【カオ転三次】DRUG FATE 作:石は転がる
9話
無事に辻さんとの約束を果たした年末もすでに遠く。
星霊神社での二年詣りに多くの転生者が集まった年始も過ぎ去り、最初のオフ会から一年を過ぎた今日この頃。
私は今まで入ったことのなかった山梨支部の依頼受付に少し前に置かれたLV測定器を試しに使いに来ていた。そうすると何処からともなく現れた技術班に式神をアップグレードのために連れていかれてしまい、逃げる間もなく私自身も医療班に拉致られてしまっていた。
あっちこっちに連れまわされ、やっと落ち着いて座れたのがついさっき。放り込まれた診療室で、だ。
山梨支部に作られた真新しい診療室は普通の病院と違いがない空間だった。
一部、何に使うか分からない宝石などあるがこれはオカルト方面のものだろう。それ以外には特段変なものが見えないが、ガラス戸から感じるMAGからして他の物は粉末なりに加工されて置かれているのだろう。
そんな医療班が共有で使っている診療室で検査結果をPCで開いているのは私の担当医だ。
星霊神社に来た頃からの付き合いの女医は、普段着のラフな格好に白衣だけしてる姿からして今日はオフだったらしい。最初の頃に知り合った人間に女性が多いのは女児と間違われていたせいであろう。化粧もしないで来たらしく、小じわなども見えるが相変わらず凛と美しい女性だ。
「検査結果が出ました。症状は快方に向かっています。」
検血や聴診、尿検査に粘膜接種と通常の検査にありそうなものからMRIなどの精密検査まで一通り。変わったものだと髪の毛を引っこ抜いてそれを分析するものや男性機能の検査まで受けさせられた結果を端的に述べられる。
韜晦を挟まないすっきりした口ぶりは何時ものことだが、それが患者に受けない理由だと愚痴っていたのは何時のことだったか。
「それはよかった。気を付けてましたから。」
「それでしたら討伐ペースを減らしてください。現在でも肉体組成の二割はMAGによる構築が行われています。」
モニターに映されたMRIの映像の一部、特に不鮮明になっている部分をクローズアップされる。仮称『クマ現象』と言われているぼやけた様にあいまいな結果が出ている部分だ。映像で視覚化されると体のあちこちにまだまだ残っているのが分かり易く示されている。
最初の全身ぼやけていて把握できず、神主の診断で最低七割がMAGだと言われたころと比べれば全然マシだろう。
「気を付けます。対処は今までと同じでよろしいんですか。」
「はい。食事を多めにとって無理な回復をしない。睡眠もしっかりとりなさい。経過確認がありますので、今度は毎月確実に、定期的に検査を受けてください。」
「善処します。」
定期健診をすっぽかして異界巡りをしていたので殊勝な面持ちをしておく。
こちらを見透かしているのだろう。仕方がなさそうに肩をすくめて見せるのはやめてほしい。
「男性機能ですが精子の運動能力の確認はされました。が、MAGで構築されている精子も確認されています。MAG構築精子で受精した場合の母子の状態は予測がつきませんので、妊娠した場合は速やかにこちらで検査を受けさせてください。」
「避妊をちゃんとしろとか、そもそも子供なので性行為をするないじゃないんですね。」
「いい年した大人に子供のようなことを言ってどうしますか。それに、あなたは必要があればする人間でしょう? ならば対処を教えた方が建設的です。」
そう言われてはこちらも言葉がない。
彼女は珍しく私を完全に一人の大人とみている人間だ。そのうえで患者としても見ているので医者として世話を焼いてくるが、日常ではあまり煩くないのにどこまで見透かされているか想像ができない。
第一、精通したことをどうして知っていたのか。これを知っているの式神以外では同居人だけだというのに。
