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1.
日本──東京ドーム駐車場。
ひと気がない。
それもそのはず。
時間は深夜であった。
駐車場の入り口はとうに閉じられている。
それでも何台か並ぶ車それぞれには、持ち主それぞれの人生の忙しなさがほんのりと反映されている。
身長、一九三センチメートル。
体重は一〇〇キロをゆうに超えていよう。
分厚い身体を持っていた。
服の上からでもわかる、異様に発達した筋肉。
圧縮ゴムのような印象の肩まわりや胸の膨らみ、大腿部などに目を奪われがちだが、この男が最も常人とかけ離れているのは、顎から頸にかけての筋肉である。
顎の形がひとと違った。
並々ならぬ咬筋力は、男のシルエットを、普通人のそれとは別にしている。
独特の熱を──臭いを放っている男であった。
街中を歩いていれば、その突出した存在感はイヤでも目を引くだろう。
金髪の坊主頭、碧色の瞳──
鋭い、何か決意を秘めた目であった。
外国人であるが、武士然とした剛直さがある。
男は、名を、ジャック・ハンマーと言った。
歩いている。
歩いている。
止まった。
ジャックの視線の先に、太い男がいた。
身長、一九七センチメートル。
デカい男だ……。
身長に負けぬほど恰幅も良い。
体重、およそ一二〇キロは下らないだろう。
ジャック・ハンマーより、半回り
驚くべきことに、東洋人であった。
深いシワが、顔に刻まれている。
Tシャツの下から覗く太い腕。
大きな手。
細かな傷が、数えきれないほどある。
パツパツに膨れ上がったジーパン。
引き締まった腰、尻。
ともすれば、男の身体のつくりは、ジャック・ハンマーに似ているか。
違うのは、目であった。
男にも目力はある。
ジャック・ハンマーを射抜く視線は、太い。
黒点の大きな眼は、しかし、優しげな雰囲気を滲ませている。
男は、名を、獅子尾龍刃と言った。
対峙する距離は五メートル。
向かい合っている。
先に口を開いたのは、ジャックだった。
「呼び立ててすまなかった」
丁寧な口調であった。
ある種の品格すらある。
「いいよ、おれも暇してたからね」
対する龍刃の口調は砕けている。
その眼が、ジャックの身体を上から下まで観察していた。
発達しすぎた筋肉に、違和感を覚えていた。
「ステロイドかぁ……」
呆れるような声であった。
ニィ、とジャックは笑った。
誰かによく似る、獰猛な笑みである。
「イケナイかい?」
「うーん。おれは、アンマリ好きじゃねェな」
ステロイド──早い話が筋肉増強剤のことだ。
人間の体内で生成される筋組織のバランスをあえて破壊し、刺激を与えることで、人工的に筋肥大をおこし、ヒトならぬ力を手にするための薬物である。
力を求める男にとり、まさに夢の架け橋となる効能だが、その代償は自身の肉体や精神──すなわち『命』である。
ステロイドを打った人間は、加齢とともに肉体が必要以上にボロボロになり、精神的に不安定になったりして寿命を縮めてしまう。
不自然に発達させた筋肉は、神と人の道理を破壊しているためか、やがて己の存在を滅ぼすのである。
野球でも、サッカーでも、格闘家でも、プロレスラーでも。
超一流と目される、多くのアスリートたちが、この禁断の果実の誘惑に負けているのは歴史的事実であった。
「明日を見越した強さなど──たかが知れている」
「うん、いや、そーいう考えもあるンだろうけどね……」
「わたしは強いよ」
「だろうね」
龍刃の顔は芳しくなかった。
戦後の時代、粗悪なステロイドに手を染め、微かなパフォーマンス向上と引き換えに、心身ともに破滅したレスラーは珍しくなかった。
だが、ジャック・ハンマーの纏う雰囲気は、どうやら龍刃の知る彼らとは、一枚も二枚も違うようである。
「で、おれに、何の用なのさ?」
「獅子尾龍刃──アナタがかつて、範馬勇次郎と『互角』に戦ったというハナシは聞いている」
「……いや、負けたけど、おれ……」
「わたしがあの男を超えるためには、アナタの存在が必要なのだ」
「……おれに、ケイコをつけてくれってコトかい?」
「来たる三ヶ月後──徳川光成の主催する、最大トーナメントなるものがある」
ジャックは語った。
三ヶ月後、徳川光成は東京ドーム地下闘技場にて、最大、最強、最高水準の格闘トーナメントを行うと宣言した。
光成はここ数ヶ月、世界各地にスカウトマンを派遣し、表、裏を問わず──
もはや、格闘技者かどうかすら問わず──
とにかく『強い』と噂される男たちをかき集めていた。
カナダの裏社会でその名を轟かす、ジャック・ハンマーもまた、徳川光成のお眼鏡に叶ったと言うわけだ。
「でも、あの大会、勇次郎は招聘されてなかっただろ?」
「その通りだ。流石に優勝が決まりきったトーナメントなど、興行師の立場からしてお断り……ということなのだろう」
「仮にも『最強』を決めようってェのに……勇次郎、怒るだろうにね」
「そうだ。だからこそ、大会当日、必ず、範馬勇次郎は地下闘技場に現れるだろう」
「…………」
「わたしは、勇次郎に至るために、全てを捧げてきた。考えうる限りの、全てを……」
「文字通り、命がけだもんなあ」
「たどり着いた今日。それでもなお──あの男に届いている確信はナイ」
「……だから、おれを利用しようってワケね」
ジャックは頷いた。
「獅子尾龍刃。範馬勇一郎の最後の弟子にして、範馬勇次郎に
「………………」
龍刃は首をもたげた。
思い出すのは、あの日──
2.
