第一話:恐るべき後輩たち登場
1.
力剛山の冷ややかな視線が怖い。
冷たくありながら、その色は透き通るほど白い。純白の殺意が、眼を通して心を射抜いてくる。
尻を引きずって、獅子尾龍刃は息を呑んだ。
──プロレスは、格闘技ではない。
ついに、力剛山の口から、その言葉が出てきた。
出てきてしまった。
その言葉を引き出してしまったのは自分だ。
殺される。
そう思った。
力剛山に殺される。
恐怖を覚えながら、後悔の念に揉まれながら。
しかし、獅子尾龍刃の心のある側面は、意外なほどに落ち着いていた。力剛の口から真実を述べられて、心に巣食っていたモヤモヤが晴れたからだ。
ああ、なんだ。
やっぱり、範馬勇一郎は、ワザと弱いふりをしていたんだ。
やっぱり、あの人は世界最強の男なんだ。
世界最強だから、ワザとやられてあげているんだ。本当に強いと、ああいうこともできるんだ。
スゴいなぁ。なんてスゴいんだ……
自分の見立ては間違っていなかった。
プロレスは格闘技ではない。
それは本当にショックだ。
だが、範馬勇一郎という男の強さは嘘ではなかった。
そしておそらく、力剛山の強さもまた、嘘ではないのだ。プロレスに関わらせてもらって、力剛にしごかれて己の肉体が磨かれたのも、強くなっていることも、嘘じゃないのだから。
──嘘じゃないんだ。
それがわかったから、
力剛山は、龍刃を殺さなかった。
踵を返して、椅子に座った。
深く座ったのだろう、背もたれが強く軋む音がした。
力剛は、龍刃のどこか晴れ晴れとした顔が気に入らなかった。決して、こちらを馬鹿にしている顔ではない。
むしろ、これから死のうと、罪を償うために罰を受け入れんとする純朴で、無抵抗な表情であった。
それが、力剛山は気に食わなかった。
ここで龍刃をぶちのめすのは簡単だ。だが、何を隠そうそれを一番望んでいるのが龍刃であると見抜いたのだ。
プロレスラーとして。
プロレス王として、力剛山は、自分が少しでも相手の思うように動かされることは大嫌いであった。
力剛のプロレスとは、全てを支配することでもあったからだ。
試合となれば、リングの上で、勧善懲悪のストーリーを組み立てる。もちろんヒーローは力剛山で、ヒールは相手だ。
ゴングが鳴った瞬間から、まず相手にいいようにさせる。その実、本当は自分が常に優位に立ち、相手の一挙手一投足を支配する。
パンチを打たせる。蹴りを打たせる。
力剛山の思うタイミングで、思う場所に。
勧善懲悪の基本は、ヒーローは最初、いいようにヒールにやられる。やられて、やられて、紙一重で──逆転!!
苦戦からの逆転を互いに十分積み重ねた後、観客がワンパターンな展開に飽き始める頃に、圧倒的なパワーでヒールを圧倒してみせる。
つまらないやりとりに飽き飽きしていた観客は、一気に眼を覚ます。
『最強無敵のプロレス王:力剛山』
という幻想に夢中になるのだ。
力剛にとって、プロレスでは苦戦も快勝も、逆転勝利も思いのままだ。
敗北だけはない。それだけは許せない。
そして、支配の対象は相手だけにとどまらない。
観客の心理すら、掌で踊らせる。
プロレスの勝敗を決めるのは仕掛け人、つまり
プロモーターの言うことを聞かないレスラーは、強かろうが弱かろうがあっという間に試合に出れなくなる。
最悪、そのプロモーターの飼う『
だが、力剛山は負けたくない。
しかし、アメリカのプロレスでは無名の力剛山が、アメリカでの試合において自分の意見を通すことは許されなかった。
だから、日本に帰ってから、力剛山はあらゆるプロモーターとのやり取りを人を介せず自ら行うのだ。
自分が勝つ、と言う。
その上で、観客が満足し、金が転がり込む素敵なストーリーを創作する。その場でプロモーターたちに物語を大袈裟に披露して、説得を行う。その補助として、力剛が用意できるカネ、コネ、暴力、ジェスチュア(嘘)、言葉……あらゆる武器を総動員するのだ。
力剛のプロレスには一切の手抜きはない。
力剛山にとって、試合の前からすでに、
そこを怠るレスラーは三流である。
ただ強いだけのレスラーなど、力剛山から言わせればアマチュアだ。
断じて『プロ』レスラーではない。
余談ではあるが、二人の偉大なるレスラーがこの例に当てはまる。
ひとりは二〇世紀最高の鉄人、ルー・テーズ。
ひとりは二〇世紀最強の技師、カール・ゴッチである。
『力道山』も憧れていたという、偉大なるプロレスチャンピオン、ルー・テーズがなぜ世界最高最強のレスラーとして長年業界に君臨し続けていたのか。
