【本編完結】慟哭の龍【挿絵有り】   作:ロウシ

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6/7、8 誤字修正、報告ありがとうございます(いやほんとすんません…)
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第六章:荒野の獣たち
第一話:動き出す漢たち


 

1.

 

 

 広い庭の真っ只中である。

 ふたりの男が対峙していた。

 ひとりは、ひょろりとした体躯の男。

 身長は、日本人男性の平均より少し高い。

 一七〇センチメートル弱はある。 

 肉付きはさほどでもない。

 無地の白いTシャツ、どこにでもありそうな茶色の長ズボンを穿いていた。

 髪は短く、ほうほうに逆立てている。

 眼は黒目が大きく、格闘士と言うには悍ましさよりも朴訥さを感じさせる、童顔な風である。

 スーツを着せて、ネクタイを締め、ビジネスバッグでも持たせれば、そのまま新人サラリーマンと紹介しても違和感がなさそうである。

 そのぐらい、見目は普通の男だった。

 

 しかし、それが曲者である。

 この男、名を、鬼頭順之介と言った。

 かつて、日本最初のプロレスラー山伏達夫を抱え、力剛山のプロレスをつぶさんと、ベープ兄弟のチャンピオンリーグに久我伊吉を派遣した、暴力団青龍組の幹部たる鬼頭国左の甥っ子である。

 水上流古武術を学び、その殺人術を十全に、かつ躊躇なく振るえる男だ。

 いかにも普通人な見た目であることが、偽装の役目を果たすと思うほどの凶暴さを秘めている。

 

 構える鬼頭と向かい合う男。

 太い──

 両腕を自然にぶら下げ、なんの構えも見せていない。

 だが、圧力があった。

 まるで波のような──分厚く、広く、そして、(おお)きい。

 こちらは、見目は普通の鬼頭と違って、見るからに普通ではない。

 まず身長が高い。

 二メートルに迫る上背である。

 その眼を睨むためには、鬼頭は顎を持ち上げ、視線を見上げさせねばならなかった。

 体重は、一二〇キログラムは優に超えていよう。

 肉の分厚さ、量感はしかし、山のようだ。

 とても見た目の数値で測れるそれだけでは済まない。

 

 顔が(おお)きい。

 首が、その顔より太い。

 その首が半分埋もれるほど、僧帽筋が山のように盛り上がっている。

 肩周りがまた、岩のように太い。 

 そこから伸びる腕が丸太のようである。

 手も大きく、手のひらは分厚く、丸みがあり、決して短くないはずの指が、太すぎるせいで短く見えてしまう。

 爪にも断層のような盛り上がりがあった。

 腰と尻は引き締まっているが、尻から太もも、そこから下腿部に至るまでに太さの差がない。

 とにかく(おお)きく、太く、熱くて肉肉しい。

 身体中に、肌に、細やかな傷が散見された。

 潰れた鼻に、沸いた耳、唇が分厚いのは、なん度も細かく切れては治ってを繰り返した証拠である。

 左頬にはざっくりと、鼻の頭頂部に向かって刃物で斬り上げられただろう痕がある。

 その男の佇む空間だけが、色濃くなっていた。

 その佇まいが熱を放っている。

 男の周囲三〇センチの空気が目に見えて違う。

 熱量が違う、臭いが違う。

 男の立ち姿は、それだけでこの世界に楔を打っているようであった。

 

 獅子尾龍刃──

  

 快晴の空、太陽の恵みを己の肉体で塗りつぶすような男は、幾千幾万の修羅場を乗り越えた風貌を携えていた。

 軽く流れる風が、龍刃の肉体に触れると、その色と臭いが書き換えられてしまう。

 その眼は、敵意や殺意を超越した意を孕み、澄み切った色で鬼頭順之助を見下ろしている。

 

