剣戟魔界都市―ソードマンズ・サンクチュアリ― 作:ひん(再就職)
夕刻。
雑居ビルの中で十数名が斬殺死体で発見されると通報を受けた警察は対応に追われた。
薬物取引や地上げで急速に勢力を伸ばしていた一家だった。
付近に防犯カメラ等は設置されていなかったが、状況証拠からこの虐殺はたった一人によるものだと考えられ、鮮やかな切り口を過去の資料と照らし合わせ、なにかしらの目的を持った剣兇の仕業だと断定されるに至る。
またしても剣兇。
つまり雪音の犯行に他ならない。
関係各所の署員に共有された現場写真を見た夜鹿は心配で心臓が飛び出そうになったが平静を装った。
組織同士の抗争に巻き込まれたのかとも思った。
今の所は剣兇の血痕等は検出されていないそうだが、こんな大立ち回りをして無事でいられるのか、雪音がどれだけ剣術の高みに在るのかを知らない夜鹿には気が気でない。
携帯電話も持たない雪音の安否を知るには直接顔を合わせるしかない。
警察官としては断腸の思いで仕事を切り上げ大急ぎで帰宅した。
名指しされたとて、相棒の熟練刑事に頼んで飛んで帰っただろう。
血相を変えた夜鹿は蹴破らんばかりの勢いで扉を開けて玄関を突破する。
週末に無理に我慢させたのが行けなかったのか。
雪音の宿痾は分からない事だらけで焦燥と困惑に包まれていた。
靴を脱ぎ捨てドアが半開きの居間に雪崩れ込むとエプロン姿の雪音が左手に凩丸、右手にお玉を持っている。
夜鹿は一も二もなくその胸元に飛びつく。
いつもと変わりない姿で力強く受け止めた雪音からは濃厚な血の匂いがした。
「……良かった……」
「おかえり。そんなに慌ててどうしたのさ? もうすぐご飯が炊けるし味噌汁も出来たから手を洗って来て。それとも先にお風呂にする?」
そんなに逢いたかったのかなと、相も変わらず能天気な発想で喜び微笑む。
少々恥ずかしい体勢をしていると気付いた夜鹿は雪音から下りると照れながら身繕いをした。
「そうね、走って汗かいちゃったから流してくるわ」
初夏から蒸し暑い都内を走り抜けた体はうっすら汗ばんでいた。
思わず抱き着いたが汗は臭ってないだろうか。
乙女な羞恥心が鎌首をもたげ、いそいそと脱衣所に向かう。
「火だけ消したら俺もすぐに行くよー」
エプロンを外した雪音もお玉を鍋に戻すと後に続いた。
背中を流そうと意気揚々と風呂場に乗り込んだ雪音はしかし、血の匂いを落とそうと躍起になった夜鹿に丹念に隅々まで洗われた。
身を清めてさっぱりした二人は協力して仕上げた夕食を摂った。
昼に大暴れして空きっ腹だった雪音も腹一杯になってソファでうつらうつらする。
隣で手を繋いでドラマを観ている夜鹿の肩に寄りかかる寝顔はあどけなく天使のようだ。
昼間の悪鬼の所業が嘘に思える。
「あなたって子は……」
このまま時間が停まってしまえばいいのにと夜鹿はその愛しい頬に何度もそっと口付ける。
しっとりした刺激に片目を開けた雪音は首を傾け唇を重ねる。
「……んっ……」
艶やかな口から切なく息が漏れた。
「ごめんなさい。今日は、その……」
「分かってるよ。やめとこう」
軽くついばむキスを繰り返す雪音はそれ以上を求めなかった。
伊達に二十年来の付き合いはしていない。
互いの体調はお見通しである。
人心を理解出来ずとも体の事なら目端が利く。
手や口などで代替しようと提案しかけた夜鹿をキスで黙らせる。
雪音は非常識で無邪気だが夜鹿を相手にした時に限ってはその意図を汲み取って先んじるのも得意だった。
失態を演じた後も実に心地良く慰める。
夜鹿が落ち込めば必ずそれを上回る喜びを与えて最後には笑顔に変える。
他の男への興味が失せてしまうのも道理。
二つの唇を離すと指を絡め合った手の甲で雪音の腿をさすり、ドラマに目を向けた。
主人公は職場では快活な同僚に、家では母性的な恋人に好意を寄せられどっち付かずの曖昧な態度で過ごして来た。
