猫が店番をしていると評判のその古書店は、行ってみたときに運が良ければ開いているという始末で、鍵がかかった木枠ガラス戸の向こうで寝そべったりあくびする猫たちを見つめながら身悶えする羽目になったのはもう何度だろうか。
今日もまた振られるかもしれない、という心持ちで訪ねると、その日はひっそりと開店していた。
静かでうす暗い店内には何匹かの猫と、私と、随従の長谷部以外には誰もいない。
年季の入った木製の本棚の側面には張り紙がいくつもあり、それぞれ文字の隣に朱書きの二重丸を添え
「対価を払うならば吸ってもよい」
「猫アレルギーの方はマスクを」
「本のお代金は赤い箱、お供物は青い箱、現金のみお受付」
「青い箱にササミなどの食品を入れない」
……等々の文言。
噂通り店主は基本的に居ないようだ。
客は好みの古本を見つけると、一冊一律二千二百二十二円を赤い箱に支払い、青い箱にはお供物、つまり猫たちへの寄付を任意で投入する。
本当に探し当てたい古本があるわけではないので、自分へのめでたい記念のおみやげに、適当に一冊だけ糸綴じの本を買い求めた。お供物もいくらか投入し、青い箱の隣に丸まっていたハチワレ猫の背を吸わせてもらった。
執務室の縁側に腰かけてぱらぱらと古本をめくっていると、黒い切り絵の蝶が現れた。菩提樹を模した花が切り抜かれている。戦国時代の若者を主人公に創作されたらしい本の内容よりも、その黒い蝶のはかなく優美なさまに強く心を惹かれてしまい、本はそっと脇に置いた。
執務室に戻って座椅子に身を預け、切り絵の蝶をじっくりと眺める。この蝶は自分のものではない、他の審神者の霊力をまとっている。これを切り抜いた審神者はどこの誰だろう。こんなに見事な細工をほどこした栞を手作りしたのに、紛失してがっかりしなかっただろうか。
眺めるうちにうとうとと眠気にひたされて、切り絵の蝶を胸に置いたまま目を閉じた。
ふと気づくと、何もない明るい場所に、見知らぬ若い女性と並んで座っていた。彼女は髪を高い位置にくくって、そこに大きな黒い蝶の髪飾りを着けていた。髪飾りの蝶の羽には菩提樹の花によく似た透かし彫りがある。大正時代の女学生のような、淡い黄色の着物に深緑の袴姿。
ただ黙って彼女の隣に座るうち、とつぜん胸にひらめくものがあった。
「あなたは、どこかの審神者さまの式神ですよね」
気品のある横顔に向かって問いかけると、彼女は微笑みながらうなずいた。
「何かお役目があってあの本に挟まっているのですか?」
と問うと、彼女は首をかすかに横に振って否定した。
「ほら、あたしたちって、同じような姉妹がたくさんいるでしょう。その中でただ一人、私を見つけてくれたひとに、ついほだされてしまったわけ」
「ははぁ、なるほど」
「あたしたちはうすい紙切れだから、お役目を果たしたら命が尽きてしまう。それを嫌がったあのひとが、私を連れ出して、お屋敷の誰かの
あいづちを打ちながら彼女の身の上話を興味深く聞いていると、
「あら、もう迎えが来たわ」
それまで横顔だった彼女がまっすぐこちらを向いた。
立派な甲冑の武者とはいえ、成りがヒョロッとしていて、申し訳ないがあまり強そうには見えなかった。まだ経験の浅い若武者なのだろうか。よく見ると、帯刀すらしていないし、白い鎧の札板を綴じ合わせている紐は、どうやら印字された文字のようなのだ。
「下がれ、狼藉者!」
長谷部の怒声と稲妻のように煌めく刃先が、何もない明るい場所を引き裂いた。
背後から長谷部に切り伏せられた白武者の鎧の札板はばらばらに飛び散った。かと思うと、印字された大量の紙切れがまるで吹雪のように舞った。大きなひらひらが部屋中を舞うようすをあっけに取られて見守っていると、やがてそれらは秋の木の葉のようにジグザグを描きながら落ちて畳を覆った。
「主、ご無事ですか」
長谷部は必死の形相で私を抱き起した。私はいつのまにか座椅子からずり落ちて、畳に横たわっていたようだ。
何ともないことを伝えて何が起きたのかを長谷部に聞くと、得体の知れない異形の白武者が、縁側から執務室に侵入しようとしているところを目撃し、すぐに抜刀して飛び込んだのだと言う。
私はまず長谷部の働きに礼を言い、その白武者は恋びとを迎えに来た古本で、帯刀していなかったので、おそらくこちらに危害を加えるつもりはなかっただろうと説明した。事の次第を納得した長谷部は少々バツが悪そうな顔をしていたが、不意の不審者に対して、男士として当然の働きをしたまでである。
その後長谷部と一緒に、ばらばらになったページを拾い集めて、ノンブルを順に整え、鋭利な長谷部によってすっぱり切れた綴じ糸は新調した。
いま、彼と彼女は、出入り口から新緑が見える書庫の片隅で、静かに暮らしている。