1.
勝つつもりなんて、なかったんだ。
最初は。
勇次郎。
おまえを相手に、勝てる気なんてしなかった。
ただ、おれは、おまえに、伝えなきゃいけないと思ってた。
それは、例えば勇一郎さんが『父親として』伝え損ねたこと──
例えばよ、範馬勇次郎ってスペシャルな存在が──
スペシャルな存在のままだって、ヒトの世界に居ていいんだぞ、ってこととか。
何も恐れることはないんだぞ、ってこととか。
この世界には、強ェやつが、もっとたくさん、いるんだぞ……とか。
他にも、色々。
おまえが、勇次郎。
強さのことを、『不純物』がないことだと思ってることとか──
それが、間違ってるとか言いたいんじゃなくて、そういう考えもあっていいんだとか──
おまえは、ひとりじゃなかったんだとか──
勇一郎さんは、おまえをちゃんと愛してたんだとか──
とにかく、色々言いたいこと、伝えたいことがあったんだ。
だけど、おれ、バカだからさ。
言いたいこと色々考えてたんだけど、おまえを前にしたら、もう
他に、おまえを、範馬勇次郎を相手に、うまく伝える方法を思いつかなくってさ。
だから──殴り合うことにしたんだ。
伝えるだけなら、こんなこと、手紙でいいんだ。
だけど、それじゃあとてもとても……
手紙を完成させるだけで、もう一〇年はかかっちまう。
流石のおれも、もう一〇年、この強さを保てる自信はねェんだ。
だから、おれがイチバン強いこの時にしようって。
おれが、おまえに色々と伝えるためには、今、この瞬間じゃねェとって。
おまえと、真っ向から殴り合うしかないって思ってたんだ。
おまえ、勇次郎。
やっぱめちゃくちゃ強ェよ。
おれ、勇一郎さんに、毎日ボロクソにされてたけど、おまえ、たぶん勇一郎さんより強いと思う。
それは認めるよ。
おまえは間違いなく、勇一郎さんを超えてる。
『地上最強の生物』だよ。
その看板に嘘偽りはないって、おれは太鼓判を押すね。
おれは全身全霊をかけてる。
おれが、培ってきたおれの
だけじゃなく。
おれが、辿ると思うおれの
まで、使いはじめてるんだ。
力剛山先生に習った力。
勇一郎さんに習った力。
おれを、ここまで強くしてくれたみんな。
その総てを使い切っても、まだ届かない。
だから、もう、おれはおれの明日を
おれだって、ひとよりは幾分か頑丈なんだぜ?
それなのに、おまえときたら、勇次郎や。
完全に人間の域を超えてるなあ、これは。
勇一郎さんだって、骨折はするし、青あざぐらい作ってたゼ?
なんなら、おれだって、最後の方ではイイカンジに揉みあって、勇一郎さんと乱取りやってたんだぜ?
なのに、おまえときたら、青あざひとつ作るのにも、おれが命懸けだもん。
強いよ。
本当に強い。
感動的だ。
だから、よ。
おれ、欲張りだからよ。
おれ、バカだからよ。
願っちまったんだ。
欲望ってヤツが、生まれちまったんだ。
おれ、おまえをぶっ倒してェ……って。
ワカるよ。
ワカってるよ。
力の差は歴然。
優劣は明白。
おれは、かろうじて手が出せてるだけで、もう拳に力が入ってるのかすら曖昧だ。
瞼が腫れ上がりすぎて、目がチカチカしてて、
でも──勝ちてェ。
そう思っちまったんだ。
そう思っちまったらよォ、もう、ヤれるだけ、ヤるしかないだろォッ!?
だって、おれはまだ死んでない。
だって、おれはまだ立ち上がれる。
まだ、おれには
まだ、おれは拳を握れるし。
まだ、おれの拳には、力剛山先生や、勇一郎さんが宿ってる。
おまえは、勇次郎。
そういうことを、絶対認めねェのは知ってる。
強さに『純度』を求める男だもんな。
耐え忍ぶことや、愛を、強さとは認めねェ男だ。
……いや、そうしなきゃ、生きていけなかった男だもんな。
一生懸命、探したんだろ?
