剣戟魔界都市―ソードマンズ・サンクチュアリ― 作:ひん(再就職)
身体が熱い。
呼吸が酸素より排熱を求めた行為になるまで出義牡丹は素振りを繰り返していた。
胸には憤り。
敵の言葉を信じて励む奇妙な構造で鼻息を荒らげている滑稽な有様が腹立たしかった。
どうしてもっともっと稽古をしていなかったのか。
祖父に誓って手を抜いた事はない。
ただ、足りなかった。
同世代である雪音が一朝一夕で身に付く筈の無い技術を駆使する様を目の当たりにしてそれを思い知らされた。
夜な夜な出掛け満身創痍で帰宅した愛娘を両親は心配して問い質されたが、何も言えなかった。
言えるわけがない。
勝って来るぞと勇ましく出たはいいものの身の程知らずの軽挙だったと、どの面を下げて言えようか。
志も背負う物も無さそうな狂人に負けたのが悔しくて悔しくて仕方がなかった。
だから今までの遅れを少しでも取り戻せるよう指紋が擦り切れるまで朝な夕なと刀を振る。
息が詰まるまで振って振って
昨年まで安穏と通っていたとは高校と別世界の苦い焦燥だ。
「逆島雪音……」
備えず安穏と生きていた過去の自分を口汚く罵りたかった。
なぜ祖父に教えを乞わなかったのか、募る後悔は汗となって胴着に染みを増やす。
牡丹は現在苦境に立たされている。
刃傷沙汰全盛の時代に机上の空論と馬鹿にされる神納流の道場は門下生が集まらず家計は火の車。
借金で資金繰りをしてきたが、債権は不貞な輩に回り嫌がらせのような催促を受けるも返す金もない。
両親が共働きで仕事をしても元本が膨らみ返せる見込みは無い。
このままでは差し押さえられて道場の歴史に幕が下りる。
そうはさせない。
祖父の興した神納流を潰えさせたくない。
その一心から普段なら近寄るのも憚られる悪党の巣窟、闇市に出向いた。
参加するのは他道場での出稽古で耳に挟んだ命懸けの地下大会。
家族にも秘密で金を掴みに行き順当に勝ち上ったが、未来は剣兇の手で閉ざされた。
豪快かつ緻密な剣技に加えて仔細に種を明かして尚も猛威を振るう《魔剣 渚》。
あれを初見で迎え打てる者など居ないだろう。
大きく動いて躱せれば御の字だが体勢を崩せばすかさず続く二刀目で斬られる。
受けに回ってもあの居合を出し抜く反撃の術がない。
人というものは動作の前に少なからず意を発する。
神経系から漏れた生体電流か、はたまた体の強張りの偏りか、その正体は明らかでないが間違い無くそれらは実在する。
見切りを極めつつある雪音は勿論、優れた剣士や武術家は対手の漏らした意を読み、一瞬の交錯を制する
その意を徹底して隠す方向へ突き詰めたのが《魔剣 渚》の極意。
対手に読ませずして自らだけは利を得る。
都合の良い無敵の代償にその難度は人の身に有り得べからざるもの。
人格を分離して評価するなら、実現した雪音の努力と執念と才能には驚嘆すら抱く。
読んで字の如き
二つ名の由来を表す恐ろしきものだった。
完敗だ。
自身に勝ち目は無かった。
その事実がより苛立たせる。
己は勝たねばならない。
道場を立て直す為に勝って金を得る。
そして受け継いだ沽券も守る。
あの魔剣士を相手にどうやって?
