剣戟魔界都市―ソードマンズ・サンクチュアリ―   作:ひん(再就職)

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PART11

出義牡丹は絶望の無限連鎖、《魔剣 渚》の悪夢に墜ちた。

進めば斬られる。

下がれば斬られる。

抗えば斬られる。

仕掛ければ斬られる。

醒めない悪夢は彼女からあらゆる自由を奪った。

 

「何なのよこれはっ!!?」

「はは、楽しんでくれてるか? もちろん楽しいよなぁ!? どうにか俺をぶっ飛ばせるように脳みそブン回してるんだからさぁ!」

 

雪音は自分を天才だと思ったことは一度たりともなかった。

物心ついた時から逆島獅子吼という厚い壁に当たり、超えるまでに二十年近くもかかって驕れるほど自信家ではない。

今があるのはただ愚直に努力し、何十万時間と剣に向き合ってきた結果でしかない。

眼前の才能と比べれば平凡も平凡。

奇々怪々の渚に初見から対応した牡丹の方が遥かに凄まじい。

良く言って秀才止まり。

だから工夫を凝らして理詰めで考えに考えた。

天才を倒す方法を。

決して逃れられぬ循環の網を。

見開き過ぎて眼を血走らせた牡丹は泡を食って利き手と逆側へ逃がれたが、雪音はそんな凡策を想定しない間抜けではない。

 

「それは甘いよねぇ」

 

鞘を返して左手で抜く異形の居合が訪れただけだ。

間合いは当然雪音が広い。

速さも上だ。

反応も鋭い。

もう何も出来ない。

何もさせてやらない。

冷徹な魔剣の機構は全てを潰す。

まだ動く足を使って左右に揺さぶりをかけるも、逆に夜霞に翻弄されてまた一撃を浴びる。

受けを砕くのも刃毀れを許容すれば容易いが、それでは楽しくない。

どこまで興が乗っても冷静に剣を操る雪音は凩丸を労る。

結果的に寸止めか浅い傷で済んでいるものの、力任せに叩き斬ろうと決めていれば二度目の発動で死んでいる。

凩丸は昨今の流行りでもあるぶつけ合うのを前提とした剛刀ながら鍔迫り合いを拒んでいた。

高みを目指す鍛錬でもあるし、大事な形見を壊したくないがためでもある。

今宵に抱えた感情が殺意であるなら、もっと居合に向いたもう一振りの得物を持ち出ている。

それらほんの気紛れで牡丹は生き延びていた。

 

事実として正面からでは勝てない。

事実を認めて諦めるのではなく、頭を切り替えた。

その余裕か油断の態度の中に光明が見える筈。

逃げの一手に専念して隙を窺う。

 

「まだよ、まだ私は負けてない!」

 

いつか勝機が訪れると言い聞かせる為の誤魔化しだとしても。

何度でも立ち向かう凛々しさ美しさは胸を打ち、鋼の矜持の前に立ち塞がる《魔剣》は更に冴え渡った。

男を知らぬ柔肌は玉鋼の冷たさに犯される。

肩口に浅く剣が入り肌を斬り裂いて白い胴着の袖を朱く染めてゆく。

痛みは判断力を奪い体力を削る。

不意急襲的に凩丸の腹で足腰を打ち据え、斬らずに内部の筋肉にも痛打を食らわせる。

鋭く鈍く悶絶ものの痛みを噛み殺し倒れるのを拒否した。

頬を殴られて口の中が切れていたのか舌の裏に溜まった血を吐き目をかっ開いた。

まだ闘志は健在であった。

その強く瞬く眼光が雪音を喜ばせる。

 

「そうだ! 戦え出義牡丹! もっと俺と戦ってくれ!」

 

超えてみろ。

淡い希望を何度でも打ち砕いた雪音はおどろおどろしく吼えた。

苦痛と恥辱に挫けないよう心の底からの声援だ。

黒曜の瞳を爛々と輝かせるその胸中には悪意など欠片程も存在しない。

ただ頑張って欲しかった。

新たなる地平へ到達するに不可欠な相手だと思えばこそ、厳しく接し大切にするものだ。

大切の方向性が一般より乖離しているが、雪音なりに精一杯の応援だった。

牡丹は朦朧とした意識の中、ぴたりと剣を構える。

中々出来ない潔さはしかし虚勢だ。

幾多の敵意を浴びてきた雪音はその手の意思に鋭敏になっている。

傷と消耗を精神力で克服しても、剣がより鋭く働くことは無い。

小説とは違う。

ゆったりと好き勝手に打ち込める己と満身創痍の牡丹では土壇場の逆転は起こり得ない。

天才と言えどもその摂理からは離れられない。

力量も計測し終えた。

防御や基礎に凄まじく偏った指導を受けたと見え、肝心の決め手が全くと言っていい程に欠落している。

下らない流派のぬるま湯に浸ってさえいなければ、もっとずっと優れた剣士であったろうに。

活人剣は眠れる獅子を眠らせたまま飼い殺しにした。

剣の道への冒涜だ。

殺生を禁じて空前の才能を腐らせた神納流に恨みを募らせ、《魔剣 渚》はまた始まる。

牡丹は傷を増やすも更に数合を耐えた。

受けがやや単調になっている。

限界が近いのだろう。

 