 鬼頭順之介は震えていた。

 その心が。

 あの日、獅子尾龍刃がテレビの中で、久我伊吉と戦ったのを観ていた。

 あっという間に、鬼頭の心はふたりの戦いに奪われた。

 会ってみたかった。

 いや、違う。

 戦ってみたかった。

 久我伊吉ではない。

 獅子尾龍刃と。

 

 夢が、ひとつ、叶った。

 ならば、その次の夢を見る。

 凡人とは乖離した強さを持つ鬼頭順之助はワガママであった。

 焦がれたアイドルにまみえた。

 卑しくも、立ち会っている。

 ならば──次に望むのは、勝利だ。

 

 今から、おれは、この巨大な肉の塊を、徹底的にぶち壊す。

 おれの、学んできた全てを使用(ツカ)って、蹂躙する。

 ガキの頃から喧嘩はやってる。

 バットとも戦った。

 ナイフとも戦った。

 武器持ちの多人数とも。

 師である水上喜左衛門とすら、暗器を用いた試合をもやった。

 師とは決着がつかなかったが、負けたことはない。 

 水上喜左衛門を除けば、その全てに勝ってきた。

 

 獅子尾龍刃──

 

 本物だ、ここにいる。

 見てワカる。

 ナイフやバットなど、比べ物にならない存在感。

 あの拳、あの足。とてつもなくデカい。

 あの四肢の凶器性に比べるなら、市販のナイフなどキーホルダーではないか。

 ああ、なんてことだ。

 焦がれた。テレビの向こうのあの姿に。

 いつ、誰と戦う前も。

 戦いのその後も、鬼頭の頭の片隅には、いつも獅子尾龍刃がいた。

 幾度も本物を夢想した。それと戦う夢を見た。

 ひどいダメージを受けても、獅子尾龍刃はきっと、こんなものじゃないと思い続けていた。

 

 そうして、今。

 目の前にホンモノがいるッッ。

 想像以上の本物ぶり。

 想定以上の戦闘能力ッ。

 妄想以上の獅子尾龍刃だ。

 獅子尾龍刃を前に迎えると、自分の発想が如何に貧困だったかを思い知らされる。

 

 予想外の想定以上の妄想以上。

 鬼頭順之介の中の『雄』が、歓喜に震えている。

 

 向かい合うふたりを見つめるものがいる。

 ふたりの間合いの外から。

 小柄な老人。

 体感、獅子尾龍刃の半分ほどの大きさに思える。

 徳川光成であった。

 後楽園球場地下闘技場のオーナーにして、この徳川邸の主である。

 

 徳川光成の顔もまた、目の前の僥倖たる景色に浸されて、奇奇怪怪の面相であった。

 その感情は間違いなく喜びであるのだが、普通人の喜びの発露と比べるなら、あまりにも無邪気で、毒が強い。

 

 獅子尾龍刃。

 古今東西の強者(ツワモノ)を知り尽くすと豪語する、徳川光成をして、その初対面はつい先ほどのことであった。

 

 

2.

 

 

 昼のことである。

 徳川邸に、獅子尾龍刃が現れた。

 なんの前触れもなかった。

 ただ、門前で『徳川さんにお会いできますか?』と馬鹿丁寧に頭を下げてきたのだ。

 守衛たちが訝しむ。

 頭を下げる男には、打ち込む隙がなかったからだ。

 柔和な態度、おおらかな声。

 しかし、その心の裡には、常に死を意識する俊敏鋭利な警戒網が息づいている。

 行住坐臥。

 常在戦場。

 ただものではない。

 

 守衛のひとりが光成の元に報告し、その身体的特徴を話すや否や、徳川光成は自ら玄関先に飛び出した。

 

 そうして、対座する。

 大広間で、上座に光成を置き、下座に獅子尾龍刃が正座した。

 そのはち切れんばかりの太ももの肉に、光成は恋をしてしまいそうだった。

 なんという肉。  

 なんという熱か。

 なんという雄々しい視線。

 この徳川を前に、まるで気を許していない。

 淑やかささえ含む色で、光成の意識は掬い込まれた。

 

