【カオ転三次】DRUG FATE   作:石は転がる

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幕間24

 じめっとした嫌な天気だ。

 

 夏を間近に控えたある日、梅雨の雨雲は厚く日本を覆っていた。

 暗く、重く、そのくせ降り出しはしない空。

 どうにも雨が苦手になったボクには、今日の天気だけで気分は最悪だった。

 吸い込む息の湿りけに、胸に籠る熱。そのくせ、ふらふらと頼りなく吹く風に晒された肌は、寒気がするほどに熱を奪っていく。

 

「二宮さん、どうされました?」

 

 心配そうな声が前から届いた。

 振り返りこちらを見る顔は頭一つ下から覗くように傾げられている。小さな顔だ。透き通った肌にスッと通った愁眉。青い瞳が覗くはずの場所には黒い布が巻き付けられている。普段は丁寧に纏められた髪が、今日は自然のままに流れていた。

 

「大丈夫、何でもないよ。」

 

「……体調が悪いようでしたらまた後日でも良いですよ?」

 

「本当に、大丈夫さ。ほらっ、待ち合わせ場所に向かおう。」

 

 優しい言葉が胸にしみる。

 ――ああ、本当に大丈夫なんだ。君が、すぐそばにいてくれるなら。

 いつも言いたくなる言葉を飲み込み、こちらをチラリと伺っている三角帽子にも笑いかける。

 

 

 ボクたち四人――僕と藤原君とヒルダとノーバディ――が居るのは広島の北部、鬱蒼と木の生えた山中だった。

 今日、こんなところに来ているのは他でもない、ボクたち三人に藤原君から指定された依頼の為だ。

 

 依頼の内容は山中にある廃墟に出来上がった異界の最深部までの護衛。護衛対象が異界の主と接触するまで守ることだ。

 異界になった廃墟は昔の採掘施設の一つらしい。

 かつては今歩いているあたりも鉱山の一部だったと資料にはあった。しかし、すっかり落ち葉と雑草に覆われている今の光景からは、かつての姿は想像もできない。

 異界内部の調査も既に行われておりマップは存在しているし、道中の悪魔や何なら主の姿も確認されている。その主に問題があったため、調査した異能者は異界の破壊をしないでガイア連合に通報して、今回の依頼に繋がることになったのだ。

 

「おろ? 異界が見えてきたね!」

 

 前を歩いていたノーバディが調子はずれの鼻歌をやめ、手で双眼鏡を作るポーズをして森の先を見ていた。

 後ろから見える彼女の格好は色々とすごい。背中は丸出しでひらけた脇は素肌を惜しげもなくさらしている。チューブトップとマイクロミニのショートパンツの上に、サテンレースの布を首から垂らすだけの装いはびっくりするぐらい煽情的だ。

 

「ノーバディ、警戒は解かないの。一応封鎖されているとはいえ簡易でしかないのよ。」

 

 ノーバディと並んで前を歩いているヒルダが軽くたしなめている。

 煽情さではヒルダも負けていない。後ろからは黒い肩掛けマントに三角帽子しか見えないが、前から見れば透ける生地で作られたワンピースが視界を占めるだろう。大事な部分は一応隠れているのだが、それが余計に局部を意識させてしまうデザインだ。

 

 二人に比べれば僕の装いは普通のものだ。

 チューブトップにショートパンツはノーバディと同じだが、その布面積は広いしちゃんとジャケットだって羽織っている。手足を覆うオペラグローブとサイハイソックスの組み合わせはナインズ御用達で藤原君配下のトレードマークのようなものだ。

 三人とも薄着で山歩きには向いていない格好だが、そんな常識は“霊装”には通じない。多少枝に引っかかろうがほつれ一つなく装備は健在だった。

 

 そんなことを考えていると、ボクにもやっと廃墟の姿が見えてきた。

 鬱蒼と壁を伝うツタに、漆喰が剥げて中のレンガ積みが晒された外壁。窓は板が打ち付けてあったのだろうが、風雨に劣化してそこらに散らばっているのが見える。屋根は落ちていて光が通るはずなのに、ぽっかりと空いた出入り口から先は闇の中に沈んでいた。

