【本編完結】慟哭の龍【挿絵有り】   作:ロウシ

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長くなりすぎるので分けました
遅くなって申し訳ない
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第三話:シン・昭和の巌流島

 

0.

 

 

 元茂木組構成員、氷野(ひょうの)文章(ふみあき)

 幼少の範馬勇次郎に襲われたことについて語る。

 

 

 

 あれは、人間じゃなかったね。

 範馬勇次郎。

 事務所に乗り込んで、あっという間におれ以外の構成員を皆殺しにして、親父さんの顔をぶっ飛ばしやがった。

 

 あんたは知ってるだろうし、だから取材に来たんだろうけど……おれ、元々ヤクザだったんだよ。

 茂木組って言って、そこそこデカい規模持ってたトコの。

 親父さんが戦後のゴタゴタに、愚連隊をまとめ上げて地元の有権者と繋がって、土木建築や不動産、賭博なんかを占めてて、おれ、そこの鉄砲玉(ヒットマン)だったんだ。  

 正確には、範馬勇次郎が襲ってきた時期には、鉄砲玉の育成を任されてた。

 

 おれ、戦争で家族全員死んじゃってさ。

 親父も、お袋も、妹も、家も。

 アメリカさまの落としてった焼夷弾に焼き払われて、なくなっちゃった。

 お袋と妹は、俺と親父の目の前で炎に包まれて、苦しみながら死んでったよ。

 親父はその場で気が狂っちまって、お袋と妹の()()()を口に突っ込んで食べたあと、自分から焼ける家に突っ込んでった。

 親戚もやられてたから、おれ、行くとこなくてさあ。

 だから、戦災孤児だったんだ。

 だから、ヤクザに拾われた。

 そん時、おれ、同じようなヤツらで集まって、乞食やったり、盗みやったりして、なんとか生きてたんだよね。

 飯を喰うためには、犯罪行為も殺人以外は辞さなかったよ。

 それが罷り通る時代だったしね。

 んで、ちょっと噂になってたのか、ある日、みんな揃って地元のヤクザに拾われた。

 おれたちのアジト──ちょっとした洞窟なんだけどね──に、高そうなスーツ着たヤクザの幹部が来て、そいつの部下が、おれたちの前に山のような量の握り飯を持ってきた。

 おれたちについてくれば、腹いっぱい食えるぞ。

 そう言われて、みんな即断したさ。

 腹減ってたからね。

 これから、飯の心配しなくていいってわかったら、断る理由、ないからね。

 

 それから、人並みの服着せられて、いいモン食わせてもらって──代わりに、チャカとヤッパとダイナマイト握らされて、茂木組の立派な鉄砲玉(ヒットマン)さ。

 

 他所の賭場荒らしたり、事務所にカチコミかけたり、敵対組織のアタマ路上で襲撃したり、色々やったさ。

 自慢にもならねえけど、歴史に関わる大事件のいくつか、実はおれたちが絡んでるんだぜ?

 

 鉄砲玉のやり方?

 そんなの知ってどうすんの?

 いや、教えるけどさ。お金もらってるし。

 そうだね、ポピュラーなのは、乞食の真似してさ、ワザときったねえ服着て、道を歩いてるターゲットに近づくんだ。

 

 近づくのにもタイミングがあって、そいつが賭けに大勝ちしてる時とか、商談が成立した後とか、飲みの後で酒に酔ってる時がいい。 

 もちろん、部下を連れてない時があるなら、それがベストだ。

 そんで、おれたちは敵のオヤブンさんに駆け寄って、言うんだ。

 

 すんません、ダンナ。

 しがねえ乞食に恵んでくだせえ。

 お礼に、おら、靴を磨きますから。

 顔がうつるぐれえ、ピカピカにさせていただきやす。

 

 そう言ってさ、靴磨き台とタオル持って頭下げる。

 んで、だいたい気分いいから、敵のオヤブンさんは台に足を乗せてくれるんだ。

 靴磨き台の中に、チャカとかダイナマイトとか隠しててさ、どん、て足を置いた瞬間に抜いて、ぶっ放すのさ。

 相手は正面に立ってるし、距離も近い。

 真っ直ぐ構えて撃てば、多少銃身がブレてても、胴体のどっかに当たるし、大抵それで死ぬからね。

 