「わたしのことは、ご存知ですよね?」

 

 初めまして、から続く言葉に、光成はキセルの煙を被せた。

 

「知っとるわい。"アジアン・ドラゴン"じゃろう? 力剛め、もっと早くにワシに紹介せいというハナシよ」

 

 ふ、と獅子尾龍刃は笑った。

 

「仕方ありません。先生は、徳川さんには罪悪感もあったでしょうし」

「なァ〜にが罪悪感じゃ! あの力剛がそんな殊勝な態度をとるかね。天地が逆さになってもありえんわい」

「……ですね」

 

 はは、と愛想笑い。

 光成はす、と意識を前にのめりだす。

 

「獅子尾龍刃。この一〇年、闘人市場やらD区(デンジャラス・ゾーン)で、派手に暴れておったそうじゃのう」

「いえいえ。闘人市場には二回しか出ていませんし……Dゾーンに至っては代理で三回出ただけですよ」

「全勝しといてよく言うわい。なんでワシのトコにこんかった?」

「徳川さんは、日本の武道界の重鎮です。あらゆる格闘士(グラップラー)のプロフィールを知り尽くしている、と聞いています」

「そうじゃ! ワシは格闘士の身長、体重、座高、血液型、好きなものから嫌いなもの、結婚歴から女癖まで……」

「なので、とっておきは最後まで……と思いまして」

 

 大輪の笑みであった。

 子供のような、屈託のない笑顔。

 徳川光成といえど、この顔が意図する自身への賛美に、無粋を打つほど耄碌はしてはいない。

 

「おヌシの望みはワカっておる」

 

 ──範馬勇次郎の居場所じゃろう?

 

 と、光成が言うと、龍刃の表情がコンマ一秒固まった。

 してやったり。

 と光成は深く、静かに笑った。

 

「さすがは徳川光成……」

「じゃが、そう易々と教えるワケにはイカんのぉ〜ッ」

「……はい。徳川さんからしたら、何を今更、というハナシですものね」

「ふふ、ハナシが早いのう。しかし、獅子尾龍刃というとびきりの上玉を前に、無碍にするのも徳川の血が泣くと言うもの……」

「……試合えと?」

「イヤか?」

「いいえ」

 

 深い笑みを、お互いに浮かべていた。

 その時、襖が開く。 

 間を見計らったタイミングだ。

 男が立っていた。

 鬼頭順之介であった。

 

「紹介しよう、彼は鬼頭順之介くん。ワシ以上のきみのファンじゃ……ッ!?」

 

 出ましょうか。

 と言った。

 龍刃は既に立ち上がっていた。

 徳川光成を、遥か頭上から見下ろしていた。

 そして、鬼頭の隣をゆうゆうと横切り、三人して庭に出たのだった。

 

 いずれも、巨躯に見合わぬ動きであった。

 その軽やかさ、唐突さは、人の心理の隙間をすり抜けるようで、どこか飄々としていた。

 

 

3.

 

 

 真剣勝負の臨場感は、まさに非日常の形容である。

 徳川光成は、湧き上る歓喜を自らの体内に押し留めんと、胸の前で手を握り合わせていた。

 嬉々の情が、無意識に形作った構えが祈りのそれであることは、なんの偶然であろうか。

 日常と非日常の境界。

 いずれにおいても、圧倒的な感動に出会う時に、人は謝意を示すというのは嘘ではないのだろう。

 その中で、徳川光成の場慣れは、この位置から動かなかったことにある。

 ふたりの漢に気圧されるが、決して後退りなどしない。

 開始の合図を送るような真似をしないのだ。

 全て、格闘士に任せる。 

 自分の全ては存分に利用させるが、自分の何かを利用させることはない。

 それは、徳川光成の、地下格闘技のオーナーとしての矜持でもあった。

 