 

 空の陰りなど理由にならない。一般人が見ても肝が冷えそうな異質さが見て取れた。

 その廃墟の前に人影が二つ。どうやら待ち合わせに遅れて到着したのはボクたちのようだ。

 

「お待ちしておりました。本日はよろしくお願いします。」

 

「お待たせした様で申し訳ありません。本日はよろしくお願いします。」

 

 代表者同士の挨拶として藤原君と相手の神父が握手を交わす。

 年のころは四十歳ほどだろうか。普通のカソックの上にガンホルスターを吊るし、腰に短剣を佩いた姿は映画俳優のようだ。傍らに置かれたフライトケースで持ち込んだものだろう。

 

 藤原君と神父が社交辞令的に協力の感謝やこれからもよろしくと話している間、その神父の後ろからチラチラこちらを見てこっそり手を振るのは金髪を靡かせた美しい少女だ。

 白いワンピースドレスの上に装甲を足したような趣味的な格好は、おそらくガイア連合産の装束だろう。腰に吊るしているのはボクが使う剣よりも細身の直刀だ。

 

 ――もしや、とは前から思っていたが本当にそうだったのか。

 

 彼女はボクの同級生だった。

 同級生とは言ってもそんなに話したこともない。学校では普段から物静かで、誰かといるところを見たこともないような生徒だ。ただ、昼休みに必ず温室に現れて昼寝をしていくので顔はよく知っていた。

 その時の藤原君の様子がちょっといつもと違っていたので、何となくオカルト関係者でないかと疑っていたのだが、ガイア連合で顔を見かけなかったために勘違いかと思っていた。

 

 会話をしている二人を窺ってから、こっそり手を振り返してあげれば彼女の顔がほころんだ。散々『メシア教』というものについて脅されたが、クラスメイトがいるなら安心だろう。

 

「お頼みしたいことがありまして。よろしければ弟子のアイズも戦闘に加えていただけないですか?」

 

「既にご承知かと思いますが、本日依頼をこなすのは弟子の三人になります。話がおありでしたらそちらと相談して決めていただきたいと思います。」

 

 どうだろう?と話を振られて弟子三人で顔を見合わせる。上の空でよく話を聞いていなかったが同級生も一緒に戦ってくれるという事だろう。

 ボクが頷くとノーバディも賛成と大きく手を挙げ、それを見たヒルダもため息を吐いて了承した。

 

 『何が出来るの』『前衛』『それならノーバディのサポートを――』とおずおずと神父の陰から出てきたアイズとヒルダが軽く打ち合わせをしていく。

 お互いの出来ることに動き方、指示の出し方に戦利品の配分。話すことはいくらでもあるけど、手早く纏めていくヒルダに僕は感心してしまう。異界に数度しか行ったことの無いボクと比べなくても経験が多いのだろう。ちょっと尊敬する。

 

「すいません。一つ伺いたいのですが、本日の護送の相手は神父お一人という事でよろしいのでしょうか? お弟子さんも護送相手に含まれるとの事でしたら、申し訳ありませんが戦闘は控えていただきたいのですが。」

 

 だから話も纏まり、さあ、出発だという時に藤原君が上げた声には逆にほっとしてしまった。先輩で、何時も面倒見てくれていた彼女もまだ未熟で、僕と同じ藤原君の弟子だと感じられたから。

 顔を真っ赤にして帽子で顔を隠すヒルダをノーバディが揶揄い、それをアイズがおろおろしてこちらを見てくる光景はとても異界突入前とは思えない。でも、ボクたちはこれぐらい肩の力を抜いたほうがいいのだろう。

 

 だって、藤原君は笑ってボクたちを見ていたのだから。

 

 

 

 異界の中は不思議な光景だった。

 むき出しになったレンガは見えず、漆喰がきれいに塗られて白い壁が延々と続いている。道幅は車道よりも広い。たまに道を塞ぐように五人は座れそうなベンチが二つ、横並びに並んでいる。

