1.
神心会空手総帥、愚地独歩は語る。
知ってるよ。
だからさ、獅子尾龍刃だろ?
覚えてるよ。
最初、力剛のとこでプロレスやってて、その後範馬勇一郎についてって、柔道やってたやつだ。
ありゃあおめェ、強かったよ。
おれが武者修行でアメリカ行ってた時代。
斗羽さんがジャイアント・デビルって恐れられたことは知ってンだろ?
もちろん、おれだって恐れられてたよ。
ボクサーの拳を正拳突きでぶっ壊したり、プロレスラーの腹ァ蹴って、リングにゲロ吐かせたり……そういうことばっかりやってたからね、おれも。
でも、やっぱり斗羽さんはすごかったよ。
デカくて、速くて、強くて、動けた。
身体の持つ才能──カリスマ性ってやつが、ずば抜けてたもンよ。
モチロン、このおれだって、カリスマは負けちゃあいないぜ。
なにせ、おれァ今、神心会空手一〇〇万人の
でね、獅子尾龍刃。
こいつは強かったが、斗馬さんやおれに比べれば、一般知名度ってやつは無かった。
日本でも、アメリカでも。
めちゃくちゃ強かったよ。
アメリカのプロレスリング、日本での真剣の野試合、表沙汰にできないような暴力沙汰にもかなり顔を突っ込んでる。
なにせ、時代が時代だからねェ。
暴対法なんて無かった時代だぜ?
切った張ったで筋を通してた時代だもんで、武道に携わるやつに後ろ暗い
北辰館の松尾さんや、それこそ力剛山もそうだよ。
マウント斗羽だって、アントニオ猪狩だって、団体を立ち上げる時、ほぼ必ずそのオトモダチを通して、血生臭いドロドロのやり取りをこなしてるよ。
おれ?
おれはまあ、秘密ってことで。
ただ、そうだねェ。
おれの拳は、
獅子尾龍刃の名前が残ってねぇのは単純なハナシでね。
あの手この手で、歴史から消されちまったからなんだよ。
プロレス史からも、柔道史からも、いなかったことにされちまってる。
範馬勇一郎に、ついて行ったばっかりによ……
あんた、この後、徳川のジッちゃんとこに行くんだってな。
だったらそこで、話、聞いてみるといいよ。
あのジッちゃんなら、龍刃について、結構知ってるはずだよ。
え?
おれに聞きたいこと、龍刃のことだけじゃないのかい?
範馬勇一郎についてかい?
力剛山と、範馬勇一郎の関係についてかい?
恐ろしいこと聞くんだね。
いいよ。
ただし、この話を聞いちまう以上、あんたは覚悟しなきゃいけないよ。
これからの夜道にゃ、気をつけるんだね。
2.
夜。
飲み屋だった。
力剛山の弟子たちの行きつけの場所である。
墨で塗られた手書きの立て看板が目印であった。
今で言う電光掲示板などない時代である。
天井に電球を取り付けて、それを、すぐ近くに立つ電信柱と結びつけていた。
国の許可など取っていないだろう。
見るからにボロ小屋であった。
全体的に建て付けが悪く、冷たい隙間風がびゅうびゅうと音を立てて店内に入ってくる。
飯と酒が安い店であった。
鍋物と焼き鳥が名物であり、闇市で手に入れた味噌を、ふんだんに使う濃い味が自慢であった。
鍋の締めのうどん麺が、手打ちで作られている。
カウンター席が五つ。
座敷にテーブルが三つ。
力剛の弟子の行きつけではあるが、当の力剛山はこの店で酒を飲むことはない。
力剛山が酒を飲む場所はいつも、もっと華やかな場所である。
ネオンライトがあって、綺麗なお姉ちゃんを囲んで、ヤバい商売をやっている、ヤバい人たちと飲んでいる。
座敷に、大男たちが詰めかけていた。
無論、力剛山の門下生たちである。
他には、カウンター席の端に、ひとり、大きな男が背を縮めて座って、酒を飲んでいた。
門下生たちは、六人席に八人で座っている。
座布団を借りて、無理やりスペースを作っていた。
その空間だけ、密度が違う。
テーブルの中心に、でかくて黒黒とした鍋がひとつ置かれている。
その中で、野菜と肉が茹っていた。
全員分の味噌汁と、白米。おしんこと酒が用意されていた。
「まあ、飲めよ」
男たちに囲まれて、龍刃はいた。
正座していた。
背筋が伸びている。
かしこまった態度ではなかった。
堂々としている。
先輩に注がれた酒を、見る。
「飲めよ」
どうした?