「そう言えば、肺に特に問題はありませんが覚醒者と言えども子供の時分からタバコは好ましいとは思えません。体力の低下や成長不全などのデメリットと天秤にかけて選択してください。」
「……気づきました? おかしいな、臭いはないはずなのに。」
「ええ、臭いは感じませんでした。しかし、血液検査で必ず同じ数値を出していた項目がわずかに動いています。スキルによる肉体の保全効果を害したのでしょう。」
「それは気がつきませんでした。やっぱり専門家はすごいですね!」
本当についでに言われた煙草の話に心臓が止まるかと思った。
虚勢を張って胸中を誤魔化そうとしている自分に気が付いているが、そのまま笑う。前世では吸いもしなかった煙草に手を出した理由は知られない方がいい。
彼女は人を救う人なのだから。
「……公言するべき情報ではありませんが、私はあなたが受けていた依頼と同種の依頼を受けた患者の診察もしました。」
「それ、コンプライアンス的に大丈夫なんですか?」
「よろしくありません。ですが、必要なことです。」
こちらは悟っているぞ、という合図を茶化してみるが、まっすぐこちらを見つめる目につい目線を切ってしまう。
失敗した。これでは何かあると言ってしまっているようなものだ。
それに気が付いてもすでに確信を得た彼女には関係ないだろう。
戻した視線が再び見つめ合う。
それにふと何かに気が付いた顔をしてから彼女は頷き、医者の顔を外してしまった。公私をしっかりと分ける彼女が診療室で医者をやめたことに少なからず動揺する。
そんな私に彼女は私人の小夜子としての顔で机に肘を立てて顔を乗せる。悪戯気に細めた目と緩んだ口唇が傾けた顔を飾る。
しばらくお互いに無言の時間が流れる。
何か言うべきかと言葉を探す私を、彼女は微笑んで眺める。医者としての厳格な観察ではなく、私人として包み込まれてしまうと途端に言葉がなくなってしまう。
声が出せなってしまったこちらを彼女はどう思ったのだろうか。
「あなたは病気です。」
クスッと艶やかに笑って、彼女はそう言ったのだった。
星霊神社に転生者が集まるようになって一年。
最初は修行時だけの一時的なものかと思われていたが、ガイア連合として正式に活動を始めると所属する転生者は宿舎に入ったり住まいを近くに移したりと急に地域が活性化を始めていた。町から見れば郊外でしかないが、星霊神社からは程近くに新しく出店した大型スーパーなどは転生者がオーナーの会社のものだ。
その郊外型らしく広大な駐車場に一台のSUVが止まった。大型の車体はメタリックレッドに輝き、早くも地平線に隠れ始めた日の光に眩く照らされる。
「百仁華は7時には帰宅するそうです。それまでに買い物を済ませてしまいましょう。」
「りょーかいです。つまみは多めに買いましょう。この体でまだ飲酒してないので加減が分からないですから。」
「ほどほどにしなさいよ? 普通なら体に悪いのですから。」
西日の射し込んだ赤色に、ストロベリーブロンドが鮮やかに染まった小夜子さんが子供相手のように諭しながら頭をなでてくる。助手席でシートベルトを外しながら私ははいはーいとふざけて声を上げた。
ひどく冷え込み始めた夕日の下、私と小夜子さんは宅飲みのためにいろいろとスーパーに仕入れに来ていた。
なぜそうなったのかと言うと、診察時に知人として近状を知りたいと言われれば断る選択肢がなかったのだ。場所を決めようと思えば同居人に目の前で連絡を取られて家で皆で話すことになっていた。
何時から知り合っていたのだろうか。
そう問えば、私が二人に会う前からすでに知り合っていたらしい。私の前ではそれを匂わすような事が今までなかったのはわざとであろう。柔らかく指をあててほほ笑んだ顔は悪戯気であった。
この様子だと、見透かされているように思っていたもののいくつかは同居人からの情報であったのだろう。まんまと騙されていたわけだと思わず苦笑していた。
そうして訪れた郊外型スーパーで酒とつまみを買い込み別荘へと向かう。