自分が、ヒトと違う理由を。
地上最強に生まれてしまった理由を。
ヒトに生まれながら、ヒトの社会から、お前の力は逸脱しすぎてるもんな。
だから、本当は、お前だって、寂しかったんだよな。
たぶん。
同じ悩みなんて、誰も共有しようがない。
孤独──ただひたすらに、ひとりだ。
勇一郎さんに、勝ちたかったワケじゃないんだろ?
認められたかったんだろ? 本当は。
“ここにいてもいいんだ“って。
他でもない、
理解できなかったんだろ?
だから、怖かったんだろ?
だから、家に帰らなかったんだろ?
おまえは、勇次郎よ。
おまえはアレだけの力を、家族のために捨てられる勇一郎さんが、理解できなくて怖かったんだ。
勇一郎さんが、おれに任せたこと。
おカミさんが、おれに任せたこと。
範馬としてはお務めを果たしたが、父親としては務めを果たせなかったって、そう言うことだと思うんだ。
それを、おまえに教えて、おまえに伝えることだと思うんだよ。
父親が、子供に与えるもの。
家族に与えられるものって、喜びだと思うんだ。
力だと思うんだ、おれは。
『オヤジのゲンコツ』ってヤツだ。
親子が──親父と息子が喧嘩したなら、親父は、親父の恐ろしさを存分に教えた上で、息子を慰めて、喜ばせる。
そこまでやって、父親なんだ。
生き様を見せて、子に、『道』を示す。
その上で、『おまえはおまえの道を行くこと』を教えるのが、父親の仕事だと、おれは思うんだ。
だけど、おまえは勇一郎さんを殺しちまった。
そのせいで、おまえは『範馬の血』に、その宿命に、道を染められてしまったんだ。
血に縛られたんだ、勇次郎、おまえは。
勇一郎さんは、それを後悔したんだと思う。
勇一郎さんは、範馬の血の運命に抗って、ヒトの世界で生きていけた。
だから、息子にも、自由に──ヒトに愛されて、生きてほしかったと思うんだよ。
息子の幸せを願わない父親なんていないさ。
おれの本当の父ちゃんだって、そうだったんだから。
勇次郎、おまえ、ベトナムじゃ人気だったよ。
大国に、武器もなく、たったひとりで立ち向かうおまえを、ベトナムのひとたちは愛してたよ。
でも、それは、親が子に与えるような愛じゃなかった。
救い主に対する愛情──宗教的な、信仰に近かった。
どこにいても、おまえ、孤独だったんだよな。
でも、安心していいぞ。
少なくとも、今、この瞬間はッ!
おれがいるからよ。
勇一郎さんじゃないけど。
おれは、獅子尾龍刃だけど。
おれがいるからよ。
勇一郎さんの代わりにはなれないけど。
おまえの、遊び相手ぐらいは、やってやるからよ。
なんなら──おまえに勝ちたいとすら、思ってるぞ、おれはッ!!
ああ、ちくしょう。
どんなに強がっても、ガタはくるなあ。
気持ちに、身体が、そろそろついてこねェ。
トシは、取りたくねェもんだ……
2.
獅子尾龍刃──
おまえがこれまで積み上げてきたもの。
ここまで肉体を練り上げてきた歴史。
ここに、範馬に比肩するに至るまでに乗り越えた苦難苦闘──
愛情すら感じるよ。
最初。
親父の代わりだと──くだらんと切って捨てた。
目にした時、おまえは、確かに餌だった。
幾たびも夢想する、おれが、誰かに手も足も出ない夢。
苦戦し、苦闘し、苦悶し、苦諦に塗れる。
殴られ、蹴られ、叩きつけられ、苦杯を飲まされる。
そんな妄想を、つい、やっちまう時がある。
それを叶えられる相手ではねェと、タカを括った。
おまえは、そこまでじゃねェ。
そう思ってたし、確信してたよ。
貌が変わった。
どことなく、親父を思わせる貌から──
今は、すっかり、獅子尾龍刃の貌だ。
獅子尾龍刃が、全力で獅子尾龍刃を
遅ェよ。
待ちくたびれたよ。
そうさ。
おれがヤりたかったのは、おまえだよ。
範馬勇一郎の、
おれがヤりたかったのは、獅子尾龍刃。
おまえさんだ。
おれに、勝つ気になった、おまえなんだよ。
力剛山の元で鍛え抜かれ、
範馬勇一郎の元で鍛え上げ、
数々の格闘士とヤりあい、
ついには戦場にまで踏み込んだ、
おれと同じく、素手で戦地を駆け巡り、強者を斃しまくった、獅子尾龍刃なんだよ。
いい
笑ってるぜ。
だが、チョット、傷が多すぎる。
全身余すことなく骨折、及び亀裂、摩耗──
軽度の捻挫──
皮下出血──
関節部の炎症──
両鼓膜破裂──
各部内臓損傷──
重傷人だぜ。
普通のヤツなら、激痛で動けないだろう。
そもそも死んでいるか。
だが、立ってくる。
だが、打ち放たれる拳は、さらに鋭く、疾く、重くなっている。
おれに、勝つために。
おれに、本気で勝とうとしてやがる。
だが、もういいだろ。
佳き時間を過ごせた。
獅子尾龍刃が積み上げた時間は、苦諦は、存分に味わえた。
今、獅子尾龍刃が強くなり続けている理由──それは、
満腹を越えれば、どんな食い物でもマズい。
食い過ぎれば、どんなに健康に気を遣ったモノでも、食は直ちに『毒』に裏返る。
もう充分、堪能したぜ。
おれは、パンチを掻い潜り、懐に入り──獅子尾龍刃を抱きしめた。
3.
