【本編完結】慟哭の龍【挿絵有り】   作:ロウシ

17 / 102
4/12 誤字修正、報告ありがとうございます(はやくない?)
   誤字修正+やや加筆。


第三話:プロ柔道

 

1.

 

 

 天城六郎であった。

 灼けた肌、太い肉、優しい眼。

 あの頃より、さらに重厚さが増している。

 龍刃の胸から、ぐ、と込み上げるものがあった。

 天城は龍刃に向けてふ、と微笑みを投げた。

 そして、龍刃と泉宗一郎の対峙する間。

 ふたりの攻撃が、一歩分届かない場所に立つ。

 

「誰だッッ」

 

 泉宗一郎が問う。

 闇を貫き、引き裂くような目線だ。

 それを悠々と受け流して、天城は答える。

 

「天城六郎……なに、ただの柔道家だよ」

「……寝技師、天城六郎かッ!」

「ほう、かの泉宗一郎に名前を知られているとは……わたしも、捨てたものじゃないな」

「獅子尾龍刃と、知り合いかね?」

「まぁね」

「わざわざ加勢し来たのかね?」

「まさか! 加勢なんてしないよ。それに、わたしをここに招いたのは、龍刃くんだけじゃない。泉さんもだよ。わたしは、きみたちに誘われて、ここにたどり着いたんだ」

 

 充満する闘気。

 ふたりの意気に巻き上げられる空気。

 鋭い刃物のように、あるいは岩のような鈍器か。

 決して形を持たないそれが、空間を満たし、せめぎ合っていた。

 それは神社の外。

 石畳の下遥か下からですら感じられた。

 独特の臭い──目に見えぬそれが、そばを通った天城六郎には、はっきり見えていたという。

 

「どんな怪物が試合っているのか──武術者として、泉さん、この気持ちはわかってもらえるだろうか」

「…………」

 

 泉宗一郎は、厳粛な顔で天城を睨んでいる。

 天城六郎に対し、警戒心を張り巡らせている。

 

 それにしても……と天城は言った。

 

「もったいないことをしたな」

「もったいないことだと?」

「決着がつくまで、待ってればよかった」

「怪我をしたわたしを、その後、襲うためかね?」

「まさか。そんなつもりじゃないよ。それに、かの泉宗一郎を運良く倒せたとしても……泉さんが既に瀕死であるのなら、『竹宮流に勝った!』なんて言いふらすことは、恥ずかしくてとてもできないね」

「どうかな? 常在戦場を盾に、道理は通るぞ」

「それはそうだが……そんなことを言えば、わたしは生涯をかけて、竹宮流と戦争をしなきゃいけなくなる」

 

 会話の要訣は、天城がこの場で泉宗一郎を襲う気があるのか、ということであった。

 いかに泉宗一郎が達人といえど、獅子尾龍刃と、寝技師の天城六郎のふたりがかりは手に余る。

 天城に寝技に入られたら、それだけで終わりだ。

 かと言って、先に排除すると言うには、獅子尾龍刃は()()()()()。 

 

「……いいだろう」

 

 泉宗一郎が言った。

 す、と一歩、二歩と、そのままの緊張感と姿勢を保ったまま、背後に下がっていく。

 

 泉宗一郎と、天城六郎の間に沈んだ静寂。

 獅子尾龍刃の間合いの遥か外。

 見つめ合うふたり。いや、泉宗一郎は、龍刃にも意識を割いている。

 月明かりと、風の音さえ入り込めない三人の世界で、果たしてなんのやり取りがあったのか。

 

「ありがとう」

 

 天城六郎が言った。

 ちら、と泉宗一郎が天城を一瞥した。

 

「今度、道場の方にもお邪魔しよう。菓子折りを持ってね。道場破りではなく、ひとりの客人として──」

 

 泉宗一郎の姿は、もう、闇の中に溶けていた。

 

 思い出したように、冷たい風が吹き始めていた。

 

 

2.

 

 

 あの場所へ、ふたりは向かった。

 川沿いに建っていた、あのボロの飲み屋だ。

 しかし、

 

「ああ──なくなっちゃったのか」

 

 天城の視線の先、飲み屋があった場所は、更地となっていた。

 四方に杭を打たれて、ざらついた手触りのロープが、囲うようにして結んであった。

 立て看板が挿してある。

 乱暴なペンキ文字で、『再建予定』と書いてあった。

 

「さびしいねえ」

 

 土地の再開発。

 国の手が入った以上、立ち退きも已むなし。

 戦後を、その苦難を忘れるように、目まぐるしい速度で、ものが、ひとが入れ替わっていく。

 変わらないのは空だけか?

