【本編完結】慟哭の龍【挿絵有り】   作:ロウシ

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第二話:アポローンとデュオニソス

1.

 

 

 極論を言えば、科学的に検証した場合、格闘技には必勝法が存在する。

 それは極々単純な話で、相手の攻撃の際には相手の攻撃の射程の外に待機し、こちらの攻撃の時は、相手の攻撃に合わせて半歩踏み込んで、急所を思い切り打つ──これだけだ。

 この要決は格闘技だけではなく、この世に存在しうるあらゆる闘争に当てはめることができるだろう。

 当たらず、当てる。

 要するにこれだけなのだから。

 では、そんな簡単なことがなぜできないのか? という話をするのなら、人間には個々人に差異がある反射神経というものがあり、動物には先天的に他者の気配を察知する能力があり、強すぎる武器兵器の場合は「それ」を持つこと自体が抑止力であり、「それ」を互いに持ったならばその存在自体が牽制の役割を果たし、「それ」を使うことがなくなるからである。

 反射能力に疎いものが、鍛え上げた人間のジャブを回避することは困難である。

 逆に反射神経が生まれ持って鋭いものには、鍛え上げた人間であれジャブひとつ当てるのに苦労する。

 筋質や骨格も極めて重要になる。 

 人間は、恵まれたものならば、鍛えれば一〇〇メートルを九秒とかからずに走破できるものだが、逆に言えば恵まれぬものは、どんなに鍛えても一〇〇メートルを九秒で走破することはできない。

 この個々人の才能、性質の差が、古今東西のあらゆる競技をエンターテイメントにたらしめている。

 優劣があるから競い合えるし、競い合う価値があるのだ。

 

 そして、今日(こんにち)ここにいるふたりの男は、その反射神経も、生まれ持った筋骨も類まれでありながら、その恵まれた肉体を操作する能力においても、超一級の才覚を持って生まれている。

 

 葛城無門とマホメド・アライJr.──

 

 ふたりの天才の火蓋が切って落とされた。

 

 

2.

 

 

 無門は考える。

 アライJr.の戦法、能力を。

 まず、どうするのかを。

 とりあえず、不意にジャブを打たれても即応できるように、踵を上げ、膝を曲げ、腰を落として、どのような攻撃が来ても、前後左右に自在に動ける構えで待つ。

 アライJr.は、身体を上下に振っている。

 ザッ、ザッ、という心地の良いリズムを刻むステップに合わせて、前に構える左拳が肩の位置から少しづつ位置と向きを変えているのが無門にはわかった。

 警戒すべきはジャブだ。

 アライJr.。

 見た目にはスラリとしていかにも線が細そうだが、実際はヘビィ級のフィジカルである。

 これは父であるマホメド・アライもそうだった。

 マホメド・アライを現代で分析する際に、「ヘビィ級にしてはパワーがない」ことは必ず挙げられる欠点であるぐらいだ。

 それでいながら、一回戦でアントニオ猪狩にただの一撃も貰わずに完勝するほど動きは滑らかで、速い。

 ジャブの速度、タイミングはその猪狩戦で、無門は推し測ってはいたが、それゆえに乱打されれば被弾は避けられない、という確信を持っている。

 ただ、最初の一撃はハズす。

 乱打の流れの中で、二、三発もらうのは構わないが、初撃をもらうのはあまりにも分が悪い。

 心象的にも、最初のジャブをもらえば不安になるが、躱せるなら、それが少なからず自負につながる。

 無門は手を広げた。

 顔を少し前に迫り出す。

 ほら、ここを打ってこい。

 おれの顔のど真ん中がガラ空きだぞ。

 おいしそうだろう?