前世の癖かついつい塩辛や練り物なんかを籠に入れる私に比べ、彼女はチョコレートやチーズと普段飲んでいたものの違いが出て二人で笑いながらの買い物だった。勿論、購入する酒類もそれに合ったものなのでやたらと種類が多くなってしまった。その無駄に数が増えて重い買い物袋を、お互いひょいと軽々持ち上げる姿は覚醒者の出鱈目さをまじまじと思い出させるものだった。
買い物を終えた私たちが向かう郊外は、昼は木漏れ日溢れる閑静な別荘地だが日が落ちてしまえば灯りの少ない暗然とした夜道だ。暗闇の中を移動すると、林に溶け込んだ別荘に灯る明かりの輝きに安堵する心がどこかに存在していた。
車のトランクから久しぶりに自分で荷物を下ろし、小夜子さんに支えられた玄関をくぐる。
私の背後にいつもは必ずいた式神の二人はいない。診察の後に式神班の事務所に回収に行ったのだが、最新技術での生身(?)の肉体の構築とその馴らしに時間がかかるため一日預かられることになっていたのだ。
紙細工で肉体を偽装する更新以来、一度もアップデートをしていなかったのが悪かったらしく、新しい体との差異が大きいのでいろいろと調整が必要らしい。ちょうど式神用3Dプリンタの低率初期生産が始まったところなので、それに便乗して肉体を作るので普通より大分早く帰ってはくるそうだ。
ちなみにポッドも筐体にガタが来ていたので研究所送りになっている。こちらも新型の筐体を試すのでしばらく預かられることになっている。
普段なら彼女らが荷物を持ったり扉を開けてくれているので、居ないことへの違和感が身に染みる。所持して数か月しかたってないが随分と頼りにしていたみたいだ。
つまらない感傷と共に入れば玄関だけで幅2m程在るの空間だ。
もともと休日の別荘というより客人を出迎える用途に使われる想定の間取りで、客間も多いしリビングもパーティーができる広さが完備している。無駄も多いが、その無駄のおかげで式神を入れても余裕のある広さがあるとも言える物件だった。
車の運転での迷いのなさで気が付いていたが、小夜子さんはすでにこの家に来たことがあったみたいで迷いなくリビングへ進んでいく。
外が見渡せるようにひらけたガラス窓は今はカーテンの裏に潜んでいる。スチール暖炉の傍に敷かれた毛足の長い絨毯と革張りのソファーは落ち着ける空間を演出するのに一役買っている。十人掛けの長い食卓がキッチンに向かって伸び、キッチンではすでに小夜子さんが夕飯の支度を慣れた様子で始めていた。
「随分となじんでいますね。」
「ええ、百仁華に誘われてよく一緒に飲んでいるんです。特にここ数か月は誰かが碌に連絡も入れていなかったそうですので。」
「それはご迷惑をおかけしました。」
「いえ、私も愚痴を言いたいことがありましたから大層盛り上がりました。どうです? 一緒に聞いていきません?」
「ご遠慮させてください。」
一緒に鍋の準備をしていたらちくっと小言が飛んでくる。どうにも今日は分が悪い。
私の近状を話して誤魔化そうと思ったら白風さんが帰ってきてからと流されてしまう。代わりに山梨支部で最近あった出来事で盛り上がる。
戻ってきてからもほとんど修行漬けの毎日であったので思ったよりも見過ごしていたことが多い。
驚いたことにいつの間にかに山梨支部の自家発電が軽油から地脈のMAGに変更されていた。思わず無限発電炉ヤマトを思い出したが、聞いてみれば東京のあれはターミナルで山梨支部の物は巨大なMAGバッテリーでしかないらしい。
割と女神転生の知識については穴抜けや勘違いが多いことを自覚しているので素直に納得する。重度のメガニストたちの知識はすでに蒐集されているので間違いはないだろう。
「ただいまー! 今帰ったぞ!」
そうこう話しているうちに玄関から溌溂とした声が聞こえてくる。今日も変わらず元気がよいものだ。
「おかえりなさい。鍋出来てますよ。」
