剣戟魔界都市―ソードマンズ・サンクチュアリ―   作:ひん(再就職)

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PART 29

治五郎に視線を残したまま、愛刀を懐の手拭いで清めて納める。

肌寒い夜風を腹の底へ溜めるが、興奮に応じて心拍数の吹き上がった体は冷めない。

薄氷の勝利だ。

経験の深みが明らかに違った。

終始先手を打っていなければ結果は逆だったろう。

 

「……すまないね。君のお眼鏡には、かなえなかった」

 

治五郎は死にゆく中で冷静に敗因を分析する。

直撃する刹那、確かに見た。

如何なる神速とて間合いに入ってから振るわれるものであるべき、という心理的盲点を突く、伸長する奇剣。

最後の最後まで、予兆も軌道も、気配すらも完璧に隠されていた。

見破れる筈のない最後の仕掛けは恐るべき殺人理論に沿って遂行された。

それまでの極端な挙動も偽装をより完全なものとした。

だがそんな前座が無かろうとあらゆる剣士が仰天するだろう。

こんな馬鹿な事が有り得るのか、と。

未熟であれば何も判らず苦悶の形相を遺す。

反して治五郎の表情は穏やかだ。

剣士の矜持たる剣を落とし、血溜まりに仰向けになっている。

失血が多くもう立ち上がる余力も無い。

破れた肺から途切れ途切れに声を絞り詫びた。

 

「そんな事ない。俺の奥義を四つも破ったのは治五郎さんが初めてだった」

 

驚かされたのは雪音もだ。

初見で無名流派の秘技を読み解くのは困難。

開祖は如何なる戦乱期に最強を目指したのか、秘伝の数々は過剰に攻めに傾倒している。

名声を欲さず数人の兄弟子しか居なかった武蔵一刀流は獅子吼の死と雪音の失踪で潰えたも同然。

極めて限られた人物しか秘められた脅威を知らない。

華麗に躱した治五郎の見識と理解度は優れていたと言えるだろう。

対策を実行するに足る肉体の卓越した体術は勿論、剣だけに限定しても治五郎は雪音より格上だった。

剣速も膂力も上だ。

勝敗の分け目は僅かな気概の差。

雪音は可能性を嗅がれきる前に奥の手を出した。

斬り込んでしまった方が相討ちの目を拾い得たろうに、治五郎は剣に拘り、斬れるものなら斬ってみろと欲をかいて後の先に徹した。

結果、遅きに失したのだ。

それが全てだ。

 

「…………大変な稽古をしてきたんだろうね」

 

言葉は少なくも晴れやかに言った。

落ち度は有ったが、無くとも同じ結末を迎えた筈だ。

流石に夜空を駆ける《魔剣》は読めなかった。

じわじわと拡がる血の華に身を浸して記憶した閃きに想いを馳せる。

熟練の料理人は味見した料理の調理過程を把握する。

治五郎も同じく。

狂ったように稽古を重ねたのだろうと想像に難くない。

居合という技術体系を極めた一つの完成形に敗れたがしかし、至高の領域を垣間見て死ぬならば本望だ。

雁谷治五郎はつくづく剣士なのだった。

 

「あれが俺の我流、《魔剣》だよ」

「……あの足運びも囮。もし私が焦りから手を出しても、元の居合に転じた。違うかな」

 

最大距離から抜き打つも良し。

怯えた敵が見当違いな遠間で斬りかかって来れば、透かしてから悠々と後の先を叩き込むも良し。

いずれにせよ、雪音の抜刀に寸分の狂いも無く合わせる必要がある。

しかも雪音のそれは十分の一秒未満で命を奪う。

対抗するには超一流の五輪選手の反応速度すら凌駕せねばならない。

見るまで判らず、見てからの反撃も物理的に不可能という単純明快かつ鉄壁の合理。

不可視の一刀。

 

「成る程、確かに《魔剣》と呼ぶに相応しい……」

 

無謀を強いられる。

正に魔の剣。

人間の限界に差し掛かった治五郎すら躱せなかった魔境の剣に正面から適応するならば、最早人間ではない。

即ち怪物。

 

「ありがとう治五郎さん」

 

雪音は神妙に頭を下げる。

《魔剣》無しでは勝ち目は皆無だった。

速く、軽やかで、重厚で、強烈。

治五郎はそれだけの強敵だった。

心臓もろとも胸を貸りた相手には感謝の他に無い。

無謀な弱者や阿呆を嗤う事は有っても強者や強靭さを見せる者には畏敬の念を持つ。

逆島雪音という若者は単純なのだ。

 

