【カオ転三次】DRUG FATE 作:石は転がる
ボクの目覚めはとても穏やかなものであった。
振り上げた腕をさらりとシーツがくすぐる。むずるように這わせた指が柔らかな枕に埋まった。
淡い光。寝ぼけた目が天井を見上げ、枕元で淡く光る照明を見つけた。
どこだっけ?
寝ぼけた意識が今旅行に来ていたことを思い出させる。
そうだ、ホテルだ。だからいつもの寝室とは違うのだ。
そう納得し、再び目を閉じる。まだ目覚ましも鳴っていない。もう少し、もう少しと意識が落ちていく。
シーツも枕も柔らかくいい匂いがする。気持ちいい。ホテルのベッドとは大違いだ。ギトギトな柔軟剤の香りにすぐにつぶれるペコペコの枕とは比べ物にならない。
夢うつつに考えて疑問がわく。あれ、ここホテルじゃない?
にたり。だらしなく嗤う犬。
飛び起きた。動悸。自分の体を抱きしめる。喘ぎ、いやな汗が背中から流れた。荒い息が止まらない。ベッドの上で体育座り。知らず知らず、目の前にシーツに隠された太ももが飛び込んできていた。
恐る恐る手を伸ばし太ももを触る。優しく触れたが痛みはない。こわばった指に力を入れ、多少大胆に触れる。普通に触れた感触。なぞるように触った指に引っかかるところはない。
少し落ち着いた。息も整ってくる。太ももから指を離し、恐々とおなかに手を載せる。痛くない。シーツをどかして直接見てみると傷一つない己の柔肌が何の変哲もなくそこにはあった。
安堵の吐息。全身に入ってた緊張が抜ける。間接照明の柔らかい明かりの中でまじまじと観察するが、本当に傷一つない。そのまま太ももも直接見るがこちらも同じだ。密かな自慢の張りのある肌が滑らかに曲線を描いている。
夢、だったのだろうか。念のため腕など他の場所を見てみるがどこにも怪我が無い。狐に包まれたかのような感覚。お腹も太腿もぐいぐい押してみても痛みを発することも無い。
そうして確認が終わってから初めて思い出した。
あれ、服は?
「……ひぃゃ!」
慌ててシーツを掻き抱く。
裸、裸、なんで裸?!とパニック。もしかしてお酒に飲まれて大人の階段を上ってしまったのではないかと血の気が引く。咄嗟に大事な場所に触れるがやっぱり痛みはない。
手掛かりを求めて室内をせわしなく行き来する。
和モダンと言うのだろうか。壁紙ではなく黒い正方形の石材が張られ、竹垣が一部を覆って緊張感を出している。生け花や盆栽をイメージさせる調度品はどれも部屋に合わせたもので、家電一つとっても既製品が一つも見受けられない。
部屋を彷徨った視点が自然と広く開けた窓に向かう。
空は暗く、しかし街の明かりが塗りつぶすように輝いている。光を遮るローテーブルとソファー。
そこで明かりも付けず、東京の夜景に浮かび上がる様に書を嗜む横顔に息を飲んだ。
言葉がない。それを表現することなどできない。ただ綺麗。
ペらりぺらりとページがめくられる音だけが響く。
「――おはようございます。」
馬鹿みたいに口を開けて眺めていたボクを、現実に戻したのはそんな言葉だった。
ボクに見向きもしないで、手元に視線を落としたままこちらに声をかけてくる。本当にページが見えているのだろうか。窓辺は暗く沈み明かりも点いていない。ただ彼だけが不思議と闇から浮いて見えていた。
「色々聞きたいことがあるとは思いますが、まずは服を着ましょうか。新品を用意させているのでそれを着てください。」
言われて視線を移すと、いつの間にかにベッドに服とはさみが並んでいてびっくりした。
寝具から視線を上げて、初めてもう一人いたことに気が付く。シンプルなYシャツとパンツスーツで身を包んだ女性だ。こちらが気が付いたことを認めると、束ねた長い黒髪を揺らして軽く頭を下げてきた。つられて頭を下げる。
「照明はサイドテーブルで調整できます。武蔵、あなたもこちらに。」
彼女の名前は武蔵と言うのだろうか。不思議な名前だ。
そんなことを考えている間にベッドの足元側を通って彼女は窓辺に行き障子を模した仕切り閉める。
部屋が暗くなった気がした。
もちろんそんなことはない。部屋の灯りは照明がほとんどで、外からの光はないに等しかった。でも、と思うのはなぜだろうか。不思議な感覚。包装の文字が読める程度に明るくした室内で首をかしげる。
不思議と言えば今の心持も不思議だ。見知らぬ人間がそばにいるのに裸で居て危機感がない。むしろ安心感すらある。おかげで落ち着いて着替えられるが、女の子としてどうなのだろうかと別の悩みが出てきた。
SMLと全サイズ用意されているキャミソールとショーツから自分に合うものを選び、同じくサイズに合うズボンとシャツを着る。ビニール袋の店舗が違うので幾つか店を回ってきてくれたらしい。都会はこんな時間でも店が開いているのかと変な関心をしてしまった。
着替えてどうしようか悩む。ここから声をかけるべきだろうか。それとも相手のところまで行った方が良いだろうか。
明るくなって改めてみた室内は、予算を削った貧乏旅行の自分のホテルとは違い如何にも高級で素敵な一室だ。見える範囲でもベッドの他にゆったりと座れるソファーやほかの調度品も並んでいる。一泊数万どころかもしかしたらもう一桁大きいかもしれない。そんな部屋を取ってる人間に今更ながら緊張してしまう。
