剣戟魔界都市―ソードマンズ・サンクチュアリ―   作:ひん(再就職)

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PART16 ブラッディ・レイン

剣を振りたい。

そして誰かを斬りたい。

骨も肉もずぱっと通り抜けるあの感触が恋しい。

斬りたい。

斬りたい。

斬りたい。

感じ疲れた夜鹿が寝付いた閨で雪音は塗炭の苦しみを味わっていた。

数時間が待ち遠しい。

すぐにでも剣を握り半狂乱に飛び出すまま夜道を彷徨いて、目に付いた剣士を全員斬ってしまいたい。

飲んでも食っても抱いても寝ても癒えぬ渇望が雪音の内で暴れる。

牡丹の治癒は芳しいだろうか。

稽古をしないでいて、いざ立ち向かってきた牡丹を打ち倒せるだろうか。

不安なのだ。

雪音は運動能力と反射速度と空間認識能力を高次元で複合した鬼才。

その反面、勘働きは天才とまではいかない。

牡丹のように剣の神に愛された独創性は持ち得ず、上達にはひたすらな修練を要する。

勝ちたい。

上回りたい。

高みを見たい。

かつて授かった武蔵一刀流の本懐は雪音のそういった性質に深く噛み合っている。

万回の瞑想に耽り千回の素振りをしたとて、一回の充実した実戦はそれらを凌ぐ経験と喜悦をくれる。

四十時間も剣を一回も振らなかったのなど過去の雪音からは有り得ない。

夜鹿を想い寂しがらせまいと衝動を耐えた所で強がりの痩せ我慢だ。

続く道理はない。

しかも今は出義牡丹という光を知ってしまった。

瞼の裏にちらつく願望を追うと幾分楽になるのも一時の作用だ。

夜鹿が潰れるほどに手足に力を入れて発散したい衝動を抑え耳を澄ますと脊髄から声が上ってくる。

ああ。

あれを斬りたい。

あれになら斬られたい。

あれを斬れたならなんと素晴らしいだろう。

思考はぐつぐつと煮える混沌の坩堝に落ちて眠れやしない。

夜鹿の胸の中で焦燥と期待に駆られる内に空が白み朝が来る。

がなり立てる目覚まし時計の音に合わせて雪音は狸寝入りをしておいた。

平日は仕事に向かう夜鹿を見送る。

しゃんとしないと怪しまれる。

怪しまれると怖がらせてしまう。

それだけは駄目だ。

何事もなかったようにおはようと言い、当たり前に朝食を摂り、いつものように送り出す。

そうしたら凩丸を引っ掴んで闇市で目に付いた悪党とやり合えばいい。

それまでの辛抱だ。

 

「おはよう、姉さん」

「……ずっと起きてたのね」

 

一目で見抜かれてどきりとする。

夜鹿の眼力には敵わない。

そう云えば、隠し事は露見しなかった試しが無かった。

 

「気にしないで。姉さんは仕事なんだから休まないとだけど、俺はプー太郎じゃん? ちょっと気分転換したら二度寝するよ」

「隠さないで良いの。今日こそは行ってらっしゃい」

 

夜鹿は自分だけ欲求を満たされて熟睡していた浅ましさを恥じ入った。

健気で優しく正直な、自分には出来すぎた男を胸に抱く。

 

「私は雪音を信じるわ。こんなに良い子だもの」

 

血も涙もない剣兇などとは無知な外野に言わせておけばいい。

仕事で帰りが遅くなっても夕食すら食べず起きている。

愚痴の一つも零さず優しく共寝をする。

こんなにも温かく愛してくれる男が悪人なものか。

これで多少の困った癖も許さずば女の度量が知れる。

 

「ちゃんと帰って来るよ」

 

こんな事を言わせるつもりじゃなかった。

畜生、馬鹿野郎。

ふざけているんじゃないんだぞ。

これではあべこべだ。

雪音は悟らせてしまった愚を自責する。

 

「なによもう、そんなにしょげて。雪音は気にし過ぎよ。ほら、いつもみたいに笑えないならこうしちゃうわよ?」

 

夜鹿は大型犬を溺愛する手付きで髪から何まで撫でくり回して憂鬱を吹き飛ばした。

 

「あはは、やめて、姉さん、あっ、ちょっと、駄目だって……」

 