「君は強かった。そして若い。私よりずっと上に行くだろうさ」

 

治五郎は本望だった。

五十路を跨ぎ肉体の性能が落ちる気配を感じながら夜道を彷徨っていたのは、希望を求めてだ。

治五郎はこの日をずっと願っていた。

ここが頂点ではあって欲しくない。

格下と戦うばかりの退屈な日々を終わらせてくれと祈っていたのだ。

衰え切る前に才気溢れる後進に巡り合えた。

敗れたとて、これを幸福と言わざるしてどうする。

逆島雪音は強かった。

そして強過ぎた。

 

「だけど、いつか、君は……」

 

言いかけて血を吐く。

時間切れだ。

凩丸の傷は深く、速やかに治五郎の命が閉じていく。

肺は血で満たされて言葉に替える息は残っていない。

治五郎の眼から何かが消え去ったのを朧気に感じる。

もう動きはしないだろう。

 

「……さようなら、治五郎さん」

 

一礼して立ち上がる。

こうして見送るのは初めてではない。

既に何十と剣士を斬った雪音は動揺も少ない。

だが、一生覚えていようと思いたくなるような素敵な一幕だった。

体に溢れる高揚、達成感。

駆け巡る感謝と脳内麻薬に震える。

次なる希望。

これだ。

雪音はこの快感を求めて夜の散歩を嗜むのだ。

 

「ふふふ 。ははははははは。あはははははははは!」

 

紅い羽織の裾を翻し、治五郎の屍を離れてくるくると舞う。

最高の気分だった。

嗚呼、素晴らしき世界よ。

この世に幸あり。

次はどんな相手と戦えるだろうか。

もう一駅でも歩いて探してみようか。

しかしきっと今夜は運を使い果たしてしまっただろうから、欲張るのはやめておこうか。

絶頂の手応えを残して家に帰りたい。

そうだ、そうしよう。

腹時計では二十時過ぎ。

いつもより二時間は早いが、たまにはいいだろう。

ポケットを探り家の鍵を失くしてないかを確かめる。

よし、ちゃんと有る。

決めるが早いか雪音は冷たい風に身を踊らせ全力で駆け出す。

夜霞を操る脚力と心肺機能は雪音に恐るべき走力を供給し、自転車並みの速度を長時間実現する。

その移動中も時間を無駄にはしない。

どうして治五郎はあれらを躱せたのか。

何がいけなかったのか。

脳内で再現して治五郎の能力を多角的に分析した。

攻撃、やや上位。

防御、明らかな上位。

見切り、上位。

回避、かなり上位。

身体機能、上位。

経験値、圧倒的上位。

なんだ、人間にはまだこんなにも鍛える余地が有るではないか。

まだまだ敵が欲しい。

俺はもっと上へ行ける。

もっと強く、もっと高みへ。

《魔剣》という勝利の方程式を手にしても、その他の向上心は損なわないのが雪音を剣の鬼足らしめる要素。

あわや死にかけたのに楽しくて仕方ない。

ああでもないこうでもないと思考実験を働かせ、やはり《魔剣》以外に倒す術は無かったようだと結論づけた。

人気の感じない路地や脇道を走る雪音は誰の目にも留まらず、住みかたる夜鹿のマンションに辿り着いた。

深く吐けば息は整う。

冬と云えど、袴に羽織という格好で小一時間も走っても殆ど汗もかかない雪音のが持久力だ。

体力が有りすぎるのも良いことだけでは無い。

ついでの鍛練で非常階段で部屋まで上がる雪音は気付かなかった。

無精してエレベーターを選べば内部の鏡を見て、おや、とでも少しは感じて時間を置いたろうに。

端麗を過ぎで妖艶な程の美貌は生まれながら見慣れているにしても、今の雪音はアドレナリンを全開に分泌した異質な雰囲気を纏っていた。

絶世の美人だった母親、逆島白雪と酷似した人相に狂のような喜のような、不穏な瞳孔がぎらぎらとはまりこんでいる。

屈強な肉体から背景が歪む位に強烈な感情が醸されている。

浮世離れした容姿と羽織の和装も相まって、夜道で出会えば只人なら腰を抜かすある種の妖怪。

 

「ただいま!」

 

そんな姿を本人は知らずして、鍵を開けて天真爛漫に玄関を潜った。

 

 

 

 




家には夜鹿が待っている。
そこに色気全開で突っ込んだってわけ。
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