【本編完結】慟哭の龍【挿絵有り】   作:ロウシ

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6/20 誤字脱字の修正 なぜか冒頭部分がまるっと抜け落ちてました申し訳ありません
6/20 タイトル修正 なぜかこの回だけやたら変なミスしてますね……


第三話:忘れるほど夢中になって、ときめくほどに煌めいて

 

1.

 

 

 当たらない。

 当たらない。

 あの、超至近距離で、当たらない。

 拳と拳が乱れ飛ぶ、激しい打ち合いであるが、ふたりにとって、それは示し合わせたとでも言うのか、全く当たらない。

 アライJr.、もう何発打ったのか。

 葛城無門、もう、何発避けたのか?

 手も足も素早く動いている。

 彼らのフットワークは、彼らを直線で結んだ狭間に支点を置き、コンパスのようにぐるりと円を描いている。

 その中心点に、どういう引力が働いているのか、ふたりはまるで、惑星の周囲を回る月のように、距離を詰めるでも遠ざかるでもなく、同じ間隔を保っている。

 超々高度なインファイト。

 観客は盛り上がった。

 アライJr.の名を叫んだ。

 葛城無門の名を叫んだ。

 

 その声援は、ふたりの耳には遠い出来事であった。

 

 すげえ。

 と、無門は思っている。

 この至近距離で、パンチが外される。

 しかも、その回避行動は、武的な意味での『読み』で行われていない。

 卓越した動体視力、反射能力、そして脳の反射をなめらかに伝達して行動に移せる、天性の肉体によるものだ。

 つまり、アライJr.にはパンチが見えている。見てから避けているのである。

 すげえ。

 すげえよ、アライJr.。

 こっちは、当てるための工夫をやっている。足の位置を、ほんの数ミリズラしてみたり、フェイントだって入れている。

 今だって、ホラ。

 左のボディを打つ、と見せかけて、実際の軌跡は顔に、アッパー気味に打ってる。

 アライJr.はボディの時点で反応しているのに、顔に向かって飛ぶ拳を紙一重で躱すんだ。

 パンチを見てから、動きを変えてる。

 なんてやつだ。

 こっちは、肩の入れ具合や、目線の位置から、なんとか拳の軌道を読んで、実際飛んできたパンチを見て、やっと避けているというのに。

 蹴りは出せない。

 単純にスペースがないのもあるが、蹴りは当てるまで時間がかかるし、片足になって動きが止まる。

 その状態で、真っ直ぐに打たれたらたまらない。

 どうすればこの鉄壁を崩せるのか。

 打ちながら考えている。

 脳が──というより、肉体が。

 "あれもやってみたい"

 "これもできるんじゃないか"

 肉体がそう思っているのである。

 例えば──これならどうだ?

 少し身を引いて、体を落とす。   

 四つん這いに近い体勢だ。

 有名なアメコミヒーローの、決めポーズみたいな姿勢。

 これならパンチを打てないんじゃないか?

 アライJr.が、ほんの少し、下がる。

 効果覿面か!?

 その姿勢のまま、前に出る。

 ふぉん

 風!?

 下からだ。 

 拳──!?

 跳び上がって後転する。

 膝立ちになり、一旦、体勢を整える。

 アッパーだ。

 膝を曲げ、腰を落とし、地面スレスレに拳を泳がせたアッパーだった。

 そうか、アライJr.の使う武術は、ボクシングじゃなかったんだっけ?

 アライ流拳法──つまり、全局面戦闘術なんだっけ?

 頭を低くした相手への対処法も、キチンと練ってきているワケだ。

 だったら、この姿勢もまずいか。

 膝立ちの姿勢は、顔を狙ってこい、と相手の狙いを絞れるのがメリットだし、並の相手ならどう動こうと、正面に先んじて追い縋れる。

 だが、アライJr.ほどのパンチスピードとフットワークにはついていけないだろう。

 ならどうする?

 こうするッ。

 ごろん、と飛び込み前転。

 アライJr.が驚いている。

 顔が上に向いたら、また蹴り込んでタックルだ。

 自分の足下に、掴んで倒すじゃないタックル。

 ぶつかっていくタックルだ。

 こんなのは初めてだろう?