 この姿勢からじゃ、ジャブは避けれない──そう思う構えのハズさ。

 にぃ、と無門が口角を持ち上げた。

 何もない間が過ぎる。

 観客から「手を出せよ!!」だの、「ビビってんのか!?」だのヤジが飛び始めていた。

 

 アライJr.は構えを解いた。

 無門の眼が、驚きによって微かに広がる。

 アライJr.はそのまま無門に背を向け歩き、闘技場の柵に背を預けると両肘を柵の上に乗せて、無門に向かって嘲笑を飛ばした。

 アライJr.が顔を傾ける。

 視線の先には徳川光成がいた。

 

「ゴローコー」

 

 おどけた口調であった。

 

「ミスター・無門ハ、戦ウ意志ガナイラシイデス」

 

 闘技場がざわついた。

 何言ってんだコイツ、だの。

 いや、ならオマエから攻めろよ、だの。

 アライJr.の言葉に非難を投げるものがいる。

 同時に、いいぞJr.! 無門逃げてんじゃねーぞッ!! という、アライJr.を肯定しつつ、無門を非難する声も多かった。

 事実、無門はムッと来ていた。

 それが挑発、見え透いた煽りなのは目に見えているが、言われたからにはムッと来るのは仕方がない。

 無門は、

 

「しょうがないなあ」

 

 と、自らを落ち着ける言葉を吐き、重たい腰を上げる。

 アライJr.の間合いに踏み込んだ。

 もっとも、これは当然ワザとである。

 無門の視線、もっと言うと意識は、アライJr.の足に向けられていた。

 ジャブにせよストレートにせよ、足の踏み入れ具合でリーチがわかるからだ。

 ジャブは、目で見て躱すことはできない。

 並のボクサーのジャブなら問題ないのだが、使い手がアライJr.となれば話は違う。

 だから、拳を見ない。

 足が動く瞬間を見定める。

 足が動く瞬間に、その足が踏み込んだ分だけ、跳びのけばいい。

 足の体移動のない手打ちで来るかもしれないが、そんなものはパワーもスピードも乗らないから怖くない。

 もしそれを打ってきたら、当たってから無寸受けで勢いを殺し、低空のタックルで寝技に持ち込める。

 アライJr.の踏み込みを無門は見た。

 その分、着地と同時に素早く身を翻す。

 

 ──パァン!!

 

 え?

 と無門は思った。

 痛みがある。

 鋭い痛みだ。

 厚みのあるカミソリを、鼻の頭に押し当てられたような痛み。

 当たった?

 浅くだけど、当たってる。

 読み違えた?

 距離を。

 違う、読み違えているワケじゃない。

 思った以上にアライJr.の拳が伸びてきたのだ。

 同じ踏み込みで、しかし、アントニオ猪狩に放ったジャブとはまるで別物を打ってきたのだ。

 よし、なら、この引き戻しに合わせる。

 遠のく拳を追いかけるように踏み込む。

 そうすれば、必然的にインファイトに持ち込めるし、アライJr.のパンチが効果的ではない場面で勝負ができる────

 ────?

 あれ?

 なんで、地面がせり上がって……?

 

 

3.

 

 

 無門からダウンを奪ったのは、アライJr.の右ストレートだった。 

 ジャブの引き手に合わせて放たれた、肩からまっすぐに走る、いかにも教科書的な、お手本そのものなストレート。

 それが、微かに身体が前に出た無門の顎の下を通り抜けた。

 無門は反応すらできていない。 

 何が起こったのかさえ、わかっていないだろう。

 地面に手をついて身体を起こそうとするその顔が、驚愕に彩られているのがその証拠である。

 

 逡巡する。

 あれか?

 あれだ。

 殺意のないパンチ。

 あれを食らったのか。

 猪狩さんが食らってた時は、なんで反応できないのかと思ったけど──

 実際にくらってみると、全然見えないや。

 くそっ。

 

 無門が闘技場をごろごろと転がり、よろけながら立ち上がった。

 なんと不恰好なのだろう。

 だが、負けるよりは不恰好がマシだ。

 それより、アライJr.。

 なぜ、追撃しなかった?

 スタンドで勝負を決められると思っているのか?

 にしても、踏みつけすらしなかったのはどういうことか。

 ダメだ。

 考えるな。

 考えがまとまる状態じゃない。

 まだ脳が揺れている。

 反撃ができる状態じゃない。

 足は、しっかり地面を意識している。

 回復の時間が必要だ。

 

 ちぇ、と無門は言った。

 

「もっとカッコよく戦うつもりだったのになァ……」

 

 無門の体勢が整ったのを見計らってか、アライJr.が動き出した。

 

 

4.