 撃ち終わったら、全力で逃げる。

 死んでるかなんて確認しないよ。

 とにかく逆方向に走るんだ。

 逃げられなさそうなら、チャカを口に突っ込んで、自分で自分のアタマを吹っ飛ばす。

 その場で殺されるんならまだいいけど、万が一生きたまま捕まったら、拷問だからね。

 死ぬより辛い目にあわされる。

 だから、チャカには必ず二発、弾を入れておく。

 一発は標的に、もう一発は自決用ってワケさ。

 

 みんな死んでったよ。

 トチって殺されたり、拷問で死んだり、標的殺し損ねて、親父に殺された奴もいた。

 おれだけが生き残ったんだ。

 おれ、なんか運が良かったんだよね。

 だから、成人する頃には、いっぱしに名が売れてた。

 で──名と顔が売れすぎたから、鉄砲玉(ヒットマン)の現場、降ろされたんだ。

 だって、そのスジの人たち、おれの顔も名前も知ってるからさ。

 そんなんじゃ、暗殺なんてできるわけないじゃない。

 だから、親父もさ。

 おれを鉄砲玉として、いつ死ぬかわからないことさせ続けるより、ネームバリューを脅しに利用した方が儲けられるって、判断したんだよね。

 

 おれも、生き残った自負があった。 

 まあ、自分の強さに自惚れてたんだよね。

 道すがら、おれを知る連中は、みんなおれにビビって道を譲る。

 きもちよくってさあ。

 肩イかさせて、鼻たかだかだった。

 

 で、ある日、範馬勇次郎が来たんだよね。

 事務所にさ、確か、あの時は十三人いたよ。

 

 そろそろ戦後二〇年てとこだ。

 だから、事務所の中も小綺麗なモンでさ。

 机並べて、ファイル立てて、灰皿あって、ペンがその辺転がってて、ソファがあって。

 まあ、割と普通の事務所って感じ。

 一応、カチコミ対策で、思いっきりポン刀振り回したり、チャカをブッ放せるように天井が高くて壁が分厚くて、広い部屋だったねえ。

 

 ドアがさ、こん、てノックされた。

 おれたちはいったん止まって、おれが下っ端の三口ってやつに顎で示唆して、開けさせようとした。

 

 そしたらよ、『ごぎゃっ!』て音がしてさ。

 三口のやつ、ドアごと消えちまったんだ。

 んで、ばん! って音がして、おれたちが振り向いたら、奥の壁とドアに挟まれて、三口のやつ、潰れてたんだよね。

 あれで、三口は内臓が全部潰れて、骨も砕けて、死んじまった。

 ぶくぶくと泡だった血としょんべんを、床にこぼしてたなあ。

 でね、そいつ──範馬勇次郎ね。

 すごい勢いでドアを蹴り飛ばして、三口ごとぶっ壊しやがってさ。

 みんな、一瞬止まってた。

 呆然としたさ。

 なんで、ドアをぶち開けてばき、でもめき、でもない『ごぎゃつ』なんだろうって考えてた。

 あれ、今なら分かるよ。

 ドアの金具が引きちぎれたから、『ごぎゃつ』て音がしたんだ。

 

 おれたち、一斉に立ち上がった。

 カチコミなのはもう、みんなわかってたよ。

 でも、カチコミされた時って、ヤクザの反応だいたい同じなんだよね。 

 ドアを見るじゃん。

 立ち上がるじゃん。

 懐に手を突っ込みながら、『誰じゃあ、てめえ!! なんじゃあコラァ!?』って叫ぶ。

 結構手間かけるんだよね。

 え? 

 いきなりチャカぶっ放したりしないよ。

 もし、飛び込んできたそいつがさ、身体中にダイナマイト巻いてたらどうすんのよ?

 頭からガソリン被ってたらどうすんのよ?

 確認もせずにチャカ弾いて、ダイナマイトに引火したら、そこにいるみんな、まとめて死んじまうよ?

 鉄砲玉って、基本片道切符だからね。

 おれみたいに長生きできるの、ほんと珍しいんだよ。

 だから、事務所にカチコミに来るヤツなんて、大概ハラ括って、自爆道連れ上等の精神だからね。

 だから、カチコミかけられた側だって、まず、相手を確認しなきゃいけないんだ。

 

 だけど、弾けばよかったよなあ。

 だって、そいつ、範馬勇次郎。

 もういなかったんだよ。

 おれたちが立ち上がった瞬間には、動いてたんだ。

 立ち上がって確認するって動作の途中だから、おれたちはそいつの咄嗟の動きを掴めなかったんだなあ。

 

