剣戟魔界都市―ソードマンズ・サンクチュアリ― 作:ひん(再就職)
雪音が朝から日没まで河原で凩丸を振って時間を潰すのも今日で三日連続。
闇市とは近いが牡丹の居場所を知らない雪音はただ愚直に待ち焦がれた。
しかして全く腐らず剣技の研鑽に邁進する。
蒸し暑さで汗みずくになりながら橋桁の陰で武蔵一刀流の基本剣技を序の口から順番に練習する。
どっしりとした動きで正確に、記憶に焼き付いた獅子吼の姿をなぞる。
一寸の相違も無い型が夕陽を反射して煌めく。
雪音が想定する最強の敵は常に獅子吼だ。
勝利から三年が過ぎた今も尚頂点に君臨する。
それほどに父は強かった。
受け継いだ呪縛であり、祝福でもある幻影が忘れようにも忘れられない。
組み合わせで何百にも分岐する連携を自然に繋ぎ獅子吼の陽炎に挑む。
調子は良い。
舞い落ちる木の葉の
牡丹という輝かしい存在は雪音を刺激し、かつてなく高める。
いつでも最良の剣で迎え撃てる。
衝動が疲れなど吹き飛ばし四肢には力が満ちる。
迷いを捨て、一皮剥ければ自分を倒し得ると信じて疑わない。
《魔剣》を凌ぐのはそれだけ有り得ない事だ。
現状、攻め手に欠ける牡丹の勝率は一分も無い。
しかし鍛えればどうとでもなる。
そのきっかけは与えた。
剣の神の囁きに啓蒙され、修羅の才を持つ牡丹ならみるみるうちに力を付けるだろう。
「ふふ、あはは……!」
牡丹の事を考えると胸が高鳴る。
いつもこれと思った相手はその時々に刈り取ってしまっていた。
どうにも伸び代を感じられず、かと言って手を抜ける程弱くもない。
結果としてほぼ《魔剣》の錆となった。
逆に牡丹は抜群の素養と反比例する今一な戦闘力で手玉に取られたが生き延びた。
無敵の剣兇を無敵足らしめる秘技を開陳してまで経験を与えるのはひとえに期待の高さ故。
どんどん良くなる牡丹の剣をもっと見たい。
しかも自身の成長にも直結するのだから嬉しくてたまらない。
一夜限りの逢瀬で終わらない楽しみを待つ喜びに浸り、間違いなく幸福の中にいた。
自分に並び立つ時を今か今かと心待ちにする雪音はよもや、剣兇を凌ぐ残虐に興じているとは思いもしなかった。
胴着をはだけて手拭いで汗を拭く。
髪留めを解くと長髪が風を妊み柳の枝のように揺れる。
結局この日も牡丹は来なかったがご機嫌で帰り支度を整える。
橋の陰から出ると男が二人持っていた。
三上とその護衛だ。
「ご機嫌だな剣兇」
夕陽を背に、例によって二人共暑苦しいスーツ姿。
嫌な位置に立つ。
距離を取らない分、強い西陽の逆光で先手を封じるつもりだろう。
わかりやすく雪音を警戒している。
「こんちは。夕方にしてもその格好は暑くない?」
「TPOだ。お前も社会人になりゃ分かる」
面白くなさそうに三上は言う。
護衛の男は刀を袋に入れて手に提げているが、見るからに堅気ではない男が携帯して出歩けるのだから、東京の治安の悪さが伺える。
触らぬ神に祟りなしで通報もされなければ、見回りの警官すら居ない。
「で? 用事は? 仕事?」
三上が茶封筒を投げて寄越す。
中身は前回同様、地図と写真と札束だ。
写真には鋭い眼光の男が斜めに写る。
白髪が混ざった五十前後の歳に見える。
「組織の情報を抱えて足抜けした裏切り者だ。監視と包囲はしてある。垂れ込まれる前に片付けろ」
「へえ……」
雪音は目を細める。
地図には隠れ家にしている廃ビルが赤丸で囲まれている。
都心から外れた下町の一角だ。
人通りは少ないはず。
封筒には他に四つの札束が入っていた。
「強いの?」
「送るのはお前で四人目だ」
三上が雇うのは前回以前の大会参加者で力を示した剣客のみ。