つまらなさと共に少しの寂しさがある不思議な感情が湧き起こった。

斬りたいが殺したくない。

こんな切ない気持ちは生まれて初めてだ。

牡丹はまだ二十歳そこそこと見た。

才能を鑑みれば、正しく鍛錬を続けていれば必ず伸びる。

今だけでもどんどんと良くなっている。

もっと見たい。

さらに全力をぶつけたら死んでしまうだろうか。

それは嫌だった。

 

「まだやれる? 死なない?」

「馬鹿にしないで! 私だって負けられないのよ!」

「違う。本当にそう思ってるんだよ俺は」

 

なんだか胸が苦しくなった。

複雑な真心の伝わらなさに珍しく感傷的になって物憂げに翳った顔をした。

人生最高の好敵手と出逢えた幸福の絶頂にあった雪音は打って変わって哀しみを覚えていた。

人知の理を超えた天才がそう言うなら凡人は信じるしかない。

蝋の翼で空を翔ぶ英雄が堕ちるか否か予想は凡人の手に余る。

 

「じゃあ、行くよ……」

 

未だ正眼に構えた誇りに敬意を払い、不要とすら思われる夜霞から入る。

牡丹の深奥に眠る才覚を信じて鞘走るは真っ直ぐに首だけを狙った最速の居合。

動作に入れば十分の一秒で喉を裂く。

これが《魔剣 渚》の最大出力。

カメラ映像では腰から柄が消えたと錯覚する速さで居合が到達する間際、牡丹の瞳がギラリと燃えた。

剣先を落とし、手指を狙った突き。

居合より移動距離の短い切先が手元に届くが早いは必然。

極めて精緻な制御に操られた神納流合戦兵法の秘伝。

活人剣の括りから外れる殺し技は今の今まで使うのを躊躇われた。

刺突は殺傷力が高過ぎるのだ。

誤って臓器や動脈を傷つければ容易に命を奪ってしまう。

その上で、鉄壁の魔剣理論が一門の禁忌に触れさせた。

だが手応えはなし。

居合は止まれど骨肉は断てず。

剣の動向や手首の推移から握りを狙っていると察した雪音は伸ばした肘を引き戻し、これを鍔の右上面の刻印に絡めて受けていた。

上から抑えつけられる不利な体勢にも負けず脇を閉じた腰からの踏ん張りで強引にかち上げる。

拇指球で地面を踏みしめた。

 

「があ゛ぁっ!」

 

相当に筋肉質な事を含めても六十キロほどしか無い牡丹の身体は浮き上がりふらついた。

上半身と下半身の連携を失い立ち止まった剣をすかさず巻き上げる。

余波で弾かれた剣は手から抜け、床へと転がり落ちた。

突き技を除いたあらゆる攻撃を跳ね除ける筈だった乾坤一擲の秘技は不完全だった。

これで万策尽きたか牡丹は疲労に屈して跪く。

一矢報いる試みも相手が雪音でなければ指を落として形勢を逆転の王手になり得た。

頗る天才性の証明だ。

しかし。

たらればを悔いる愚かさは語るまでもない。

興奮に飲まれない精神。

敗死も恐れない胆力。

負け筋を潰していく戦術。

戦術を実行するに足る技術。

死合の結末を決めるのは剣の操り方だけではない。

多くの面で優位に立った雪音は勝つべくして勝ったのだ。

それも無傷のまま。

 

「こっちは必死こいて寝ないで悩んだってのにさ。とんでもねえよ、ほんと」

 

爽やかな後味を残して興奮が醒めていき、脳内麻薬の分泌量が減るのを自覚した。

呆然としてがら空きの首を凩丸でゆっくりなぞる。

額から足まで汗を湛えた牡丹の肌にまた傷が入り、死の幻想を見せた。

殺しはしない。

この女剣士の才能に魅せられて、摘み取るのが勿体なくて、どうしても殺せなかった。

 

「情けを、かけるっていうの……?」

「好きに思えば? 勝った俺がどうしようが俺の勝手だろ?」

 

血脂や埃を袖と懐紙でよく拭って鞘に納めた。

これにて全ての死合が終わった。

やはりと云うのか、最後に立っていたのは雪音だった。

優勝そのものはどうでもいい。

最優が証明されただけの事。

暗転したモニターの横に立つ進行役に向き直って手を出す。

 