 ここには、何が建つのだろうか?

 川沿いの土地だ。アパートや戸建てではあるまい。

 食品や貴金属を扱うような店でもないだろう。湿気が強いから腐ってしまう。

 もしかしたら、建物ではないのかもしれない。

 駐車場か、運動場か……あるいは、また、何かのクラブでも建つのか。

 

「すみませン」

「おいおい、なぜ龍刃くんが謝るんだい?」

「あの、おれ、天城さん……」

「すこし、歩こうかね」

 

 仕方なく、ふたりは川沿いに歩き始めた。

 この川も、あの時はもっと野晒しで、手入れのひとつされていなかった。水の色も濁って、ゴミがたくさん落ちていた。

 今でも雑草は生え放題であるが、その生え方、並び方に指向性が見える。

 ゴミもあまり落ちていない。

 川の水が、綺麗に星あかりを反射している。

 身元不明のどざえもんなど、ここ二年で全く、流れてこなくなった。

 

「天城さん……」

「強くなったね、龍刃くん」

 

 しみじみとした言葉であった。

 龍刃は、ぽろりと、ひと粒の涙をこぼした。

 

「テレビ、観たよ。去年のね。まさか、あの久我伊吉にプロレスをやらせてしまうとは──」

「久我、伊吉……?」

「なんと、まさか知らないのかい。きみがデビュー戦で戦った、黒い(おとこ)のことだよ」

「その、名前……聞いてなかったっスから……」

「ふっ……はっはっは! なんと、きみは、あの久我伊吉を、久我伊吉と知らずに戦っていたのか! なんて男だ、まったく……!」

「す、すんませんっス……」

 

 豪放に笑う天城に、龍刃は少し恥ずかしげに頬をかいた。

 天城が足を止めた。

 龍刃も、足を止める。

 川に目を向けた。

 川のせせらぎだけは、あの頃と変わらない。

 

「今日、きみに会いに来たのは、きみに頼みがあるからなんだ」

「勇一郎さんのことですか」

「────!」

 

 もったいぶった分、図星をついてきた龍刃の答えに、天城は目を大きく開いて驚いた。

 しかし、ひと間をおいて元の大きさまで目を細めた。

 ゆっくりと、口を開く。

 言葉に、観念が張り付いていた。

 

「そうだよ」

「天城さんは、最初、先生に用があるって言ってたけど……本当は、勇一郎さんに用があったんですよね」

「……そこまでわかってしまったか。ずいぶん、勉強したんだね」

「……すみません」

 

 天城は天を仰いだ。

 まだ、緩やかな空気を纏っていた。

 

「そうだよ」

 

 また、同じことを、同じ声色で、言った。

 

「わたしはね、今も、あの時も。範馬勇一郎を懲らしめるために、ここに来たんだ」

 

 

3.

 

 

 プロ柔道というものがあった。

 戦後、GHQによる日本統治の補助。

 その奸計のひとつとして、天皇崇拝と軍隊、体育的教育の撤廃があったことは、先に述べた通りだ。  

 その中で、相撲だけは、武術ではなく『神事』──すなわち武術ではなく『文化』と見做されたために、メス入れを免れたという話も、先述の通りである。

 

 だが、剣道、柔道はそうはいなかい。

 学校教育の場から、このふたつは当初除外されていた。

 そして、当然のように、道場を持つ柔道家や剣道家たちは、食い扶持を失っていったのである。

 範馬勇一郎が、新堂卍次と山伏達夫と共に、カネ稼ぎのためにハワイ、ブラジルと転々とし、黒帯(ブラック・ベルト)と初段の認可状を売りつけて回っていたのも、その煽りを喰らったためであった。

 

 元々から、柔道はカネになったわけではない。

 警視庁での指導であったり、学校教育での指導など、カネを貰って柔道を教える場はもちろんあった。

 柔道場も、もちろん門下生からは基本的に月謝(カネ)を取る。

 地方で開かれる大会なども盛んで、優勝すれば僅かながら、懸賞金がでていたりもしている。

 

 だが、その恩恵に預かれるのは、一部の、ごく限られた柔道家のみであった。

 