それを三度撃退し、迂闊に刺客を送るのは無駄と三上も悟った。
雪音をして充分に楽しめる強者。
「スマートにこなせ。前回のは派手過ぎだ。報告聞いてコーヒー吹いちまっただろうが」
目撃者は消す。
殺人者の鉄則だが、一棟を無人にした雪音はやり過ぎだ。
外に漏らさず十数人を斬り、しれっと現場から逃走せしめた手際は大したものだが死体は残る。
警察の介入が増えると方々への賄賂の額も上がる。
戦闘狂のせいで組織が芋づる式に掘り出されては敵わない。
「アレは部屋が分からなかったんだって。端から順番に回っていったらああなっちゃったの。仕方ないだろ?」
「暫く見張るなりしろ! 真っ昼間に正面からこんにちはする殺し屋があるかバカ野郎」
手間を減らそうとは微塵も考えない雪音に三上は溜息をつく。
軽く手並みを見るつもりが大騒ぎになった。
三上にとって雪音は道具だ。
子飼いの剣客でも一等に強力だが、使い方には注意を要する。
まな板ごと切れてしまう包丁など使い難くて仕方が無い。
現に、尽くの常識から逸脱する雪音の扱いに三上は悪戦苦闘している。
上司の命でもなければ雇いたくはなかった。
「おい佐島よ、あの死神がこんな阿呆に負けたのか?」
「言うな。俺が一番信じたくない」
護衛に愚痴る三上は顔を覆って茜色の入道雲を仰ぐ。
三上は最上位の手駒を剣兇に殺されている。
その男は無用な死体を作らず確実に獲物を始末する、暗殺者として完璧な剣客だった。
失ったのが悔やまれる。
その他、剣兇と戦うべからずの掟が浸透するまで雪音に挑み散った部下も多い。
累計の損害は計り知れない。
その分を今、肩代わりさせている。
「オッケー、分かった。コイツ以外はやらないようにするよ」
軽い返事に不安を覚えつつ、その腕前に疑う余地は無い。
そうでなければ散々な人的被害を被らされても排除よりも取り込む事を選んだりしない。
「後な、現代人の端くれなら携帯ぐらい持て」
「やだよ。持っても使い方分からねえもん」
雪音は面倒な電子機器に滅法弱い。
使えるのは家電が関の山。
お陰で三上は雪音を見つけるまで午後の暑気を嫌と言うほど味わった。
「このクソガキ……」
「頭を冷やせ三上。イカレに付き合うな」
沸点に達しかけ懐の拳銃を抜きたくなった三上を護衛が抑える。
「ねえ、おじ……三上さん」
「なんだ、金ならもう増えねえぞ」
「こいつは悪い奴かな?」
「……あぁ? 金の為に殺しやってた奴が良い奴な訳ねえだろ」
金の多寡は雪音にはどうでもいい。
贅沢しなければ一生食うに困らない賞金を受け取っているし、そも、金が掛かる類いの欲は一切持たない。
稀代の殺人鬼が投げ掛けた予想外の問いに三上は一瞬戸惑った。
そんな事を気に掛ける殺人鬼が居るものか。
こいつらは斬りたいから斬る。
それだけの化け物共。
そう認識している。
「ふーん、そう」
気の無い相槌を打つ雪音が何を考えているのか全く分からない。
「とにかく、期限は三日だ。それ以上は仕事に支障が出る」
「うん。すぐやるよ」
男の写真をじっくり見ながら仕事を承諾する。
三上は煙草に火を着けて深く吸った。
「しくじるなよ? 俺は忙しいんだ」
「へへ、心配してくれるんだ。優しいじゃん」
サングラスの濃い黒越しにじろりと睨まれるが雪音は爽やかに、にやりと笑い返す。
「好きに思え」
用を済ませると世間話も無く立ち去る。
理解が及ばない相手と話すのは疲れる。
三上は倫理が薄くも常人だ。
人身売買から薬物取引、殺人教唆など多様な重罪を犯してはいるが、それらは打算の上に成り立っている。
敵対組織を出し抜き潰し、縄張りを拡げ顧客を増やす。
