剣戟魔界都市―ソードマンズ・サンクチュアリ―   作:ひん(再就職)

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PART15

昼は汗を流し、夕には好物の手作りカレーライスを食べて一緒に風呂に浸かり、共寝をする。

最後にまたまぐわいを重ね仲睦まじく一日を終えて何の不満もない。

その筈だ。

だが、眠れない。

腹の底に渦巻く渇きはたった一両日で背中に気配を醸すほど膨れ上がった。

一度も剣を振らないまま眠りに就こうとする宿主を雪音の血は赦さない。

逆島雪音は徹頭徹尾剣の鬼なのだ。

暴れ足りない四肢がむずむずして眠れないのも已む無し。

心を空にして薄目を開け天井をじっと見ていた。

その様子に夜鹿は昔を思い出す。

小さい頃から雪音は不意に眠気が飛んでいってしまったりする。

雪音は細い胸郭に抱き締められた。

絹一枚纏わぬ心音を額で聴く。

互いに言葉は無い。

獅子吼との猛稽古の後で目が冴えて寝付けない夜はこうされていた。

うなじを撫でる手の小ささは逆立つ本能を宥める。

その嫋やかな温もりが、その香りが血のざわめきを忘れさせ、深い瞑想に似た境地へ誘う。

すかさず意識を断つ事に成功した。

 