 んで、おれの前にいた久代ってヤツが、まず、あごを吹っ飛ばされた。

 たぶん、蹴りだったと思う。

 久代が真っ先にヤられたのは、久代がもうヤッパを抜いてたからだね。

 おれの目の前で、変な汁を吹き上げて久代が倒れる。

 もうこうなると、恐怖とか不安が迫り上がって、誰も反応できない。

 三人が、なんの抵抗もできずにヤられちまった。 

 手刀で腹抉られて、内臓こぼしたヤツ。

 目つきで目ん玉吹っ飛んだヤツ。

 壁に後頭部叩きつけられて、脳みそぶちまけたヤツ。

 あっという間に、部屋ン中は地獄だよ。

 

 おれがやっとチャカ抜いた時、範馬勇次郎はもう三人、ぶっ殺してた。

 全員一撃だよ。

 机が三メートルはね上げられて、その上に範馬勇次郎が跳躍して、机の上から机ごとアタマを蹴り潰す。

 壁を蹴って空跳んで、銃弾を躱してソイツの顔に張り手のフルスイング。

 踵や掌が、頭蓋骨とか胸の中に、不自然に沈み込んでんだ。

 ありゃあ、死ぬよね。

 

 でさ、おれが範馬勇次郎を、やっと見るわけ。

 返り血まみれの全身を。

 まだ、ガキだったよ。

 半裸でさ、上半身裸なんだ。

 下はゆったりした黒ズボン。

 この頃から筋肉モリモリでさ。まだ、骨格とかの大きさは一〇歳ぐらいなのに、全然子供っぽくない。

 悪魔みたいな顔で笑ってんだ。

 殺意ってゆーかさ。

 敵意ってゆーかさ。 

 おれ、死んだって思った。

 

 素手の、ガキ相手にだ。

 そいつさ、今考えると当たり前なんだけど、なんも凶器持ってねえでやんの。

 組事務所にカチコミかけるのに、普通そんなヤツいないよ。

 花山薫?

 アレは別。

 例外を持ち出して、論破した気になられても困るよ。

 アレも、おれたちからすれば、範馬勇次郎側の存在じゃないか。

 あの時にカチコミかけたのが花山だったとしても、変わらないよね。

 おれは機関銃どころか、バズーカ持っててもやっぱり降参してたよ。

 

 でさ、まだガキの範馬勇次郎を前に、おれは動けなかった。

 百戦錬磨、銃弾と爆薬の中を生きてきたおれがだよ?

 範馬勇次郎の放つ、なんていうか……異様な臭いにあてられて、動けなくなってた。

 

 そうしてるうちに、全員、殺されたよ。

 おれ以外。

 おれ、しょんべん漏らしてた。

 クソも漏らしてたなあ。

 歯が、ガチガチ鳴り出して、身体が芯から震え上がって、クソ漏らした上にへたり込んだ。

 範馬勇次郎が、おれを見る。

 おれは、その視線に耐えられなくて、両手でアタマ庇って、泣いたよ。

 

 カンベンしてくださいッッ!!

 ゆるしてくださいッッ!!

 

 てね。

 打算抜きで命乞いした。

 そしたら、範馬勇次郎、おれから振り返って出ていった。

 おれ、チャカ握ってたんだぜ?

 なのに、範馬勇次郎、おれに背中見せて悠々と去っていったよ。

 もう、おれは、敵とさえ見做されてなかったんだなあ。

 殺す価値もないって。

 

 その背中によ、おれは、見たんだよ。

 『鬼』が、宿ってた。

 筋肉が、鬼の貌を作ってたんだ。

 

 それで、茂木組は解散だよ。

 親父と若頭まとめて殺されてるからね。跡目もない。

 おれも、カタギに戻った。

 カタギに戻るのも苦労したけど、そんなモン、あの『鬼』──範馬勇次郎に襲われたことに比べりゃ、大したことないさ。

 

 これは与太話だけどね。

 あの頃、ウチの地元で暴力団が、大小問わず襲われる事件が頻発してた。

 事務所に乗り込まれて、組員が皆殺し。

 たぶん、暴力団とケンカするのが、あの頃の範馬勇次郎の趣味だったんだろうね。

 

 暴力装置が、暴力に襲われて、泣き寝入りする。 

 なんか、落語みたいなハナシでしょ? 

 みんなビビって口を閉ざしたから、真相は不明ってコトになってるが、アレ、一連の事件の犯人は、間違いなく範馬勇次郎だよ。

 

 それが真実なんだ。

 

 

1.