「着替え終わりましたか? 終わったのならそちらで話をしようと思うのですが。」
「……! う、うん。着替え終わりました。」
ちょうど良いタイミングで声を掛けられ、力が抜けて安心する。優しい声。急かしも厭らしさもない不思議な声色。
返事をしたら向こうから席を立った音がし、部屋を区切っていた仕切りが開けられる。
ちょこんとした背丈。ふわりと背中に広がり足まで流れる色に染まらないシルバーブロンド。切れ長の瞳が真摯にこちらを見据え、カッコいい系の幼い少女のような顔立ちを向けている。
「……ぇ? え、ぇ! ふ、藤原君っ! え、ええええぇえええぇぇぇぇぇぇええ?!?!」
思わず驚きの声が口をついて出た。
全然気が付いてなかった。クラスで一番小さなボクのクラスメイト。そんなに親しいわけではないが、クラスで一番目立っているので間違えようがない。むしろ何でこんな特徴的な人間に気が付かなかったのか。
突然の大声にびっくりしたのか、最初の鋭い目つきがボクの驚きの声に目を丸くした後、見開いた目が苦笑に細まる。いつもの柔らかい表情。ちょっと冷静になった。大声出して申し訳ない。
「どうやら気が付いてなかったみたいですね。そうです、藤原です。」
「あ、え、あ、…ごめんなさい。」
「いいですよ。いつもとは気配が違っていたので。話はそちらの応接でしましょうか。」
スタスタとソファーに向かう藤原君に促されボクも向かう。
遠慮なく座る彼とは違い、おずおずと座ってしまった。弾力が強めだが体重をかけても受け止めてくれる感じでフィットする。
椅子の上で小さくなっていると、ことりと音を立てて湯呑がおかれた。武蔵と呼ばれていた女性が入れてくれたらしい。何時の魔にお茶を入れたのだろうか。そんな時間もなかったのに。
不思議に思っている間に彼女は彼の背後に控える。静々とした動きはすごく様になっていた。
「うん、まずはそうだな、――御生還おめでとうございます。」
ボクが落ち着くのを待っていたのだろうか。微笑んでこちらを見ていた藤原君に、にこりと笑って言われた言葉に一気に背筋がひやりとする。そうだ、ボクは、あの犬に傷つけられて、そして、そして――。
「ボク、は、死んで……!」
「ええ、肉体的に死んでいましたので蘇生しました。そもそも道具が効かないか、効いても屍鬼になるか。よくて半々だと思っていましたが無事人間として生き返ってよかったです。」
嬉しそうに言う言葉が怖い。平然と死んでいたという。当たり前のように、ボクがよく分からないモノになり果てるたかもしれない事を示唆する。ボクの生死に対してひどく軽い。その言葉に嘘が見受けられない。彼はボクを一体どうするつもりだったのだ……!
思わずぎゅっと力んで彼を凝視する。
怖い。何を言われるのか分からない。ひどいことを言われそうで、それなのに彼はいつも通りでどこか安心してしまうボク自身が一番分からない。
「ふむ、脅しの言葉はこの程度にしておきますか。冷静に言葉を理解できているようですし、説明に入りたいと思うのですがよろしいですか?」
「は、はい。」
笑っていた顔を引き締めて真剣な表情を浮かべる藤原君に、不安も恐怖も安堵もごちゃまぜなボクは訳も分からずに頷く。
そしてボクは世界の真実を聞いた。
悪魔。霊能者。霊能組織。そして終末。
概要だけを流すように話されただけだが、不覚にも説明途中でボクはちょっとワクワクしてしまった。
まるで現代伝奇小説。何も知らない少女が事件に巻き込まれて関わっていくなんて王道の王道だ。大衆とは違う特別な力。それに目覚めて誰かと共に事件を解決していって――。
もっとも、そんな考えを見逃さなかった彼はすぐさまボクの身に起きたことを引き合いに出してワクワクを叩き潰したんだけど。
なるべく簡素に。そのうえで誤解が無いように丁寧に。
懇々と至極真面目にボクに説明したうえで、藤原君はボクに選択肢を投げ渡した。
全てを忘れるか、覚えたまま日常に帰るか、オカルトに身を沈めるか。
選択に悩む時間は長くとれないという。起きた出来事の記憶改ざんに彼の技量の問題で時間的な余裕がないのだと。
「だから、朝までに決めてください。」
質問があれば受け付けます、そう言って再び広縁に戻り仕切りを閉める藤原君に思わず手を伸ばすが、彼は気が付いていながら意にかけない。
手を伸ばし、その手が彼を握って、一体ボクはどうするつもりだったのだろうか。衝動的な動きに自分でも分からない。
しばし静寂が流れる室内に音が流れる始める。窓辺からのカツカツとの物音は何か書き物をしているのだろうか。延々と止まらずにたまに紙をめくる音ともになり続ける。
気分を変えるためにテーブルの上で冷えてしまったお茶を飲む。苦いかと思えば柔らかい甘さでちょっとびっくり。思ったよりものどが渇いていたのか飲み干してしまった。
空になった湯呑の底をじっと見ながら考える。
ボクはどうしたいのだろうか?
