◆残酷な描写があります。
◆鶴丸がかわいそうな目に遭います。
◆落雁の話とは別の本丸の鶴丸です。
◆創作審神者が出ますが、恋愛関係ではありません。
主が大事にしている小箱がある。優美な友禅紙を貼った紙箱で、中にはお気に入りの文房具など小物が入っており、いつも執務室の黒光りする文机の隅にある。その箱は桜色を基調に、淡い赤紫や薄い薄荷色の差し色があり、銀色の花や葉が一面にちりばめられていた。
主は小柄でぼんやりした風体の、うら若い審神者である。あまり話さず、意思をはっきり示さず、暇さえあれば本ばかり読んでいる。
鶴丸はつねづね、彼女の糸のように細い目を大きく開かせてみたいと思っていた。
そこで、主が大事にしている小箱にちょっとした悪戯を仕掛けることにした。裏山で捕まえてきた大きな蛾を、近侍と主が執務室を空けたすきに、その小箱にこっそり入れておいたのだ。
執務室の庭の植え込みに隠れてようすを伺っていると、絹を裂くような悲鳴がした。
植え込みからそっと目を出してみると、審神者はしゃがんで頭を覆い、金切声を上げている。執務室では仕込んでおいた大きな蛾がバタバタと飛び回っていた。
近侍の歌仙兼定が自分の外套で主を覆い、「誰か、虫取り網を持ってきてくれ」と声を上げた。
「あれじゃあ何も見えんな」
と鶴丸がぼやいていると、山姥切国広が虫取り網を持って駆けつけ、たちまち大きな蛾を捕獲してしまった。
蛾は山姥切が、そのまま塀の外まで逃がしに行った。
植え込みの陰にしゃがんで「失敗だな」と呟いていると、急に襟首を誰かにむんずと捕まれた。
「どういうつもりだ、鶴丸国永」
頭の上から長谷部の声が降ってきた。
「な、なんの話だ?」
「主の大事な箱に蛾を入れるなど、お前以外に誰がやる」
長谷部の怒気をはらんだ声の隣で、蜻蛉切の穏やかな声がした。
「鶴丸殿、これはさすがに無粋だ。感心しない」
鶴丸はうろたえて抗弁した。
「俺がやったという証拠はないだろ。蛾が偶然入ったのかもしれないじゃないか」
長谷部は鶴丸の襟首を解放した。
「鶴丸、こっちを向いて、俺の顔を見てもう一度言ってみろ」
「まぁまぁ、長谷部殿。あまり追い詰めては……」
蜻蛉切が場を取りなそうとしている。
鶴丸は立ち上がると長谷部に向かって両手を広げた。
「証拠はどこだ、俺がやったという証拠は」
長谷部のこめかみに青筋がたち、蜻蛉切は口を引き結んで鶴丸をにらんだ。だが二人とも、主のすすり泣く声を耳にすると、あわてて執務室に戻っていった。
歌仙の外套を頭からかぶったままの主を、歌仙と長谷部と蜻蛉切が囲んでオロオロとなぐさめている。
鶴丸は少々あきれてその光景を眺めていた。
(ずいぶんと過保護だな。あの主がこの一軍の大将とはねぇ……)
結局、鶴丸は謝らないままその場を逃れてしまった。
その晩。
鶴丸は執務室に呼ばれた。
さすがに観念して叱責の言葉を待っていると、主は文机の上で何やら作業を始めた。
文机は燭台の灯に照らされている。主は文机に広げた紙の上に、あの大きな蛾を乗せている。四枚の羽それぞれに、不気味な目玉のような模様がひとつずつある。
(なんだ、意外と平気じゃないか。昼間の悲鳴と泣きべそはなんだったんだ)
と鶴丸は思った。
主は右手にピンセットを左手に太く長い針を持っている。
主は静かに言った。
「悪いのは鶴丸じゃなくて蛾だからね。蛾にお仕置きしようね」
鶴丸は思わず「え?」と聞き返したが、彼女は黙って左の針で蛾の胸部を刺して押さえつけ、ピンセットで羽を一枚ずつもぎ取りはじめた。
「見ていてね」
彼女は鶴丸に見せつけながら、生きたまま蛾を分解しようとしている。
鶴丸は止めることも声を上げることもできずに、蛾がビクビクと悶え、あがき、羽と脚と触角がひとつずつ根元からもがれるさまを見ていた。
やがて分解が終わると、主は紙に蛾の残骸を丁寧に広げ、標本のように展開した。それを鶴丸に向かってゆっくりと差し出す。主は黙ったままでいる。
鶴丸は彼女の目を見ることができなかった。口の中はカラカラに乾いていた。
そこではっと目が覚めた。夢の中と同じように、口の中がカラカラに乾いている。
鶴丸は口元を押さえて起き上がった。
「なんてひどい夢だ……」
鶴丸は闇から視線を感じてぎくりとした。
主が枕元で膝を抱えていて、あの糸のように細い目でにらまれている。暗闇なのにはっきりと感じ取れる。