 

 

 御輿柴、渋川の合気柔術師弟との合同練習からしばらく。

 昼のことであった。

 龍刃は稽古着に着替え、雑巾とバケツを手に範馬邸の掃除をしていた。

 

 勇一郎は仕事に出て、妻は病院に行っていた。

 龍刃は仕事が休みなので、ひとり範馬邸におり、トレーニングの前に、いつも通り掃除をしていたのである。

 雑巾を片手に頑固な埃と戦いながら、龍刃の頭の中は、この一週間近く身体を軋ませている、『合気の理』についての思いでいっぱいであった。

 

 合気の理。

 御輿柴は何も語らなかったが、身体には多くを教えてくれた。

 合気の基本は、合気柔術と言うだけあって、柔術や柔道とあまり変わらない。

 ただ、おそらく『合気の理』は、柔術や柔道の理合より、もっと細やかで繊細なものだと思う。

 例えば、『柔道の理合』で相手を投げる時は、力任せに投げるのではなく、ある種のタイミングが噛み合った瞬間である。

 自分の身体の筋肉の張り、力の動き、呼吸のタイミング、手や足、腰の重心の位置。

 それが、相手のそれらと噛み合った瞬間を見逃さない。

 踏ん張って地面に噛み付く人間を、力任せに投げるのは、実はかなりの腕力がいる。

 相手を投げられる状態にする。

 そして、自分を投げれる状態に整えた時、ようやく、軽やかで綺麗な投げ技は成立するのだ。

 

 しかし、なんだかんだ言って、柔道の場合は結構な割合で自分の力任せに組み合う。

 単純に腕力差があるなら、相手をコントロールするためには技術を使うより、腕力を使う方が手っ取り早いからだ。

 柔道は長期戦になりやすい格闘技だ。

 明治大正のみならず、戦中戦後であるならば、ルールによっては投げられて一本で終わらない場合もあった。

 何を持って決着とするのか、それ次第ではいつまで経っても終わらないことはザラなのである。

 お互いにヘロヘロになった時、最後にものを言うのが土壇場の体力であり、腕力だった。

 

 だが、合気柔術は、この「相手をコントロールする能力」が抜群に高いのだと思う。

 相手を投げるために、相手の状態を整える技術に、柔道とは雲泥の差があるのだ。

 御輿柴に殴りかかると、龍刃の腕が吸い込まれるように御輿柴の手に掴まれてしまったのは、詰まるところが「御輿柴の打たせたい場所に、打たされていた」のだろう。

 

 普通、格闘技とは自分を支配するためのものだ。

 髪の毛先から指の先まで、己の肉体を支配する。

 極まれば、内臓や血流すら自由自在に動かしてのける。

 沖縄空手の『コツカケ』──腹筋操作によって睾丸を腹の中に隠す技や、古武術の『放華』──気血操作による毒物の排除などが、この一例に当たるだろう。

 しかし、合気柔術にとって、それは基本技能に過ぎないのだ。

 合気柔術の理は、術士の肉体を越えて、相手の肉体に作用する。

 自分と相手の間に流れる『力の流れ』とでも言うべきものを、支配してしまう。

 

 これは、柔道にはない力の使い方だ。

 力剛山のプロレスにも、当然ない。

 

 これを、合気の理をうまく使いこなせば、ずっとウマいプロレスがやれそうだな……

 

 などと、掃除をしながら、龍刃は未練がましく思ったのだった。

 

 と、その時、戸口から音がした。

 足音がして、呼び鈴が鳴った。

 

「はいはい」

 

 と、龍刃は稽古着のまま戸口に向かった。

 

 三人の影があった。

 

 中肉中背の中年男性がひとり。 

 その後ろに、いかにもゴツい男がふたり。

 みな、高そうなスーツをバシッと着こなしている。

 見るからに、それなりの身分の人間である。

 普通人ではないな、と思う。

 特に、真ん中の中年の男は。

 

「おう、真昼間にすまねえな。勇一郎さんはいるかい?」

 

 にこりと人当たりのいい笑みを浮かべて、中年の男が言った。

 

「勇一郎さ……範馬は今、所用で出ていますが……」

「そうかい。間が悪かったなァ」

「あの、失礼ですが……どちらさんで?」

 

 龍刃は怪訝な顔で尋ねた。

 中年の男はこりゃあいけねぇ、とワザと らしく驚いて見せた。

 

(おい)らぁ、藤木組の秋田太郎ってんだ」

「藤木組……」

 