 

 

 躱す。

 躱す。

 アライJr.のパンチを、無門が躱していく。

 左右を交えるパンチの連打がかすりもしない。

 見事なディフェンスワークであった。

 アライJr.から一定の間を維持して、アライJr.が踏み込むのと同じ分だけ、無門が斜め背後に跳んでいる。

 結果として、相対する距離が変わらないのだから、パンチは空を切る。

 たまに、あの伸びのスゴいパンチは当たってしまうのだが、そのパンチは当たった瞬間にさらに半歩身を引いたり、顔を回転させたりして威力を削いでいた。

 反撃はしない。

 反撃の準備が整っていないからだ。

 必ず斜め後ろに跳ぶのは、まっすぐ下がって柵に追い詰められないようにするためだ。

 だから、柵の位置も、自分とアライJr.の位置も、常に意識している。

 逡巡する。計算する。脳が熱を帯びる。

 思考が、次々に浮かんでは消えていく。

 

 もうちょっと……

 もうちょっとで、反撃の準備が整う。

 

 右フックをスウェーバックで躱す。

 上体が沿った所をアライJr.が左ストレートが狙うが、地面に手をついて身体をねじり、側転のような動きで躱す。

 

 身体が言うことを聞き始めた。

 訪れる浮遊感。

 あっ、きた。

 ぞわぞわとしたものが、心に沁みてきている。

 危険を乗り越えた先にある勝機。

 我慢の果てにありつけるご褒美。

 よし、おれの番だ。

 それに、おれが、かぶりつく番だ。

 

 無門の思考と感情。

 感情と意志が、肉体に結びついた。

 左ジャブを躱す。

 ただし、今度は跳び下がらず、腕をくぐるように、半歩分踏み込んだ。

 身体を捻ってより深く、肩から入り込む。

 アライJr.の懐へ。

 狙うは一拍子の無寸雷神。

 これを、倒れるまで、打つ。

 まず、最初に当てた後は、小技を色々使って、次も確実に当てる。

 できれば胸がいいが、それはたぶん躱される。

 だから、腹に打つ。

 まず、フットワークを潰す。

 ここで逃げられても、後の布石になる。

 アライJr.の動きは、おそらくスウェーだ。

 読めている。

 冷静に。

 冷静だ。

 いけ!

 

 無門の掌が、アライJr.の鳩尾に触れていた。

 あとは、そこを掌打するだけだ。

 ここからは、打つまでに一秒もかからない。

 

 いけ──ッ!!

 

 

 

 

 そうして、無門は二度目のダウンを喫していた。

 アライJr.は右手で、無門の伸ばされた右腕を掴み、それを無門の眼前に持ち上げると、悠々と左フックを無門の横腹に打ち込んでいた。

 その作業に一秒もかかっていなかった。

 無門を料理するのに一秒で事足りるのは、アライJr.もそうだった。

 

 

5.

 

 

 コンパクトにまとまった、小さい斧を振るような左フック。

 無門の内蔵が悲鳴をあげていた。

 打たれた箇所から血流が一気に暴れ散らし、心臓が大きく脈打っているのがわかった。

 身体が崩れる無門の腕を、まだ、アライJr.が握っている。

 左のショート・アッパーが無門の顎をかち上げた。

 無門はかろうじて左手を顎の間に挟んだが、衝撃は脳にまで響いている。

 

 かっ──!!

 

 つ、強い!

 しかも、容赦ねえ。

 腕を離さない。

 あんな大ぶり、普段なら貰わないってのに──

 またボディに。

 まいったな。 

 アライJr.にやろうとしたことを、アライJr.にやられてる。

 ボディを徹底的に打って、フットワークを殺す気だ。

 頭を狙ってくれれば、無寸受けで流れを変えられるのに。

 徹底的に弱らせてから、仕留める気だ。

 離れなければ。

 

 無門は蹴った。

 ローキックだ。

 中段蹴りや上段蹴りは、この距離でもたぶん躱されるだろう。

 だから、ローにした。

 シューズの中でつま先を立てている。

 それを、片足をあげて、アライJr.がやすやすと躱す。

 絶妙のタイミングで左腕で突き飛ばす。

 右腕を激しく捻って振り解いた。

 

 呼吸を。

 半呼吸でいい。

 吸う────ッッ!!

