0.
渋川流合気柔術マスター渋川剛気、異種格闘技戦について語る。
力剛山が強かったかって?
強かったよ。
間違いなく。
そりゃあね、あんた、生半可じゃなかったと思うよ。
なんたって、元大相撲関脇上がり。
品格とか、性格とか、いろいろあってそれ以上上にはいけなかったみたいだけど、力剛山、大関とか横綱とかを平気でぶん投げてたからね。
ワシらの業界はね、いくら嘘が上手くて、強く見せるパフォーマンスに長けていようがね、弱けりゃバレるよ。
あの時代──いや、時代を限らんかね、これは。
だいたい、考えてみなさいよ。
プロレス、おおよそ一試合六〇分で、三本勝負でしょう?
ああいや、力剛の目指したプロレスは、一試合九〇分で、三本勝負だったねぇ。
今の格闘技の試合って、普通は一ラウンド三分そこらだよ。
それをねぇ、あんた、プロレスラーってやつは、いくら台本があるとはいえ、一般人にはおっかなびっくりな動きを九〇分やり通すんだ。
普通の人間の集中力の限界って九〇分で、瞬発力の持続時間が一〇から二〇秒そこらなんだよね。
プロレス、並みの体力じゃできないよ。
え? ワシはできるかだって?
ハハ……老体に無理言いなさんなって。
でも、うん……ワシの場合、まず九〇分も戦えないね。
相手を倒しちゃう。
九〇分もあれば、何回相手を転がせるか……
そういう話になってきちゃうからねぇ。
プロレスが真剣勝負じゃないこと、力剛山がそれを通したことは、ワシは間違いだとは思っとらんよ。
ワシらの──あの時代の立ち合いってなれば、きんたまや目ん玉が潰れることは日常的なことだったもんさ。
そんなの、テレビに流せるわけないじゃろう?
いくら荒れた時代だからって、公開殺人を望む人間なんてそうそうおりゃあせんよ。
観客が望むものを、一線を、力剛山は理解しとったんだよね。
それに、プロレスの強さははっきりしとるじゃないか。
力剛山はともかく、今どき普通の人でも、アントニオ猪狩とマウント斗羽の強さを疑うやつはおらんよ。
特に、猪狩さんは、マホメド・アライと真剣の異種格闘技戦、やっとるじゃない。
あれ、『世紀の凡戦』なんて言われとるがね、ここだけの話、ワシら本職の人間は、あの試合を手に汗握って観とったよ。
仰向けに倒れた猪狩さん。
攻めれず近寄れず、「起きてこい!」としか叫べなかったマホメド・アライ。
ボクシングの鋭利なパンチと、間接技の応酬を望んどった観客には、さぞつまらんかったろうがね。
あれを、ワシらは固唾を飲んで、見守っとった。
こうするしかない。
そりゃあ、ヘビィ級ボクシングに対抗するには、あれしかない。
プロレスに限らず、ワシらだってそうさ。
ヘビィ級ボクサーってのはね、格闘技界最速最強の打撃の持ち主なんじゃよ。
ましてや世界チャンピオンクラスに
まあ、ワシは別よ、別。
ワシらはね、ブーイングを受けても寝そべったままの猪狩に、共感さえ覚えておったよ。
それしかない。猪狩さんは、それを、迷わず選択して見せた。恥も何もなく、負けないために、勝つために寝そべった。
なんてスゴいことをやっちまうんだ、アントニオ猪狩って男は……そう思ったさ。
全国放送で、異種格闘技戦をやる。
異種格闘技をやるとしてだよ、その時の格闘技に何が必要だったのか、何が足りなかったのか、アントニオ猪狩とマホメド・アライはまざまざと世界に見せつけたんだねぇ。
二人の偉業、ワシゃあ、震えが来るよ。
あれが、世間から見て『世紀の凡戦』なのは、猪狩さんとマホメド・アライがイチバンよくわかっとると思うよ。
だけど、あれが格闘技界の意識そのものを変革させた、偉大なる真剣勝負だったことも、アントニオ猪狩とマホメド・アライはよくわかっとるのよ。
だって、あの後から猪狩さんとマホメド・アライは親交を持ったわけじゃない。
最低の試合をさせられて、名声も地に落とした相手に、憎しみしか持ってないならそんなことできないよねえ。
試合を通して、お互いにリスペクトし合っとったんだ、あのふたりは。
異種格闘技の話をするなら、根深くて、長くなっちゃうよ。
なんせ、遡ればいくらでも遡れるからね。
表沙汰でないなら、ワシもいくらかはやっとるし……範馬勇一郎がブラジルでエルオ・グライシーって柔術家とやっとるじゃろ?