 なんだ、ヤクザもんか。

 がっかりだぜ、とでも言いたげに、龍刃はこぼした。

 秋田の背後の男たちの表情が強張る。

 ずい、と前に出てきた。

 

「んだテメェッッ!!?」

「ナメてんのか、オイッ!?」

 

 そして、ひとりが龍刃の胸ぐらを掴んできた。

 龍刃は特に表情を変えない。

 面倒くさそうに頬をぽりぽりと掻いている。

 その態度が余計に、男の怒髪天を突いた。

 

「テメェ!! 死にてーのか……ッッ!?」

 

 言葉の途中で、龍刃は胸ぐらを掴む手を自身の左手で握り、そのまま力を入れた。

 それだけで、男の身体が背面に沿ってのけぞっていく。

 特別な技術などではない。

 龍刃は単に力で、男の身体を圧していた。

 

 とん、とそのまま男の身体を突き飛ばす。

 軽く飛ばしたつもりだが、男は尻から落ちて、地面に転がった。

 

「て、テメェ……ッッ!!」

「ナメやがって、殺してやろうかあッ!?」

 

 転がった男ともうひとりが龍刃を睨む。 

 立っている方が胸の内ポケットに手を突っ込んだ。

 龍刃はやれやれ、と思った。

 

「やめねえかあッッ!!!」

 

 ものすごい声であった。

 男ふたりと龍刃の意識を横からぶっ叩く、恐ろしい声である。

 発したのは、秋田太郎。

 その表情が、先ほどまでの柔和さを遥か彼方に放り投げ、怒りのような──恐ろしいカタチに変わっていた。

 眼が鋭い。

 吐く息も、眼光の発する力も、普通人ではない。

 

 三人の視線が集まるのを見計らって、秋田太郎は言った。

 

「ヤクザもんが図星突かれたからって、早々にケンカ仕掛けてンじゃねェ、バカヤローが。てめえら、ここで命が終わってもいい覚悟があんのかッ!?」

「し、しかしですね、秋田さん……」

 

 ぎろり、と秋田の眼光が男を射竦める。

 有無を言わせない圧力。

 並々ならぬ修羅場を乗り越えた漢の持つ表情。

 龍刃ですら、息を呑んで見入っていた。

 

 す、と秋田は龍刃を見た。

 険しい顔が、一瞬で和やかな空気に変わっている。

 

「すまねえな、兄さん。とりあえず、家にあげてもらっていいかい?」

 

 龍刃はあ、とぶつ切りに言葉を紡いだ。

 ど、どうぞ……と戸惑いながら、秋田たちを招いたのだった。

 

 

2.

 

 

 してやられたなあ。

 と龍刃は思った。

 

 座敷に招いた秋田は、龍刃が出したお茶をにこやかな顔で受け取った。

 部下たちは秋田が茶器に口つけるのを慌てて止めようとしたが、他ならぬ秋田に制止させられる。

 

「ウマいね……素朴な味だ」

 

 ふ、と息を吐く。

 堂に行った態度である。

 要件も何も聞いていないのに、つい、流れにノせられて家にあげてしまったことといい、秋田太郎の場を支配して、人を動かす力は本物だった。

 

「お粗末さまです……はい」

 

 こういう"ホンモノ"と接したことも、少なくない龍刃であるが、秋田の持つ人間力──つまりは任侠道はまた、初めて味わう類の力であった。

 

 おずおずと反応に困る龍刃に、ふふ、と秋田は笑いかけた。

 

「そう緊張しなくていいぜ。あんたのことも一応知ってるからよ」

「えっ?」

「勇一郎さんとはおれも、そこそこ古い付き合いでね。あんたの話もそこそこ聞いてたさ、獅子尾龍刃さん」

「そ、そっスか……」

「まァよ、あの久我伊吉にプロレスをやらせた男が、こんな初心(ウブ)とは思わんかったがね」

「す、すんません……」

 

 秋田太郎は、龍刃のプロレスデビュー戦を、その目で観たのだと言う。

 その頃、力剛山のタニマチとして、プロレスコミッショナーとして力があった藤木組は、ベープ兄弟とのチャンピオンリーグは特等席を用意されていた。

 

(おい)らァ、強ェ漢は好きさ。あんたは間違いなく強い。だから好きさ、獅子尾さんよ」

 

 豪快な漢である。

 秋田太郎とは気っ風の良い漢であった。

 

 しかし、そんな漢がなぜ、今、範馬勇一郎を訪ねるのか?