前回の終わりには二人の女が鉢合わせして修羅場に発展しかけるもその場は口八丁の方便で凌いだ。
が、状況は確実に悪化していた。
物語は後半に差し掛かって、煮え切らない主人公は静かに火花を散らす二人の女に挟まれて破滅の螺旋階段を転がり落ちていく。
女にうつつを抜かして仕事も気が入らず、恋人とはぎくしゃくとし始める始末。
雪音は毎週一時間放映される喜劇だとして観ていた。
これが人気だというのだから世間は奇怪だ。
怪訝そうに人物の行動を考察して唸る様を夜鹿はくすくすと笑って見ていた。
いつも二人の言葉は少ない。
喋るのが得意でもないし、必要な時に必要なだけ話して静けさを楽しむ。
スタッフロールを見送って、また甘い沈黙が流れる。
逞しくも柔軟性に富んだ腕を最高品質の抱き枕として腿で包む。
ドラマの次に流れる報道番組は都内の一角のビルで突如として発生した凶悪な殺人事件を捲し立てた。
真っ昼間から二桁の人数を一方的に抹殺した犯行動機を訳知り顔の犯罪心理学者が語る。
力の誇示だとか快楽殺人だとか語るが、どれも的はずれだ。
雪音は、素人めと、内心鼻で笑った。
研鑽と仕事でしかない。
弱者を嬲って楽しむ三流の手合が到れる境地など高が知れている。
協調だの友愛だのも糞食らえ。
強者と戦い、喰らい、天へとのし上がる。
逆島の剣はそういうものだった。
だからここまで雪音は来た。
だから牡丹は負けた。
「……ああ、そっか……」
ゆっくり遡り解き明かしたお陰で何をすれば良いのか分かった。
すっかり腑に落ちる。
昼の牡丹の猛稽古を思い出す雪音はある妙案の着想を得た。
「どうかしたの?」
「いや、ちょっとした相談があるんだけど、いい?」
「なぁに、畏まっちゃって。珍しいわね」
「神納流合戦兵法って剣術の道場がどこにあるのか知りたくて、姉さんなら調べられるかなって……」
身構えてみればそんな事かと気が抜ける。
この現代ではパソコンやスマートフォンからネットで調べれば簡単に探し出せるだろうが、雪音はIT機器に非常に弱かった。
一人ではテレビ番組の録画すら覚束ない機械音痴ぶりを見せる。
電話に出るくらいは出来るので夜鹿とて持たせたいのは山々だが雪音が束縛を嫌がりそうなので言わないでいる。
ネットで住所をさらりと調べるとメモに残した。
道場破りでもしようと云うのだろうが、詳細を探ると活人剣という不殺を貫く人道派であると知って然程心配はしなかった。
雪音がこれまで斬った相手も獅子吼を除けば犯罪歴に塗れた極悪人ばかりだったので今回は命までは取るまいと信じていた。
「ありがとう姉さん」
歯磨きをしながらメモを受け取った雪音はうたた寝の余韻でふわふわとした笑顔で微笑んだ。
「眠そうね。もう休みましょう」
「うん……」
頬を一撫でしてやり、大事そうに凩丸を抱える雪音の手を引いて寝室へ歩く。
向かい合わせで横になると薄ぼんやりと一日を振り返った。
ズブの素人が多かったが、最後のあれは面白かった。
報酬の金はどうでもいいとしても、このまま三上の使いっ走りを続けるのも悪くないかも知れない。
第四の欲求と呼ぶべき剣の欲を昼間に発散し尽くした雪音はすぐに寝付く。
むにゃむにゃと稚気に溢れた寝言を言ったりしながら今夜も一塊に密着して眠る。
夜が明けて夜鹿を仕事に見送った雪音はクローゼットを開けた。
そこに凩丸とは別の一振りを隠してある。
拵は酷似するが中身は全くの別物の刀は出番を待ち望んでいる。
しかしまだだ。
これは真の強敵にのみ使う。
雪音は手入れだけしてまた封印した。
今は凩丸が有れば事足りる。
最後に父を斬ってからは剣に見合う相手に恵まれなかった。
戦えど戦えど全身全霊の死闘には巡り会えず無聊を慰める日々の終わりが来る。
そう予感させる剣士に出会えた。
夜鹿に向ける物とは真逆の壮絶な笑みを浮かべる。
「俺が楽にしてやる」