 ふたりの漢が放つ闘気は、既に徳川邸全域を包み込んでいる。

 流れる風──

 漂う空気──

 蒸せるような臭い──

 廊下を歩く使用人の微かな息遣いから、池の水面に波紋を作る、金魚のゆらめきすら、彼らの手中にある。

 

 機微を探るというのは、戦いである。

 あるいは、この対峙が既に、目に見えぬ領域での緻密な攻防を描いているのだ。

 このシチュエーションを維持するために、両者はそれだけで体力を消耗している。

 気力、精神力もまたしかり。

 敵対者の気が張り巡らされた環境では、迂闊な攻撃は自殺に他ならない。

 鬼頭順之介が圧されていた。

 ある種、当然の帰結である。

 鬼頭順之介と獅子尾龍刃では、身体に差がありすぎる。

 圧力は基本的に、大きさと重さに直結する。

 獅子尾龍刃はデカい。

 その存在感も含めてだ。

 鬼頭は既に、出すべき『先』を奪われていた。

 

「ちいっ!!」

 

 しかし、踏み込んだのは鬼頭であった。

 先手、左の刻み突き。

 効かせるためのパンチではない。 

 いや、当てるためのものですらない。

 故に、獅子尾龍刃は動かない。

 これは、避ける動作を誘うためのニセモノ。

 着弾点がいちばん遠い顔に、こんなに遅い拳をいきなり当てにくるワケがない。

 本命のためのフェイント。

 事実であった。

 

 鬼頭は、龍刃の目の前で拳を止めた。

 龍刃の視界のど真ん中に、鬼頭の拳が入る。

 いい拳であった。

 これは当てる気がないが、この拳。

 これは、その気になれば、人の頭を砕いて容易く殺せる握りをしている。

 

 鬼頭は拳を開いて、龍刃の目頭を叩いた。

 擦るように。

 ほぼ同時に、右拳が龍刃の腹部に伸びていた。

 龍刃は、

 

「──ッッ!?」

 

 前に、静かに踏み出していた。

 緩やかな動きであった。 

 傍目に見る光成の目にも、鬼頭の胸に向かって抱きつくように、倒れ込むように、するりと入り込む動きははっきりと見えた。

 そのまま、龍刃は鬼頭の背中に両腕を回した。

 鬼頭の伸び切った右手には、寸鉄が握られていた。

 

「────ッッ!!」

 

 光成の眼から見ても、力の差が歴然であった。

 龍刃は鬼頭の両脇の下から、抱え込むように腕を回していた。

 鬼頭の腕の可動域が限られている。

 さらには、龍刃は鬼頭の身体を持ち上げていた。

 鬼頭の両足が大地から離れている。

 金的──無理だ。

 獅子尾龍刃の太ももが太すぎて、足を差し込む隙がない。

 寸鉄を翻して後頭部を打つ?

 無理だ。密着しているから一撃で仕留められない。

 なにより、絞め殺される方が早い。

 何もできない。

 

 鬼頭がそれを存分に味わってから。

 龍刃は、そっ、と身を離した。

 

「…………ッ!!」

「まだ、やるかい?」

 

 鬼頭の額に粒状の汗が浮かんでいた。

 それらが重力に従って流れ落ちないのは、噴き出た汗が粘性を持っているからだ。

 俗に言う、イヤな汗である。

 ふるふると、肩が震えていた。

 

「それまでッ!!」

 

 止めたのは徳川光成である。

 ふたりの間合いに、光成は飄々と入り込んできた。

 殺傷可能圏内だと言うのに、まるで遠慮がない。

 既に、徳川光成の品定めは終わっているのだ。

 

「見事じゃ、獅子尾くん」

「いや、鬼頭さんも、すごかったですよ」

「ズルいなあ獅子尾さん……そう言われちゃあ、おれ、何も言い返せないじゃないっスか」

 