 素直に聞いてみると、秋田はははあと声を漏らした。

 得心の行った声である。

 

「勇一郎さんから、なンにも聞いてねェのかい?」

「はい……秋田さんのことも、今知りました」

「……そうだねぇ。あんたは力剛山の元弟子で、今は範馬勇一郎の弟子なンだ。知る権利はあるか……」

 

 秋田はき、と表情を引き締めた。

 ごく、と龍刃は喉を鳴らした。

 

「力剛山のやつな、もうすぐ殺されるぜ」

 

 秋田の言葉に。

 しかし、獅子尾龍刃はそれほど驚かなかった。

 

 

3.

 

 

「やっぱり、ってカオしてるぜ」

「そりゃあ、まあ……」

 

 戸惑いはある。

 しかし、驚きはない。

 力剛山は、人の一〇倍は、人から怨み辛みを買って生きているような男だ。

 それこそ、ヤクザや政治家や、怪しい連中との絡み、その人脈も太い。

 誰それが力剛の命を狙っている、力剛が誰かに狙われていると言われても、力剛山の本当の顔を知っているものからすれば、『そりゃそうだ』としか言えない。

 なんなら、力剛山を一番殺したいと思っている人間は、付き人兼弟子である猪狩完至であろう。

 

 だから、龍刃が困惑したのは力剛が狙われていることではなく、秋田の物言いが断定的なことにであった。

 

 力剛が狙われる。

 これならわかる。 

 力剛の暗殺が計画されてる。

 これでもわかる。

 だが、秋田は「殺されるぜ」と断言した。

 

 あの力剛山をして、避けられぬ死が待ち受けていると言うのか。

 また、殺されるぜ、と言う言い方からして他殺だろう。

 

 力剛山を殺せる人間がいるのか?

 力剛山は、ケンカの実力はもちろん、なによりその人間力がエゲツないほど高い。

 敵対するものには容赦がなく、どんな手を使っても排除しにかかる。

 利用できるものは骨までしゃぶり尽くして使い潰し、いらなくなったら即切り捨てる判断ができる。

 

 愚地独歩に制裁を喰らった事実はあれど、力剛山はアレすらも嘘と創作(アングル)を作り上げて広め、自身の武勇伝に昇華させてしまった。

 

 力剛を殺せる勢力?

 力剛を殺せる個人?

 

 獅子尾龍刃には、なかなか想像しにくいものであった。

 

 秋田太郎は言った。

 

「相撲だよ」

 

 ず、とお茶を飲む。

 龍刃は出てきた言葉が意外すぎて、くりっと目を見開いた。

 

「相撲……ですか?」

 

 確かに、力剛山は元相撲取りだ。

 元大相撲関脇上がり。

 品格が尊ばれる角界と、傍若無人な力剛山の性格は噛み合うはずもなく、力剛山は角界とは喧嘩別れのように袂を判っている。

 

「獅子尾さんよ。『昭和の巌流島』が、なんで起こったかは知ってるかい?」

「────それ、は……」

 

 勇一郎が、妻の治療費を稼ぐため。

 あれは、あらかじめ範馬勇一郎が負けることが決まっていた。

 周りには力剛山と範馬勇一郎は引き分けるとしておきながら、少なくとも当人同士では、力剛山を勝たせることを決めていた茶番のはずだ。

 

 秋田はふ、と息を吐いた。

 どこかしら、覚悟を秘めた間を取った。

 

「獅子尾さん。それは、間違ってない。範馬勇一郎が妻の命を救うために、負け役を請け負ったのは事実だ」

 

 だが、と秋田は続けた。

 それだけじゃあねェんだよ。

 と。

 

「────え?」

「おかしいとは思わねェのか? いくら世紀の一戦で、結果として範馬勇一郎の名声を地に落とすことになるモンだとしても……一〇年以上もバカ高ェ治療費と薬代を賄えるだけのカネを、たった一戦で貰えると思うかい?」

「そ、それは……」

 

 言われてみれば、なんか変だ。

 あれは、プロレスに生きるものも、武道に生きるものも、等しくコケにした茶番だ。

 日本武道の誇りを地に貶めたものには違いない。

 それを考えれば、範馬勇一郎は一生分のカネを貰っても良いはずだ。

 が──その価値を、果たしてどれほどの人間が理解できているのか。

 