鶴丸は何度か浅い呼吸を繰り返し、やっと言った。
「……主、俺が悪かった。どうか許してくれないか」
「……どうすれば良かったと思う?」
暗闇から聞こえる主の声は、まだ怒りに満ちていた。
「君を驚かせるなら、箱に仕込むのは虫じゃなくて花にすれば良かった」
「どうせそのお花の裏から毛虫か芋虫が出てくるんでしょ?」
鶴丸は必死になって言い返した。
「そんなことはしない!」
そこではっと目が覚めた。夢の中と同じように、口の中がカラカラに乾いている。
もう朝日が昇っている。まったく眠れた気がしなかった。
顔を洗いに行く途中、廊下で主に会った。
「主、昨日はすまなかった。……反省している」
鶴丸が素直に謝ると、主は細い目でちらりと鶴丸の目を見た。
「もういいよ」
そして主はすれちがいざま、
「お花、楽しみにしてるね」
と言った。
鶴丸ははっとして振り返った。
彼女の後ろ姿はそのままするりと廊下の角を曲がって、見えなくなってしまった。
鶴丸は歌仙の居室を訪れた。書庫から借りた分厚い本を持っている。花の写真や開花時期、花言葉をまとめた本だ。
「歌仙、すまないが、手が空いていたら相談に乗ってほしい」
歌仙は鶴丸を居室に通した。
「なんだい、珍しい」
「ああ、あの……主に花を贈りたいんだ。選ぶのが難しくて迷っている」
鶴丸の言葉に歌仙は目を丸くした。
「花を? 主に? ……どういう風の吹き回しだい?」
鶴丸はばつが悪そうに後ろ頭を掻いた。
「……昨日の悪戯の謝罪に」
「なるほど。そういうことなら」
歌仙は笑顔で鶴丸に隣の座布団をすすめた。
鶴丸は歌仙の隣に座り、本を開いて見せた。
「花言葉を色々調べて、この時期なら、ハシバミの花が適切だと思ったんだが」
「そうだね、ハシバミには謝罪や仲直りの花言葉がある」
と歌仙はうなずく。
鶴丸は腕を組み、眉をしかめながらハシバミの花の写真を眺めた。
「ただ、虫で主を怒らせたのに、この花の形状はなぁ……」
ハシバミの花は尾状花序と言い、枝からいくつも尾のように垂れる形をしている。
歌仙も写真を眺めて悩まし気に眉をしかめた。
「うん……まぁ芋虫に見えなくもない」
歌仙は拳を唇に当ててしばらく考えた。
「むしろ、謝る意味にこだわらなくとも良いのではないかな。主に贈るのにふさわしい花言葉はどうだろう。例えば、尊敬、忠誠、親愛、誠実……」
歌仙が提案すると鶴丸は手を打って喜んだ。
「君は天才か!」
二人で頭を突き合わせて本をめくり、ああでもないこうでもないと意見を出し合った末に、贈る花をスミレに決めた。その代表的な花言葉は「誠実」である。
「……なぁ、主と一番つきあいが長いお前なら分かると思うが……」
鶴丸は歌仙に話しかけながらなんとなく本のページを数枚めくった。
「……主は……怒らせると、めちゃくちゃ怖いな?」
確かめるようにそう尋ねてみると、歌仙はあきれたように笑った。
「なにを言うんだい? 主は虫も殺さないような人だよ」
「う……まぁ確かに、本当に殺してはいない、か」
鶴丸が苦しそうにつぶやくと、歌仙はけげんそうに眉をひそめた。
「なんの話だい?」
「いや、忘れてくれ。こっちの話だ」
鶴丸はあわてて手を振り、そこでふと思いついて言った。
「ところで、ただ花を贈るだけでは驚きが足りないと思うんだが」
歌仙はあきれ、ため息まじりに言った。
「ほどほどにしておきたまえよ。主よりも、殺気だった長谷部に小一時間絞られる方がよっぽど恐ろしいんじゃないかい?」
鶴丸は小さくうめきながら片手で目元を覆った。その程度なら長谷部の方がまだましだ、と思った。
数日後。鶴丸は近侍の歌仙が席を外すのを見計らって執務室を訪ねた。
「主、ちょっとだけ、いいかい?」
鶴丸は主に手の中のものを見せた。
「このあいだの、お詫びの印だ」
鶴丸の白い手のひらに花刺繍のリボンで作られた栞が乗っている。
「君は本が好きだから。使ってくれると嬉しい」
主は受け取った栞をしげしげと眺めた。優しい色使いの幅広のリボンには、全面に豪華なレース模様と紫のスミレが刺繍されていた。
「ありがとう、大事にする」
彼女の心底嬉しそうな笑顔を見て鶴丸は満足し、執務室を後にした。
鶴丸を見送ったあと、栞を仕舞うために友禅紙の小箱のふたを開けた彼女は目を見開いた。驚きのあまり瞳がきらきらしている。
「いつのまに!?」
そこには栞と同じスミレのリボンを蝶結びにした髪留めが入っていた。