 龍刃はにこりと笑って見せた。

 鬼頭は正直戸惑っていた。

 暗器を使用(ツカ)ったことを、全く咎めない。

 確かに、この立ち会い、ルールはない。

 徳川光成は、地下闘技場で、開始(はじ)まる前に必ず行われるルール確認──すなわち、『この試合においてあらゆる武器の使用を禁ずる』という宣誓をしていない。

 つまり、この試合、鬼頭が暗器を使用しても、それはルール違反にはならない。

 徳川光成は、鬼頭順之介の使用(ツカ)う流派を知っている。

 すなわち水上流が、武器術にも長けた殺人拳であることを承知の上だ。

 その上で、ルールに口出しがなかったと言うことは、『存分に使用(ツカ)え』ということだったのだろう。

 

「ズルいなあ、徳川さん。試合の外で格闘士の動きをコントロールするのは、反則じゃあないですか」

「そう言ってくれるなや、鬼頭くん。それに気づき、ルールの穴を即座に利用してきたその機転、ワシは評価するぞい」

「そうさ。今回はたまたまおれが勝ったが、これが路上の実践とかだったら、本気の殺し合いだとしたら──結果は全然違うものだったろうね」

「軽くいうなあ、獅子尾さんは」

「おれときみに、見た目ほどの差はないってことだよ、鬼頭くん」

 

 獅子尾龍刃はふふん、と笑った。

 どこか自虐的な顔であった。

 

 

4.

 

 

「ベトナムじゃ」

 

 再びの座敷にて、徳川光成の声は瑞々しいものだった。

 先の闘争を全身に浴びて、陽光に当てられた青葉の如く、細胞が若返った心地なのだろう。

 

「ベトナム……ですか?」

「そうじゃ」

 

 お主もしっておろう?

 光成は続けた。

 

 ベトナム戦争──

 ことの発端は一九五四年。

 南北に分かれたベトナム国内での内紛が勃発、過激化したことに端を発するとされる。

 当時の国際的勢力図の煩雑さ、ベトナムという国の地理に基づく世界情勢の混雑から、一国家の争いを越えまたたくまに世界に飛び火し、一九六四年にアメリカ合衆国が参戦して泥沼の一途を辿る。

 

 一九七三年現在において、この戦争に対する大国の威信にすがるアメリカの執着は異常極まるものであり、当初は戦火を喜んでいたとも言われるアメリカ国内からすら厭戦(えんせん)感情が湧き上がっている。

 

「そこに……範馬勇次郎が……」

「ウム……」

 

 戦場──

 範馬勇次郎は、まだ一〇歳にもならない頃に、暴力団事務所を潰してまわっていた漢である。

 多くの人間を──範馬勇一郎をすら、殺した漢である。

 異常極まる暴力と、暴力の発散を求めている。

 すなわち「力の解放」に快楽を見出していると、言われていた。

 

「戦場で、アメリカ兵の間の渾名として『オーガ』と呼ばれておるそうじゃ……」

「オーガ……」

 

 つまり、父、範馬勇一郎と同じく、鬼と呼ばれているのか。

 

「……止めても、いくのか?」

「ええ。ありがとうございます、徳川さん」

「本当にか?」

「……約束したんです」

「……国外では、ワシの権力(ちから)は役に立たんぞ。範馬勇次郎でさえ、ベトナム側のくせに何処にも所属せず、たった独りでアメリカと戦っておるそうじゃ」

「だったら、尚更、おれは行かなきゃダメなんです」

「…………」

「ありがとうございます、徳川さん」

 

 光成はキセルを吹かした。

 獅子尾龍刃は両手を揃えて、頭を下げた。

 立ち上がり、座敷から出ようとした時、

 

「ひとり、アテがある」

 

 光成の言葉に、龍刃は足を止めた。

 振り返る。

 光成は、言いにくそうに、口を開いた。

 

「ワシの趣向からは微妙にズレておるが、ひとり、戦場のスペシャリストを紹介してやろう」

「スペシャリスト……ですか?」

「ああ」

 

 龍刃は振り返り、また、下座に着いた。

 正面に、光成を見据える。

 