 外では抜け落ちていた屋根は三角屋根の骨組みだけがあり、燦燦とした日差しと木々のざわめきが空から降り注いでいた。試しに駆けあがったノーバディーが間を抜けようとしてみたが、何も無いはずの空間に壁でもあるかのように押しとどめられてしまった。

 室内はほこり一つなく清潔で、壁の燭台ごとに花束が飾られ花の香気が異界を漂っていた。

 

「よし、情報通りね。」

 

 ヒルダの呟きにボクたちも頷く。

 そう、情報通りだ。薄汚れた廃墟には似つかわしくない風景だが、事前の偵察からは変化があったように見えない。

 

「ヒルダちゃん、マッピングはよろしくねー!」

 

「はいはい、ノーバディも前に出過ぎないようにね。」

 

 2m近い大剣を軽々と構えたノーバディが前に出る。

 事前の打ち合わせ通りにノーバディとアイズが前に出て、その後ろにヒルダが控える。さらにその後ろに護送対象の神父が続き、後ろを僕が警戒する。藤原君は一応神父と並んで居るが、いないものとして扱うことになっている。彼はいざという時のサポートなので隠形をしてついていることになっていて、実質居ない様なものだからだ。

 実際、今も前にボクの前に式神を連れているはずなのだが度々見失ってしまう。ボクぐらいの実力だと、居ることを知っていて目で追っていてやっとたまに捉える事が出来る次元の隠形だ。

 

 中程にいるヒルダがマッピングをおこないながら進んで行く。その時、事前に配られた地図と比べながら進んで行くことになる。

 なにせ事前に清書されたマップが正しいとは限らない。嘘を報告することはなくても時間経過で変化している可能性はあるからだ。

 短時間で急速に変化することはまずないが、異界で起こる例外など命にかかわる危険でしかないので早めに気が付けるように動く事をボクたちは教えられていた。

 

 長い廊下を歩いていくが、木立の音に明るい日差しは随分と平和的でここが危険な異界とは思えなくさせてしまう。むしろ、梅雨空の外よりも居心地が良い。

 一つ、二つと分かれ道を事前のマップ通りに過ぎると緊張感の維持が難しくなってきた。歩くごとに後ろを警戒するが後ろからは物音ひとつしない。

 

「前方上方、敵3! 鳥!」

 

 鋭い声が響いたのは、実はこの異界には悪魔がいないってことはないのだろうか、なんてことを考えていた時だった。

 

 ――すぐに意識を入れ替える。

 

 まず、ボクがするのは前の敵を確認したい欲求を抑えて敵に背を向けることだ。

 背後の確認。敵の隠れる場所もなく、遠くから駆けつける音も聞こえない。

 

「背後、敵影無し!」

 

「アナライズ! 弱点、氷結、衝撃!」

 

 声を上げながら半身になって顔だけ前に戻し敵を見る。

 敵は梁の陰から出てきたのだろう。空を踊り、すでに接敵したノーバディが豪快に叩き落とした敵影が見えた。

 人魂のような頭をした丸鶏、だろうか。ふらふらと頭を揺らし起き上がろうとしている。

 

「霧の国の風よ、来たれ!」

 

 ちょうどそこにヒルダの魔法が直撃する。瞬く間に凍り付き、そのままバラバラに崩れ落ちる。

 氷の魔法。藤原君はブフと呼ぶそれは、一度囚われれば逃れえない凍結の檻だった。

 

「ギュィアゥ!」

 

 そこに気味の悪い鳴き声が響く。頭上から向かってくるのは一体の凶鳥だけで、もう一体は口に火を蓄え吐き出そうとしていた。

 

「――やぁっ!」

 

 声と共に地上から風が吹き荒れる。アイズが力を込めて降り抜いた細剣から弾け飛ぶように風の塊が敵に向かったのだ。いくつもの塊がばらけて向かい、落ちるように飛び掛かっていた一体が弾け飛んだだけでなく、火を噴こうとしていたもう一体にも当たりその動きが止まる。

 

 それを認めてボクは左腕に力を込めた。

 光が集まる。

 前へと伸ばした腕に次々と光が飛び込んでいく。

 

