剣戟魔界都市―ソードマンズ・サンクチュアリ― 作:ひん(再就職)
朝方の河原で汗を迸らせている女が一人。
麗しかった外見は負傷によって見る影も無く、痛々しい包帯や当て布で四肢を覆われている。
出義牡丹は怪我の治癒もそこそこに熱情を持て余し河川敷で稽古に精を出していた。
雪音が指定した場所はここで間違い無いのは付近の商店の人間から確認が取れている。
長身で長髪な女顔の男が刀を差してそうそうぶらつくものでもない。
包帯も巻いたまま走り込みや打ち込みに邁進する女剣士に通行人はぎょっとしては足早に通り過ぎていく。
想像上の雪音を倒そうとする闘志はその道に通じずとも伝わるものだ。
手酷く嬲りものにされたはずの牡丹だが、生来の気の強さで剣兇許すまじと再起していた。
それを雪音は橋の欄干から遠巻きに観ていた。
それでこそ剣士の鑑と、並の女なら見惚れてしまう柔和な微笑みを浮かべている。
金は得られず、屈辱を味わった。
苦しかろう。
もどかしかろう。
されどまだ《魔剣 渚》を上回るには執念が足りない。
百回やって百回勝つ。
千回でも万回でも勝つ。
不敗機構こそ《魔剣》の本旨。
不殺など笑わせる。
力無き正義など絵空事の願望である。
こっぴどく惨敗しても迷いを消せないならこちらで手伝ってやるとも。
「くふ……」
喜悦を噛み殺した。
可愛いものだ。
凩丸でもっと深くまで手籠めにしてやりたい欲求が沸々とこみ上げるが柄を握るに留める。
まずは本家で不殺を謳うだけの秘伝を見せて貰おう。
雪音が次に足を向けたのは神納流合戦兵法道場。
有名無名問わず武門が乱立した都内によくある中小規模の団体で、閑静な住宅街に本拠地を構えていた。
昼前に辿り着き中に耳を傾けると気勢をあげる男共の声が重なっている。
生家の道場を思い出す造りの間口を勢い良く開ける。
「たのもーう! おーい! たのもーう!」
清々と稽古に勤しむ十数人の男がすわ何事かと一斉に振り返って困惑と猜疑の視線が雪音に降り注ぐ。
「一回言ってみたかったんだよね、これ」
空気を思い切り吸い込んで実家振りの道場を味わう。
汗の匂いはどこも変わらないらしい。
実は道場破りは初の体験となる。
男の一人が中断してこちらへ歩み寄る。
「や、やあ。えっと……入門希望者かな?」
使い込まれた真剣を携えてそんな訳もないが、白昼堂々にまさかという先入観に囚われた問いかけをした。
「こんにちは。道場破りだよ。代表者に俺が勝ったらこの道場を潰させてもらうね」
「なっ、なにを言ってるんだ!?」
呆気に取られる男を無視して裸足になると勝手に上がり込む。
「ちょっと! 困るよ君!」
「いいからいいから。お遊びでやってんじゃないんでしょ?」
雪音の身勝手な振る舞いに男らは戸惑いざわめくが、ただ一人、神棚の真下で正座をして稽古を観ていた白髪の老剣士だけは体を強張らせた。
如何にも豪傑といった風体な巨躯の剣士が進み出る。
「先生、私がやります。若者によくある無鉄砲くらい、優しく諌めてやりますよ」
「逸るな狭山」
立ち合いの許可を乞う男に老人は警句を発する。
殺到する視線にも飄々としている青年から漂う危険な香りを嗅ぎ分けている。
しかし狭山は鷹揚に笑い壁に掛けた木刀を取る。
剣の道を進むこと三十余年。
師範代にもなり一廉の剣士という自覚が狭山を寛容にさせる。
「なに、ご心配召されるような大怪我はさせません。少し痛い目を見れば賢くなりましょう」
「逆だ。油断してはならん」
「……成る程」
狭山はどこか現実味が足りない様子で相槌を打つ。
神納流合戦兵法当代師範、出義鬼兵。