「お帰り、百仁華、ヴィーラ。着替えてきたら?」
「ただいま。おなかがすいたから先に夕餉としたいな!」
リビングに入ってきた二人の姿は山梨支部ではほとんど見かけないスーツ姿であった。山梨支部は転生者しか居ないとあって好き勝手な格好をする者が多いのだが、百仁華は渉外を担当しているだけあって外に出かけることが多いので社会人らしい装いを何時もしている。本人に聞けば周りが羨ましいそうなのだがこればかりは仕方がない。
パンツスーツの上着を脱ぎ捨て、荷物と一緒にヴィーラに渡して食卓に着こうとすれば小夜子さんがにっこりと流しを指さす。しばし自分の手と流しを見比べてとぼとぼとキッチンに行ったがすぐに寒いと悲鳴が聞こえてきた。
「まったく、仕方がない。」
呆れた声は柔らかく、普段から同じことを繰り返している慣れが見て取れた。
部屋に荷物を置きに行ったヴィーラはちゃっかり洗面所で手を洗って食卓にすでについている。スキルカードで会話や交渉食事などを入れているおかげか随分と人間らしい。
山梨支部へ久しぶりに戻って気が付いたことにスキルカードの有無での人間擬態能力の差は思ったよりも大きいことがあった。数か月異界巡りで居なかったため他の式神を見ていなかったので、戻ってきたときは皆随分と鍛えこんだのかと勘違いしたものだ。
主観が入るが私の式神の人間らしさを10とすれば、汎用スキルを入れるごとにどの式神も1ずつ人間性を獲得しているように思える。
ヴィーラは元々ある程度鍛えて自我のきっかけを得ていたことに加え、百仁華が交渉に連れまわす役割柄ほかの式神より多くの汎用スキルでのスキル獲得している事が原因か他の式神と比べてもかなり人間らしさがある。
百仁華に合わせてか上だけ脱いできた姿はYシャツにベスト姿。この時期の流行からすれば考えられない装いだろう。
世間を見ればタイトスカートにリボンタイなど華やかに見せるスーツが当然とされている時代に、前世の美的感覚でスリムなスーツはもしかしたら奇異に映るかもしれない。
だからこそ、転生者の中にはアパレル業界に進んで細々と仲間内の衣装を提供していた者がいたのだろう。今ではガイア連合に取り込まれて内部で装備の製造販売に携わっている人間の多くが、装備だけでなく衣服の製造を続けているのは流行の服飾に違和感を抱いてしまう転生者としてはありがたいことだ。
流しから戻ってきて鍋にワクワクしている白風さんにそう話を振ってみると、集まった個人ブランドを統廃合してガイア連合内でカタログを作っている最中で春秋の二回発刊できる準備が整ったそうだ。もちろん(?)ガイア連合らしくカタログの半分近くがコスプレ衣装に近いとのオチもあるのだが。
「そんなことよりも、早くご飯を頂こう!」
待ちきれないとばかりに箸を付ける白風さんに苦笑して四人で食事をとる。
食事中はお互いの身近な話題を話していたのだが、やはり同じ山梨支部でも場所によってかなりの空気の違いがある。
最近始まったばかりのガチャの話題にしてもスキルカードの抽出や景品の製造に関しての現場と、運営として排出率や単価を決めるものでは視点が違う。実際に回してはいない人間からすれば、製造の職人的な愚痴と運営の収支計算のシビアさはどちらも正しく大変なものだ。
医療班の話題も、実戦現場にいる私としては戦闘者たちが挙げる式神改良の声を重視してほしくもあるが、研究開発の目的が医療である医療班として式神ではなく人体に都合が良いパーツに重点を置きたくなるのもよくわかる話であった。現場の人間としては戦闘能力はすでに完成していて、使用者が寄せている要望はメンタル面の回復に使える欲望でしかないと思える事は話を通しておく。良くも悪くも戦闘をこなしている人間にはやる気がない者が多いので、目の前にニンジンをぶら下げてやる必要があるということも。
そう言った真面目な話も交えつつ、食事が終われば二階に向かう。