 この光がなんなのか、実によくわからない。ただ、魔法を教わった日から出来るようになった技だ。

 まるで、忘れていたことを思い出すように、今まで出来ていなかったのがおかしかったかのように。突然出来るようになった技だけど、すでに使い方だけはよくわかっていた。

 

 光が溜まる。

 腕は溢れ出すかのように光が漏れている。

 

 意気込みは要らない。ただ、当然そうであるように。

 ――放つ。

 

 光が空に延びた。

 光は進路上にあった悪魔を消し飛ばし、なおも勢いをお落とさず異界の天井へと向かい――そこを突き破ってどこかへと消えていった。

 

「残敵なし。周囲を警戒して。」

 

 技の余韻に浸ったボクを、ヒルダの指示が気を取り直させた。

 慌てて後ろを振り返る。上下左右に目を配る。後ろは戦闘なんてなかったのかのように異常がなく、静かなものだった。

 

「背後、異常なし。」

 

「前からも敵は来てないよー。」

 

「ノーバディ! 異界でくらい、真面目にやりなさい、もう!」

 

 いつもの注意に悪びれることなくノーバディが笑い、その間にヒルダが各人を見渡す。何時もならこのまま進むのだが、今日はお客さんがいるのでそちらのコンディションもチェックしなくてはいけないからだ。

 

「アイズも怪我はなさそうね。消耗は?」

 

「ん、大丈夫。」

 

「そう。神父もお変わりないですか?」

 

「ええ、傷一つありません。」

 

「それでしたら、このまま進みたいと思います。」

 

 ヒルダの確認を聞きながら、私も自分の体調を把握する。

 怪我はない。が、光弾を放ったせいで肉体に蓄積していたマグネタイトが減少しているのが分かる。

 

 ――なので、意識して大きく深呼吸をする。

 大気に漂うエネルギーを漉し採る様に、或いは組み替える様に取り込むイメージ。

 弟子だから教えて貰えた、ナインズの奥義にして基礎の基礎。空間のMAGを無害化して自分のモノにする技術は、訓練はしているがまだまだ未熟なので特別な保護フィルター必須だ。しかし、未熟な腕前でも一呼吸ごとに体が楽になっていくのを感じた。

 

「ヒルダちゃん、戦利品の回収したぞぉ!」

 

「そう。――ノーバディ、アスカ、このまま進むわよ。」

 

「オッケー!」

 

「了解。」

 

 お互いに組んで長い。各自の消耗具合ぐらいは報告し合わないでも分かるため、言葉少なに前進を再開した。

 

 

 異界の景色は変わらない。

 白い廊下が続き、時折分かれ道や広間のような空間があるだけで悪魔との遭遇は散発的であった。遭遇する悪魔も種族は違うのかもしれないが鳥ばかりで、せっかくの飛べるというアドバンテージが天井の高さに制約されて手古摺ることもなく討伐することが出来ていた。

 

 順調に先へと進んで行く。

 見飽きるぐらいに変わり映えのしない廊下を進むと、白い壁を彩る花々の芳しい香りが鼻をくすぐる。一応、何らかの罠ではないかと確認もしているが、花は本当に何の変哲もない物で怪しいMAGの形跡もなかった。

 

 歩いて歩いて歩いて歩いて。

 事前の調査通りの道順で進んだ先に、その広間はあった。

 

 ステンドグラス。剣を抜いた赤い天使の絵が大きく腕を広げて向かえ入れている。

 長椅子。今までも廊下にあったベンチが奥に向かって歪みなく均等に几帳面に並ぶ。

 祭壇。その奥に、自分こそが祈られる者だと主張するかのように、堂々と羽を広げた天使がステンドグラスに見下ろされるように浮かんでいた。

 

「あぁ、ここが最奥ですね。ガイア連合に皆さま、護衛ありがとうございました。」

 

 今まで大人しく率いられていた神父が前に出る。

 ボクたちも一緒に前に出るべきか、そう迷ったけど気が付いたら藤原君が先頭に立ち、立ち止まっていたのでボクたちも広間の入口から動かないでいた。

 

