大典太光世は畑の隅に来ていた。本丸の建屋から一番離れた場所だ。緑が濃くなりはじめた広葉樹の枝の下に、物置小屋がある。
「ふん、どうせ俺には、蔵が似合いということか……」
どよん、と暗い雰囲気で自嘲する大典太の後ろには、二人分のほうきとちりとりを手にした南海太郎朝尊がいた。
「単なる掃除当番だよ。今日はよろしく頼むよ」
南海は大典太にほうきとちりとり一式を手渡し、大典太は長身をかがめてのそりと物置小屋に一歩踏み入った。
そこで大典太が止まってしまったので、南海は大典太の背後から物置小屋の奥を覗きこんだ。
「大典太くん? どうかしたかね?」
「そこになにか、ただならぬ霊力を感じる」
大典太が鋭く視線をやった先には、丸めたムシロの束がいくつも壁に立てかけられて並んでいた。
南海は小首をかしげた。
「僕にはなにも感じ取れないが……だが、君がそう言うなら何か面白いモノがありそうだ」
大典太と南海はムシロの束をひとつひとつ移動させて、その場所を空けた。そうすると、小脇に抱えられるほどの大きさの木箱が現れた。
木箱の蓋を開けてみると、かなり古ぼけた幼子の人形が入っていた。大きさは赤ん坊くらい。筆で手描きされた眉、茶褐色の髪。くすんだレースに縁どられた、色あせた桃色の帽子とワンピースを着ている。状態があまり良くないのがすぐ分かる。蓋の裏側には寄贈年月日らしき記載が見えた。
「これが君の言うただならぬ霊力の元かね。かれこれ300年近く前のもののようだねぇ……」
木箱の蓋の裏書を確かめながら南海は言い、人形を持ち上げて確かめている大典太に向かって手を伸ばした。
「大典太くん、僕にもその人形を見せてくれないか。………なぜ隠すのかね」
大典太の大きな手のひら二つに、人形はすっぽり隠れてしまっている。
「あんたは、敵の残骸を魔改造して罠を作るそうじゃないか」
「その人形の霊力とやらを調べたいだけだよ。魔改造など……場合によっては、中身を見るために多少は分解するかもしれないが」
大典太は胸に抱いた人形が身を縮め、顔をうずめてしがみついてきたように感じた。
「ふむ! 今少し動いたね?! 実に興味深い。どのようなからくりを持っているのか……」
南海はさらに手を伸ばしてくる。大典太は人形をしっかり抱えてその場から逃げ出した。
奥の間の御簾の向こうで主がふいに声を上げた。
「おや。あの人形を大典太が持ち出してしまったぞ」
深みのある、老いた女性の声である。
御簾の前、壁側に控えていた筆頭近侍の陸奥守吉行は、はっと息を呑んだ。
陸奥守とは反対側の壁側で寝そべっていたこんのすけも、ただならぬようすで飛び起きた。
「主、あれを日の光に当ててはまずいちや」
陸奥守は不安そうに言うが、主は御簾の向こうでくつくつと笑っている。
「よい。多少はかまわぬ」
「審神者さま、あれを持ち出されては安全の保障ができませぬ!」
こんのすけは強めの口調で言ったが、彼女は「ふふ」と笑うばかりだった。
「面白いではないか。さて、どうなるか」
のんびりと、しかし威厳に満ちた声で主は言った。
こんのすけは心配そうに陸奥守と目を合わせ、陸奥守は諦めたように頭を振った。
主はいつも御簾の向こうに居て、めったに刀剣男士と接触しない。御簾から出ても顔は紋様の入った面布で覆い、頭巾をかぶって頭髪すら見せない。初期刀である陸奥守でさえ、主が人間らしい生活を送っているのかどうかも知らない。
つまり、主はいつも、何を考えているのかよく分からないのだ。
食事は手の空いた者から順に食堂を訪れ、用意された献立をそれぞれ自分で配膳することになっている。
「大典太さん、お隣よろしいですか?」
一期一振が食事を載せた盆を手にして、大典太の着いた食卓にやってきた。
「……おっと、先客がいらっしゃいましたな」
大典太の隣の椅子には、古ぼけた人形が座っている。
「ああ、すまん。座ってくれ」
大典太は人形を膝の上に移した。
一期は隣の珍妙な光景を気にしながら食事をはじめた。
「あのぅ、大典太さん、この人形は……?」
「………友達だ」
大典太は一期を一瞥もせずに答えた。
深く聞かれたくないようだと判断した一期はそれ以上なにも言わなかった。だが、人形の瞳がときどき、微妙に動いている気がする。まるで生きているようだ。怪異のたぐい、いわゆる生き人形だろうか。
大典太が友達だと言うのなら危険はないのだろうが……と一期が思案しているところに食事の盆を手に南海がやってきた。
「やあ、大典太くん」