堅実に積まれた基礎を支点にした《魔剣 渚》は奇策無しでは崩せない。
本来の居合という技術自体は不意打ちや咄嗟の護身が主眼にあり、正面からの切った張ったで最速を求めたものではない。
重力加速度を使える振り下ろしの方が物理的に速いのは科学的根拠に証明された事実だ。
しかし現代では居合に拘る使い手が一定数居る。
それは、初対面時に生死を分ける間合いの読み合いで刀身を手元や背後に隠せる利点が余りに大きい。
どこまで肉薄してよいか探るにあたり、間合いは非常に重要な位置を占めている。
手札を増やしただけの藤間とはそこが決定的に違う。
実際に《魔剣》を受けた牡丹が生きているのも雪音の気まぐれな手加減があったからこそだ。
これまでの犠牲者は術理の影すら踏めず死んだ。
慢心か寂しさか、雪音は《魔剣》の種を懇切丁寧に明かして相当の有利を捨てた。
それであの様だ。
まだ怒りは収まらない。
自分の愚かさに向けた怒りが燃え盛る。
伸びた雑草を半狂乱で刀で殴り付ける姿に通行人は遠く怯えた。
決闘と仇討ちが流行る荒んだ剣士の都でまた一人何かの不幸を背負った女だ。
目を血走らせてはぶつぶつと独り言を繰り返し刀を振り回す。
容姿が優れていても、お近付きにはなりたくはあるまい。
下手に関わって不幸を貰っても仕方無い。
触らぬ神に祟りなしと事情すらを誰も聞こうとしなかった。
「どうして……っ!」
不意に気持ちを昂ぶらせて刀を無軌道に振り回して草を刻む。
盛大に負かされた胸中は穏やかでなかった。
恐怖は少ない。
多いのはからかいや雪音の無法への怒り、そして自責の念だ。
同じように死ねたらどれだけ清々したか。
生き延びた達成感など忘れた。
力及ばず殺される覚悟はしてきたが、殺人剣に手加減されて嬲り者にされる覚悟はしていなかった。
それがお株も奪われて、あのにたにた顔で帰り道ではまた何人も斬り捨てたと聞いて完膚なきまでの負けを実感した。
剣術家の誇りや思想が薄くとも相応に背負ってきた看板を穢してしまった悲しみは深い。
視点を翻し建設的に物事を見れば生きて情報を得ることに成功し次回に勝負を預けた。
尋常な決闘で倒した相手を生かす割合は非常に低いにも関わらず。
通常、剣士は通り魔でなければ近い実力の持ち主と戦うもので、悠長な手加減などまずしていられない。
故に禍根を残し手の内を晒して何度も見逃される事象は少ない。
雪音の驕りでもあり自信や孤独感の表れでもあろうか。
雪音が語る才幹が真実牡丹に備わっているなら、いつか彼を倒せる力が宿るだろう。
それでも今は無理だ。
握りはこれで良いのか、足運びは間違ってないか、剣筋が狂ってないかと確かめて絶望する。
今更と言いたくなる重箱の隅をつつけば微小な向上は見られる。
振りは速くなりより効率的な立ち回りが見える。
しかしだ。
短く見積もって十数年の着実な稽古を短期の集中で上回るほど人間は優れていない。
雪音の期待は重すぎた。
答えが無い問題に直面すれば牡丹の決意も軋む。
「出来る出来ないじゃない。やるのよ」
だが緩んだ握りを強固に歯を食い縛る。
まだ指と眼差しには生気が在った。
牡丹は規則に厳格で真面目に通学し、優れた容姿で言い寄られる事も有ったが実家の事情を知ると男は逃げた。
喧嘩の一つもせず顕在化しなかった故に、剣士の本能である反骨心を鬼兵だけが知る。
力量差を分からされ鋼の刀身で滅多打ちにされようと、悲劇の主人公を装ったりなどしない。
雪音は不殺の剣を馬鹿にした。
難しい顔で口数も少ないがじっと様子を見てくれていた鬼兵が大好きだった。
行き詰まって考え込んでいると言いにくそうに解決の糸口を与えてくれる男だった。
その祖父を笑った。
単純な話だ。
素性の怪しい狂人に大切なものを貶された。
牡丹の怒りを買うには十分だ。
目をつけられたそれ自体の不幸を無視すれば、雪音は理解不能な理由で手を抜き、こちらを殺すつもりは無いらしい。
であれば体当たりで試行回数を増やして《魔剣》を使われるまでになんとかすればいい。
楽観視という処方で過剰に働く鼓動を緩ませる。
屈辱よりも実利。
生娘とてその程度の打算は立った。
賞金を携えた雪音が来るのを今か今かと待ち侘びて滾る思いを鎮めた。
袴の裾から滴る汗を凪いだ河原にどれだけ吸わせたか、気が付けば夕暮れだ。
帰宅して食事をしたら夜稽古が待っている。
今から帰っても着く頃にはそこそこ遅い時刻だ。
休学以上の親不孝は心苦しい。
ここには橋の振動と川のせせらぎと虫の音だけしかない。
昨日も一昨日もその前も。
今日も雪音は来なかった。
明日は?
来ようが来るまいがそんな事は関係ない。
気分を害するだけの無意味な想像を振り払う。
諦めてなるものか。
現状で大金を得られる唯一の方策だ。
冷静に帰り支度を始める牡丹が内に秘した執念は神に届いた。
気配を感じて見上げるとそれはそこに居る。
「おはよう牡丹、俺とあーそぼ?」
希望の影、絶望の化身が夕陽に浮かんでいる。
無垢なる笑顔の裏に爛々とした欲望を引っ提げて。
祈りが届いたとしても救いには遠く、また神は神でも祟り神の手合い。
牡丹の心臓が無秩序に沸き立った。
裏話:牡丹の伸びしろと根性は今作でぶっちぎりの一位。
雪音はセンスよりマジキチ練習量と実戦経験で食い下がってます。
四歳から平均で毎日十二時間以上も刀を振ってるあたおかニキ。
誤字とかあったらバンバン教えてもらえると嬉しいです。