「元々はさる流派を継ぐ武道家でのう。表の試合で()()()()()、裏社会に飛び込んだ挙句、ワシの静止などまるで無視して傭兵になりおった漢じゃ」

「……ヤりすぎて?」

「試合中にのう……空手にキック、その他色々と表裏問わず格闘大会に出とるんじゃが……いずれも決勝で相手を死に至らしめておるのよ」

「────ッ!」

「いずれもルールに則った結果じゃ。故に、どれも事故と片付けられておるがの」

「そいつの、名前は……」

 

 光成は、ギョロリと目玉を丸くした。

 

「薬師丸法山じゃ」

 

 

5.

 

 

「法山のガキの名前が出てくるたあ、徳川さんもホンキだねェ」

 

 しみじみと言うのは藤木組当代組長、秋田太郎であった。

 はい、と頷いたのが、獅子尾龍刃である。

 一九六三年、力剛山と範馬勇一郎亡き後、獅子尾龍刃の面倒を何かと見てくれているのがこの秋田太郎であった。

 

 勇一郎の死後、その妻は全ての財産を龍刃に託し、出家した。

 龍刃は勇一郎の死を見届けた後、気持ちの整理をつけるために秋田に頭を下げに行ったのだ。

 龍刃は指の一本詰める覚悟であったが、対面した秋田は、

 

「おめェさんが無事で良かったよ」

 

 と笑い飛ばした。

 秋田太郎はどこまでも豪放で、任侠の漢であった。

 

 徳川邸で薬師丸法山の名を出された後、光成は法山には自分から話を通しておくと約束をしてもらった。

 そして、退出の際に「秋田太郎なら、薬師丸法山について知っている」と聞かされたために、徳川邸から直接、藤木組の事務所に足を運んだのである。

 

 ビルの中に構える、立派な事務所であった。

 龍刃は来賓室に招かれ、バネのしっかりした光沢のある茶色のソファに座らされていた。

 お茶菓子を出されていたが、一切手をつけていない。

 

「そんなにヤバいやつなんですか?」

「ヤバいやつだよ。当時、範馬勇次郎が誰彼構わず暴力団を潰して回ってたが、それを聞いた当初、おれァ『また法山のガキのせいか!』って思っちまったぐれェだよ」

「ゆ、勇次郎とおんなじことやってたんスね……」

「あのガキ、カネが入り用になったらカツアゲ感覚で暴力団事務所襲ってやがったからなあ。おまけに保護者なンかもいなかったモンでよ。ある意味範馬勇次郎より手に負えねえヤツだったよ」

「そ、そいつはヤバいっスね……」

 

 薬師丸法山。

 どうやら想像を遥かに越えてヤバいやつのようだ。

 

「傭兵になってることは知ってたがよ、まさか、ベトナムにいるたァな」

「秋田さんから見て、その……薬師丸法山て信頼できるヤツですか?」

「おいおいリュウやい。ハナシ聞いてなかったかい? (おい)らァこれでも、いち暴力団組織を預かる身だぜェ? こっちからしたらおめェ、礼儀も仁義もねェ法山のガキにいい印象持ってると思うかい?」

「……いや、そうっスよね。はは……すンません」

 

 秋田は葉巻に火をつけた。

 最初は嫌悪感のあったこの臭いも、龍刃にはすっかり慣れたものになっていた。

 

「ベトナムまでのカネは、おれが出してやるよ」

「すンません、いつも秋田さんには世話になりっぱなしで……」

「気にすンない。おれが好きでやってることだ」

「すンません」

 

 顔を俯かせ、視線を落とし、顔に陰を落とす龍刃の陰気臭さに煙を吹きかけて、そうだな、と秋田は言った。

 

「じゃあ、おめェさんが、(おい)らたちの代わりに法山をぶん殴ってくれや。ついでに、勇一郎さんをぶっ殺した勇次郎のケツも割ってくれりゃあ文句ないぜ」

「が、頑張ります」

 

 

 こうして、獅子尾龍刃はベトナムへと飛んだ。

 一九七三年のことである。

 

 後にブラッディ・メアリーと呼ばれる地獄の世界を、龍刃は法山は駆け抜けることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6.