 

 アライJr.が攻めてきた。

 そりゃあそうだ。

 もう、押せば倒せるぐらいに弱って見えるだろう。

 だけど、そうはいかない。

 急所は守る。

 頭と顎を守る。

 致命打は避けるさ。

 細く、息を吸う。

 さっきの半呼吸で、どうだ、ここまではできるようになる。

 身体が暖まっている。

 左のダブルは受ける。

 右のコンビネーションは受けられない。

 でも、ガードはさげない。

 腹筋に意識を集中する。

 息を詰めて、固めて、耐える。

 レフェリーがいなくてよかった。

 ボクシングなら、もう、TKOを宣言されていることだろう。

 地下闘技場のルール救われている。

 情けなくも感じるし、それでもいいさとも、思う。

 

 ……よし。

 また、半呼吸だけ、息を吸えた。

 

 とにかく、拳を返す。

 押し返す。

 少しでも。

 諦めない。

 カッコよくなくていい。

 カッコつけて負けるよりは、遥かにマシだ。

 

 それに──嬉しいじゃないか。

 うん、嬉しい。

 アライJr.が、強くて、嬉しい。

 反射神経が、自分より上かもしれない相手は初めてだ。

 動体視力も、筋肉の柔軟性も、自分より上かもしれない。

 そういう相手に勝つのが武術だ。

 久しぶりに、今、おれは。

 純粋に、挑戦者の側に立ってるのかもしれない。

 

 試したいことが山ほどある。

 試せることは少なくとも。

 それを考えるのが楽しい。

 考えよりも、先に、手が出ている。

 

 ああ、なんだ、もうそんな段階か。

 身体が熱い。

 楽しくて、楽しくて。

 おれは、どうにかなってしまいそうだ。

 

 

6.

 

 

 アライJr.は決死であった。

 冷静ではあるが、勝負を急いでいるのも事実であった。 

 無門の、動きにキレが増している。

 返してくる拳の数が、どんどん増えている。

 なんだ、この男ッッ!?

 しかも、何より不気味なのが、葛城無門、笑っているのである。

 楽しくて楽しくてしょうがなさそうに、笑っているのである。

 帽子は早い段階で吹き飛んでいる。

 だから、女子のように端正な顔立ちが剥き出しで、表情がハッキリ見える。

 だから、間違いない。

 葛城無門は、今、楽しくて笑っているのだ。

 

 怪物だ。

 と、アライJr.は思う。

 これだけ殴られて、楽しい、と思っている。

 勝てるとさえ思っている。

 呼応して、動きのキレが、速さが増している。

 頬が紅潮しているのは、ダメージのせいだけではないだろう。

 興奮しているのだ。

 変態め。

 ボクが、一体どういう気持ちでここに立っていると思っているんだ。

 ボクシングの全てを背負っているんだぞ。

 アイアン・マイケル。

 ジョー・クレーザー。

 ふたりに託されて、ボクはここに立っている。

 マイケルは、バークレー戦の傷も癒えていないのに、最後まで全力でスパーを手伝ってくれた。

 勝ってこいと、ジョーが背中を叩いてくれた。

 それが、ボクの感覚を、パワーもスピードを、何倍にも鋭く強くしてくれている。

 その拳に、なぜ、楽しいだけで堪えられる?

 ヘンタイのマゾヒストめ。

 なぜ、

 なぜ、こんなヘンタイが。

 

 こうも自由に。 

 羽ばたくように。

 飛び回るように……

 

 アライJr.の、コンマ一秒の焦燥。

 わずか数センチの踏み込み違い。

 無門は見逃さなかった。

 

 アライJr.の右ストレートを覆い被さるように、無門の左のクロス・カウンターが炸裂した。

 

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