と先輩が聞く。
龍刃は、会釈をした。
顔を上げる。
「お気持ちだけ、いただきます」
硬く、岩のような言葉であった。
自分の中の信念を切り崩して、わずかに発露しているかのようだった。
頑とした態度であった。
それが、気に入らない。
「おう、龍刃。おまえ、おれたちの酒が飲めねえってのか」
「プロレスラーが、酒の一杯飲めねえんじゃあダメだぞ」
それでも、先輩は比較的柔和に諭した。
この飲みの席に置いて、すでに結末は決めていた。
だが、まだ。まだだ。
まだ、手を出すには早い。
身体は大きいし、態度はもはや人離れした龍刃ではあるが、世間的にはまだ十三のガキだ。
入門二ヶ月の新入りだ。
それを、七人がかりで半殺しにしたとあっては、自分たちの──力剛山のメンツに関わる。
力剛山本人ならばその程度の暴力沙汰は揉み消せるが、自分たちでは揉み消せない。
「飲みません」
岩のような声である。
「この酒が、毒じゃない保証がないっスから」
龍刃の言葉は、しかし、先輩たちの怒髪天を的確に刺激した。
「てめえ!!」
ひとりが机を叩いて立ち上がる。
それを、ふたりがかりで止める。
「おれたちが、おまえなんかに毒を盛るってェのか!?」
「先輩たちだからじゃ、ないです。おれは、誰に出された酒も、飲みません」
龍刃は、立ち上がった先輩をじろりと睨み上げた。
嘘偽りのない双眸であった。
龍刃よぅ。と隣の先輩が行った。
「おまえ、そんな態度じゃ、死ぬぞ」
「死にません」
「殺されちまうぞ?」
「殺されません」
「リキさんからの酒でも、飲まねえのか?」
「…………の、飲みません」
「じゃあ、お前は死ぬな。リキさんに殺される」
「…………」
なぁ、龍刃よ。
先輩の声は、優しかった。
タバコに火をつけて、ズッと吸い上げる。
あっという間に、タバコの半分は塵になる。
ふぅーと吐いた煙が、夜風に溶けていく。
臭いがきつい。ざらついていて、喉をすりおろすような粗悪品。
案の定、安物であった。
良い葉っぱではない。
「おまえさ。このまんまじゃあ、リキさんに殺されるぞ。あの人、手加減なんかしないからな。このまんまじゃあ、デビュー前に身体ぶっ壊されて、捨てられるぞ」
「……先生は、そんなことしません」
「いいや、するよ。あの人は、やる」
灰皿にタバコを押し付けた。
グリグリと、執拗に、タバコが解けて粉になるまで。
「おれが、守ってやるよ」
胸に手のひらを当てて、大袈裟に言った。
すい、と龍刃の視線が、やっと先輩の目を見た。
先輩は笑っていた。
獰猛な、蛇のような顔であった。
細められた目が、卑しい光を放っていた。
「代わりに、おれの言うことを聞け。絶対に逆らうな」
「逆らったら、この場でおれ、死にますか?」
「ああ、死ぬよ。おまえは目ん玉抉られて、舌を引っこ抜かれて、耳ちぎられて、手足の骨をへし折られて──この近くの川で、変死体になって明日、見つかる」
この近くの川。
定期的に、どざえもんが流れ着く。
大抵が、身元不明の不審者であった。
日本人かどうかもわからない。