 

 

 絢爛豪華な部屋であった。

 両脇の道沿いに、さまざまなポージングの彫刻が並べてある。

 床にはふんわりした足触りのカーペット。

 壁には絵画、道沿いの机には花瓶。

 いや、ここは部屋ではない。

 通路だ。

 それも、ただの通路ではない。

 囚人が収監されている牢への道筋なのである。

 

 アメリカ合衆国CIAのひとり。

 名も無き男は愕然としていた。

 泥沼と化したベトナム戦争。

 もはや、これ以上の作戦行動はアメリカ合衆国の地位と名声を傷つけるだけである。

 国民の厭戦感情はストライキとなって目に見える形になっている。

 ベトナム戦争を終わらせるべき、アメリカは撤退すべきだという署名が毎日のようにホワイトハウスに投げ込まれていた。

 米国防総省、及び米国各軍はこの事態に憤慨する。

 アメリカが戦争に負けることなどあってはならない。

 戦争から自ら撤退するなどあり得ない。

 この国は、戦争に勝利することで力を、富を築き上げてきた。

 戦争がテレビで報道され、前線で当たり前に行われていたことが放送されたぐらいで何を言うのだ。

 国民の掌返しは、軍上層部にとっては売国奴のそれだとすら映っているだろう。

 

 しかし、国民感情を無視するには規模が大きくなりすぎており、また時間がかかりすぎているのも事実である。 

 なにより戦争は経済を発展させ富を齎すが、同時に戦中は経費がかさむのだ。

 既に、ベトナム戦争に対する戦争費用は利益を取れないほど膨れ上がっていた。

 

 そこに増して、アメリカの頭を悩ませているのが、唐突に戦地に現れては圧倒的な暴力を振るう『オーガ』の存在である。

 

 アメリカ軍に敵対するこの暴力少年は、一切の武器を用いずにいくつもの部隊を壊滅させ、ベトナム側の『反アメリカ』勢力に勢いと士気、そして力を与え続けている。

 もしかしたらアメリカに勝てるかも……などと、思い上がった希望を現地民にもたらしているのだ。

 

 既に対オーガ用の作戦は開始している。

 しかし、その内容は杜撰のひと言であった。

 国際的に危険視されていながら、まだ色も知らぬガキだとタカを括り、美人局を仕掛けようと言うのだ。

 

 なんという危機感の無さ。

 呆れ果てたCIAの一派が、特効薬を求めて足を運んだのが『ここ』であった。

 

 すなわち──アリゾナ州立刑務所。

 通称、ブラック・ペンタゴンである。

 

 そこに収容されている漢に、話をしにきたのだ。

 アメリカで最も喧嘩が強い漢。

 世界最自由の男。

 "繋がれざるもの(アン・チェイン)"と呼ばれる男に。

 

 荘厳な両開きの扉の前で、

 

「はいりたまえ」

 

 と、艶のある声が響いた。

 CIAの男は足を止めた。

 

 来ているのが分かったのか!? 

 なぜだ!?

 来訪日は伝えていないハズ──?

 

「どうした? 遠慮せずはいりたまえ」

 

 声は和やかな調子だ。

 やや上から目線。

 ぐ、と覚悟を決めて、男は扉を開いた。

 

 

 ──そこに、太い男が立っていた。

 

「は、初めまして……ミスター・アンチェイン……」

 

 苦笑いを浮かべる男に、太い男はズカズカと容赦なく近づいて、自らその手を取った。

 恐ろしいほど分厚くて、肉肉しい手であった。

 

「オリバだ」

 

 太い──否ッ。

 何もかもが太すぎる男は、楽しそうに笑っていた。

 

 

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