剣戟魔界都市―ソードマンズ・サンクチュアリ― 作:ひん(再就職)
食後、夜鹿はソファで酒盃を傾けていた。
かなり飲める口だが肴も無しに呑んで顔を火照らせ、考えに耽る。
神納流道場で大量斬殺事件の報せを署内で受けた時は血の気が引いた。
いつか予見した日が来てしまった。
これまで目を瞑り庇護してきたのは、その筋の構成員か人斬りの剣士だけを斬っていたからだ。
だから夜鹿は自分に言い聞かせて来れた。
それもこれまでなのか。
神納流は裏の無い活人剣で善良な市民だった。
四肢が欠けた死体が十数人分も血の海に沈んでいる凄惨な現場を夜鹿は自分の眼で見た。
熟練刑事も鼻白らんだ残酷さは、愛しい雪音の側面にしっかりと刻まれていたと再確認した。
暴力団絡みの闇金業者と違い、なんら瑕疵の無い市民の剣術道場を襲撃するのは言い逃れ不可能。
犯罪史に刻まれるとんでもない惨殺劇を起こしてしまった。
後悔も然ることながら、焦点は捜査状況。
道場に残した素足の足紋は剣兇の新たな証拠として克明に記録されてしまっている。
後手に回ってばかりでも警察は無能ではない。
現時点でもかなりの情報が割り出されている。
体格が良く背も高い男。
右利き。
凶器は通常の刃渡りより異常に長く鋭利な刀。
靴の種類。
足跡の皮脂と汗から採取した遺伝子。
今日の行動が派手過ぎて手掛かりはほとんど摘み取れなかった。
捜査の手は着実に迫っている。
次の現場で決定的な証拠が見つからないとも限らない。
街中の監視カメラが暴徒に破壊されたままでなかったら既に逮捕されていただろう。
経済が停滞し予算不足の自治体がその気にならなかったのはただの幸運に過ぎない。
向かう先が破滅しかない間抜けなその場凌ぎ。
考えれば考える程に詰んでいる。
凶行を繰り返すなら、いずれ司法は剣兇を捕らえる。
知る限りでも百人を斬った雪音を処刑台から遠ざけるにはどうしたものかと悩んでも、出せる答えは毒を食らわば机まで、だ。
腐敗、汚職、偏愛、妄執。
無関係な第三者なら夜鹿が犯したただならぬ悪事をなんとでも罵れよう。
確かに、およそ理路整然としている夜鹿に似合わぬ浅慮だ。
それでも。
「仕方無いじゃない…………」
好いてしまったのだ。
酒で濁せても消えはしない迷いを散らしたくて、膝枕に載る頭を手慰みに指を漉き呟く。
過去、夜鹿は天秤に掛けた。
義か雪音か。
選んだ時に腹は括った。
括った筈なのに。
この男は弟であり、息子であり、病める若者だ。
愛情は彼にこそ必要なのだ。
しかしそれは過酷な職務に荒み倦んでいる夜鹿も同じだった。
出自の不遇さを匂わせる事なく元気一杯に接してくれる雪音の温かな心に触れ合ってしまった。
優しさは飢えた脳に深く染み込んで溶け合い、情愛へと変わった。
私は彼を愛している。
従兄弟どころか直系の弟でも良い。
世界に仇為す人殺しの怪物でも良い。
この恥知らずで仁義なき感情を捨てられない。
誰にも打ち明けない嘆きを無言で独白する。
色々あってもお前を爪先から頭の芯まで愛している、お前は私をどう思ってるのか、と言えてしまうなら事は簡単だ。
雪音が回答出来ず口籠るのは万が一にもあり得ないとしてもしかし、夜鹿は臆病だった。
雪音との関係の破綻に耐えられない。
鉄仮面に脆い心を隠し、また夢の延命を選ぶのだ。
膝に目を落とすと雪音が無防備な姿で首を置いていた。
筧夜鹿は警察官だ。
生来の真面目でしっかり者は職場での評価も高く、天地神明に誓って職務に励んできた。
ただ、周囲が思う程に強くはなかった。
「もう、そんなに触られてるとちゃんと観れないよ。今いいトコなんだから」
くっついて居眠りしていただけの雪音はどこへやら。
煮え切らない主人公になんだかんだと文句を付けても放送時間には必ず居間で待機している。
夜鹿を差し置いてすっかり番組の虜になっていた。
主人公の二股交際は双方の女にほぼ露呈した。
繁華街を腕を組む現場に鉢合わせになり、かなり苦しい言い訳を逃げるのがやっとだ。
領域の違いから直接の闘争には発展しないものの、女の意地で独占欲は燃え上がる。
職場、外出先、家と場所を問わず、誘惑を駆使した奪い合いは悪化の一途を辿る。
女一人に破滅しかける程に運も悪く流されやすい主人公だが、あの手この手で立ち回り均衡は危うく保たれている。
代償に私生活や仕事が壊れ始める。
妬み奪う愛憎入り交じった混沌の図だ。
愛欲の暴走特急と化した二人の鞘当て合戦が果てしなく続く訳もない。
同棲する恋人は妊娠を告げ、不意に王手をかけた。
そこで番組は終わる。