 普通の柔道家が、柔道だけでカネを稼ぐ方法はなかったのである。

 柔道はあくまで嗜み、趣味。カネを稼ぐものではないし、カネを稼いでいいものではなかった。

 だから──カネを稼ぐことをプロの条件とするなら──どんなに強くても、柔道家は分類としては『アマチュア』なのである。

 

 そして戦後になり、柔道家の数少ないカネ稼ぎの場すら消えていった。

 腕っぷしだけが取り柄の、大男たちの食い扶持は忽然と消えたのだ。

 反比例する治安の悪化と闇市の規模拡大、暴力団の勢力増加にしたがって、実力のある柔道家や各種武道家たちは、仕方なく用心棒となり、端金で雇われるなどして糊口を凌いでいた。

 

 それに、柔道家たちは危機を覚えた。

 当然である。

 そして、カネを稼げる柔道組織として、『プロ柔道』というものを立ち上げたのである。

 

 まだ、範馬勇一郎がブラジルに行く前であった。

 

 範馬勇一郎も、プロ柔道家に誘われていた。

 それどころか、勇一郎は自身が望むまでもなく、プロ柔道の旗印(エース)として登用された。

 プロ柔道と言っても、やることは全国を巡業し、大会や交流会を開き、それを見せものにすることで観客からカネを取ることである。

 つまり、柔道もまた、戦後わずかな期間、プロレスと同じことをやっていたのであった。

 

 しかし、プロ柔道はプロレスと違い、あっけなく破綻し、解散した。

 最初は客が入っていたが、二回、三回と大会を開くにつれて、目に見えて客が減り、あっという間に閑古鳥の鳴く、赤字経営となったのだ。

 

 これについてはいくつも理由がある。

 ひとつは、戦後すぐの時代、まだテレビが全く育っていなかったこと。

 この時期のテレビ局は国営放送のMHKのみである。

 カネになるかも分からない、訳のわからない組織で番組を組むことなどするはずもなかった。

 

 ひとつは、新聞各社の力添えをプロレスほどもらえていなかったこと。

 さらに言うと、地方の有力暴力団や、名うての興行師とプロレスほどうまく組めなかったことなど、さまざまな理由がある。

 要するに、宣伝と資金繰りができていなかったのだ。

 プロレス(力剛山)とは違った方向で、プロ柔道はプライドが高く、不器用だった。 

 

 『孤高の柔道家』、範馬勇一郎の存在と名は全国に知られている。

 国民皆武術者──国民に武術全般が親しい時代である。

 特に男子のほとんどが、今で言う格闘家マニアに近かった戦前戦中では当然であり、また、戦後まもない時期でも当然そうであった。

 だが、範馬勇一郎の強さを、実際に目にしたものは、知名度に反してあまりにも少ない。

 テレビ放送もなく、地方に行くための交通機関なども充実していなかったからだ。

 テレビや新聞が協力しなければ、当時、全国的な宣伝は不可能であり、ゆえに、プロ柔道なる団体が存在することさえ知らないものも多かったのだ。

 

 それでも、柔道家たちは食い扶持確保のために奔走していた。

 だが、何をしても赤字経営が続き、柔道家たちの間に不審感が燻り初めた頃、決定的な亀裂を入れた出来事が起きる。

 

 それが、範馬勇一郎の海外逃亡であった。

 範馬勇一郎は、自分がカネを稼ぐために、多くの柔道家を見捨てて、日本柔道界に砂をかけた。

 ブラジルの地へ、新堂卍次と山伏達夫と共に飛んだのである。

 団体の旗印を失ったプロ柔道に、誰が利益を期待して、出資すると言うのか。

 

 プロ柔道はひっそりとその命を終え、以降柔道界には『柔道でカネを稼ぐことは卑劣である』というような、極めてアナログで曲解された武士道が根付くことになる。

 

 

4.

 

 

 獅子尾龍刃は、範馬勇一郎のことが好きであった。

 その太さに憧れた。

 強さだけなら力剛山より強いと確信していた。

 史上最強の男だと思っていた。

 

 だからか、ある日、ふと、疑問が湧いた。

 その男が、なぜ、プロレスをやっているのか?

 これだけ強い男が、なぜ、台本のあるプロレスをやっているのか?