逆に、『アントニオ猪木』にレスリングの基礎を教え、アントニオ猪狩の必殺技でもある
同じ時代に生きた二人の偉大なるレスラーの対照性。二人の思想の差異にこそ答えがある。
挑戦者に幾度となくシュート(プロレスではなく真剣勝負)を仕掛けられ、そのことごとくを打ち破ってきたテーズはもちろんガチンコでもとてつもなく強いが、彼はそれ以上に、相手に花を持たせることも上手く、ショーとしてのプロレスもうまかった。故にプロモーターとファンに愛されていたレスラーだったのだ。
逆に、レスラーにガチンコで通じる真摯な強さを求め続けたゴッチは、お互いに引き立て合う馴れ合いじみた華やかなレスリングを嫌い、プロモーターや同業者たちに腫れ物扱いを受けてしまっていたのだ。
閑話休題。
つまり、あらゆる武器を用いて盤外戦術を制した力剛山は、試合も含めてリングの内外全てが思うがままに運ぶことになる。
その瞬間──力剛山のあらゆる努力は快感に昇華され、傲慢な支配欲と自己啓示欲は満たされるのだった。
そういう意味では、力剛にとってもプロレスは純然たるゲームであり、エンターテイメントであるが、同時に『常在戦場』にも等しい真剣勝負なのだった。
だから、決して手を抜かない。
だから、本当の意味で誰も信じない。
誰かの言うことを聞くのはごめん被る。
相撲の時のように、お前にはあれが足りないこれがダメだと言われ続け、実力に反して不当な扱いを受けるなどまっぴらごめんであった。
おれが、全てを従えてやる。
そういう
そのワガママを貫き通すために、努力を惜しまない姿勢が力剛山の強さであった。
そういう力剛の傲慢さが、この場において介錯を望む罪人じみた、龍刃の態度を嫌ったのだ。介錯を望むやつの首を刎ねるなど、力剛山がそんな人の良いことをするわけがない。
「いいか、よく聞け」
力剛の声は据わっていた。
迫力があった。
静かで、力強く、心に響いてくる。
「プロレスは格闘技じゃあねえ。だが、プロレスラーってのは
──なぜかわかるか?
力剛の言葉に、龍刃はなにも返せない。
力剛の醸し出す世界に、龍刃もまた取り込まれていた。聞き入っていた。
「プロレスラーってぇのは、観客のために己と相手……その試合に関わる全てを
「────!!」
だいたいよ。
と力剛は続けた。
「ガチンコで──効率よく敵を倒すなら、ナイフでもピストルでも、それこそ竹槍でもなんでも使やあいんだよ。ナイフを持った素人に勝てる格闘家なんぞほとんどおらん。ただ勝つってだけなら、泣き落としでも命乞いでもして油断させて、ワイロでもなんでも握らせて、そいつの家族を人質にでもとればいい。騙し討ちすりゃあいいんだよ」
邪な顔で吐かれるものは、ただただ正論だった。ぐうの音も出ない。
勝つか負けるか、に論点を置くならば、力剛の言葉は真っ直ぐで、正しい。
『強さ』が、勝つことの果てにあるならば、効率よく勝つために手段を惜しむ必要はない。肉体を鍛えるよりナイフの扱いを覚える方がはるかに容易い。
尤も──そういう不当な暴力を鎮圧するために生み出されたのが格闘技より純粋な──『武術』ではあるのだが、ほんの一〇年前まで戦争の、もっというと敗戦の只中であらゆる混乱と暴力に晒されてきた彼らには、武術の持つ本質的な力を誤解し、価値を見出せないのも無理はないことだった。
「だが、そんなモンに誰がゼニを払うんだ!? おい、リュウ! 言ってみろッッ!! リングの上で真剣の殺し合いをやって、誰が喜ぶんだ!? そりゃあ一部のヘンタイは喜ぶだろうさ。だが、そいつらがずっと、プロレスを未来永劫食わせてくれるほど、カネを出し続けると思ってんのかァッッ!!?」
再び激昂し始めた力剛の言葉。
それは、龍刃の脳裏にある光景を再生させる。
アメリカで行った数々の──命懸けのストリートファイトのことであった。
範馬勇一郎の興行の後、酒の買い出しなどに行った際に、ナイフやピストルをも持つチンピラに、たまに襲撃されたことだ。そこで龍刃はあらん限りの力を使い、知恵を絞って戦った。
そして、結果的に躊躇なく相手を投げ、関節を極めて折り、『瞬殺』することで勝ってきた。
躊躇なく瞬殺しなければ、ナイフやピストルによって瞬殺されるのは自分の方だからだ。
だから手加減抜きで戦った。
その結果、ほぼすべての戦いはものの数分で終わってしまうようになった。
────あ!