ぼうっとあまり回らない頭を働かせる。
記憶を無くし、全てを忘れて日常に戻るとしても、通り魔に襲われたとかの出来事にして危機感は持てるようにしてくれるらしい。
そもそも夜に出歩いたり危ない場所に近づいたりしなければ、今回のような事に会う確率は低いとも説明があった。それに加えて万が一のために護符とか言う悪魔除けをくれれるそうだ。
ここまですれば現状ではまず悪魔に襲われることは無いと断言してくれている。
だから、すべて忘れて、あるいは口を閉じて、日常に戻ればいい。そうすれば安全で、安全で……。
無意識的にお腹をぎゅっと抑える。本当に安全なのだろうか。危険から目を離すことが。忘れて、忘れたふりをしても、すぐそばに悪魔はいるのに。
彼は、彼らは呉の治安を守っているという。たとえ今より出てくる悪魔が強くなっても、呉でボクが暮らす生活圏は安全だという。本当に、本当なのだろうか。
――怖い。
藤原君を疑っているわけじゃない。疑ってるわけじゃないんだ。でも、でも、怖いのだ。本当に、もうこんな目に合わないで済むのか。
だからと言って裏の世界に入ってどうするのか。
藤原君は言っていた。
悪魔に襲われ、死んで。だけど奇跡によって生き返って。
そうしてやっと覚醒者になれた程度の才能では、どこまで強くなれるかもわからないと。むしろ戦うことを選んだからこそ、避けられぬ理不尽に弄ばれることになるかもしれないのだと。
クラスメイトとして学校で見てきた彼ではなく、消耗する道具を見る目でただ淡々とボクを見て、藤原君はそう言ったのだ。
悪魔と相対するには努力は当然の物とし、それ以上に才能がすべてであると。才能があっても当然死ぬことがあるが、才能がなければ戦うことすら儘ならない。
当たり前の事実の列記といった感じで放たれた言葉はひどく重かった。
それでも、何も知らないでいる恐怖を覆せるほどではなかった。ボクは、知らないまま抗う事すら出来ずにいられることが心底怖いのだ。
にたりと笑う犬の顔。それをきっと、死ぬまで、いや死んでも忘れられなかったのだから。
「藤原君!」
湯呑を茶托において上げた声は思ったよりも大きくて、ボクは落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせる。
「はいはい、今行きます。」
落ち着いた声。それにボクが自分自身に言い聞かせるよりもよほど気持ちが落ち着いた。
再び対面のソファーに腰掛ける彼の表情には説明の時とは違い厳しさはない。緩やかに弧を描く口元も目頭も柔らかい。
「質問、と言うわけではなさそうですね。それではどうするかお聞きしても?」
緩やかに切り出された言葉に唾を飲む。緊張。本当にいいのか。自分のこれからを決める言葉を口に出すことにためらいが生じる。グルグルと回る思考。落ち着きなく動く目。それが藤原君の目に捉えられた。
「ボクを、ボクを鍛えて欲しい。」
気がつけば逡巡もなく言葉が口をついていた。
じっとこちらを見つめる彼に動きはなく、ボクの心臓が苦しいぐらいに鼓動を速める。目をそらしたくなるのを、そらしたらだめだと必死に抑える。口から出る息の粗さに、口に力を入れてやせ我慢をした。
「……いいでしょう。私が面倒を見ましょう。」
「――ぅっ、ふぅー。」
一拍空いた返事に息が漏れる。安堵に力が抜け背もたれに体重を預けた。
そんなボクに苦笑しながら藤原君は学校でもよく見るいたずらっ子のような表情で言葉を発する。
「To Nobles Welcome to the Earth.――安寧に眠るモノよ、抗いの平原にようこそ。歓迎しますよ。盛大にね。」
無邪気で艶やかなその言葉が、ボクのデビルバスターとしての始まり。
ボクはきっと、悪戯気な笑顔に感じた高鳴りと抱擁されたような安らぎを生涯忘れることはないだろう。
主人公は精神改ざん系の魔法は苦手です。
才能が無いのもありますが、本人が他人の心を弄るのを毛嫌いしてしまっているのも原因です。
ただ、隠蔽や認識阻害などの自分が消える系統の魔法はしっかりと習得しています。