一般企業と同じ戦略だ。
犯罪行為も破茶滅茶な時代で手っ取り早く稼げるからやっている。
悪人だが、人間として生きる論理に則り生きている。
護衛の佐島も金で雇われている。
翻って雪音は一見正気に見えて理解不能な破綻した哲学で動き回る。
訳が分からない。
深入りするとこちらが破滅しかねない。
さらに今はもう一つ大問題が起きている。
最近の雪音は闇市に顔を出さなくなった。
既に多数の敵を斬ってきた雪音が今更闇市に籠もっても大して旨味が無い。
裏に隠れる強豪はどうせ出てきてくれやしないと見切りをつけていた。
それは良い。
闇市を治める身としては非常に助かる話だ。
ところが、剣兇以上に無差別な牡丹というもっと危険な人物がうろつくようになってしまった。
剣兇を自陣に引き込んで一息つけると期待した所に第二の剣兇が現れた。
闇市だけが稼ぎの場とは言わないが、それなりの市場が滅茶苦茶にされるのは不愉快極まる。
かといって、使える部下は他の仕事に当たらせている。
腹立たしいことに、二代目剣兇は雪音に劣らず腕が立つのだ。
監視カメラから目撃者まで連日無差別に斬りまくって練り歩く。
女の身でとんでもない悪魔だ。
手透きの少数をぶつけて戦力を犬死にさせても仕方ない。
ニコチンの作用で脳の血管が収縮して苛つきを幾らか収める。
因縁も無しに破茶滅茶な乱行に走った女剣士のせいで客足は遠のき、あれこれの売上が下がっていると経営部門からの苦情はひっきりなしだ。
頭が痛い。
吸い殻を吐き捨てすぐに二本目を咥える。
「寝酒は程々にするんだな」
「うるせえ、母ちゃんかお前は」
強い洋酒を割らずに飲みたい気分は長い付き合いの右腕に見透かされていた。
残る雪音も封筒を懐に入れて駅へ歩く。
夜鹿が帰宅するまでに風呂掃除と米を炊いておきたい。
実に家庭的な思考で足を速め、いつもの電車で帰った。
掃除がてら冷水で日中の汗を流し、風呂に湯を張る。
食卓を整えた辺りで夜鹿は帰宅した。
時間が余れば凩丸の手入れをしたかったが、それは食後に持ち越した。
「お帰り姉さん。お仕事お疲れ様」
部屋着に前掛けの姿で出迎え抱き締める。
細い体をしっかり確かめ、額と頬に唇をつける。
そうするととても温かな気持ちになれるのだ。
雪音の未熟な情緒故の表現は、世の悪に食傷気味の夜鹿には覿面に効く。
「ただいま」
一日保たれた鉄面皮を開いて私人の顔になる。
和らぐ姉の顔。
慈しむ母の顔。
焦がれる女の顔。
入り乱れた複雑な情を唇に載せて返した。
「味噌汁とご飯は出来てるよ。簡単な豚肉と野菜の炒めものならすぐだけど晩ご飯にする? それともお風呂にする?」
そんな想いは露知らず、雪音は夜鹿を腕の輪から解放して上着を預かり、てきぱきと収納に掛けていく。
ここ最近の雪音の生活面の成長は著しく、意欲的に新たな料理も学ぼうとしている。
元々興味が有ることなら追求する求道者であるので相性は抜群なのだ。
それも剣の欲を燃やせる牡丹という太陽を見つけたからだ。
己を制し得る強敵と生き生きと競い合える。
これに勝る至福は容易く見つかるものではない。
「まずはお風呂にしようかしら。今日も色々あって疲れちゃったわ」
剣兇の巻き起こす連続大量殺人の捜査に携わる夜鹿は常に激務に見舞われている。
警察幹部ゆえに現場は滅多に回らないが書類仕事も山のようにある。
大量の仕事を高速で淡々と片付ける様は鉄の女と揶揄されるが、その内情は一重に愛する弟の為に他ならない。
疲労の根源である剣兇その人である雪音に嫌味の一つも言わず思わず。
雪音の破綻した人格、その責任の一端は己に有るのだと考えているからだ。