顔や手足がぐちゃぐちゃになっているものも珍しくない。
だから、警察もいちいち捜索をしない。
キリがないからである。
捜索しても、メリットがない。
余計な体力を使うだけだから、やらない。
「リキさんには、あいつはしごきに耐えられずに逃げました──とでも言うさ」
「……」
「おまえ、いくところがないんだろう?」
「────!」
初めて、龍刃の身体が目に見えて動揺した。
肩が、ぶるりと震えた。
目の光が澱んで、弱さが浮かび上がる。
先輩は、白い歯を見せて、笑った。
「リキさんに見捨てられたら、生きる場所が、ないんだろう?」
「……ないっス。おれ、ひとりっスから」
「だろうな」
龍刃の言葉は、小刻みに震えていた。
過去を、想起しているのか。
言葉に揺さぶられると、自身の弱さを隠しきれない。
やはり、まだガキだ。
不自然に強く振る舞うことが、すなわち自身の弱さを一生懸命覆い隠そうとする女々しさであることに、気づいていない。
「わかりました……」
龍刃は、顔を伏せて、静かに言った。
観念の言葉であった。
もうこれ以上、この場所にいたくない。
そういう弱気が、表皮から滲み出ていた。
だからこそ、先輩は、
「まだだね」
と言った。
龍刃が顔を上げた。
泣きそうな瞳であった。
それを確認すると、先輩の目の光が、どす黒く歪んだ。
愉悦の歪みであった。
弱りきった獲物を嬲る
「言葉だけじゃあ、信用できねえなあ」
その歪みは、言葉にも滲んでいた。
一転して、優しい口調が被虐の精神に澱んでいる。
舌舐めずりをしているようであった。
周りの先輩たちも、感化されたかのように、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべていた。
それが、たまらなく恐怖を煽った。
先輩は、灰皿を持ち上げて、その中身を自身の味噌汁に突っ込んだ。
味噌の色が、泥沼のような粘り気と色となる。
それを、箸でくるくると溶かしていった。
「食え」
言った。
龍刃の前に、椀を置いた。
「態度で示せ、行動でやれ。なぁに、おまえもプロレスラーだ。これを食ったところで、腹なんか壊さねぇよな?」
「…………」
龍刃は、無言で椀を持った。
「まて」
先輩のひとり──先ほど、立ち上がって飛びかかろうとした男である。
手に、小さな袋を持っていた。
袋が内容物に引っ張られている。
小さいが、相応に重さがあるのがわかった。
そこから、木の枝を使って中のものを刺して取り出した。
それは、グロテスクな茶色い塊であった。
砂がついていた。
湿り気があった。濡れていた。
「ここにくる途中、そこで拾ったんだよ」
犬の糞であった。
それを、椀を取り上げて、味噌汁の中に躊躇なく入れた。
枝でかき混ぜる。
異臭がただよった。
「食えよ」
椀を差し出して、言った。
誰も止めなかった。
「食えよ。プロレラーなんだろ? 力剛山が見込んだ男なんだろ?」
食えよ。
飲めよ。
「食えよ。どうした? 食えねえのか?」
力剛山に、見捨てられてもいいのか?
力剛山に、ぶっ壊されてもいいのか?