激動の世紀を生き抜き道場を立ち上げたその老人だけは魔剣士の狂気を正しく感じていた。
「師範代の狭山三郎だ。その剣には悪いが殺し合いはご法度だ。木刀で失礼するよ」
「逆島雪音。どうぞよろしく」
狭山は明朗で立ち方も良い。
師範代とあれば牡丹より上の使い手であるのやも知れない。
雪音は礼を尽くして慇懃に木刀を受け取った。
その際、剣
目礼しつつも視線を外さず残している雪音のそれも熟練の剣士のようだ。
木刀を通して相互に触れ合った刹那に剣士達は内面の上辺をなぞりあった。
出来る。
狭山は考えを改めた。
少なくとも若者にありがちな全能感からの自惚れではなさそうだ、と。
「ルールはどちらかが戦闘不能になるか降参するまで、でいいかな雪音君?」
「それでいいから誰も止めないでね。横槍入れたら女だろうが斬るよ。いいね?」
凩丸の柄を指で叩く面構えはぞっとする穏やかさに冷たさが潜んでいた。
門下生には年嵩の女も一人混じっていたがそんな事に躊躇する雪音ではない。
本当に斬る。
「人をそんな簡単に殺すだなんだって、最近の若者は物騒で困るよ」
眼前の青年が魔都東京でも指折りの剣客とは露知らず狭山ははにかんだ。
「それが俺の剣だからね。さあ、やろうよ」
茶目っ気たっぷりに言うと、凩丸を背に差し変え板間を歩いて狭山から離れた。
雪音は既に戦術を組み立てている。
この距離も理由がある。
夜霞の少ない短所として敢えて動きを見せる必要があり、一定の間合いを開いていて初めて有効に作用する。
奇怪な足運びで焦りから動揺を誘うにも思考が挟まる余地が要るのだ。
最低でも三歩、出来るなら六歩は欲しい。
雪音は会話の中でこれをさり気なく手中に収めた。
得意の居合を木刀で封じられた手前、これぐらいはやらせてもらう。
「ふんふん……」
持った木刀の具合を軽い素振りで確かめた。
丈は凩丸よりやや短いがずっしりと重厚で骨を砕くのも容易かろう。
雪音は無造作に右肩に担ぎ、声も無く夜霞を発動して先を取って仕掛けた。
「なっ!?」
虚を突かれた狭山は慌てて木刀を握るが雪音はもう目と鼻の先に居た。
卑劣と謗られたら鼻で笑う。
剣客が得物を握り名乗りを済ませたというならそういう事だ。
接近の慣性を乗せ峰の反りで木刀を跳ね上げて相手方へ投げ出すような袈裟斬り。
武蔵一刀流兵法、釣瓶上げ。
闇市で牡丹に放ったのと同じ技が、至近距離まで迫った上で猛然と襲い掛かる。
泡を食うような並の使い手なら額を割られていた。
「くっ、おぉおおお!」
狭山は雄叫びを挙げて自身を鼓舞した。
不意を突かれた狭山だが全神経を最大駆動し熟練の技量をもってして最短の軌道で打ち落とす。
牡丹を育てた男の剣技は成る程、強ち捨てたものでは無かった。
峰を抑え込むように下方に押し退けて芸術的な防御を果たし、飲んでしまった息を吸う。
その一呼吸で勝敗は決した。
雪音は間髪入れず膝を抜き腰を落として下へ前へと懐に潜航する。
進むべき道は拓かれた。
鍔元を抑え込まれただけで降参するようなら伊達や酔狂にも剣客稼業など始めない。
蹴り足の反発で腰を絞り上げ、連動して左手を宛てがう柄頭を臍下に落とす。
天秤になった切先が行くは股下。
狭山の上背による腕の長さと破壊力は危険だった。
しかし代わりに剣の中心軸が上体に偏り下方の守りが甘くなる。
雪音の勝機はそこにあった。
適度に馬力を込めた袈裟斬りは食わせる為の餌に過ぎない。
袈裟斬りから脚を入れ替える事なく前進し即座に内腿ないし股間の動脈を斬り上げる。
切先が降り立つが早いか飛び跳ねて次撃を食い破る。
武蔵一刀流兵法、
睾丸を潰し骨盤を砕いた手応えが返ってきた。
「ひ、あっ……!!」