ここからは完全なプライベート。富士に向いて設けられているバーカウンターで凸凹な大人の時間だ。
おそらくこだわりを持って設計された空間は、日が落ちて富士が見えないことが計算から外れているかと思う。横に長く繋がる窓ガラスに映るのは森を覆う暗闇ではあるが、室内の間接照明に照らされてカウンターに座る人間の顔がぼぉっと映るのもこれはこれで趣があった。
カウンターに入るのはヴィーラでその手つきは淀みがない。尤も、出てくる酒は各々が好き勝手選んだので統一性もあったものではない。
私が初めだからとジントニックを頼む横で、マティーニやらウイスキーやらを頼む姿はとことん呑む気であることを感じさせる。或いは呑まないとやってられない話をすることがわかっているからか。ヴィーラもワインをカウンターの向こうで飲んでいるので四人で呑み会だ。
最初は欲望に忠実すぎるガイア連合員の愚痴で盛り上がる。
ガイア連合という組織はトップが理由か連合員の気質のせいか、未来に対して楽観的で現実に対しては悲観的だ。だが、それ以上に人生に対して享楽的な部分が大きく占める。そんな連中を体制側として纏めるのは少しどころの苦労ではないのだろう。杯数を重ねる酒に比例して出てはいけない愚痴がポンポン出て行ってる。
付き合っている私も、普通に考えればどう考えても早すぎるペースで酒杯を飲み干しているが酔った自覚が僅かにしかない。前世と比べてもかなり酒に強くなっている。
これは今生の肉体が強いのか覚醒者になって強くなったのか。
つまらない思考に意識が割かれているとふと落ち着いた空気で私を見ている二人に気が付いて、本日の本題を言わなくてはならないことに気が付かされた。
「地方霊能組織の調査は、最初から分かっていた話ですが酷い光景でした。」
滑り落ちた言葉は、一度口を開けばよどみなく紡がれていく。
「食い散らかされた残骸、戯れに興じて嬲られた死肉、犯されて裂けた肉体、見世物にしたのか人間同士で殺し合った跡もありました。」
自分が見た光景をフラスコでも観察するように思い出す。紡がれる光景に息をのむ気配もあるが、自分の意識は過去を視て私心を紡ぐ。
「そのどれもが凄惨で、間に合わなかったことを強烈に攻め立てる光景で。……これはガイア連合に集まった転生者には見せるべきなのか先んじて片付けておくべきなのか、それが分からない。あの光景を見て世界の残酷さに奮起するのか、恐怖に足を止め逃避するのか。今の連合員では言葉では何を言っていてもおぞましさに身を震わせて逃げ出すようにしか思えない。それではガイア連合という組織形態が保てない。」
「あなたは、何故そうではなかったのでしょう?」
「私は分かり切った世の中を確認しに行っただけですから。たとえ悪魔がいなくとも当たり前に繰り広げられる営みが、悪魔が起こしたものであればどう変わるのか。それを連合員に認識させるのが連合にとって都合がよいかの確認を。」
必ずどこかで起こっている出来事が、女神転生の世界では平和であるはずの日本ですら身近になってしまう。それを理解していたからこそ、その景色はどのようなものか見るために私は依頼を受けていたのだ。
「君はっ、惨状を見ても何も思わなかったのか?!」
グラスを揺らし水面を見ていた私に、強い憤りが叩きつけられる。
綺麗な人だ。容姿はもちろんだが、何よりも悲しみを悲しみのままにしておけない強さが美しい。
「何も。現在の社会を危機に陥れることへの怒りはあった。だが、そこに横たわる死に対しては諦観しか感じない。何かの激情があったなら私は生きてここに存在してはいない。」
だから、なるべく正直に己の心を想起して確認した気持ちを伝える。
人としての尊厳を踏みにじる相手への怒りはなかった。だが、人の尊厳を汚すことを普通の事にしようとすることに憤怒が芽生えたのだ。
――すでに起きた痛みを諦めなければボクはこの年まで成長できなかった。狭い部屋に閉じ込められて遊びで傷つけられるだけでなく、殺意をもって殺されていただろう。