南海が声をかけると、大典太はあわてたようすで、人形をズボッとTシャツの中に入れて隠してしまった。一期の目もさすがにまるくなった。
南海も目をまるくして言葉を継げないようすだ。
大典太は残っていた食事を素早くかきこむと、片手に盆を、もう片方の手はシャツに隠した人形を押さえて逃げ去った。
一期と南海はぽかんとして大典太を見送った。
大典太の姿が見えなくなり、南海は言った。
「……一期くん、お隣、いいかね」
前田藤四郎は、紐で大典太の大きな背にくくられた小さな古ぼけた人形を凝視していた。
さっきまで右を向いていたはずの人形が、今度は左を向いている。
大典太はそれに気づいているのかいないのか、黙々と草むしりを続けている。
「……あのぅ、大典太さん、その人形は?」
「友達だ」
前田は考えるのを止めた。あらゆる刀剣男士の中でもひときわ霊力が高い大典太がそう言うのなら、危険はないはずだ。前田は気を取り直して草むしりを再開した。
ソハヤノツルキは木刀を構えたままちらりと鍛錬場の壁へ目をやった。
隅に古ぼけた人形が座らされている。人形の表情は動かないが、明らかにわくわくしている気配がする。
「なぁ、兄弟」
「友達だ」
同じく木刀を構えた大典太は即答した。
ソハヤは人形を気にするのを止めた。大典太を相手にしているのに、気を散らしていては簡単に負けてしまう。
大典太は人形を床の間のかまちの隅に座らせた。
さすがに南海も、深夜の他人の居室に忍び込んでまで人形を持ち出そうとはしないだろう。
灯を落としてしばらくすると、暗がりから子どもたちの声が聞こえてきた。不思議に思って耳を傾けているうちに、目の前がはっきりとしはじめた。
自分はござの上に座らされている。短い足のあいだにヤツデの葉が敷かれている。ヤツデの葉は皿替わりらしく、黒い木の実やどんぐりがいくつも乗っていた。目の前の小さな子どもたちは楽しくおままごとをしているようだ。
すぐ近くで他の子が両手にヤツデの葉を持って、鳥の羽ばたきを真似をしている。それを見た子どもたちはケラケラと笑い、そこにいた大人に向かって「先生、あのおっきいやつ取ってぇ」と口々にヤツデの葉をおねだりした。
可愛いらしい、とほほえましく眺めていると、見ている場面が切り替わった。
小さな背中に紐でくくられておんぶされている。
「ねぇ、もう代わってや」
別の子どもが抗議している。
「じゅんばん!」
自分をおぶっている子どもが断固として言い返す。自分と遊ぶ順番をめぐって言い争っているようだ。
「いつ代わるん!」
抗議した子どもが地団太を踏んでくやしがっている。
「あこで百かぞえて」
自分をおぶっている子が、少し離れた木の下を指さす。
抗議した子はしぶしぶ木の下に行き、数をかぞえはじめた。
自分をおぶっている子は走ってその場から逃げ出した。
「あっ! ずるーい!」
木の下で置き去りにされた子どもが怒っている。
(やれやれ、仕方のない子だ。もう代わってあげるべきなのに。しかし小さいのに知恵が回る。末恐ろしいな)
子どもの背であきれていると、また場面が切り替わった。
今度は部屋の隅で、子どもたちが仲良く遊んでいるのをただ眺めていた。そこに、よく見かける初老の女性が急いだようすでやってきた。
この女性は日頃から子どもたちに先生と呼ばれていた。自分の小さな体を彼女はそっと抱き上げ、別室に運んだ。そこには薄紙を敷いた木箱があった。見覚えがある。南海と一緒に掃除をしようとしていた物置小屋にあったのと同じ木箱だ。自分が長い時間をかけて遠い場所から運ばれて来たときも、この箱に入っていた。
女性は木箱に大典太をそっと寝かせた。下に敷かれた薄紙がガサガサと音を立てる。女性は薄紙に大典太を包み、木箱の蓋を閉めた。まわりでガタゴト音がする。木箱を隠すように、周りに何か置かれているようだ。
しばらくして、ガヤガヤと大人の男たちの声が聞こえた。
「ここにアメリカ人形があったやろ。出せ」
深みのある女性の声がそれに答えた。あの初老の女性の声だ。
「あの人形は敵のスパイや。とても子どもたちと一緒にはしとけんやろ? ほやしバラバラにして捨てたわ」
「なにぃ?」
「バラバラにして、裏の川に捨ててん。今頃もう海やわいね」
毅然とした女性の声は、主の声のようにも聞こえる。めったに御簾から出ない主の、あの御簾の奥から聞こえる、威厳に満ちた深みのある声によく似ている。
男たちはその女性の威厳に押されたようすであっさり引き下がった。
「ふぅん、ほうか。ほんなら、いいわ」