「私の世界に誰か入ってきたと思っていましたが……お前たちですか。」

 

「お初にお目にかかります。私はメシア教で司祭を拝命しております福留と申します。よろしければ、天使様の位階を伺ってもよろしいでしょうか?」

 

 聖堂の奥、普通なら十字架の掛けられる場所に浮かぶ天使の言葉に緊張する。と言うか、人型の悪魔を見たのが初めてで、それだけでも緊張している。

 力強い顔立ちに、鎧を着たがっしりとした体躯。流暢に言葉を交わす姿は翼さえなければ人間のようにも見える。

 

 ――ただし、気配を除けばだ。

 

 遠目に眺めているだけなのに、視線を向けられただけで圧力を感じて強張る。ただ居るだけで、相手は人間ではないと知らしめる雰囲気は、なるほど、悪魔のものだ。

 

「薄汚いネズミが迷い込んだのかと思いましたが、礼儀は弁えているようですね。よろしい。私は天使アークエンジェル。地上に蔓延る悪を討つ為に降臨しました。」

 

「名乗り上げていただき、ありがとうございます、大天使様。早速ですが、我々が本日、大天使様に拝謁させていただいた理由を説明してもよろしいでしょうか?」

 

「……どうやら初めから私に用があったようですね。良いでしょう。申してみなさい。」

 

 天使の許しに深々と頭を下げた神父が体を起こし、よく通る声で説明を始めた。

 

「昨今、世が乱れ悪魔や異界が多く表れております。我々は人々を守るべく、見つけた異界を封じて回っております。しかしながら、力足りず、人々に被害を出してしまうことも少なくありません。が、そのような時にに天使様が主を務めている異界の話を伺い、お力添えいただけないかと参りました。我々のもとに来ていただき、そのお力を平和のために振るっていただけませんか?」

 

「この異界を消せ、と?」

 

「はっ。申し訳ございませんが、ここは場所が悪く一般人に被害が出かねません。」

 

「…………。」

 

 沈黙が場を占める。

 ここからは神父の真っすぐに伸びた背筋しか見えないが、言葉に節々に震えが混じっているのに気が付いた。そんな神父の様子を目を細めて見つめる天使の内心はボクにはうかがい知れない。

 

 重い空気に飲まれないよう、ボクは意識して一つ、二つと呼吸をする。空気に飲まれ、実力を発揮できない間抜けを藤原君の目の前で晒すわけにはいかない。

 そうして意識を整えていると、日に照らされ神々しいく輝く天使の甲冑がガチャリと音を立てた。

 

「よろしいでしょう。人々のために我が身を削るそなたの献身、このアークエンジェル確かに認めました。この異界は閉じ、そなたの信仰の道行きを見守りましょう。」

 

「おお、感謝します!」

 

「――では、さっそく邪悪を誅しましょう。」

 

 話がまとまり、一件落着――そう肩を力が抜けた時に発せられた敵意に慌てて身構える。

 前を見ればヒルダがため息と共に構え、ノーバディは知ってたと苦笑している。アイズも思わず構えているが、きょろきょろと困惑を隠そうともしていなかった。

 

「お待ちください。彼らはガイア連合と言いまして、我々と協力して人々を悪魔の脅威から守る者たちです。どうか矛を収めていただけませんか!」

 

「あぁ、かわいそうに。そなたは魔女にたぶらかされてしまっているのですね。ああ、何たる邪悪! これほどに神に仕えるモノを魔導で貶めるとは! すぐにその呪いから解放してあげます。そなたは下がっていなさい。」

 

「ぇ? あ、い、いや、違います。私は魔女なんかに誑かされては、い、いない、はずで――」

 

「それでは、なぜそなたは異端者と共にここに来たのですか。」

 

「――え、あ、…そうだ。魔女は、異端、だ? 異端が、人を、救うなんてありえない。あれ、でも、ガイア連合――?」

 

「ああ、混乱してしまって。安心しなさい。すぐに終わりますよ。」

 