立つこともままならず蹲る狭山は頭を垂れるように俯き悲鳴を漏らした。
だがまだ終わらない。
「よっ、と」
上段に構え直した木刀を無防備な首に叩きつける。
頸骨が折れて首があらぬ方へ歪んだ。
命脈を絶たれ弛緩した狭山は失禁する。
絶命を確信してから溜めていた息をゆっくり吐き、残心を取ってすっと離れる。
腕だけで評価するなら悪くはなかった。
しかし雪音は牡丹という前例から流派の情報を得ていた。
致命傷を与える技を嫌い、命の奪い合いにも慣れていない。
こちらだけが死を覚悟した優位性。
加えて機先を制した。
技の優劣は一概に語れずとも、情報、機、気構えの三つの利を手にしていた雪音は戦う前から勝利に近かった。
狭山にはまさか木刀を以てして命のやりとりはすまいと侮りがあった。
平和呆けした油断から一太刀やり過ごしただけで気を抜いた狭山がその餌食となったのは当然の帰結と言えよう。
雪音の袈裟を打ち落としてからすかさず剣を跳ね上げ二刀目を繰り出せば運良く相討ちに持ち込めた未来も有ったろうに。
首や胸元を狙わざるを得ない体勢に誘い込まれ、躊躇って次手を選ぶ時間を設けようとした狭山の負けだ。
「狭山先生!」
「救急車を呼べ!」
道場に悲鳴が満ちる。
「鎮まれ。無駄だ、事切れておる」
今から蘇生を試みたとて遅い。
そも、頚椎を砕かれ死に至る損傷を脊髄に負った剣士を無理矢理に生かす方が残酷というもの。
「貴様……!!」
門下生が浮足立ち糾弾の眼差しを雪音に向ける。
勝負は着いていた。
なぜ狭山を殺した。
そんなお門違いの怒りを一笑に付す。
降参したか?
していない。
戦闘不能だったか?
雪音の常識に照らせばまだ戦えた。
だから反撃を受ける前に止めを刺した。
それだけだ。
認識の相違が有ったにせよ兎や角言う言われる筋合いは無い。
大体、負け犬に何かを言う権利があるものか。
死人に口無し、流儀を主張したいなら何をしても勝てば良かったのだ。
頭をかち割られても雪音は文句を言わないし言えなくなる。
「おいおい、ガッカリだぜ爺さんよ。タマを潰されても腹綿を溢しても戦うのが俺達剣士じゃないのか? ええ? 違うかい?」
壁に掛けられたご立派な理念と戒律の木彫り看板を目で笑い、木刀で殴り割る。
にこやかだった表情を一変させ、憤怒の形相で欠片に至るまで破壊した。
「……くだらねえ、なーにが活人剣だよふざけんな。くたばれ。あいつを、あいつの才能を腐らせた道場なんて糞だ。だから潰す」
半ばから折れた木刀を放り出す。
不殺の象徴を打ち砕いても雪音の癪気は収まらない。
「牡丹は俺より強くなれた。俺を斬れた。それがなんだよあのザマは!? なんであんなに弱かった!?」
この場に居もしない牡丹をなぜ知っているのか。
対戦しているからだろう。
先日に満身創痍で帰還した牡丹を痛めつけていたのは他でもない己だと明かした。
牡丹は器量もよく才気に溢れてとみに可愛がられた。
腕は同じく門下生の両親すら上回り、同門では最高位の使い手として愛されていた。
それをあれだけ傷つけておいて、まるで牡丹を憐れむような口調で神納流合戦兵法を罵った。
傍目には支離滅裂な狂人としか映るまい。
「……剣に狂っておるな」
「それが? 弱いより良いよ」
何をか言わんや、雪音は淡々と言葉を返す。
「先生っ! どうかお願いします、やらせて下さい! こいつだけは私の手で……!!!」
「……裏手の涸れ井戸は
白髪交じりの男が縋り付く勢いで鬼兵に頭を下げる。
目尻には涙すら浮かべた悲壮感を漂わせた懇願に、鬼兵は訊き返す。
過去を知らずに過ごしていた若手の門弟も歴史の暗部を思い知った。