男たちの気配が去ったその後、大典太は木箱に入れられたままどこかに運び出された。
箱の向こうの、主と同じ声が、すまなそうに
「ごめんね。戦争が終わったら、きっとまた子どもらと遊んだげてね」
と言い、それきり誰の気配もしなくなった。
それから長い長い時間が経った。
まぶたに明かりがかかったような気がして目を覚ますと、人形が自分で歩いて部屋から出て行こうとしていた。人形が手をかけている障子の隙間からは、月明かりがまっすぐに差し込んでいる。この月明かりが目にかかったようだ。
「どうした? 帰りたいのか?」
そう声をかけると、人形は大典太を振り返り、小さくうなずいた。
「今は止めたほうがいい。怖いおじさんに分解されてしまうぞ」
大典太は人形を持ち上げ、障子を閉めた。そして人形を自分の寝床に入れ、布団をかけた。
「せっかくだ、ゆっくりしていけ。俺がそのうち安全な隠れ場所を見つけてやる」
人形は返事をしなかったが、ひそやかに笑っているような気配がした。
「これより、幕末の京都郊外へ遠征に向かう。今回の任務内容は見回りだ。時間遡行軍がうろついている地点や怪しい動きをしている人物を記録し、帰城後に情報をまとめて報告する。時間遡行軍と遭遇する可能性はあるが、目的は交戦ではない。遭遇した場合でもできるだけ交戦は避け、逃げろ」
本丸の石畳の上で、大典太は隊長として、目の前の部下に指示を行っていた。
隊員である一期と前田とソハヤは黙って、大典太の広い胸に紐でくくりつけられた人形を見ていた。
指示を聞き終わった一期が口を開いた。
「あのぅ、大典太さん。少しよろしいか」
大典太の目がぎょろりと一期を見る。
「なんだ?」
「その、人形は……」
「背中に負ぶうより、胸に抱いた方が安全だと聞いた」
「ええ、大切なお友達だとお見受けします。ですが、本丸に置いていった方が安全なのでは」
一期は言いにくそうに進言した。
「私の弟たちの誰かに……」
前田は一期のとなりで何度もうなずいて同意を示したが、大典太はゆっくりと首を横に振った。
「俺が連れ出したからには、俺が責任を持つ」
一期と前田はソハヤを見やった。視線を受けたソハヤは肩をすくめて見せた。兄弟は言い出したら聞かないので仕方ない、という意味だろう。
遠征先で大典太は一人、やぶの中にまぎれて時間遡行軍をやり過ごそうとしていた。時間遡行軍と遭遇し、古い人形をかばうのに気が向いてうっかり隊からはぐれてしまったのだ。
時間遡行軍はやぶのまわりをゆらりゆらりと徘徊し、しだいに包囲の輪を縮めてきている。
「……囲まれたか」
「ココに オいて イきなサイ」
突然、大典太の顎の下から片言の老女のようなちぐはぐな声がした。
「なん…だと?」
耳を疑って胸元を見ると、胸にくくりつけた人形が大典太を見上げていた。
「ワタしヲ ヤブの ナカに カクして オいて イキなさイ」
幼子の姿を写した人形の、口も表情も動かぬ頭部の奥からくぐもった声が聞こえる。
「ならん! 必ず連れて帰る」
「アナタガ オれテハ コマル」
「折れん!」
「そコの ヤブに カクして アトデ サがしニ コれバ ヨい」
人形はまるで、駄々をこねる小さな子どもに向かって言い聞かせるような口調で話す。
大典太はできるだけ声をひそめて、しかし断固として言い返した。
「俺は、お前をあんな場所に一人ぼっちにしたくなくて連れ出した。こんなところに一人ぼっちで置いて行ってたまるか!」
人形は大典太の真剣な目を見つめてまばたきした。
「ソれなラ アの ハっぱヲ トッテ」
人形は短い腕ですぐ近くのヤツデの木を指し示した。
「できルダけ オオきい はヲ」
大典太は言われるままに腕を伸ばして大きなヤツデの葉を取り、人形に手渡した。すると、その葉は人形の手と大典太の胸の間でたちまち土鳩の姿になり、激しく羽ばたいて飛び立った。
ゆらりゆらりと徘徊していた時間遡行軍は動きを止め、高く羽ばたく土鳩を見つめた。やがて土鳩は木の枝に止まり、ぽぅぽぅと鳴いた。時間遡行軍はそれを見て引き返しはじめた。怪しい気配はあの鳥だと判断したようだ。
時間遡行軍がすべて去ったあと、土鳩は静かに両翼を広げるとぽろりと枝から落ち、くるくると回りながらヤツデの葉に戻ってやぶの合間に吸い込まれた。
大典太はあらかじめ決めていた待ち合わせ場所にたどりついて隊と合流し、帰城した。
本丸の奥の間では主と陸奥守とこんのすけが、隊長が報告に訪れるのを待っていた。
「いや、楽しかった」