乾いた体液でざらつく肌を指が行ったり来たりするくすぐったさに悶えさせられ笑いを漏らした。

元来切り替えが早い雪音が気分を取り戻すにはそれで十分だった。

元気になり過ぎた雪音に朝から襲われない程度に留めて体を起こす。

 

「暗い話はこれでおしまい! お風呂でサッパリしてご飯にしましょ」

「うん、そうだね。もう腹ペコだよ」

 

裸でじゃれ合いながら浴室に行き、仲良く洗い合って服を着るともういつもの二人だ。

初挑戦の卵焼きをしっかり失敗してスクランブルエッグに変えた朝食を食べた。

 

「行ってらっしゃい」

「行ってくるわ」

 

化粧を整えて怜悧な美貌に磨きを掛けた夜鹿にキスをして送り出した。

静まり返る玄関で深呼吸を一つ。

許可は得た。

凩丸が血に飢えている。

求めているなら早々に与えねばなるまい。

雪音の目は爛々と光った。

愛刀を竹刀袋に隠し準備万端。

羽織はクリーニング出しているので今日は着ない。

どうせ闇市の三下には強化した夜霞を使うまでもない。

無頓着な雪音に代わり夜鹿が見繕った服のポケットに札束を一掴み押し込むと、罪に溺れた鬼の哭く城へ向かう。

 

闇市は常に温かく迎えてくれる。

剣兇として知れ渡った男に挑む酔狂が見つかる素敵な場所だ。

餌は札の束。

左手に剥き出しで持ち歩くと色気を出した間抜けが次々と集まる。

まず到着早々に見つけた剣士は問答無用で誘いに乗り、一度目の立ち合いを楽しめた。

無謀に挑むほど尻に火がついた食い詰め者となれば大した手合いではないが、ジャンクフードでも腹は膨れる。

禁欲のせいか真剣で斬り掛かられるだけでもまずは楽しかった。

ご機嫌の雪音はさらなる強者を探して奥へ奥へと足を運ぶ。

今歩いている通路は酷く狭い。

たった一畳ほどの幅にゴミやらビールケースやらが放置されている。

 

「あは、弱い弱い! 弱過ぎる! 狭い場所でどうやって左右に振り回すってんだい!?」

 

戦法のいろはも心得ないでかかって来る大間抜けがまた一人散る。

横向きに反り返った姿勢から上体だけを右に捻り、横ではなく縦に腰を切った抜刀。

肩から脇まで逆袈裟に斬り分ける。

閉所での難儀な居合もお手の物だ。

名前も知らなかった男は死んだ。

 

「くひっ……!」

 

風通しの悪い違法増築で永く留まる芳しき闘争の香りを吸い込む。

正午にもならない内から転がした死体は四つを数える。

返り血を被る至近距離まで踏み込めず、雪音は身綺麗なままでいる。

死体の服で刃の血脂を拭う。

雪音は存分に楽しみつつも、記憶に思案を巡らせている。

目下の主題は牡丹だ。

正確には牡丹が最後に繰り出したあの刺突。

あれだけが異質だった。

何かが足りない。

完璧な才人が放つにしては、能力に頼り切りで技そのものも画竜点睛を欠き粗い。

そのせいか血溜まりの横で再現してもしっくりこない。

なんの変哲もない突きになってしまう。

 

「なんか違うなぁ? もっとこう……なんだろなぁ」

 

真相解明に思案していると新しい風が吹く。

 

「流石は東洋のジャック・ザ・リッパー。殺しも殺したり、大したお手並みだな」

 

血溜まりを避けてスーツの男が二人立っていた。

雪音より上背のある大男と、細身の男。

 

「えっと、おじさん誰だっけ?」

「お前は鳥頭か? 態々出向いてやったってのに、刀振るしか能が無いのか?」

 

サングラスをした細身の方が奥で口を開いていた。

剣を提げた大男は鋭い眼光で雪音の挙動を注視する。

見覚えのある二人組だ。

具体的には、先日の進行役とその護衛。

用件は想像がつく。

 

「あはは、冗談だよ。言ってたお仕事の話は伝言係が来るって言って無かった?」

「お前がそれを殺したんだ。此処に着いて早々に」

「あれがそうだったのかぁ。弱いくせに喧嘩を買ったあいつが悪くない?」

「知るか。ったく、三日と経ってないってのに派手にやりやがって。いい加減にしないとケツ持ち連中がお仕置きに出張るぞ」

「ふーーーん………そいつらは強いの?」

「妙な気を起こすなよ?」

 