その前なら、コンデ・コマ──他流試合二〇〇〇勝無敗の柔術家、前田光世は言うまでもない。
もっと遡れば、幕末のペリー来航。
あの時、大相撲はペリーの連れてきたボクサーのウィリアムとレスラーのキャノンってのと異種格闘技戦やっとるんだよ。
もっと前だと、織田信長の開いた御前試合──相撲に、黒人奴隷だったのちの弥助が参加して、優勝しとる。
中国拳法が、古代ギリシャのパンクラチオンと戦ってたっていう話もあるのう。
でも、近代の異種格闘技戦に最も強い影響を与えたのは、間違いなくアントニオ猪狩とマホメド・アライなんじゃよ。
今の日本の総合格闘技だって、下地は柔術とプロレスじゃろ?
当身入れて、タックルして、倒して、寝技で締める。
総合格闘技の黎明期、グライシー柔術がダントツで強かったのは、総合格闘家の間に柔術やレスリングの技術がちゃんと浸透しとらんかったからなんじゃよ。
とにかく、まあ。
そのくらい、アントニオ猪狩は格闘技界にどデカい影響を与えたんじゃなあ。
1.
テレビの歴史が動く日がやってきた。
それは、獅子尾龍刃がもうじき十七歳になろうという時であった。
力剛山と範馬勇一郎のタッグがプロレス王者ベープ兄弟に挑む、チャンピオンリーグのテレビ放送が決まったのだ。
龍刃はその試合で、前座をやることになった。
相手は、範馬勇一郎の付き人である。
共にアメリカ興行に参加した、新堂というプロレスラーであった。
龍刃は『大陸からやってきた若きチャンピオン"アジアン・ドラゴン"』という
少し恥ずかしいが、嬉しかった。
前座である故に、龍刃の試合がテレビに映ることはないのだが、龍刃は少しばかり緊張していた。
「リュウさん、おめでとうございます」
ジムのリングでその新堂を相手に、流す程度に身体を動かしていると、快活な声が龍刃に届けられた。
見下ろすと、リングの下に猪狩完至がいた。
笑顔であった。
顔の形が少しばかり変形している。
ガーゼを巻いて、歯も欠けていた。
力剛山の付き人として過ごした男の顔であった。
「あ、ありがとう猪狩さん」
「も〜ッ! 敬語はともかく呼び捨てでいいっスよ、リュウさん。年齢はともかく、ジムメイトとしてはリュウさんのが先輩なんスから」
猪狩はタオルと水を差し出した。
その雰囲気に負けず気の利く男である。
猪狩は普段、力剛に連れまわされて、奴隷のような扱いを受けている。
地獄の日々を、しかし、この男は笑顔の中に仕舞い込めるのだった。
懐が広い、ほとほと感心する。
「猪狩は大丈夫なのかい? その……」
「平気っスよ。しごきはキツいっスけど、逆に言うと、先生はおれのことトクベツ扱いしてくれてるってことっスからね」
「…………」
ここのところの力剛山は多忙を極めていた。
範馬勇一郎と合流しても、勇一郎とはあまり会合せずに、永井筆夫を連れてテレビ局のお偉いさんとの商談にかかり切りであった。
自分のトレーニングはちゃんとしているのだが、門下生に対する指導はほとんどできなくなっていた。
唯一の例外が、付き人になった猪狩完至である。
そういう意味では、猪狩ともうひとりは、力剛山から完全に特別扱いを受けている状態だった。
そのもうひとりは、今海外で活躍中の、斗羽正平である。
ショーヘイ・トバのリングネームを名乗り、『東洋の大巨人』として既に名が売れ始めていた。
かくいう猪狩も、既にデビュー戦は終えている。
斗羽はデビュー戦を快勝で飾った。
猪狩は逆にスリーパーで失神させられ、TKO負けであった。
ふたりが龍刃より早いデビューを飾った理由は、単に龍刃の年齢の問題であった。
書類上は三つサバ読みさせている上に、並みのレスラーをしのぐ巨体。そこにアメリカ興行を経て歳以上の貫禄を備えた龍刃ではあったが、流石に十五歳にもならない龍刃を『プロ』としてリングにあげることは、関係者たちに問題視されたのだ。