御簾の向こうで肩をゆすって笑いをこらえている審神者に向かって、こんのすけは目を吊り上げた。
「笑いごとではありません! 私は肝をカチコチに冷やしましたぞ!」
こんのすけは前足で激しく畳を叩いた。地団太を踏んだつもりらしい。たしったしっと柔らかく可愛らしい音がした。
そこに、大典太がのそりと姿を現した。胸に人形をくくりつけたままだ。
大典太は跪座の姿勢を取り、頭を下げた。書面と口頭で一通りの報告を行い、隊からはぐれてしまったことも伝えた。
頭を下げたままの大典太に向かって、主は声をかけた。
「お前に怪我がなくて良かった」
「面目ない……」
大典太はしょんぼりとしている。
「大典太光世、もう十分だろう。その人形は、私にとって、とても大切なもの。そろそろ元の場所に戻してもらえないか?」
主がそう言うと、大典太は困ったように眉尻を下げた。
「……あんな、粗末な小屋で、ムシロの束の後ろにこいつを隠しておかねばならんのか?」
「それなりの理由があってのことだ。それは熱に弱く、日の光に当たると劣化が進んでしまう」
大典太は「そうなのか」と肩を落とした。
「その人形はとても古い上に、セルロイドという今では入手が難しい素材でできている。補修ができないのだ。他にも大事な理由があって、なるべく本丸の敷地の隅で、人目につかないよう隠している」
大典太は肩を落としたまま、しばらく考え込んだ。それから顔を上げて御簾の奥の主を見た。
「……それなら、たまには、外の空気に当ててやっても構わないだろうか。もちろん、日に当たらんようにはする。ずっと一人ぼっちで蔵に居ては気もふさぐだろう。たまにでいい、空や、花や、……何か、見せてやりたい」
「……そうだな。たまにならば」
主の声は優しくあたたかかった。
「しかし、元に戻せば南海太郎朝尊が持ち出してしまうかもしれん。あいつは人形を分解して調べたがっている」
大典太が心配して言うと、陸奥守が
「それならわしが、南海先生と話をつけておく。絶対に触らせん」
と言って胸を拳で打った。その頼もしげな姿を見て、大典太は納得し、うなずいた。
南海は人形を抱いて物置小屋に向かう大典太をこっそり尾行していた。その南海を陸奥守が尾行する。
物置小屋に大典太が入ったところで陸奥守は南海の両肩をつかまえた。
「南海先生」
「おお、陸奥守くん」
「ちっと顔を貸してくれ」
陸奥守は南海の返事を待たず、物置小屋からなるべく引き離した。そのまま木立に隠れ、まわりに誰もいないことを確認して、陸奥守は南海に耳打ちした。
「えいか、これは誰にも言っちゃあならん。あの人形は、主の本体じゃ。じゃから、分解されては困るがじゃ」
南海は目をぱちくりさせて口を開いた。
「つまり、主は、我々と同じ、付喪神、なのかね?」
陸奥守は自分の口に人差し指を当てた。
「しーっ! それを知っちゅうがは、主とこんのすけと、わしと、おんしだけじゃ。これはリスクマネジメントというやつじゃ」
「なるほど、敵が本丸に侵入した場合を考えて、本体は主からなるべく遠く、誰も知らず、誰も気にも留めないような場所に……」
陸奥守は南海の両肩を叩いた。
「さすが南海先生じゃ。理解が早くて助かる」
「しかし、大典太くんには言わなくていいのかね?」
陸奥守は頑として首を横に振った。
「それだけは避けてくれ、と主のきついお達しじゃ」
「それはまたどうして。大典太くんが一番あの人形に心を寄せているのに……」
南海が抗議すると、陸奥守は肩をすくめて仕方なさそうに言い放った。
「その方が断然、面白いからじゃと!」
それを聞いた南海は目を丸くし、ぷっと噴きだした。
一方、物置小屋では大典太が木箱の蓋を開いていた。
「お前は日の光に当ててはならんそうだ。連れまわして申し訳ないことをした。許してくれ」
大典太は人形を木箱に寝かせながら話しかけた。
「夏になったら、花火を見せてやろう。もちろん、遠くからだ。お前は燃えやすい素材できているそうだからな。秋の夜のもみじ、冬は雪灯籠、春は夜桜。日が落ちたあとでも見るべきものはたくさんある」
人形はもはや返事をしなかったが、動かないその表情は嬉しそうにも、笑いをこらえているようにも見えた。
参考:青い目の人形 ジェーン・オルフ
(文化庁)https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/257242
(津幡町)https://www.youtube.com/watch?v=wUiknPzKaEc