有無を言わさず斬り合いに発展した使者から始まり、午前だけで四人も斬ってまだ食指を動かしそうになった雪音に釘を刺した。

サングラスの下の顔は皺が寄り、苦々しい心境を克明にしている。

 

「お前がくたばろうが知ったこっちゃないが無駄な騒ぎにするな。サツに話を通すのも使える用心棒を探すのも面倒なんだぞ。大体な、金を撒いてもお前らみたいな厄介者ばっかり集まるってのはどういう了見だ? そもそもなんで俺が……」

「いや、俺に訊かれてもねぇ……」

 

狂気は正気を制する。

深淵を目指す剣客であれば修羅道に堕ちていくのが必然。

吐き捨てる中間管理職の愚痴を雪音は聞き流した。

 

「ああ糞、とにかく、蜂の巣にされたくなけりゃ程々にしておくんだな」

 

煙草に火を点けて気を取り直し、懐から出した封筒をこちらへ投げ渡した。

 

「本題はこっちだ。中の写真を見ろ」

「うわぁ、悪そうなツラだなぁ。誰これ?」

 

厚く重量感がある。

開けてみると中身は金と地図、写真が一枚ずつ。

写る一人の中年男は固太りで首まで刺青を入れた極悪な人相をしている。

紋付き袴のあまりにも悪党といった面構えでつい失笑した。

 

「知る必要は無い。今週中に地図のビルに隠れてるそいつを斬れ。監視カメラは無い。護衛が居たらそれも斬っていい。金は前払いでくれてやる」

「やるとは言ってないけど」

 

極道の事務所に送り込む鉄砲玉にしようというのだ。

それも明らかな使い捨てとは人を舐め過ぎだ。

こうして替えの利く人間を定期的に集めるのがあの大会の目的だったのだろう。

心優しき雪音とて腹を立てじっとり睨んでも男は痛痒にも感じていない。

武器を携えた大量殺人犯に面と向かい吹っ掛ける度胸は裏稼業の強かさか。

反対に、護衛の男は剣に手を掛けている。

 

「そうか。なら返せ。残念だが別の奴に頼むとしよう。直属の護衛はお前好みの腕利きらしいんだがお気に召さないなら仕方無い」

「うそうそ、やるよ。ヤッちゃうよーん! やだなあ、それならそうと早く言ってよおじさん!」

 

腕利きと聞いて雪音は掌を返した。

満面の笑みだ。

組織の犬に成り下がるだとか、捨て駒扱いだとかはどうでもいい。

血を滾らせる美食を提供してくれるなら協力するとも。

 

「おじさんはやめろ。三上だ、そう呼べ」

「俺が前金だけ貰って逃げるとか寝返るとか、考えなかった?」

「ハッ、お前がそんな小器用なタマか? 剣だけが生き甲斐のお前が?」

 

どう繕っても狂人は狂人。

出来るものならやってみろ。

ニタリとした笑いで雪音の性をそう見做す。

 

「蝙蝠野郎が務まるならやってみな。楽しみだ」

 

慌てないのではからかい甲斐がない。

雪音は闘気を収めて凩丸を鞘に戻した。

護衛も腰を落とした臨戦態勢を解く。

距離は八歩。

一足一刀の必死圏だ。

居合の恐るべき速さを知る故、手は柄に当てたままにしてあった。

 

「明日までには済ませとくよ。……命拾いしたね」

 

踵を返す雪音は路地を曲がる。

護衛が気を抜いたなら魔剣にて斬るつもりでいた。

素人を狩るよりは楽しかろう。

冷めたように振る舞うも、その心中はまだ熱く煮えている。

腹の足しにしたかったが諦めた。

まずは下見だ。

件の筋者のビルは地図によると闇市から少し移動した場所に建っている。

今日は電車で現地に行き、間取りや立地を調べて本番は明日だ。

三上は腕利きと言った。

どれだけやれる男か、今から楽しみで足が軽い。

色気づいた雪音が闇市を抜ける道中で更に死者が増えたのは言うまでも無い。

 

 




もう夜遊びしない!(人は斬る)
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