龍刃の身体能力を買っていた力剛としては早く売りだしたかったのだが、流石に興行師の永井やタニマチの山王組にまで止められたのなら折れるしかない。
そこで、龍刃のデビュー戦は十六歳になったらやると決めた。
力剛は頑なであった。
斗羽と猪狩のデビュー戦は、良くも悪くも話題になったのだ。
この二大新人に続き、三人目の大型新人として龍刃をデビューさせる。
三者三様の色気を持つ新人たちである。プロレスを書き立てる約束をしている、いくつかの新聞社の紙面は、華やかになるに違いない。
力剛の狙いは、今で言うアイドル商法のようなものだった。新聞やテレビのバックアップを受けることで、とりどりの個性を持ったスター選手を作り上げる。
十分に人気を見込めたら、それをまとめ上げる、強烈で最強のリーダー力剛山在り!! という構図を展開したかったのである。
力剛山がいくら圧倒的なヒーローといえど、敵味方に引き立て役がいなければ、あっという間に飽きられて、プロレスは廃れてしまうと考えたのだ。
だから、力剛は龍刃のデビューを急がせた。
自分の商談のついでではあるが、ずっと関係各社に働きかけていたのだった。
それが、龍刃には嬉しかった。
あの力剛が、下心はあれど、結果的には自分のデビューのために動いてくれている事実がである。
「こら猪狩! 自分には応援がないのか」
「新堂さんは勇一郎さんと興行しまくってるベテランじゃないっスか。なんにも心配してませんて」
「この ……おべっかがうまいやつだなぁ、おまえは」
その後、龍刃と新堂はお互いの
2.
力剛山が、プロレスチャンピオンリーグを行う。相手は外国人チャンピオン、ベープ兄弟である。
タッグマッチであるために、力剛山側のパートナーがいる。それが、なんと柔道日本一の範馬勇一郎だ。
この話題が、連日、新聞を賑わせていた。
『新たなるスポーツ来る──それはプロレス!!』
『日本人、力剛山が外国人チャンピオンに挑む!!」
マスコミは力剛山の鬼気迫る表情の写真を一面に載せ、このような見出しで飾った。
ラジオでの宣伝も抜け目なくやっていた。
新聞は飛ぶように売れた。
特に、力剛山が個人的な付き合いから贔屓にしていた毎朝新聞はプロレスの特集記事を書き、朝目、日高新聞のビッグネームから一段抜けた部数を記録する。
みな、力剛山という男と、プロレスというものに興味を持ち始めた。
どんなものなんだろう?
力剛って男、強そうだな。
オモシロイのかな……?
世間の興味感心、その流れは概ね、力剛山の思う通りに進んでいた。
しかし、力剛のプロレスを歓迎するものばかりではなかった。
その筆頭とも言えるのが、日本最初のプロレスラーを自称する、山伏達夫とそのタニマチである暴力団青龍組であった。
山伏達夫──元は柔道家であるこの男は、戦後訪れた日本武術界の危機に例外なく見舞われ、力剛山がプロレスを始めるより前に、金を得るためにブラジルへと遠征に出かけた。
そう、範馬勇一郎と新堂卍次、彼らと共にブラジルに出た柔道家が山伏達夫だったのだ。
そこで、柔道の
ブラジルでは、前田光世に柔術を教わったグライシー一族のエルオ・グライシーと真剣勝負を戦い、これに敗れるも、その勝負は本人たちからすれば拮抗の果ての僅差の敗北であった。
その後新堂卍次もエルオに敗れ、範馬勇一郎がとうとうエルオを打ち破るのだったが、これはまた別のお話である。
ともかく、三人は帰国すると、別々の道を進んだ。範馬勇一郎は柔道の世界に一度帰り、新堂は一度地元に帰った。山伏は柔道家を辞めて日本でフリーのプロレスラーを名乗り、タニマチである青龍組のバックアップを受けてプロレス興行というものを日本で最初に行ったのである。
──自分が、日本で最初のプロレスラーだろうが!