アレだ。
と、ストライダムは確信した。
攻勢を止めない獅子尾龍刃を、勇次郎は無抵抗に受け止めて出し、ついにはパンチを掻い潜り、抱きしめた。
脳裏にハッキリと浮かぶ、あの光景。
力及ばす勇次郎に殺されかけた刃牙を助けるために、勇次郎に立ち向かった朱沢江珠に放たれたアレ。
ストライダムの眼に、今の光景と、あの時の光景がピッタリと重なる。
ストライダムは顔中にじっとりと汗を滲ませ、つぶやいた。
よくやった。
獅子尾龍刃は、よくやった。
あの範馬勇次郎を、ここまで手こずらせた。
この地上で、誰もが出来なかったことを。
あのビスケット・オリバや範馬刃牙でさえ出来なかったことを、獅子尾龍刃はやったのだ。
ここで倒れること──
範馬勇次郎に負けることを、誰が責められようか。
「グッドラック」
あるいは祈るように、ストライダムは言った。
そして──異変に気付いた。
勇次郎が、抱きしめを行わないのである。
獅子尾龍刃の背中に手を回している。
あとは、このまま力を入れて締め上げるだけで、獅子尾龍刃の胴体部は壊滅的な被害を受け、勝敗は決するだろうに。
動かない。
勇次郎が。
それは不思議で、あるいは不気味だった。
ストライダムが、ほんのわずか、半歩ほど前に出る。
無意識であった。様子を見たいと思ったからだ。
その、微かな動きに反応するように──ッッ!
獅子尾龍刃の右のショートフックが勇次郎のこめかみを打ち抜き、勇次郎の身体が大きく揺らいだ。
────ッッ!?
なんだ!?
なにが起こった!?
なぜ、勇次郎は動きを止めていた??
なぜ、トドメを刺さなかった!?
なぜ、反撃を許したのだッッ!?
勇次郎の腕が、獅子尾龍刃からほどかれる。
勇次郎が後退り、獅子尾龍刃は着地する。
ストライダムは目を凝らした。
そして、獅子尾龍刃の手に、指先に、あるものが握られているのを見た。
髪の毛──
それは、本体から離れてなお、勇次郎の闘気に揺らぐ、勇次郎の髪の毛であった。
そうか!
とストライダムは腑に落ちる。
身体が密着した瞬間、獅子尾龍刃は勇次郎の髪の毛を抜いたのだ。
それによって発生する、ほんのわずかな肉体の硬直。
全くの静の状態から、突如襲いくる意識外の微かな痛み。
予想外のそれに、さしものオーガといえど──いや、肉体の反射能力がズバ抜けている勇次郎だからこそ、コンマ何秒か止まってしまったのだ。
だから、抱きしめる力を込められなかった。
力を入れる際に、筋肉に溜めがいるのは、人間に限らず肉を持つ生物の必然である。
範馬勇次郎とて、生物なのだ。
その理から外れることは叶わない。
「獅子尾龍刃ッッ!!!」
勇次郎が殴りかかる。
鬼の形相で。
そこに、獅子尾龍刃は一手早く、勇次郎の鼻っ柱に自らの頭を打ちつけた。
勇次郎の鼻が潰れる。
距離が空く。
半端に宙に投げ出された勇次郎の手を、龍刃は優しく握り、軽く捻った。
すると、勇次郎の身体は大袈裟なほど宙に飛び上がり、恐ろしい速度で大地に叩きつけられる。
合気──
「ココデカッッ!!」
ストライダムが叫んだ。
勝ちに行っている。
獅子尾龍刃は、範馬勇次郎に勝つつもりなのだッ!!