 おろおろするだけで止めもしないどころか呂律も怪しくなる神父を、天使が優しく押しのけボクたちと正面から向き合う。

 

 足の痛み、臓腑から冷える感触、吐き気。

 チリチリと背筋を焦がす緊張感と共に感じるそれは、ボクにとっては敵が自分より格上であることを知らせる合図だ。

 ――怖い。

 ニタリ、締まりなく笑う顔が、脳裏に浮かぶ。格上相手にはいつもこうだ。怯え、縮こまり、逃げ出そうと足が震える。

 

「アナライズ、弱点、氷結・呪殺。無効、破魔。」

 

「ぬふふ、ヒルダちゃんの良い所、朱莉に魅せられるね!」

 

「……ノーバディ、後で覚えてなさい。あと、今は9Sでしょう。」

 

 軽口。二人にとっても格上のはずなのに、いつもと変わらない。

 ――ああ、そうだ。ボクは、孤独じゃないんだ。

 緊張で震える息を整える。剣を振るうのに力みは要らない。一度手から力を抜き、ゆっくりと小指から力を入れ直す。

 大丈夫。しっかりと握れた。

 ――ボクは、戦える!

 

「……ここまで、ですね。」

 

 上がった声に、白銀に気が付いた。

 また見失っていた。藤原君は最初の場所から動いていなかったというのに。ここに存在していたことすら忘れさせられていた。

 

「三人ともお疲れさまでした。護送の依頼は終了したので、ここから先は私の仕事です。」

 

 彼が、ここに居る。

 ただそれだけの事で、危機感も何もかもが消し飛んだ。

 

「二宮さん、これが“メシアン”と“天使”です。天使の命令なら、友好も契約も投げ出し、誰でも贄に捧げるサタニスト。己の芯を悪魔に売り渡したが故の揺るぎ無さは、人によっては魅力的に見えるしょう。しかし、普段どれだけ人が好く見えても、彼らは善意で悪逆を成す。

 ――メシア教というのは、その本質は悪魔の家畜です。」

 

 神父に対して、藤原君に驚きも落胆もない。当たり前のことが起きたのだと、いつもの授業のようにボクに語り掛けてくる。

 だから、ボクは何時ものようにその言葉を心に刻む。

 困惑のままに、誰に剣を向けたらいいのかも分からずに立ち尽くす級友を視界に入れながら。

 同時に、神と天使への祈りを捧げ始めた神父を見据えて。

 

「何者ですか、あなたは。」

 

 戸惑いと警戒、だろうか。

 今まで余裕を見せていた天使が始めて困惑した声を出した。ボクらにとって格上の悪魔でも、藤原君には気が付けなかったという事なのだろう。

 

「私が誰か、それよりも大事なことがあります。あなたは、この場を出て、何をするつもりですか?」

 

 貼り付けた微笑みを浮かべた藤原君からは、今、目の前にいても何も感じられない。場に満ちる緊迫も威圧も、何もないかのように凪いだ姿だけがそこにあった。

 

「知れたことを。異教のこの地に、神の法を敷くのです! 異教に犯された者たちを、一人でも神の導きによって道を正すのです!」

 

「そのために、気に入らない者は殺すので?」

 

「あなたも、魔女に唆されましたか。御安心なさい、異教の子よ。すぐに魔女は去り、あなたも神の御心を知るでしょう。信徒の少女と共にそこを離れなさい。」

 

 話が通じているようで、会話にならない。

 激昂した次の瞬間、穏やかに諭すように微笑みかける。情動が不安定なのではなく、抑制が不完全とでもいうべき欠落。

 

 それに続けて言葉を発しようとして、藤原君は言葉を切った。

 そしてため息。

 諦めたかのような、徒労に疲れたかのような、何とも言えない重い嘆息。

 

 切り替わるのが分かる。

 恐ろしい。気配の硬質化、あるいは虚無化。奈落を覗くような、降り注ぐ星を下から見上げるような底知れなさ。

 存在感が〇から一に。ただそれだけで在り方が違える。

 