 武道に生きるもの、プロレスに生きるものにとって、『昭和の巌流島』は転換期に違いない。

 だが、多くの人にとって、あれは所詮、プロレスのいちイベントにすぎない。

 武道の価値を、その誇りを、一体どれだけの人間が正しく理解できているのか。

 社会現象そのものとなったプロレスですら、その本質を理解できていたのは、力剛山や範馬勇一郎を除けばプロレスに関係する人間の中でもほんのわずかしかいない。

 かく言う獅子尾龍刃も、プロレスや武道の本当の価値を、当時に知っていたかと問われれば安安と首を縦には振れないだろう。

 

 プロレスラーのギャラを出すのは興行師(プロモーター)である。

 プロレスラーの、プロレスの試合の価値を決めるのは、その上──プロレスコミッショナーたちだ。

 

 あの試合の重大さを、本当に理解できていたのが、力剛山と範馬勇一郎以外にいたのか?

 いや、いるはずがない。

 世間的には、あの頃すでに、力剛山は国民的スターだったのだ。

 負け役にされた範馬勇一郎に、巨額の『退職金』を出すことを、コミッショナーたちが快諾するだろうか?

 

「ま、まさか……そのカネを出したのは……」

「そうだ」

 

 力剛山だよ。

 範馬勇一郎に、巨額の『退職金』を出すよう、上を説得したのは力剛山なんだよ。

 

 秋田太郎の言葉に、獅子尾龍刃の目が見開かれた。

 ぐ、と、その心が締め付けられていた。

 

 

4.

 

 

 『昭和の巌流島』の前。

 コミッショナーたちを含めた話し合いのあとの時間のことである。

 

「リキ」

「範馬さん、お話があります」

 

 高級料亭の一室。

 プロレスコミッショナーたちを先に退出させ、範馬勇一郎と力剛山だけが残った。

 範馬勇一郎と力剛山は机の前に沿って並んでいる。

 力剛山が正座し、範馬勇一郎に身体を向けている。

 範馬勇一郎は構わず、酒を注いだお猪口に口をつけていた。

 

「わかってるよ。今回、おれに負け役をやれって話だろ?」

「……はい。ですが、その理由を説明します」

「……タケミカヅチの一族だろ?」

「……ご存知でしたか」

「秋田さんから、ね」

「…………なら、話は早い。範馬さん、藤木組を通してプロレス入りを画策する横綱の西宮富士と付き人は、タケミカヅチの一族です」

「二千年前の約定とやらだっけ、柔道の世界でもちょっと有名でね。あの前田光世もシュミットとヤった後に、タケミカヅチの一族から『準備はできたかい?』と尋ねられたそうだ」

 

 はい、と力剛山は頷いた。

 

「おそらく、西宮富士の真の狙いは『プロレスからの力剛外し』ではなく、この試合で勝ったものと、決着をつけることでしょう」

「……それで、おれに負け役をやれと?」

「範馬さん、あんたの力はよく知ってる。タケミカヅチの一族はそりゃあバケモノだろうが、あんたは『鬼』だ。そうそう遅れはとらんだろう」

 

 だが、と力剛は続ける。

 

「藤木組は、この件でケツを持つ上で、あんたが負け役を飲むなら……あんたの()()()()()()()も、水に流すと言ってる」

「────!」

「範馬勇次郎……まだ小学生ぐらいのあんたの息子が、誰彼構わず暴力団を潰して回ってるのは知ってるぜ」

「…………」

「範馬さん。確かにあんたは強い……だが、暴力団は報復となれば手段は選ばねェ。あんたに敵わねェとなれば、連中は、あんたの嫁さんを狙うだろう」

「…………」

「他の暴力団も、明日は我が身だ。あんたの味方をする組織はねえ。ここで藤木組に手打ちにしてもらわなけりゃ、あんたは日本全国の暴力団とケンカし続けるハメになるぞ」

「……そうだなあ」

 

 範馬勇一郎には守るべきものがある。

 範馬勇一郎には、家族がある。

 愛する妻がいる。

 やんちゃだが、元気だけは百人前の息子がいる。

 勇一郎とて()()()()()生きていくために、仕事がある。

 常に妻のそばに寄り添えるわけではない。

 息子──範馬勇次郎も規格外に強いが、まだ子供だ。

 暴力団から四六時中、本気で命を狙われれば危ないのは間違いない。

 

「…………」  

 

 範馬勇一郎は精妙に目を閉じていた。

 口も閉ざしていた。

 考えていた。

 彼なりに、必死に。

 