勇次郎が立ち上がる。
そこに、やらせまいと上から被さるように、獅子尾龍刃が飛びついた。
揉み合うふたり。
中腰になって立ち上がる。
その姿勢は、獅子尾龍刃の太い腕が、勇次郎の頭に巻きつき、自らの脇に引き寄せている構図であった。
ベッドロック。
「は、やっぱ……」
龍刃が、言った。
もう、どこを向いているかわからない顔で。
それでも、確かに勇次郎に向けて、言った。
「最後は……締め技だろ……」
グラップラーらしくね、と。
ふ、と息を吐き。
獅子尾龍刃は勇次郎の頭を締め付け始めた。
4.
勇次郎が獅子尾龍刃のボディを叩いている。
遠目に見ても、ブっ太い血管が浮き上がるのがワカるほどに、力が入っている。
あの、軽く打ち付けるような一撃で、ヒトが何回死ねるのだろうか?
だが、獅子尾龍刃は揺らがない。
力が入っていた。
ぐ、と勇次郎の腰が浮き始める。
獅子尾龍刃の腰は、逆に落ちてくる。
負けるのか──ッ!?
ストライダムは信じられなかった。
目を見開いた。
まばたきを忘れていた。
範馬勇次郎が、負けるのか──ッッ!?
獅子尾龍刃がさらに腰を落とした。
勇次郎に体重を預けるように前傾になり、勇次郎の頭をより自分の胸に引き寄せている。
勇次郎は──
勇次郎の腕は、左腕は龍刃の絞める左腕を握っていた。
右腕は────
遥か彼方に、その力拳を作って待機していた。
鬼の一撃。
それを、範馬勇次郎は、締められた体勢のまま、獅子尾龍刃の心臓に向かって打ち抜いた。
当たった。
めり込んだ。
獅子尾龍刃が、たまらず吐血する。
だが、緩めない。
より強く、締め付けようと──
そして、獅子尾龍刃の身体は浮かび上がっていた。
不自然な浮遊。
勇次郎に握られた左腕を起点に、飛び上がり、ゆったりと、垂直の姿勢で着地した。
「あ……」
合気──ッッ!?
獅子尾龍刃は、呆然と目を見開いていた。
眼前に迫る、胸に向かって飛ぶ勇次郎の拳を前に、へへ、と笑った。
「ちえッ……」
困ったように、観念したように、笑っていた。
どこか、爽やかな顔であった。
獅子尾龍刃の胸に、鬼の一撃はするりと吸い込まれていった。
獅子尾龍刃の足が、折り畳まれるように曲がって、龍刃はそのまま、うつ伏せに倒れた。
5.
範馬勇次郎が見下ろしている。
決着はついた。
獅子尾龍刃には、もはや自身の負けを認識する力も残されてはいない。
そして、範馬勇次郎の持論として、決着時に勝敗を決するのは、その時点での頭頂部の高さである。
倒れ伏す龍刃、見下ろす勇次郎。
その持論通りなら、勝敗は誰の目にも明らかだった。
「お、オーガッッ……」
ストライダムが声をかける。
しかし、勇次郎に反応はない。
獅子尾龍刃を見下ろすその表情が、果たしてどんな感情を表しているのか、ストライダムにはわからなかった。
範馬勇次郎は振り返った。
そして、歩み出そうとした。
その足首を、獅子尾龍刃の手が握った。
勇次郎は振り向かない。
動きを止めている。
その視線は、どこを見ているのか──
振り返った。
手が離れた。
半歩、詰めた。
範馬勇次郎は両足を広げた。
拳を作り、頭上に振り上げた──
「ゆっ、勇次郎ォォォッッッ!!!?」
ストライダムが叫んだ。
目が血走っていた。
勇次郎は拳を止めない。
範馬勇次郎の拳は振り下ろされた。
びくりと、獅子尾龍刃の身体が波打つように、跳ねたのだった。
次回、最終話:最大トーナメント始まる に続く