 こんなみえみえのタックル、普通なら膝を打たれるからやらないけど、アライJr.にはできる。

 膝打ちなんて、きっと、やらないから。

 それはアライJr.の流儀じゃないからだ、たぶん。

 アライJr.が下がる。

 もう二歩、下がる。

 ビビらせたか?

 やったぜ。

 おかげで、呼吸を整えられる。

 

 無門は立ち上がって、あろうことか背を向けて走った。

 アライJr.に明らかな困惑が見てとれた。

 ステップを踏んで追いかけるが、及び腰じゃないか。

 じゃあ、こういうのはどうだ?

 

 無門は柵に登った。

 そして、柵沿いに走り出した。

 観客から笑いが上がる。

 いいぞーと言う声と、拍手が聞こえてくる。

 アライJr.が闘技場の中で後を追うが、無門は普通の姿勢で全力で走っているのだから、短距離を段階的に動く、ボクシングのフットワークではとても追いきれない。

 

 無門が飛んだ。

 跳ぶ、ではなく、飛ぶ。

 アライJr.に向かってバク転していた。

 そのまま、蹴りを打ち下ろした。

 アライJr.が慌ててバック・ステップで避ける。

 その顔は驚愕に染められていた。

 無門の背中がアライJr.の前に落ちた。

 そこに向かってジャブを放つが──それより先に、また、無門の背中が射程の外に遠ざかっていた。

 

「──ッッ!!」

 

 アライJr.が追う。

 その、絶妙な踏み出しに合わせて、無門が急ブレーキをかけて、裏拳を打つ。

 顔面に向かうそれを、アライJr.がスウェーで躱す。

 無門はさらに身体を半周捻って、また、飛んだ。

 

 後ろ回し蹴り──

 

 それが、伸び切ったアライJr.の顔に、とうとうまともにヒットした。

 

 

2.

 

 

 自由だなぁ。

 

 と、獅子尾龍刃はつぶやいた。

 葛城無門。

 なんと楽しそうに戦うのか。

 まるで踊っているようではないか。

 自由自在で縦横無尽。

 効率や合理性を置き去りにした、のびのびと飛んで跳ねる動き。

 まるで──まるでこれは、プロレスではないか!

 

 いいなあ、

 

 と、龍刃は続けて言った。

 無門の顔は、好奇に満ちた笑顔であった。

 興奮に彩られていた。

 あれは、楽しくてしょうがないんだ。

 自分が、何ができるのか、どういうパフォーマンスをやれるのか、次々と思い浮かぶ想像を、片っ端から試してみたくて仕方がない顔だ。

 理解(ワカ)る。

 その気持ちが、痛いほど理解(ワカ)からだ。

 

 だが、獅子尾龍刃こそは、心の奥底で応援──というより、肩入れしているのはアライJr.にであった。

 

 アライJr.の表情には、断固たる決意が現れていたからだ。

 その決意は、余計な力みではあるのだろう。

 戦いを『義務』と、

 勝利を『必然』と、

 己に課した男の顔だ。

 その理由は、獅子尾龍刃にはわからない。

 だが、少なくともマホメド・アライ(偉大なる父)の名声を守護(まも)る──などという、ありふれたものだけではないことは、わかる。

 並々ならぬ覚悟と責任を、譲れない尊厳を、アライJr.は背負っている。

 それを背負いながら、背負うからこそ、強敵に油断せず、全力で挑むことができる男なのだ。

 だから、ああいう顔ができる。

 だから、応援したくなる。 

 きっと、苦しいだろう。

 誰がために強くなろうとすることは、きっと辛いだろう。

 かつての自分がそうだったのだから、よく、理解(ワカ)るんだ。

 

 それでも、そういうのも強さだ。

 範馬勇次郎は決して認めないだろうけど。

 背負うことも、強さなんだ。

 支えられて、支えることも、強さなんだ。

 そういう強さも、あっていいんだ────

 

「お、オッサン」

 

 ん? なんだい、加藤くん。

 

「なんで、泣いてんだよ」

 

 ん、あれ──?