「はい、来たる日の為に残しておりました……!」
「……全ての戸を閉じよ。皆の者よ、如何なる犠牲を払おうと、その男を生きて帰すこと罷りならんと心得よ」
不殺を誓った筈が、鬼兵がそう告げれば『殺す』となればその凶器は刀以外には思いつけない剣士の集いは殺気立つ。
若衆が鎧戸を落とし厳重に施錠する。
持ち出された刀の刃に蛍光灯が反射する煌めきに雪音は囲まれた。
厳かに冷静な鬼兵を除き神納流の門弟は一様にぎらぎらと殺意を募らせる。
昨日の雑兵共とは比較にならない研ぎ澄まされたそれを一身に浴びた。
「よもや卑怯とは言うまいな」
「むしろありがとう、アハッ!」
戸締まりは雪音を閉じ込める為ではない。
外から水を差されないようにだ。
仮にも人道派を謳う神納流が他所様には見せられない報復をしようと云うのだ。
寄ってたかって殺して、これまでのように井戸に投げ捨てろと云うのだ。
敵討ちを懇願した年嵩の男が白羽を翳してその筆頭に立つ。
似た年齢の女も隣で構えていた。
今は憎しみに歪んだ顔も、利発な牡丹の面影がある。
「お前が、娘を……!」
「ああ、もしかして牡丹の親父さん? いやあ、その節はどうも。ひょっとしたらそちらはお母さん? 娘さんとは仲良くしてもらってます」
「どの口でほざく、この外道が!」
「よくも、私の子を……」
愛想良く挨拶して返って来た恨みがましい視線を侮蔑する。
溢れる剣才を飼い殺しにしてなにが活人剣か。
いくら本性を隠したとて一皮剥けば貴様らも獣だ。
醜さを嫌悪して遠ざけ目を逸らした潔癖の先にあるのは無力な脆さだけだ。
今の牡丹が正しくそうではないか。
「あははは! そんなんだからあんたらは負けるんだよ」
言い終わるが早いか、凩丸抜かれていた。
瞬く間、ただ大きな一歩を踏み出し居合が二人の腹を薙ぐ。
「あっ……!?」
先に抜いたなら反撃に全員斬り殺しても夜鹿への言い訳が立つ。
渚を使うまでも無い。
夜霞で幻惑する必要も無い。
反応が遅過ぎる。
興奮を律していなければ息は上がり視野が狭まって技は大きく乱れる。
狂騒に操られて立脚点を失った剣士の末路など語るに及ばない。
「卑怯者! よくも、よくも!!」
先に抜いて囲んでおいて飛び出す的外れな憎悪を浴びるも全てが馬鹿馬鹿しい。
一人二人やって血も見せてしまえばもう止まるに止れず。
ひたむきな男達は義と狂に乗せられて行く。
後は屍の山だ。
真に愚か。
剣兇という猛獣と同じ檻に飛び込んだのがまだ分かっていない。
全員で押し合いへし合いのもみくちゃにしておけば最悪でも何人かの犠牲で雪音は殺せたものを、馬鹿真面目に何人かずつの斬り合いを繰り返すから取り返しが付かない。
集団戦の何たるかを学ぶ機会も無かったのだろう。
徐々に流派の手の内を見せてくれるのだから勉強が捗っただけ。
「もうおしまいだよ、ナマクラ共」
対多数の殺戮の術にも長けた雪音は老若男女を見逃さない。
多様な流派が乱立する現代から無駄な一門を間引いてやろうと云うのだ。
善行を積んでいる気すらしている。
才人の脚を引っ張るのが絶対的な悪であると捉えるが故に。
人命の尊さなど母の墓の中に忘れてきた。
残る一人の家族が無事ならばその他の万事に剣が勝る。
剣に誠実か、手を抜かず努力しているのか、そこだけに善悪の尺度が存在する。
そうあれかしと育った。
綺麗事を並べるだけの神納流は論外だ。
斯様な剣の鬼に、常識に絆された只人が敵う道理も無い。
まさしく蛮勇。
そうなるべくして一門は崩壊に向かった。
剣術家以外には優しいお兄ちゃん。
挨拶も出来て人当たりも良い。ご立派だね!
警察か遺族の目線だとほぼラスボスな模様。