね。それともこの世界の剣士の嗜みなのかな。あれだ、麦わら一味のゾロだって鉄切ってたもんな。改めて考えてもオカシイ。
「エレジアの人達だって、避難したから無事だよ。建物は、ちょーっと壊れたかもしれないけど、許容範囲内だと思う」
少なくとも、ピクテルが囮をしたままだから、港から離れて広い範囲が壊れることはない、はず。
きっと器物損害は人命救助で相殺してくれるよね……ゴードン様温情をお願いします。
「何より、あの音楽狂な人達がウタの歌声を我慢できると思うか? あのしつこさだぞ?
なんっかい、おれが睨み付けられたかウタ知らないだろ。もー、この国ウタのファンだらけだぞ。グッズでも販売したらすぐ売り切れるね」
「ふふっ、そうかな?」
ようやく、ウタが笑った。彼女の声が明るくなった。
やっぱり、笑っている方がよく似合うなぁ。まだバイオレットの目は濡れているけど、柔らかく細められてキラキラしている。
「そうだよ。ホールじゃあ、おれずっとウタを独占されて寂しかったんだからなー?」
「寂しかったの?」
「当たり前だろ。だからもっとおれにかまえ」
「あはは、なにそれ」
彼女が笑えるようにおどけながら、ひとつひとつ心配事を潰していく。シャンクスさんたちの心配、エレジアの心配、そして──おれの心配。
大丈夫だと何度も伝えながら、ピクテルがおれたちを外に出すまで、二人でくすくす話し合っていた。
選択肢『高台に行く』を選びました。
『エレジア存続ルート』が解放されます。
選択肢『おどける』を選びました。
『ウタルート』が解放されます。
『ウタルート』が解放されたことにより、選択肢『???』が解放されます。
※このルートは選択肢によって消滅する可能性があります。