【カオ転三次】DRUG FATE   作:石は転がる

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幕間8

 ガイアマテリアル総合研究所は設立当初から業界から注目を浴びていた。

 設立早々新たなマテリアルのライセンスを発表したこともあるが、業界からしても驚くべき人間が研究室に収まっていたのだ。

 

 ラケル・クラウディウス博士。

 米国でも有名な研究所で所長に抜擢された才英である。

 

 習得している博士号の数は多く、しかし特別な専門を持たないはずの彼女が注力していた生物物理学・生物工学ではなく金属物理学の、しかも室長という低い地位でわざわざ日本にやってきてまで入社したというのは日米両国に限らず国際的な驚天動地の事態だったのだ。

 研究所には連日問い合わせの電話が鳴り響き、あまりにかかってくるので総務が一時的に電話線を引っこ抜いたという伝説を作り上げる事態に陥った。

 

 

 そんな事態を引き起こしたラケル博士はと言えば――。

 

「私、ここに住み込みたいと思います。」

 

「何を言っているんですか、Dr。」

 

 研究テーマのミーティングにオブザーバー参加として訪れていた私に、少しよれた服装で現れた博士が宣言をかます。心なしか車いすまでぼろくなって見えるが、その代わりに羽臭さがなくなってベール越しの顔色は前よりずっと良くなっている。

 本日、出来たばかりでそれほど来る必要がない研究所を訪れていたのは、所長から苦情というか陳情・懇願が引っ切り無しにやってきていたからだ。

 

 曰く、ラケル博士が帰ってくれない。

 

 何のことだと思えば研究所の仮眠室を就任早々占領して生活の場を研究所に移してしまっていたのだ。設立したばかりで使う人間が居ないとは言え博士の奇行に所長以下研究員たちは悩んだ。

 悩んで、悩んで――悩んでこちらに丸投げしたのだ。

 彼らの言い分もわかる。ラケル博士と比べると彼らは木っ端研究者に過ぎない。そんな彼らが大先生をも超える実績を持つ博士の強行に意見を翻させるのは難しいことも。

 しかし、だからと言ってスポンサーを顎で使わないでほしい。

 

「博士、利用者がまだ居ないとはいえ研究所を私的に利用されては困ります。」

 

「私的利用と言えばあなた方の研究も私的利用ではないのですか?」

 

「彼らの研究は経営者も認める正当なものです。博士の占拠とは違います。」

 

 本人も問題はあるとは思っていたのだろう。仮眠室の話題をだせばすぐさま反論が出てくる。まずはお互い様なのでなあなあで済ませようとするが、こちらは上が把握している秘密研究だ。悪いことはしていない。

 

「まだ利用者が居ないのですから連日の利用も問題ないと思いますが? 研究を行うにしても効率が良いのです。」

 

「仮眠室の利用ではなく居住が問題なのです、博士。子供のダダのようなことを言われても困ります。」

 

 無理筋を悟ってかすぐに方向を勤務効率の話に移した。が、それにしても言葉にキレが全くない。

 もっと理詰めで淡々と反論が来るかと思ったのだがどうにも様子がおかしい。ベールの下の目線は宙を泳ぎ必死に言い訳を考えている子供のようだ。

 

「博士、通勤が面倒というのでしたら近場に家を用意しましょう。なんでしたら送迎もこちらで手配しても構いません。」

 

 メシア教への配慮もあるがそれ以上に今までの実績が彼女を特別扱いすることを許す。後から調べ直したが物理学界隈に限らず広い分野のすべてにおいて超越的な存在なのだ。

 正直、メシアンがどうのこうのよりも気後れする逸材だ。女神転生原作に欠片も存在を示唆されてないことが逆に怖い。

 

「えっと、です、ねぇ……。」

 

 まあ、目の前で委縮している姿からは想像もできないが。

 えっと、あの、と言葉を探す姿は年不相応な幼さがあってギャップがすごい。思わず目線を下にしているようなのだが、もともとの身長差から目線を下にするとこちらの目を直視することになって余計に混乱している。

 初対面の得体のしれないメシアンとしての顔はどうしたのかと言いたくなる。

 

「博士。」

 

「……はい。」

 

 目を真っすぐ見て呼びかけるとおずおずと返事を返してくる。こちらの顔を窺うように小さくなっている姿は本当に幼い子供のようだ。

 

「理由を説明していただけますか? 博士にとってここに住むことがどうしても必要というのでしたら、こちらも相応の対応をさせて頂きます。」

 

「……ぁ…ぁぅ……。」

 

 どのように対応するかは言わないが、それを想像できないほど彼女も鈍くはないだろう。

 

 ……鈍くないよな? 場合によっては置いてやるって言ってるのが分かっているよな?

 

 何やらあうあう言ってる可愛い生き物と化した博士は鋭利な頭脳が見えずに困惑する。どうにも本人にとって大事なことなのだろうがもうちょっとしっかりしてほしい。

 そうして彼女の口を開くのをじっと待っていると、時間をかけて意を決したのかポツポツと口を割り始めた。

 

「……声が…声が聞こえないのです。」

 

 黙って聞く。

 

「天使様の、天使の声が聞こえないのです。滅ぼせって、誰も言わないのです。こんなこと、初めてで。こんな、こんな、こんな! こんな静かな日々は!」

 

「落ち着いてください。ええ、ええ、大丈夫です。ちゃんと全部聞きますから。」

 

 取り敢えず言いたいことを言わせるのが相談や悩みを打ち明けられるときの基本だろうと思っていたが、何やら想像と違う叫びに気持ちを切り替える。

 これは厄介ごとだ。

 

 膝をついてそっと手を握り、目を真っすぐに見上げる。

 博士の手は力を入れすぎて、固く握りしめられていた。それをゆっくりと体温で溶かすように広げさせる。

 

「ゆっくり、ゆっくりでいいのです。全部、全部聞きますから。ほら、まずはゆっくり呼吸をして。」

 

 頭を振った拍子に落ちたベールに隠されていた顔はこわばってた。過呼吸気味の息が口から吐き出され、怯えたような視線がこちらに縋りついている。

 そっと部屋を出ていく気配は予定の変更を所長に伝えに行く2Bのものだ。何も言わずとも動いてくれてありがたい。

 

「はぁ、はっぁ、はぁ、はぁ、はぁ、は、ぁ……すいま、せん。取り乱し、ました。……だいじょうぶです。私はもう、大丈夫です。」

 

 落ち着くまでじっと待っていた時間はどれほどだったのだろうか。ただ手を繋ぎ目を見ていただけだったが、それで彼女は落ち着きを取り戻してくれた。

 念のために裏で防音結界を敷いたが、やはり必要な話題だろうか。

 

 ぽつり、ぽつりと子供の時分から話を始めたラケル・クラウディウスという個人の昔語りに、私はまた根深そうな話だと内心肩を落とすのであった。

 

 

 後日。問題の解決のために送った首飾りが私と式神たちとお揃いだとバレて騒動になるのはまた別のお話。

 騒がしい周囲に反し、ラケル・クラウディウスはただただ嬉しそうに黙って白銀の首飾りに指を這わせるだけだった。

 

 

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