 本当だ。

 おれ、泣いちまってるワ。

 ハハ……しょうがねえ。

 だって、おれは、気持ちがわかっちまうから。

 

 涙が出るんだよ。

 涙が、よ。

 

 

3.

 

 

 息が切れる。

 口を、微かに開いて、細く小さく息を吸う。パンチを打ち続ける間は、息を止める必要があるから、こういう攻防を重ね続けると、あっという間にスタミナが減る。

 

 くたびれていくアライJr.を支えるものが、尊厳だった。

 愛だった。

 父だった。

 ジョーだった。

 マイケルだった。

 彼らのために──そう想う。

 彼らの背負うもののために──そう誓う。

 自らのプライドも、そこに載せる。

 かつて、父がそうであったように。

 巨大なる敵を前に、安易ならざる敵を前に、堂々と戦い抜いた父のように──

 自らが守護(まも)りぬくと決めたもののために、拳を出す。

 無門の拳を避ける。

 わかっている。

 今、葛城無門のパンチがキレているのは、単に彼が集中と興奮にバルク・アップしているからじゃない。

 わたしのパワーやスピードが、だんだん鈍っているからだ。

 ボディに、いいのをもらう。

 とうとう、まともに当てられた。

 胃が迫り上がって、中身を吐きそうになるのを、腹筋と喉に力を入れて、堪える。

 当てられた瞬間に、こちらもジャブを出す。

 当たる。

 無門は大きく後ずさる。

 効いているのは、ウソじゃない。 

 無門が今、羽ばたきの中にあるのは、夢中になることで疲労を意識していないからだ。

 だから、パンチが入ると途端にガタついていく。

 無門が大きく飛び退がる。

 追う。

 目の前から、姿が消える。

 柵がある。

 押していたのか?

 あるいは誘導されたのかッ!?

 わからない。

 ただ、無門が柵を足場に三角跳びを行い、頭上から拳を振るうのはわかる。

 落ち着いて、それを躱す。

 宙空にある無門のボディに、右ストレート。

 強く踏み込んで、激しく腰を入れた。

 モロに入る。

 無門がえづく。

 ごろんとその場に転がり落ちて、わたしの足の横を抜けて闘技場の真ん中に移動する。

 笑っていた。

 笑っている。

 わたしは、振り返り切るのと同時に、前のめりに倒れた。

 膝が砂地に落ちる瞬間、脳が揺れている……否ッ、揺らされたことを知る。

 

 ──ッッ!!

 これは、まさか……

 殺意のないジャブか!

 真似されたと言うのか。

 こうもカンタンに!?

 

 太ももを叩く。

 無門が接近してくる。

 震える足を叩き起こす。

 交差する、腕。

 お互いの顔が弾ける。

 どうだ、当ててやったぞ。

 当ててくると思わなかっただろう?

 怯むと、思ったんだろう?

 怯まないよ。

 わたしの背中を、父が押す。

 ジョーも、マイケルも。

 ボクシングに携わる、名も知らぬファイターたちも。

 いけ! アライJr.ッッ!!

 ああ、わかっている。

 ファイティング・ポーズを取る。

 吠えた。

 

「カマンッッ!!」

 

 その声は、我ながら意外なほどに、雄々しさと闘志に満ちていた。

 

 

4.

 

 

 強いよ。

 ワクワクするよ。

 アライJr.。

 おれの言葉が通じているワケはないけど。 

 おれの心は、通じていると思ってるよ。

 楽しい。

 

 ああ、楽しいさ。

 

 ──?

 えっ、言葉が、頭に……

 

 楽しいさ、無門。

 

 アライJr.なのか?

 

 ああ、そうさ。

 わたしだ、無門。

 わたしときみは、今、同じ世界に立っている。

 同じ道を歩んでいるんだ。

 言葉を交わすぐらい、できるに決まっているだろう?