 疑問に思った龍刃は、自分のできる範囲で、勇一郎の背景を探っていたのである。

 

 そして、プロ柔道というものを知った。

 範馬勇一郎が、プロ柔道にとどめを刺したことも知った。

 

「天城さんが、あの時先生(力剛山)に用があったのは、勇一郎さんに会うためですね」

「そうだ。"範馬勇一郎がプロレスをやる、しかも、あの力剛山と……"それを知った柔道界隈は、もう、怒りに怒っちゃってね……」

「勇一郎さんを、こらしめてやろうとしたんですね」

「ああ。だが、力剛は計算高い男だ。()()()()である範馬勇一郎を壊そうとする連中を、わざわざ近づけたりするわけがなかった」

「それで、おれを助けて、因縁を……」

「正直、龍刃くんが絡まれているのを見て、わたしは『してやったり』と思っていたさ。これで、範馬勇一郎にお目通し願えるものか、とね……」

 

 だが、そうはならなかった。

 力剛山は天城に敗れたレスラーたちを破門に付し、天城六郎を相手にもしなかった。

 先輩レスラーと喧嘩をしたあの時の、天城の意味深な笑み。

 待ちかねた瞬間を迎えたかのような、嬉々とした表情は、ただ、喧嘩ができるからではなかったのか。

 

「それで、おれですか」

「……そうだ」

 

 天城はまだ、川を見ている。

 龍刃は、拳を握っていた。

 

「木っ端レスラーではなく、"獅子尾龍刃が壊された"とあっては、さすがの力剛も、我々を無視できまいて」

 

 『て』、の時点で、龍刃はもう踏み込んでいた。

 右ストレート。

 力が乗っている。

 龍刃の、岩のような拳が、真っ直ぐに、天城のこめかみに向かって行く。

 

 天城は拳を下から掬い上げた。

 左手の甲を当てて、持ち上げる最中に翻し、手首を掴む。

 

「むんっ!」

 

 右腕も龍刃の腕を掴み、そのまま、龍刃の打撃の勢いに沿って、龍刃の身体を持ち上げるように、その足を引っこ抜くように、投げようとした。

 

「くッ!」

 

 龍刃が重心をさらに落として堪える。

 すると、天城の力は龍刃の腕を遡って、今度は背中に向かって押し倒されるように、流れて行く。

 ぐら、と重心が揺らいだ。

 いとも簡単に。

 龍刃は尻から落ちた。

 しかし、強打した痛みを気にしない。

 目を閉じない。

 天城から視線を外さない。

 天城の身体が、龍刃の左側に、滑るように回り込んだ。

 左腕は先ほど、泉宗一郎との戦いで痛めている。

 反応が遅れた。

 正確には、反応してから、龍刃の意思の通りに腕が持ち上がる時間に、ラグがあった。

 

 天城は龍刃の左手首を捻りながら、背後に回る。

 左肩がぐい、と背面に窪んで、曲がった肘の隙間に足を差し込まれて、ぐいとまた、背中を押された。

 全て、一瞬の動作である。

 

 途端に、左腕から感電したような痛みが走った。

 全身がびりびりと痺れて、龍刃は腹這いに倒れた。 

 足が、鉛のように重い。

 血の脈動がわかるほど、全身余すことなく締め付けられていた。

 かろうじて動かせるのは右腕だけ。

 しかし、天城の身体はことごとく、間接の可動域の外にある。

 文字通り、龍刃は手も足もでない状態になった。

 左腕を片足で押さえた天城は膝立ちになり、両手が自由である。

 龍刃の広い背中を見下ろしている。

 

「が……くっ、があッッ……!!」

「もし、きみが万全なら、こう簡単には行かなかったよ」

 

 天城が言った。

 優しい声色である。

 極めている左腕を、肘から持ち上げた。

 龍刃の背中に、天城が乗る形になった。

 みり、みり、みちっ……と音がする。

 龍刃の左の肩関節の悲鳴である。

 ここから、あと五センチもひねれば、肩の靭帯が切れ、骨が外れる。

 

「ぐぐぐくっ……!!」

「ワルいね、龍刃くん。折るよ」

 

 ぐ、と天城が全身に力を入れた。

 

 

 

 

 そして、天城六郎の身体は、龍刃ごと水没した。

 

 

 

5.

 

 

「────ッッ!?」

「がぼ、ごぼぼッ……!! がばあッ!!」

 

 なんだ?

 何が起きた?