振り下ろされる範馬勇次郎の拳。
命を打ち砕く一撃。
当たれば、死。
獅子尾龍刃は覚悟していた。
戦いの末に、こうなることもある。
自らが伝えたかったことが、果たして勇次郎に伝えきれたのかはわからない。
だが──満足はしていた。
その分では。
ありったけをぶつけて、ありったけで語り合った。
だから、そこに悔いはない。
悔しいのは、勝てなかったコト。
勝ちたかった。
初めて、ひとに、勝ちたいと思った。
ああ、負けるって、こんなに悔しいコトだったんだ。
誰のためでもなく。
おれが、おれのために勝ちたくて、おれのせいで負けるって、こんなに悔しいものだったんだ。
勇次郎はパンチを振り抜いた。
ストライダムが絶叫している。
パンチは──獅子尾龍刃の顔の、すぐ隣に落ちていた。
なぜ、殺さない……?
龍刃は、声に出せなかった。
顔を、勇次郎に向けることさえできない。
しかし、勇次郎ははっきりと、龍刃の疑問に応えた。
「キサマはまだ、
────ッッ!!
それは、龍刃にとって鶴のひと声であった。
いや、鬼のひと声か。
強くなりたい────
そう思って、生きてきたこれまでだった。
だが、それは、元を正せば死んだ父の遺言であった。
死んだ母の遺言であった。
“強くなれ──“
だから、獅子尾龍刃は強くなりたかった。
強くなった結果、いろんなひとと、龍刃は繋がれた。
いろんな人に支えられて、愛を受けて、強くなった。
父のために。
母のために。
力剛山のために。
範馬勇一郎のために。
範馬勇次郎のために。
しかし、裏を返せばそれは、獅子尾龍刃が『自分自身のワガママのために』強くなろうと思ったことが、一度もないということでもあった。
今、獅子尾龍刃は、悔しいと思っている。
負けて、悔しいと。
勝ちたかったと。
誰のために──?
無論、自分のために。
それは、純度が高かった。
それは──すなわち“ワガママ“であった。
自分のためのワガママを、初めて、獅子尾龍刃は通したいと、心から想ったのだ。
獅子尾龍刃。
約半世紀を生きてきて、初めてワガママを言った。
ようやく、自分の意志で、その門を叩いた。
強者ひしめく世界。
圧倒的な
闘争の世界──
そこに構える門を、いま、ようやくくぐったのだ。
獅子の門を──
だから、まだ強くなる。
まだ、おまえは、はるかに強くなれる。
範馬勇次郎はそう言ってくれたのだ。
無論、勿論、それは範馬勇次郎のエゴからの言葉だろう。
だが、範馬勇次郎のエゴは、獅子尾龍刃の心を強く叩いた。
ひと筋の涙が、獅子尾龍刃の頬を伝う。
「ゆう、じ……ろう…………」
獅子尾龍刃が呼ぶと、範馬勇次郎の気配が止まる。
そこにいるんだな。
いてくれてるんだな。
眼は見えなくとも、わかることがある。
感謝しなければ。
伝えなければ。
しかし、
「また……ヤろう、ぜ………」
しかし、獅子尾龍刃の口から出たものは、感謝ではなかった。
感謝の意図は含んでいたが、感謝のカタチはしていなかった。
範馬勇次郎は、その時、如何なる表情を浮かべていたのか。
獅子尾龍刃に知る術はなかったが、地を踏み締める音が、どこか軽快になったのは感じていた。
こうして──獅子尾龍刃は範馬勇次郎に敗れた。
しかし、それこそが獅子尾龍刃の始まりであった。
しかし、ここからが。
獅子尾龍刃の最強を目指す漢──
『
3.