「…………」
震える手で、龍刃は椀を受け取った。
自分の胸の前で、それを見下ろす。
「食え! 食え! 食え!!」
誰ともなく、手を叩き始めた。
盛り上がっていた。
その中心で、龍刃は孤独に沈みゆく。
冷たい世界に放り出され、覚悟に手を震わせ、彼は、椀を口に近づけた──
「ちょっと、いいかい?」
声がかけられた。
合唱が止んだ。
全員が、手を叩くのをやめて、声の方を見た。
男が立っていた。
カウンター席で酒を飲んでいた男だった。
大柄な男だった。
プロレスラーの男たちと、身体の大きさがさほど変わらない。
顔がデカい。
眉毛が太い。
鼻がデカい。
唇がデカい。
首が太い。
肩が丸い。丸くて、太い。
脚が太い。
足が、デカい。
背筋が伸びているにも関わらず、全身像がころりとした卵のようであった。
威風堂々とした立ち方であった。
肌がうっすらと黒く焼けていた。
袴を穿いている、が、上半身はなんの変哲もないシャツだ。
やや、ちぐはぐな格好であった。
柔和な顔である。
これは、表情もそうだが、生来優しげな形として生まれたのだろう。
歳は、二〇代に差し掛かった頃だろうか。
それにしては、貫禄のある風貌であった。
「なんだ、おい」
「うるさいね」
「なんだと!?」
「お兄さんたち、他のお客さんに迷惑だよ」
もちろん、他の客などいない。
男の言葉は妙に軽快で、先輩レスラーたちの言葉に込められる感情を、間を、微妙にずらしている。
「なにより、食べ物を粗末にしちゃあダメだよ。食うに困るこのご時世に、そんなことしちゃあ、お天道様からバチが当たるよ」
「ご立派な忠告痛みいるがよぉ、にいちゃん。そこまでにしといた方がいいぜ。おれたちが誰かわかってないんだろ?」
「知ってるよ。レスラー
「……ッッ! てめぇッッ!!」
頭に血が上ったひとりが、ぐい、と胸ぐらを掴み上げた。
すごい力であった。
大柄な男が軽く持ち上がっていた。
と──
男が、笑っていた。
「何がおかしいんだ、てめえ!?」
「先に、手を、出しちゃったねえ」
「なに──いってェッ!!?」
叫ぶと共に、手を離した。
すとんと、男が両足で着地する。
先輩レスラーが前屈みになっていた。
胸ぐらを掴んでいた手の親指が、反対方向に曲がっていた。
「こ、こいつッッ、おれの指を……ッッ!!」
「でようか。ここじゃあ、武器がいっぱいで……きみたちが不利だろう」
からん、と下駄を鳴らして男が店を出た。
レスラーたちが後を追う。
龍刃も、後を追った。
3.
店の少し離れた場所。
空き地であった。
すぐ隣に、川のせせらぐ音がする。
九人の男が並んでいる。
ひとりの男に対し、七人の男が敵意を向けている。
龍刃だけが、その半歩遠くから、全体を見ていた。
「生きて帰れると思うなよ」
親指を無理やり元に戻した先輩レスラーが言った。
根本が赤く腫れ上がっている。
全員、殺気立っていた。
既に酒が入っているのもあって、気が昂りやすくもなっていたのだ。
興奮して、やりすぎる。
そういう結末を、誰もが覚悟していた。
力剛山になんと言われるか。
下手すれば殺されるかもしれない。
いや、だが、ここでこの男を黙って帰してしまえば、それこそ力剛山は自分たちを殺すだろう。
男は、笑っていた。
まるで、無邪気な子供のようであった。
ずっと──龍刃たちと出会う前から、こういうシチュエーションを望んでいて、やっと、待ちに待った瞬間に立ち会った。
そんな事を言いたげな顔であった。
「刃物があるなら、出していいよ」
「ケッ! そんなもんいらねえよ!!」
ひとりが、早速とびかかった。
大股で距離を詰めて、胸ぐらを掴んで拳を引く。
「あぎゃあっ!?」
そして、そのまま崩れ落ちた。
男の足が、股の間を掬うように打ち上げていた。
きんたまが潰れた。
ぶしっと、変な汁がズボンに染みた。
男はそのまま、胸ぐらを掴む右手を左手で巻き上げるように掴んだ。
「しゃあっ!!」
右手をレスラーの腰──ベルトを下から掴み、根っこを引き抜く動きで強引に持ち上げて、投げた。
一〇〇キロ近い大男が、宙を舞う。
投げる先に、ふたりの男がいた。
飛んできたレスラーを受け止めきれず、尻から落ちた。
そこに、男はもう、間合いを詰めていた。
ゲタのかかとで、受け止めたレスラーの顔を順に踏み抜く。
ぐちゃっ、と音がした。
ひとりは、鼻の軟骨が潰れるどころか陥没した。
上顎骨が砕けて、歯が吹っ飛んだ。
ひとりは、眼底が砕けて眼球が下に沈んだ。
涙骨も砕けて、血と涙が混ざった液体が鼻と口から吐き出された。
「おらあっ!」
男の背後から、別のレスラーが掴みかかった。
脇の下に両手を回してクラッチした。
そのまま持ち上げようとして、できなかった。
男の二本指が、すぐさまレスラーの鼻の穴に突っ込まれたのだ。
そのまま、凄い勢いで奥に潜っていった。
「おがっ! おががががが!!!」
鼻の穴が裂けた。
鼻水と血を流し、目には涙が滲んでいた。
激痛のあまり口があんぐりと開いて、唾液が溢れていた。
それだけではない。
男は、レスラーの左耳に、人差し指を突っ込んだ。
根元までねじ込む。
そして、躊躇なく、耳と鼻の中で、指を折りたたんだ。
ぶりっ、と弾ける音がした。
レスラーの鼻が、内側から爆発して、なくなった。
耳から黄色い汁がぼとぼとと落ちた。
そのまま白目を剥いて、うつ伏せに倒れた。
失禁して、痙攣していた。
「これで、四人……」
じろり、と男は残りを見た。
まだやるかい?