遡る事二十三年と五ヶ月。

都内区外に居を構える逆島家に雪音は生まれた。

母の白雪は雪音が二歳に成る前に病でこの世を去った。

父の獅子吼は武蔵一刀流兵法の道場で師範を務める男で親心こそ有れど子育ては不器用の極み。

妻に先立たれて落ち込む獅子吼を見かねた筧家当主夫妻が食事から下の世話まで陰に日向に手を貸した。

特に、筧家の娘の夜鹿は弟が出来たと喜び高々六歳で雪音の面倒を良く見た。

逆島家と筧家の降嫁と婿入りの多さから血縁も濃く、両家の繋がりは兄弟並に非常に親密であったのが幸いした。

父から頑健な体質を受け継いだ雪音はすくすくと育ち、気が付けば他の門下生に混ざって獅子吼の薫陶を受けていた。

幼い夜鹿からの言いつけも守る聞き分けの良い賢い子供ではあったが、稽古への熱心さは常軌を逸していた。

獅子吼が出かければ、手足の皮が擦り切れて流血し、小さな胴着が紅くなって兄弟子から止められるまで収まらず、手当をする夜鹿を泣かせていた。

母親を持たない故か、その異常性もまた陰ながら育まれていったのである。

義務教育を受けても同年代の子供等に交わろうとはせず、学問や異性にも興味を持たなかった。

休校日は日がな一日道場に居座り、食卓でも学級の話題より父の背を追って剣の探究に熱を上げた。

そしてある日、手合わせで兄弟子の腕骨を叩き割った。

その時の雪音に反省の色は無く、弱かったから当然と言い放ち冷たい目をしていた。

才能に恵まれた反面、怒や哀という感情が欠落しているのだろうかと、獅子吼をして震撼する。

狂気を確信したが、流派の奥義である夜霞を十歳にして修めた雪音の自己進化はもう止めようが無かった。

息子がいつか悪鬼の悪名を被るならばいっそと、凩丸に手を伸ばしかけた夜もある。

しかしそれは無理だった。

瞳の色や顔貌が妻にそっくりの息子を、あどけない顔で夜鹿に添い寝される忘れ形見を、愛妻家が斬れようか。

懊悩は決意の呼び水となりて獅子吼を変えた。

誰にも見られない夜更けに仏壇の遺影に泣いて詫びた翌日、獅子吼は人が変わったように厳しく指導を始めた。

命とは剣に骨肉を喰わせて磨く砥石。

無為に散らさぬよう強く。

どこまでも強く。

剣に生きる親子の仲は良好で、雪音は遥かな先達の獅子吼に常に敬意を払った。

時に年相応の無邪気さで夜鹿とじゃれ合う様は獅子吼の岐路をより茨の道にする。

妻との一粒胤を、愛の証明を死なせぬよう、すっかり狂った獅子吼は雪音へ心を鬼にして血塗られた伝承を受け継がせた。

全ては息子を生かさんが為に。

時は過ぎて雪音の二十歳の誕生月。

父子の真剣勝負に敗れた獅子吼は斃れ、満を持して剣兇が鎖から放たれた。

その後は大学卒業と共に一人暮らしをしていた夜鹿を頼って生きてきた。

父親が斬殺され息子は行方不明。

第一容疑者になって然るべきだが、警察の捜査網が躍起になって雪音を探したかといえばそうではない。

雪音を匿った夜鹿は更に警察官としてあってならない事をしていた。

公務員総合職試験を通過したキャリア組の階級権力の悪用。

即ち捜査の捻じ曲げだ。

裏付ける証拠品を始末し、捜査資料の改竄まで行って意図して雪音を重要参考人から外したのだ。

めぼしい容疑者も居らず日夜殺人が横行する東京で、強盗も働かずに去った人斬りを宛もなく追えるほど官憲は暇かではない。

こうして無事に迷宮入りした。

同居して以降の立ち合いは証人と物的証拠の無さから名前が挙がりもしない完全犯罪。

雪音にとっては残る唯一の家族と歩む楽しい生活の始まりだ。

斬っても良い悪党、辻斬りが犇めく街はまるで広大な遊園地に思え、一日たりとも我慢しなかった。

昼は橋の下や屋上で稽古。

夜は相手を探して彷徨い歩く。

弱者をいたぶる趣味や、力尽くで奪うまでは世俗の娯楽に興味が無かったのは獅子吼の教育の賜物か。

剣だけにときめきと高揚があった。

夜鹿との時間だけ安寧があった。

母も父も亡く、外に出れば剣の他には何もない。

それでいて、姉に向ける笑顔は昔のままだ。

これが狂気でなくてなんだろうか。

環境と生まれに狂わされた不遇な弟が哀れで、姉は背信者に身を落としてでも守ると誓ったのだ。

 

ともあれ、今は良くも悪くも安定している。

子犬のような愛らしさにすっかり絆されてしまったくらいには。

日曜日の朝日に二人が起こされて顔を洗ったら朝食を作る。

 

「ねえ、これで合ってる? 間違ってない?」

「大丈夫、上手よ」

 

今朝は米研ぎと味噌汁を教わった。

塩鮭を焼いている横でおっかなびっくり具材を切り分ける雪音は剣と包丁の違いに苦心する。

握りからして勝手が違う。

豆腐は人間と手応えが違う。

汁物で失敗したら夜鹿に食わせる分も悪くなるので不安で仕方ない。

垂涎ものの新鮮な反応に浮かれる心理をおくびにも出さないで、夜鹿は手取り足取り教えてやった。

出来上がった味噌汁は煮崩れしかけたじゃが芋も妙に大切りな豆腐にさえ目を瞑れば悪くない。

米は水分量だけ正しく計って炊飯器に任せて順調に炊けた。

ついでに作った目玉焼きはなんと二回目の挑戦で上手く焼けていたので、あの失敗作の群れは予想通り昨日のみの幻となり、食べておいて良かったと胸を撫で下ろした。

それら並べると二人で向かい合わせで手を合わせる。

素敵な朝食の始まりだ。

 

「ねえ雪音」

「なぁに姉さん?」

「外で稽古したくて眠れなかったんでしょう。なら行きなさい」

 

昨夜の寝付きの悪さに夜鹿は思い知った。

動くものを無理に拘束したら壊れてしまうのだ。

過程はどうあれ家も両親も失った雪音から剣まで奪う仕打ちは残酷が過ぎる。

雪音が唇を曲げ、米を掬う箸が止まる。

 

「……行かない。俺は姉さんと約束した」

「子供が意地張って理屈捏ねるんじゃないの。別に四六時中一緒とは言ってないでしょう」

「俺はもう大人だよ」

「お姉ちゃんには何時までも子供よ。ちゃんと帰って来るなら一々目くじら立てないわよ」

 