 

 そっか。

 そうだよな。

 おれたち、たぶん、強さの性質とか……根幹とか……そういうのは違うんだろうけど、"強くなりたい"って想いの向きは、同じだもんな。

 

 そうさ、無門。

 相手がきみだったから、わたしはこの道を、ここまで走ることができている。

 

 いい場所だよな、ここ。

 

 ああ、きみがいるからな。

 

 ……もうちょっと、遊べる、よな。

 

 ……ああ、もう少しだけ、戦えるとも。

 

 …………ウソつきなんだね。

 

 ……ああ、わたしは、父ではないからね。

 わたしは……今のわたしじゃあ、この先にはいけない。

 

 背負うものがあるから──じゃ、ないよね。

 

 背負うものがあるから──この道を見いだせたんだ。

 

 そっか。

 

 そうさ。

 

 …………

 

 無門。

 

 なんだい?

 

 また、ここに来る。

 

 ──!

 

 わたしは、更なる鍛錬を積んで、わたしのまま、ここに来る。

 いや、きみの知らぬ間にここを通り過ぎて、きみを置き去りにしてみせよう。

 

 ……ウソじゃ、ないよね。

 

 約束だよ。

 その代わり、今日だけは、わたしも──わたしたちの想いも、歴史も、連れて行ってくれ。

 

 頂の先へ。

 その向こうまで!

 

 ああ──

 

 わかったよ。

  

 

 

 ……楽しかったよ。

 

 ああ、わたしもだ。

 

 本当に、楽しかった。

 ありがとう、アライJr.────

 

 

5.

 

 

 無門の、ハイキックだった。

 意外なほどに、無造作に、あっけなく、それはアライJr.の側頭部を撃ち抜いた。

 

 かぽん、と、打撃音とは思えない水音がした。

 アライJr.の意識が断ち切られた音だった。

 

 ぐにゃりと、アライJr.の身体が、糸の切れた人形のように折りたたまれて、崩れて行った。

 

『勝負ありッッ!!!』

 

 決着のコールが鳴り響く。

 拍手が、途端に嵐のように吹き荒れた。

 控室で、獅子尾龍刃が泣きながら、それに続いた。

 

 疲労を意識して、無門の身体がずるっと重たくなった。

 しかし、その顔は晴れやかな笑みを浮かべていた。

 

 無門の手首を掴んだものがいた。

 強い力で掴まれた。

 無門は思わず振り解こうとしたが、振り解けなかった。

 試合の疲労を抜きにしても、その男は恐るべきパワーを持っていた。

 

 黒人だ。

 ハンバーグを乗せたような髪型の。

 仕立てのいい白のスーツに、これまた布の良さそうな、金色のラインが入ったワイシャツ。

 顔が小さいが、それ以上に首が太く、僧帽筋がデカい。

 太い唇で、称賛の笑みを浮かべている。

 

 この男を、この場にいる誰もが知っていた。

 この男を、格闘技を齧るもので、知らぬものはいない。

 

「あ、アイアン……マイケルッッ!?」

 

 無門に呼ばれて、マイケルは微笑みかけた。

 無門を讃えるように、掴んだ手を上げた。

 

 

6.

 

 

 会場が爆発した。

 その興奮もムリからぬこと。

 アイアン・マイケル。

 現役ヘビィ級ボクシング統一王者。

 つまり、現在の『地上最強』の代名詞が、突然姿を現したのだから。

 

 ここでヤるのかッッ!?

 

 そういう期待感が、否応なく会場に漂っている。

 

「あ、あのっ……」

「グレートだったゼ、ムモン・カツラギ」

 

 掴んだ手を離し、会場をぐるりと見渡しながら、拍手を打った。

 つられて、観客席からの、拍手の濃度が増した。耳をつんざく音だった。

 

 それを確かめて、マイケルは無門を正面から見据えた。

 強かな光を灯す双眸が、無門を捉える。

 

「優勝だ、ボウヤ」

 

 小声で、マイケルが言った。

 

「この大会で、ボウヤが優勝したら──そン時ゃおれが、ボウヤを指名する──」

 

 そう言って、肩をぼん、と横から叩いた。

 ゾッとする力が込められていた。

 

 マイケルが手を振りながら、闘技場から退場する。

 

 無門は──その背を、興奮と期待の混ざった、色めかしい視線で見送っていた。

 

 

 

 

 二回戦第二試合:勝者、葛城無門ッッ!!

 




次回、二回戦第三試合:開始ィィッッ!!
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