「範馬さん! あんたには守るものがあるんだろう? 重荷を抱えたまま暴力団を敵に回した状態で、タケミカヅチの一族まで相手にするつもりかッ!?」

「……」

「範馬さんッ! ここであんたが負け役をやってくれれば、他の面倒は全部ワシが引き受けることになる。あんたは武道家としては死ぬが──()()()()()生きられるハズだッ」

 

 必死の言葉であった。

 力剛山からすれば、これもまた、体のいい言い訳ではある。

 だが、範馬勇一郎にとっては、正論に違いない──

 

「わかったよ……」

 

 範馬勇一郎は目を開けた。

 ゆっくりと。

 普段はどこを観ているかわからない目が、この時ばかりは覚悟を秘めて、暗く、輝いていた。

 

 そうして、範馬勇一郎は念書を書いた。

 その念書は、まさに万が一の時が訪れて、範馬勇一郎の決断を灰燼にせぬために公開される約束の元、力剛山に渡されたのであった。

 

 

5.

 

 

「────ッ!」

「これが、『昭和の巌流島』の真実だよ」

 

 言葉を失った。

 龍刃は、身体が震えるのを止められない。

 

 全部、範馬勇一郎と力剛山は、わかっていたのか。

 範馬勇一郎は、本当に、家族を守るために、意を決して茶番を行っていたのか。

 力剛山は、多大な打算はあるにせよ──しっかりとしたメリットを範馬勇一郎に提示して、了承の上でアレを行っていたのか。

 

 それを、自分は、何も知らずに……

 

 涙が出てきた。

 申し訳なくて。

 全然、考えが及んでいなかった。

 あのふたりは、自分なんかより、よっぽど大人のやりとりをこなしていた。

 それを隠し通して、お互いに不要な恨み辛みを買っていたのか。

 

「お、おれは……先生に……勇一郎さん、に……」

 

 言葉が続かない。 

 取り返しのつかないことを言ってしまった。

 範馬勇一郎にも、力剛山にも。

 ふたりとも、そんなことは、分かりきっていたのだ。

 範馬勇一郎が、あの時、ホテルに乗り込んだ自分に「ありがとう」と言った意味が、龍刃にはようやくわかった。

 

「獅子尾さんよ。つまりだ、力剛を殺す連中ってのは、そのタケミカヅチの一族だ」

 

 泣きながら、龍刃は秋田太郎の説明を聞いた。

 

 タケミカヅチの一族。

 二千年間、相撲界を中心に、日本武道界に根付く伝承。

 「準備はできたかい?」大男たちが、そう聞いてくる。

 それに、「できてるぜ」と答えたならば、その瞬間から戦いが始まる。

 そして、タケミカヅチの一族は、例外なく全員強いのだという。

 一説によれば、織田信長に仕えた黒人──御前試合の大相撲で圧倒的な強さを見せた──弥助もまた、タケミカヅチの一族であり、日本には『準備ができたかどうか』を問うために訪れたのだという。

 江戸時代には、タケミカヅチの一族は、史上最強の力士と言われる雷電爲右エ門を、野試合で倒して退けたという。

 

「『昭和の巌流島』は、図らずとも『日の本天下一の武道者』を決める戦いになっちまった」

 

 ややこしいことに、プロレス抜きのガチンコの強さにおいても、あのふたりに嘘はないのである。

 範馬勇一郎は当然として、それに劣るとはいえ力剛山もまた、後楽園地下闘技場で連戦連勝をこなす、日本で最強クラスの真剣勝負(ガチンコ)の強さの持ち主なのである。

 

「タケミカヅチは、そんなに強いんですか?」

「強い! おれは、こう見えて強いヤツを嗅ぎ分ける能力はなかなかのモンだと自負してるが──西宮富士と龍金剛は、少なく見積もっても獅子尾さん、あんたに負けずに劣らずのバケモノだ」

 

 それで、秋田太郎は範馬勇一郎のところに来たのか。

 納得する。

 つまり、そのふたりは、秋田の目からして、力剛山より強いのだ。

 

「勇一郎さんにゃ、関わるべき問題じゃねェのもわかってるよ、おれは」

 

 だが、結果として、勇一郎の負債を力剛山は全て背負い込んで、殺されようとしているのは事実だ。

 

 だから、それだけは、せめて範馬勇一郎の耳に入れておくべきだと、秋田太郎はわざわざ範馬邸に足を運んだのだ。

 

 




次回 第四話:龍金剛vs獅子尾龍刃 に続く
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