「神父。事前の契約通り、これよりはこちらで処理させてもらうことを宣言する。」

 

 言葉の後に、突然絶叫のような歌声が異界に叩きつけられた。

 

 ――恐ろしき方よ。恐ろしき方よ。

 

 繰り返される悲鳴のような嘆願。救え、救えと縋りつくような声。重厚な弦楽器の調べ。

 ボクたちしかいないはずの異界が、誰かの奏でた音の幻聴に塗りつぶされる。

 

「この力は…!? 何者だ、あなたは!」

 

 初めの問いかけと同じようで、その切迫さはまるで怯えのようで。

 

「見上げるのも面倒だ。“平伏せ”。」

 

 それを、ただ不快そうに踏みにじる舌打ちが、現実の世界に聞こえた。

 恐ろしい圧迫感。藤原君から伸びた思念の糸が、囂々と音を立てそうな力の奔流となって天使を地へとねじ伏せた。

 

 身震いする。

 手を伸ばすように、何でもない事のように行使された力は、ただそこに重く固く厚く破滅的な何かが“在る”事を、未熟な霊感にすら叩きつけてくる。

 それなのに、“在る”はずの力は、天使を叩き落とし縫い付ける以外には世界に何も影響を及ぼしていない。

 

 ――恐ろしき方よ。恐ろしき方よ。

 

 天使とは比べ物にもならない後光に世界が照らされる。白金の芳香は芳しく辺りを塗り替え、繰り返される賛美の歌声が世界を震わせる。

 

「まさか、あなた様は! そんな、まさか?! あぁあああ、いや、違うっ、違う、貴様は、ああ! そうだ、お前はヤレドの――」

 

「貴様らは、いつも誰かと私を間違うな、ペ天使。」

 

 翼をへし折られ這いつくばる天使は、藤原君に一体何を見たのか。

 

 ――光り輝く大王よ。

 

 藻掻くことすら出来ない中で、顔だけを必死に上げ何かを知らしめようとするが、歩み寄った彼に冷ややかに打ち捨てられる。

 

「お前たちは、天使は、神を意志を何よりも雄弁に語っているだろう。ならば、この烙印とてお前たちには効くまい。誰よりも正しく、神に従っているのであれば。」

 

「やめろ、やめてくれぇ! あぁぁああ、神よ、神よ!!」

 

 藤原君の差し出す手から何かのスキルを使っている力の流れが見える。その手から、逃れようと這いずる天使の姿に初めに感じた圧倒される存在感はない。恥も外聞も放棄して逃げようとするとは、いったいどんなに恐ろしい力なのだろう。

 

 ――救われるべきを救われるお方よ。

 

 嫌々するような無様で決死の抵抗を無下にして、躊躇いもなく藤原君は天使の額に手を当てた。

 

「ぎぃぃいいいいいいいぃいいっぁあっぁあぁああぁあああああ?!?!?!」

 

 ただ、額に触れられただけの天使が、あらん限りを絞り出したような悲鳴を上げた。

 絶叫とも唸声とも違う、本当に臓腑の全てを吐き出そうとする叫びは、酷く、恐ろしい。

 叫んで、叫んで、叫んで、急にぱたりと力尽きた。

 

 ――尽きぬ慈悲よ、私をお救い下さい。

 

 恐々と前を覗くが、跳ね回ることすら許されずに倒れ伏す姿の外見に異常はない。

 

 藤原君はその姿を確認するまでもなく、手を放した後は興味を失ったかのようにこちらへと歩を進めている。

 

「その薄汚い性根を浄化されて消えろ。」「ハマオン」

 

 独り言のように呟かれた言葉に、問い返すまでもなく彼の式神はその力を解き放った。

 淡く灯るような清浄なる光。そんな浄化の光が天使を包み込み、その身を解いていく。

 

「アイズ、その悪魔の残留物はくれてやる。」

 

 通り過ぎ様、級友に声をかけた藤原君はそのまま通りすぎ、異界の崩壊にほつれた空間を外へ繋ぎ歩みを進める。

 藤原君は振り返りもしない。その背にはいつの間にかに彼の式神が控えている。

 