そういうプライドが、山伏にはあった。
だが、新聞各種メディアは、まるで力剛の起こすプロレスこそが、日本で最初で最新のプロレスのように書き立てている。
山伏は苛立っていた。
だがそれ以上に、山伏のタニマチである青龍組が苛立っていた。
山伏のプロレスは関西を中心に展開していた。青龍組はシマでの堅実な興行に努め、全国規模で展開するようなものではなかったが、その分地方人気で言えば相当のものがあった。
山伏は地元のプロレスヒーローなのだ。
当然、興行のもたらす利益も上々であった。
それが、力剛山がこうも大々的にプロレスを全国アピールしてきた。
しかも、相手は外国人チャンピオンであり、力剛のパートナーはあの範馬勇一郎である。既に、山伏と青龍組のメンツは丸潰れも同然であった。
青龍組はこれに当然怒り、力剛の事務所に何度も『警告文』を送りつけていた。要はおどしの連絡である。
だが、力剛山サイドはこれをまるっきり無視していた。
挙句、剛を煮やした青龍組が、山伏を伴って力剛山の元に赴いたのたが、力剛山は多忙を理由に門前払いを食らわせた。
おまえたちに構っているヒマはない!
力剛の態度は傲慢極まるものだった。
青龍組は力剛の興行を潰すことを決めた。
力剛のプロレスのひと月前、ある男を事務所に呼んだ。
黒い──男であった。
3.
青龍組の本部。
組長室であった。
部屋の中央奥に、外国製の高そうなデスクがあり、同ブランドだろうソファが二組、向かい合って並んでいる。
部屋の照明はシャンデリアが吊るしてある。装飾は細かく豪華で、王冠を模したそれは、たらふく金がかけられた芸術品である。
が、部屋の内装は極めて普通の部屋である。
いくらなんでも内装に馴染んでいない。
その不自然さこそ、青龍組に浮かび上がる、自己啓示欲の現れであった。
ソファに座り、男たちが向かい合っていた。
ひとりは、青龍組の若頭、鬼頭国左。
ひとりは──黒い男だった。
「ってワケなんだ。先生には、力剛の興行を潰してほしい」
葉巻をふかしながら、眉間に怒りをうかばせて、それでも言葉は冷静に、鬼頭は言った。
男を見る視線が、蛇のようにいやらしい。
その歪んだ大きな口で、一体何人の人間を喰ってきたことだろうか。
相対する男は、黒い。
その表情が窺えない。
鉄の表皮を備えていた。
「力剛を、壊せばいいのか?」
その口がかすかに開く。
最小限の動きであった。
ほんの僅かでも無駄なことはしたくない。
なんだったら、鬼頭を見る目が鋭い。
男の視線、纏う雰囲気、醸し出す闘気──一分の隙も見当たらない。
男は、ここでもし、鬼頭に襲われたら、命の危機に瀕したならば、雇い主であろう鬼頭の命をあっさりと奪うだろう。
組長室の中に、ヒリつくような空気が充満しているのは、気のせいではない。
「違う。先生には、力剛の弟子を壊してもらいてえ」
「力剛の弟子?」
「プロレスには、必ず前座試合がある。前座でやるのは十中八九、力剛の弟子だ。そいつらを、まとめて試合のできない身体にしてもらいたい」
「いいのか?」
「何が?」
「そんなことをすれば、敵に回るのは力剛だけじゃないだろう?」
「構わねえよ。こっちはもう、山伏ともどもメンツを潰されてんだ。あとがどうだろうと、力剛の興行をぶっ潰すのが先なんだよ」
そうだな……と鬼頭は空を見る。
葉巻の煙をスクリーン代わりに、鬼頭がそこに広げているのは、いかにも暴力的で、楽観的な妄想である。
「コトが済んだら、力剛に土下座させて靴を舐めさせた後、あいつの持ってる団体丸ごと、山伏のモンにしてやろう」
「…………」
黒い男は黙っていた。
その表情は、ともすれば侮蔑の黒に沈んでいる。
男が立ち上がる。
出入り口に向かって歩いた。
足音がない、不思議な歩き方をしている。
待ってくれ、と鬼頭は男を呼び止めた。
男は振り返らない。
鬼頭は構わず続けた。
「やるのは今じゃねぇ。興行の日にやってほしい」
「……なに?」
「だから、興行の当日に、いきなり力剛の弟子をぶっ壊すんだよ。今から壊しに行っても、力剛は変わりの弟子を立てるだけだ。それじゃあ意味がねえ」
「……いいのか?」
「何がだよ?」
男が、振り返った。
鉄のような目が、鬼頭を見ている。
「本当に、当日にやっていいのか?」
構わねえよ。
と鬼頭は言った。
男は無言であった。
振り返り、部屋を出た。
男が出る直前、鬼頭は言った。
「頼んだぜ、久我さん」
ドアが、静かに閉められた。
鬼頭は来る日の確信を想い、歪んだ、気味の悪い笑顔を浮かべていた。