鍛錬はしたい。

だが姉を裏切ってまでするかと問われたら否だ。

家族への想いは何もかもを上回る。

獅子吼もそうであったように、それが血族の宿業なのか。

雪音自身にもそれは分からない。

 

「したいならしたいと、本当の事を言って。私は雪音に我慢させてまで我儘を言うお姉ちゃんになりたくないわ」

「怒らない?」

「怒らない。一昨日は私もどうかしてたの」

 

伏せ目がちに椀の米粒を突く雪音の手に夜鹿が指を重ねる。

答えずとも本心は態度から明らかだ。

道徳も世俗も投げ捨てて邁進してきた弟が昨日今日で剣を辞められるなら苦労はない。

 

「……どれぐらいやっていい?」

 

夜鹿は答えに詰まった。

人を斬るなと言ってみようか。

人を斬る術しか持たない男に?

言えない。

そうあれかしと育てられた存在意義と矛盾してしまう。

色気を垂れ流す極上の女を前に自慰しか許されないようなものだ。

本来なら気の赴くまま手当り次第に暴れてもおかしくない雪音は十分に歩み寄っている。

 

「時計を見て夕飯までに帰って来なさい」

 

中途半端な制約を言いつける。

これでも言い過ぎでない自信がなかった。

 

「姉さん」

 

雪音は箸を置いた。

 

「え、え?」

「ありがとう」

 

テーブルを回り込んで呆気に取られる夜鹿に抱き着く。

嬉しさと愛しさと感謝をすぐに伝えたかった。

 

「俺、姉さんが好きだよ。大好き。大大大好き! 姉さんの弟になれて良かった」

 

瞳には綺羅星を瞬かせ、幼い語彙でこれでもかと好意を露わにした。

己の狂える(サガ)を世界でただ一人愛し、許し、認めてくれる。

これに勝る幸福など在りはしない。

牡丹に散々に否定された後では感動はより顕著だ。

 

「でも、まだいい。姉さんの折角のお休みなんだから、姉さんを優先する」

 

温もりは名残惜しいが着席して白米を掻き込んだ。

もどかしい渇きなら甘んじて受ける。

こんなに好きな夜鹿を寂しがらせる愚を再び犯さない為の罰だ。

二十三歳になっても、雪音は感情を引き出す根本に異常がある。

共感能力の欠如を理性で補って来たが、それでも生きるようにしか生きられない。

例えば、今の夜鹿がどうして顔を手で隠して肩を震わせるのか、本能的に感じられない。

姉としての悲喜などとてもとても。

 

「お代わりしてくる」

 

手放しに喜んで貰えるものと思い込んでいたが、何かがおかしい。

気まずくなって台所へ一時退却した。

頭脳を高速回転させても、山盛りの白飯を盛り付けるだけの数秒では名案など思い付かず舞い戻る。

恐る恐る顔色を窺うと夜鹿は普段の夜鹿になっていた。

見間違えだったのか。

そんな筈は無い。

 

「そんなに人の顔を見て、何か付いてる?」

「え、いや、いつも通り姉さんは可愛いなって……」

「歳上をからかうんじゃありません。雪音こそ格好良くて自慢の弟なのに、ほっぺたにご飯粒付けちゃってたら台無しよ」

 

冷静な夜鹿とて想い人に褒められて悪い気はしない。

少し耳を赤くした夜鹿に撫でられる。

そのまま頬に付けた飯粒を拾い、自分の口に運ぶ。

 

「後でお買い物に行かないとね。荷物持ちしてくれるでしょう?」

「もちろん!」

 

我慢してでも閉じ籠もろうとする雪音に対し、口実を付けて制する。

 

「夜は何が食べたい?」

「ハンバーグ!」

 

つい先程は大人と言い張っておいて、まるで子供な好みを即答する雪音がおかしくて、夜鹿は笑ってしまった。

 

 

 




朝帰りしたら玄関待機してるし捜査資料も改竄するやべー女

まあ、愛ですよ(適当)
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