そう問いかける視線であった。
息ひとつ乱していない。
なんという無駄のない動きであろうか。
なんという容赦のない攻撃であろうか。
「て、てめえ! わかってんのか!? おれたちは……!!」
「おいッ! よせバカッッ!! 言うなッッ!!」
「だから知っているよ。力剛山の門下だろう?」
「──ッッ!!」
「今日のことは、階段から落ちたとか、車に轢かれたとか、まあそんな感じの言い訳をしなさい」
男は警戒を解いていない。
からん、とゲタを鳴らして一歩、近づく。
「わたしは柔道の天城六郎。しばらくこっちにいるから、何かあるんならいつでも訪ねてくれ。どこぞの柔道場で、『天城六郎に用がある』と言えば、わたしから力剛山のところに行こう」
4.
そこに、獅子尾龍刃と、天城六郎が残された。
先輩レスラーたちは、動けなくなった四人を抱えて、足早に去っていった。
龍刃には目もくれなかった。
「ありがとう、ございます……」
微笑む天城に、龍刃は言った。
「きみは、強い人だね」
と天城は言った。
「きみ、あんな連中、軽くぶちのめせただろう? 纏う雰囲気が違うよ」
「…………」
「彼らの顔を立てた……そんな理由じゃ、なさそうだね」
「あのひとたち、先輩っスから……」
「あれは、しごきでもなんでもないよ。ただのいじめだ」
「それでも、おれなんかに声、かけてくれる、先輩っスから……」
「嫌じゃなかったのかい?」
「…………」
龍刃はこくり、と頷いた。
ぽたり、と滴るものがあった。
涙であった。
大粒の涙が、龍刃の目から溢れている。
止まらない──
「おれ、ひとり……っスから……」
「…………」
言葉が出てこないのだ。
あるいは、ここで、なんと言えばいいのか、龍刃という少年はわからなかった。
この感情がどういう色と形をしているのか。
どういう言葉が、これを表すのか。
知らなかった。
わからなかった。
だから、涙となってこぼれでた。
「……名前は?」
「獅子尾、龍刃っス……」
「強い名前だね」
「……はい、おやじに、もらいました」
「いいお父さんだったんだね」
「国のために、母ちゃんのために、戦いました」
「……そうか」
風が吹いていた。
冷たい風が。
「きみは、まだ、力剛のところに行くのかい?」
「先生は、恩人っスから」
「あのレスラーくずれたちに、今度こそ殺されるかもしれないよ」
「先生は、おれを、強くしてくれますから……」
「……そうか」
天城六郎は、からんとゲタを鳴らした。
振り返ったのだ。
龍刃に背を向けて、歩き出した。
「わたしは、たまにここで飲んでる」
天城六郎は、言った。
優しい表情で、優しい声であった。
「また、会いに来てくれ。わたしは、どうやら、きみのことを気に入ってしまったようだ」
からん、ころんとゲタの音が遠ざかる。
その背が、消えていく。
獅子尾龍刃はまだ泣いていた。
風が冷たくて、気持ちが良かった。
天城六郎
獅子の門の登場人物、寝技師の異名を取る柔道家。
刃牙世界としては、後に力剛山の死亡原因の力剛山vs龍金剛を見届けるバーテンダーをやっていた鹿久間源(ゆうえんちより)に柔道を教えさせた男。