「今日の異界はそれほどでもなかったわね。」

 

「にひひひ、今日も私っ、大・活・躍!」

 

 何事も無く続く姉弟子二人。屈託なく笑いあう姿。

 そこに合流しようと思うのに、足が一向に動いてくれない。

 

 視線の先の外は、異界に入った時よりも暗く重く雫すら降り注いでいた。

 雨。

 危険なはずの異界の穏やかな日差しとブーケの香り。守った平和が広がるはずの暗雲広がる世界。

 

 黒雲の現実に向かう彼の背中は遠く、ボクは手を伸ばすことすら出来ない。

 離れるごとに心細さが募るのに、力におびえたボクは動くことが出来ない。

 身勝手で、恥知らずで、臆病なボクに、自分で自分の事が嫌いになりそうで。

 

「――どうしました? 行きましょう。」

 

 そんな弱虫なボクに、彼は振り返り手を伸ばした。

 きっと、いろいろ鋭い彼は、ボクが彼に怯えていることにも気が付いてしまっている。眼帯を外し、柔和にほほ笑みを浮かべて気取られないようにしているつもりで、ちょっと差し出す腕に迷いがあったのがボクには分かった。

 

「まったく、世話が焼けるわね。」

 

「ほら、帰ろう?」

 

 そんな手を差し伸べることにボクが悩ませてしまった彼の横を通り抜け、ずんずんと戻って来たヒルダがボクの腕をつかみ、ノーバディは優しく背中を押してくれた。

 

「朱莉の傍だと雨も避けて通る傘要らず!」

 

「韻が悪いわね。まあ、車まで濡れないで済むのだから近くにいましょう?」

 

 彼女たちの大切な人に怯えてしまったボクの気持ちを理解して、それでもそっと寄り添ってくれる二人に泣きたくなる。

 肩と腕から伝わる暖かさ。先ほどまでと違って、軽やかに足は前に進んだ。

 

「やれやれ、雨は嫌でしょうけど私が傘になりますので帰りましょう。」

 

「――うんっ。」

 

 誤魔化しの配慮に胸が熱くなる。

 きっと彼は、ボクが彼を嫌ったとしても今までの様に笑顔を見せて、ボクのために出来ることをするのだろう。今だって、きっとボクの拒絶に傷ついている。

 そのことを、ちょっと痛いぐらいに握りしめてくるヒルダとノーバディの心遣いが教えてくれていた。

 だから、何か、彼に、もう気にしないで良いと伝えられないか、一生懸命考えて。

 

 ほっと力を抜いて伸ばした手を下ろそうとした彼の腕に、ボクは飛びつくようにして抱え込こんで離さないのであった。

 

 

 ――いつの間にか、歌は消えていた。

 




広島と長崎では『天使』が発生しやすい設定になっています。
その天使を問答無用で滅ぼすのは『メシア教』に敵意を持たれかねないと考え、天使を発見した時はメシア教に知らせて説得を任せるようにしています。
まあ、天使相手の精神防御がガバガバなメシアンがちゃんと説得できるかどうかって言うと今回の話のようになるんですが…。

弟子たちの装備ですが簡易式神やアガシオンはすでに与えています。
しかし、修行中の身なので主人公が付き添う時は使用を禁じています。

捕捉:BGM魔法
集合的無意識との繋がりを強化することを目指した失敗魔法。
本来は『他者からの印象の象徴化』による集合的無意識との接続の効率化を目的とした魔法。
しかし、主人公のペルソナ使いとしての才能がなさ過ぎてたため、魔法使用時は集合的無意識とのラインが閉塞してしまう事になる。
出力を増しての使用時に精神波で歌が流れるが、これは他者が考える主人公に最もふさわしい印象がライン越しに音楽として漏れ出てきているためである。

魔法自体は失敗作のため自己強化としての効果が無いのだが、副次的に集合的無意識からの干渉や精神への攻撃の防壁になる。
その為主人公は常駐させている防護魔法の一つにこの魔法を入れている。別術式が開発されれば入れ替えるだろう。
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