力剛の言葉が、理解できた。
歯車が、自分の中で噛み合ってしまった。
『なんでもあり』、の真剣勝負となれば、よほど力が拮抗しない限りは、見ている側にとっては何が何だかわからないうちに終わってしまうのだ。
人間が持ちうる攻撃力に対して、人間が備えうる防御力は呆れるほどに低いからだ。
それは素手でもそうだが、凶器もありとするならばなおのことである。
自分は違う。人より遥かに強靭な身体を持っている。
力剛山も、違う。
範馬勇一郎も違う。
松尾象山も、違うだろう。
だが、他の人間は──多くのレスラーは、そうではない。
天城六郎にぶちのめされ、破門された先輩レスラーたちもそうだ。
プロレスラーはたくさんいる。それはわかる。アメリカで、プロレスリングの華やかさと楽しさの一端を、龍刃は味わったのだから。
真剣勝負はカネにならない。
力剛の言うことは、理屈の上では理解できた。
だから、龍刃は立ち上がって、頭を下げた。
その顔は、まだ影が刺している。
プロレスは格闘技ではなかった。
しかし、それは道理なのだ。
理屈はわかる。
プロレスラーの強さも嘘じゃない。
だが、龍刃の心の中には、それとは別のモヤモヤしたものが現れていた。
それを、言語化できない。
力剛山は黙っていた。
その鋭く、鉈のような鈍い重さを秘めた眼で、龍刃のことを睨んでいた。
2.
力剛山は、再び商談に出た。
ある男たちを連れて。
その男は、龍刃が勇一郎の付き人としてアメリカ興行を手伝っていた時、ジムの入り口に突然現れた。
「プ……プロレス…………やらせてください……」
聞き覚えのあるセリフを吐いた。
坊主頭で、背が高い男であった。
身長、二メートルを超えている。
それでいて、身長に
それなりに肉が付いていた。いい肉だった。
顔つきからして日本人ではあるが、日本人離れして、大きい。
まだ学生服を着ていた。
特注品であることはひと目で分かった。
なにより足が桁違いに大きかった。
彼の靴の大きさと比べれば、大柄なレスラーたちの靴が、子供用品に見える。
その男は力剛山がジムにいる時にやってきた。
竹刀を片手に持つ力剛が、突如として現れたその男を、らしくなく、呆然と見上げていた。
その男、名を斗羽正平といった。
言うまでもなく、のちのマウント斗羽である。
その斗羽正平を、ジムでひと通りの体力テストをやらせた後で、力剛山はいきなり遠征に出すことを決めた。
斗羽正平は、抜群の身体能力を持っていた。
柔軟な身体であった。
既に、レスラーとして最低限の動きはできるほどに、そのポテンシャルは高かった。
だから、力剛は気をよくして、斗羽を遠征に出すための契約を結びに行ったのだ。
龍刃は、ジムに残された。
ジムメイトから、勇一郎との興行はどうであったか質問攻めにあった。
そのひとつひとつに、たどたどしく龍刃は答えた。
その中に、ひとり。
見覚えのない男がいた。
身長、一九〇センチメートル。
坊主頭で、特徴的な顎を持っていた。
まだ、若い。
とはいえ、ようやく十五歳になろうという龍刃よりは、当たり前に歳上だ。
「リュウさん! アメリカ遠征の話、聞かせてくださいよ!」
快活な声であった。
にこりと笑うと、広い口が持ち上がるのに沿って、長い顎がゆるゆると歪む。
愛嬌のある顔であった。
全身から、そう、常人にはないオーラとでもいうものを放っていた。
このオーラは、見覚えがある。
範馬勇一郎や、力剛山。
松尾象山が放つそれと、そっくりだった。
コーチに聞くと、ブラジル遠征の途中、力剛山が拾ってきた男なのだと言う。
これから力剛の付き人になる──地獄を見る男だと。
つまり、正しく自分の後輩にあたる男だと龍刃は知った。
そう思うと、より可愛くなった。
初対面の男にもかかわらず、龍刃はこの愛嬌ある男に、並々ならぬ好印象を持った。
名前を聞いた。
「オス、自分は猪狩完至って言います。ヨロシクお願いします、リュウさん!」
龍刃と猪狩は握手をかわした。
猪狩完至。
もちろん、のちのアントニオ猪狩である。
後にプロレスを牽引する偉大なるカリスマ二人と、龍刃の出会いであった。