己の心にある私のものではないトラウマを認識しながら放置する。これは毒にも薬にもならないものだ。
「私から見ても現状では転生者に惨劇を見せるべきではないでしょう。転生者の多くは痛みを知らないが故の蛮勇がなければ命をかけて戦えるほど覚悟を持ってはいない。」
医者として、誰よりも怪我を負った転生者を見てきた人間としての発言がされる。
そこに人情をあえて含めていないのは私の為だろう。誰よりも人が傷つくのが嫌いな彼女は、我々が戦場に立つことですら心を痛めている優しい人だ。
「転生者に強くなって欲しいのならば飴にこそ夢中にさせるべきです。そのうち飴しか目に入っていなかった視界にいろいろなものが映っていたと気が付くでしょうが、慣れと『己は違う』と傍観者の視点を時間によって得ていると思います。神主によって己が最強ではないと叩き込まれはしますが、己は特別であることは誰も否定しませんから。」
カランっと音を立てて転がるアイスボールを回して手慰みにして姿は酷く蠱惑的だ。普段の強い姿の内に常にある温かさがその横顔に見えるからだろうか。
「積極的に依頼を受けている連中も、死ぬかもしれないとは思っていても抵抗すらできずに遊ばれるとは思っていないだろうからな。」
少し頭が冷えたらしい白風さんが受付の立場からの視点を提供してくれる。
確かに覚醒者は手も足も出ない強さの敵が居るかもしれないとは思っても、逃げることすら出来ない敵に出会うとは思っていないだろう。依頼の大まかな強さなどの調査を神経質なまでにしている現状のシステムの成果である。
転生者一同よりも神主がこだわった仕組みは、神主の経験から来たものかもしれないとふと思った。
「暗い話はこのぐらいにしておこう。ヴィーラ、とっておきを出してくれ!」
大きく打たれた柏手に、びっくりしたがおかげで空気が変わる。
そう言えばいつの間にかに手元のグラスは空になっていた。考え事をしていると、見ているようで見ていないのは私の悪い癖かもしれない。
酒の席だ。己を出すにしてもほどほどが良い。
「これは?」
促されたヴィーラが冷蔵庫から取り出した何かを注ぎ、私たちに配った。
カクテルグラスに注がれているのは白く濁った酒だった。シェイクしたわけでなく最初から濁った酒がグラスを満たし、ふちに刺さるレモンが彩を与えている。
「神主が自分で作っている神酒をまねて製造班の連中が作ったどぶろく――のふりをした神主のどぶろくだ。正月の余りなんで早いうちに飲むように言われていてな。せっかくだから皆で飲んでしまおう。」
神主から君への賄賂だ、と笑って言われるが覚えがなく首をひねってしまう。さんざん外を回っていたが土産の一つも渡した覚えがない。
そんな私を、二人どころかヴィーラまでもが呆れて首を振っている。私たちの話は黙って聞いてはいたのに一体どういうことなのか。
「それでは、今年もよろしくお願いします、ということで、乾杯!」
乾杯に合わせて皆でグラスを掲げる。
口に含んだときはやや酸味がきついが、その後にガツンと米の甘みが来る。どぶろくなので粘度と崩れた米の舌触りがあるのにスルスルと飲める不思議な感覚だ。
「おいしいな、これは。」
「ええ、確かに。普段は日本酒を飲まないのですが良いものですね。」
「いけますね。あ、お代わり。」
「はい、どうぞ。お姉様もささっ。」
「おお、ヴィーラもどんどん飲むが良い。四合瓶とは言え残しておくものでもないしな。」
「ありがとうございます、お姉様。」
思わぬ旨さに皆次々とグラスを開けていく。先ほどまでと違い脳裏に少し鈍るような感覚と気持ちよい酩酊感が漂う。
そうして、私たちは高揚したまま酒を飲み干し、皆で風呂を浴び、――そのまま本音駄々洩れで夜戦をして、気持ちよく眠りについたとさ。
白風 百仁華:同居人
鶯 小夜子 :主治医