 

 天城は混乱した。 

 

 水の中──これは、川の中か!? 

 飛び込まれた!?

 どうやって──!?

 

 いや、考えている暇はない。

 肺に水が入った、力が入らない、息が続かない。

 落ちた衝撃で極めも外れた。

 水の抵抗がある、四肢が自由に動かない。

 龍刃は、どこに──

 

 ぐしゃっ!

 パンチ──鼻を潰された。

 なんというパンチだ、水中なのに。

 上はどっちだ!?

 ぐっ!

 鉄槌!? 頭を打たれている!

 上からだっ!!

 そっちが上かッ!!  

 しまった、先に立たれた!

 水面に上がれないッ!!

 あがらせないつもりだッッ! 

 龍刃くん、くそっ!

 鼻を潰されている、息が続かない!

 打撃が重い! 速いッ!!

 

「ごぼ、ごぼぼぼっ……!!」

 

 肩を潰された!

 くそ、押さえ込みにきた。 

 完全に沈める気だ。

 まずい、水中じゃあ跳ね返せない。

 まずい、

 まず、 

 だっ、しゅ……つ、し、なくて、は……!!

 

 て、を────…………

 

 て…………………

 ……………………… …… ……

 …………… …………………… ……………………

 

 

 

6.

 

 

 獅子尾龍刃がやったことは、シンプルである。

 

 右腕で天城ごと逆立ちとなり、右手一本で、川に向かってジャンプした。

 結果、天城ごと川に落ちたのだ。

 一瞬の出来事だった。

 天城は訳も分からなかっただろう。

 呆然と水に沈む天城をよそに、龍刃はすぐさま立ち上がり、鼻にパンチを打ち込んだ。

 呼吸をさせないためだ。

 そのあとは、もう、上から、天城の頭を叩きまくって水面から遠ざけ、肩を掴んで潰し、力で押さえ込んで動けなくしただけである。

 

 天城が気づいた時、更地の上であった。

 呆然となりながら、自らに何が起こったのか、思い出そうとしていた。

 すると、ずきりと、胸が痛んだ。

 見下ろすと、胸部に熱がこもって、腫れている。

 肋骨にヒビが入っているようだった。

 心臓マッサージの跡である。誰がやったのかは、言うまでもない。

 

 太い、岩のような気配があった。顔を、向けた。

 そこに、ずぶ濡れのまま正座した、獅子尾龍刃がいた。

 天城が立ち上がって飛びかかっても、ひと手間かかる距離に。

 

「天城さん……」

「そう、か……わたしは、負けたのか……」

 

 ふふ、と天城は笑った。

 憎しみなどない、むしろ、喜びの色があった。

 

「水場では、寝技は使えない──考えてみれば当然のことだが、いざやられてみないと、なかなか至らないものだ……」

「天城さんッッ……!!」

「ばかやろう。この天城に勝った男が、みっともなく、泣くんじゃない」

「……………!!」

「尋常の勝負だった。いや、むしろ、怪我をしている分。泉宗一郎と戦っていた分、龍刃くんは消耗していた。なのに、きみは勝ったんだ。この、天城六郎にだ。誰に恥じることもない、立派な勝利だ。胸を張りなさい……」

「天城さん、でも、おれ……」

 

 ふ、と天城はまた、笑った。

 立ち上がった。

 下駄は、どこかに行っている。

 だから、素足で歩き出した。

 龍刃とは反対方向に。

 

「とにかく、わたしは帰るよ。範馬勇一郎には、会えないだろうし、会ったところで、わたしには()()()()()()()()ことがわかった」

「天城さん……!」

 

 龍刃には、天城の立ち去る背中が、小さく見えた。

 闇の中に、あれほど存在感があった天城が、今や、その闇の中に食われてしまいそうに、小さく見える。

 

「天城さんッ!」

 

 龍刃は、天城の名を呼び続けた。

 天城は決して振り返らなかったが、一度、足を止めた。

 

「ありがとうございましたッッ……!!」

 

 龍刃は、頭を下げた。

 あの時のように。

 天城六郎に救われ、柔道の『理合』を教えられた時のように。

 

「あ、ありがとう、ございましたッッ!! ありがとうございましたッッ……!!」 

 

 とめどない、太い涙を流しながら、何度も、何度も言った。

 

 天城の背中が闇に消えても、

 何度も、何度も言い続けた。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。