「はい終わった終わった。早く賞金を頂戴ね」

「なんだと?」

「だってほら、もう俺は負けようがないし勝ちでいいんじゃないかなぁって」

「さっきは藤間を血祭りにしたと思ったら今度はなんだ。優勢だからって戯言を抜かすな。見ろ、剣を拾った。とっとと殺せ」

 

先の残酷な振る舞いから血も涙も無い悪党とでも思っているのか、けしかけようと声を荒げる。

とんだ勘違いだ。

剣に不誠実ならば殺戮対象になるが牡丹はその真逆だ。

しかも伸び代の塊と来れば後ろから刺されるくらいは幾らでも許そう。

そもそも弱った好敵手に無益な追い打ちをかけて何が楽しいのか分からない。

 

「やなこったねつまんねぇ。あんたには判らないだろうけどこいつの勝ち目は百に一つも無い。そういう風になってるんだよ。信じられないならそっちに訊けば?」

 

護衛の男は佇まいからして非常に優れた剣士だ。

体格は太く雄々しい。

上背は雪音を越している。

体脂肪は少なく張り詰めた肉体に相応の腕前を醸している。

苦り切った顔をしているので《魔剣》の構造のいやらしさを理解したのだろうと第三者に意見を言わせた。

 

「やるだけ無駄だ。勝敗は見えた」

「……糞ったれが。これだからお前らは使い難いんだ。上と現場に挟まれるこっちの身にもなってみろ」

 

中間管理職の悲哀に悪態をついてどこかに電話を掛け、神妙な顔で短く何かを話した。

通話を切って部下に指示を出していくと細い通路から大型キャリーケースが転がされてきた。

それは雪音の前で停まり、寝かして開かれると札束がぎっしり詰まっていた。

 

「賞金だ。入れ物はこっちでサービスしてやるから自分で持って帰れ」

「ん? なんか多くない?」

 

ふとその中身に違和感を覚えた。

一億円であれば帯付きの束が百本だが、これはどう見てもその倍程ある。

有り難いが只より高いものはない。

 

「素直に受け取っておけ。ボスはお前の腕と容赦の無さが気に入ったんだと」

 

剣闘士を見世物にするような娯楽でもあったらしい。

貰えるものは貰おうと受け取ろうとするが、手を離してくれない。

 

「お前が幾ら剣狂いの阿呆でもこの金を受け取る意味は分かるな? その内に伝言役が仕事の話をしに行く。食うには困らん割の良い仕事だ」

「どうせそんなこったろうと思ったよ。俺は素人を斬るのとかボディガードはやんないよ? 時間の無駄だ」

 

誰彼構わず噛みつく無鉄砲な奔放さが気に入らないのか護衛役が小さく鼻を鳴らす。

 

「様子を観てれば判る。精々お前向きの内容を宛てがってやる」

「そりゃどうも」

 

組織の妨げとなる誰かを斬らせると暗示したので笑顔で礼を言う。

武器を持たない一般人を襲うのは突っぱねるが強敵と戦えるなら素晴らしい仕事だ。

雇い主が誰であれ。

今夜のような楽しい夜が増える。

振り返えると死線を共有した女は呪わんばかりの暗い目をしていた。

 

「今日はここまでだよ」

「……必ず倒す……必ず……!」

 

言葉は届いてはいないだろう。

きつく歯を食い縛ったから唇は赤い雫が流れている。

粉砕された矜持と道場の破綻の二重苦に板挟みにされて苛立っているのか、今日一番の強い感情、即ち敵意を前面に押し出している。

薄ら寒い妖艶さを雪音は覚えた。

目が善い。

しょぼくれた負け犬に甘んじないその目が。

怯えではなく執念がある今にも噛みつきそうな顔だ。

人は逆境を味わえば大きく成長する。

もっともっと矜持を食い荒らして心の奥底まで脅かしてやらなくては。

 

「近くの河原で稽古してるから怪我を治してからおいで。なんで負けたか教えてあげるし勝てたら残ってる金は全部くれてやる。リベンジマッチは何時でも歓迎するよ」

 

歪んだ親切心から漏れ出た笑顔で語りかける。

 

「楽しみにしてるよ」

 

名残惜しくも別れを告げ、会場の端の賭場で配当金の紙幣をごっそり回収してキャリーケースに押し込む。

もう用無しとなったので三十キロ近い荷物をえっちらおっちら転がし闇市を歩く。

道中に金狙いの間抜けが徒党を組んで奪いに来た。

集団で囲んで袋叩きにすれば隙を突けると考えたのだろうが甘すぎる。

甞め過ぎだ。

全局面を夜霞で繋げば隙など無い。

楽な展開ばかりで十二分に余力のある雪音の前に残らず凩丸の錆となった。

 

「姉さん、喜んでくれるかなぁ」

 

外縁部にて深夜の時間帯に営業する怪しい肉屋で買ったコロッケを頬張りながらキャリーケースをご機嫌で引いて帰るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




罪悪感無し
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