「ワルいね、ジャックよう。おれはおまえにケイコつけることはできねェ」
「なぜだ?」
「おれも、最大トーナメントに出るからだよ」
「────ッ!!」
「徳川さん、おれのこと、覚えてくれてたんだ」
「なるほど」
「いやあ、すげェよ今回のトーナメント。徳川さん、ホンキもホンキさ。メンツが半端じゃねェ。猪狩に、斗羽さんでしょ? サクラも出るんだって嬉々としてたし、巽くんも出るでしょ? 巽くんから久我さんも出るって聞いたし、彦六くんも出るって言ってた。独歩さんに、無門くん。それに加奈村さんでしょ。松尾さんも現役復帰したって言ってたし……。秋田さんトコの、薫くんも出るみたいだしさあ。あと、宮沢さんとこのぼっちゃんに、日下部さんとこの覚吾くん。どっかの裏格闘の王者も出るって聞いたし……オリバに聞いてみたら、『おれはそんなハナシ聞いてないぞ』ってカンカンだったから、どっかに自分をねじ込む気満々だったしさ」
「──なるほど。確かにそれでは、試合前におれに構っているヒマなどねェわな」
クク、と深く、静かに、ジャックが笑う。
しかし、ある種の喜びを浮かべる顔と打って変わって、その身から湧き上がるものは、炎のような闘気であった。
駐車場内の気温が、じっとりと上がる気さえする、ジャック・ハンマーの闘気。
否応なく、これからおこることを、ジャックがやろうとしていることを、獅子尾龍刃は察する。
龍刃は笑顔だった。
そういうのも、嫌いじゃない。
むしろ好きだった。
ジャック・ハンマー。
強い。
ひと目見た瞬間に、あらゆる情報が『おれは強い』と伝えてきた。
その眼が、覚悟を秘めた戦士に違いなかった。
だが、おれだって、そこそこ強いんだぜ?
好きだぜ、おまえ。
ジャックよ。
なんとなく、勇次郎に顔が似てるな。
にやりと笑って、獅子尾龍刃が言った。
ジャックが上着を脱ぎ捨て、その、逞しく太い上半身が顕になる。
龍刃もまた、上着を脱いだ。
闘気と臭いが混ざり合い、むせかえるほどの雄度が空間を支配していた。
「やろうか、ジャック」
「もちろんだ、開始の合図は?」
にこりと、笑う。
「もう始まってるぜ」
獅子尾龍刃が踏み込んだ。
ジャックが、まさにハンマーのように固めた拳を、地面スレスレに泳がせて、アッパーを放った。
漢たちの戦いは始まった。
範馬勇一郎に焦がれた男がいた。
孤高の柔道家、日本最強の武道者、範馬勇一郎に魅せられた男が。
その男、初めはデカい身体を活かすために。
強くなりたくて、強くなりたくて、プロレスの門を叩いた。
「プ、プロレス……やらせてください」
そして、プロレス王・力剛山の虐待に等しい指導の下で、血の小便を流しながらも腕を磨いていた。
だが、195X年──『昭和の巌流島』。
男は、プロレス王・力剛山に敗れた範馬勇一郎に焦がれてしまう。
強くなりたかった。
だから──イチバン強くなれると思ったプロレスをやり始めた。
だから──その時世界で最も強い男に憧れた。
しかし、力剛山の元を離れ、範馬勇一郎の元に向かうこと。
それは力剛山の、プロレスの──ひいては、日本の武道界そのものと戦うことになる、荊の道であった。
そして、獅子尾龍刃という男は戦いぬいた。
戦って戦って、戦い抜いた。
師のために──
父のために──
母のために──
ライバルのために──
そうして、一九八X年、獅子尾龍刃はとうとう『地上最強の生物』と戦い、これに敗れる。
しかし──そこからが始まりであった。
誰のためでもなく、自分のための戦いの。
龍は哭いた。
龍は哭いた。
歓喜に、悲しみに、怒りに。
その全てを吐き出して、新しい『道』を歩み始めたッッ!!
一九九X年。
獅子尾龍刃の戦いは、まだ、始まったばかりであった。
【慟哭の龍 完】
おまけ、最大トーナメントの試合表
(多重クロス注意)
◼️Aブロック
・第一試合
範馬刃牙vs宮沢熹一
・第二試合
伽羅vs久我重明
・第三試合
猪狩完至vsマホメド・アライJr.
・第四試合
本部以蔵vs葛城無門
◼️Bブロック
・第一試合
羽柴彦六vs烈海王
・第二試合
松尾象山vs獅子尾龍刃
・第三試合
花山薫vsクライベイビー・サクラ
・第四試合
愚地克巳vsJ・ゲバル
◼️Cブロック
・第一試合
ロロン・ドネアvs堤城平
・第二試合
柴千春vs丹波文七
・第三試合
畑幸吉vs加奈村狂太
・第四試合
ジャック・ハンマーvs加納アギト
◼️Dブロック
・第一試合
日下部覚吾vs姫川勉
・第二試合
愚地独歩vs宮沢尊鷹
・第三試合
渋川剛気vsビスケット・オリバ
・第四試合
鎬昂昇vs鎬紅葉
これにて完結です。
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