少し気になる続きは翌月に持ち越しらしい。
「さっき何か言った?」
「……髪、伸びたわねって言ったの」
「ずっと放っといたからね。前髪も邪魔だしそろそろ切ろうかな」
「折角綺麗な髪なんだから適当にしたら勿体ないわよ。整えてあげる」
「姉さんが切ってくれるの?」
「ええ。週末に切りましょ」
「へへ、やったあ! ありがとう!」
夜鹿の腹に顔を押し付けて喜びを表した。
無垢なる好意に胸が疼く。
雪音の顔を浅く触り、憂いを悟られまいと平常に振る舞う。
自分の懊悩に救いが在るとするなら、この慕情が終わる日まで愛を蓄えられる事だ。
暫し見つめ合うと障子も破れぬ優しさで雪音から口付けた。
酒の味が移った唇を舐めてはにかむ。
「ふふ、ビール味だ」
浅く触れるだけ。
妖艶な深みのある漆黒の虹彩と見つめ合う。
優しい瞳に吸い込まれて目が逸らせなくなってしまった。
この男が人殺しを働くなど嘘のようだ。
だが死体は幻ではない。
幼少期から見せる残酷さはその内に健在なのだ。
「……する? 生理終わったの?」
空気が破れた。
「デリカシーが足りないのがあなたの残念な所よ」
溜め息が出た。
やや冷めた眼で体を離し、頬を挟んで捏ねる。
「ふ、ふいまへん」
「しゃんとしていれば女なら放っとかないくらい格好いいんだから。いつか…………出来る彼女の練習と思いなさい」
冗談めかして言おうとして言葉に詰まる。
少し本音を漏らし、自分でも驚いた。
表情はなんとか取り繕えたがなんたる失態か。
平静を保つ振りを職場で求められ続けて数年、もう誰にも見破れないと自負していた。
自宅で油断もしていたし、雪音が妙なことを口走るものだからつい動揺したせいだ。
近縁の血がそうさせるのか、内面では似たり寄ったりでも出力が苦手な似た者同士であった。
「今みたいな事は私にしか言っちゃ駄目よ?」
「他に誰に言うの?」
目を丸くして頭上に疑問符を浮かべる。
「それは……彼女とか、恋人とか……」
「彼女なんか要らなくない? 俺には姉さんがいるじゃん」
「おっほ…………こほん」
不健全な嗚咽が出た。
ほぼ自分好みに育った男からの一段上の扱いが夜鹿には嬉し過ぎた。
女冥利に尽きる。
生理中でなかったら派手に押し倒していたところだ。
「姉さんは彼氏要らないの?」
雪音からそう言われるのは少々意外だった。
今までを思えばもっと独占的な執着を見せるかと思っていた。
欲を言えば雪音に嫉妬して貰いたかった。
「あなたが居るじゃない。もう満たされてるわ。仕事とあなたに一筋よ」
「それじゃ二筋でしょ」
「ふふっ、細かい事はいいじゃない」
二人で歯を磨いて横になると夜鹿が先に寝息を立てた。
右腕を抱き枕として貸し出したまま雪音は軽く瞑想を始める。
夜鹿は一つ勘違いをしている。
雪音は根拠なく斬り伏せて回ってはいない。
《魔剣 渚》が有罪判決を受けるには重大な要点が足りない。
警察が物的証拠と目撃情報を固めて法廷に引きずり出し、その罪を弾劾したとしよう。
説明される殺害の絵図はこうなる。
途方も無い大太刀か折り畳んで隠せる長柄の刃物を使い、足跡の位置からは遠すぎる間合いで一刀。
野太い腕で腕力に物を言わせた力技。
そうでなければ魔剣の説明が付かない。
付かない限りは立証されない。
三尺余りの長い凩丸でも、どう体を伸ばしても届かない。
届かないなら殺せない。
真っ当な捜査と推測では必ず破綻する。
我流秘剣渚を実演出来るものなど雪音の他に誰が居よう。
指紋が残っていようが近くの人間に見られていようが、物理的に不可能な犯行の図を描いても裁判官から有罪は下らない。
現実に現れない《魔剣》をどうして裁けようか。
仮に他の人類のアリバイが有り九十九%雪音が犯人の状況であっても、その一点だけは絶対に不落なのだ。
見えず、読めず、躱せず、裁けず。
《魔剣》の脅威は揺るがない。
一部始終を目撃される事は唯一の急所といえ、雪音は十代で獅子吼より皆伝を授かっている。
汎ゆる瞬間、眠りの中でさえ素人の気配を探るのは訳もない。
コンマ一秒未満の抜刀を素人が見た所で、いつ抜いていつ斬ったかも分かるまいが。
この理屈を夜鹿に明かせないのが残念だが、秘密は守られてこそ意味がある。
手管が残らず白日の下に晒されたとて、効果は減じない。
究極の不能犯は闇の中で笑っていた。
大量殺人鬼だけど家族だし愛人だから手を貸すやべー女だよこいつ
おまけ効果のはずの立証困難が強過ぎるから現代社会だとルールで禁止ッスよね
普通に斬ってた分は剣兇とは別人扱いされたか裏稼業の人間が片した